1.娘に付き合う格好でM-1を見る

先週末、娘がどうしても見たいというので、M-1グランプリという漫才のコンテストのような番組をついつい一緒に見てしまった。吉本興業が主催する漫才のコンクールだと言う。

僕は本当に自分でも困る程の多趣味人間なのだが、漫才はもちろん、現在テレビ業界に数えきれない程いるお笑い芸人のことはあまり知らず、ハッキリ言ってほとんど興味もない。

何だお前はクラシック音楽と合唱、そして映画ばかりで、えらくお高く止まっているなと貶されそうだが、決してそうではない。落語はもう大好きだし、神田松之丞の影響か講談にもハマっている。お笑いが嫌いなわけでは決してないのだ。

 

このM-1、呆れる程に長い番組なので、最初のうちは見て見ぬフリを決め込んでいた。本を読んだり、楽譜を眺めたり。

でもリビングにいると、どうしても音が、つまり漫才のしゃべりが耳に入ってくる。そこで、否応がなく少し聞き始めてみる、というよりも、見始めてしまう。それでも適当に見ているだけだ。

だが、僕のような漫才ド素人でも、番組が進むにつれてドンドン熱を浴びてきて演じる方も審査員たちもボルテージが上がってくるのが痛い程伝わってくる。

 

2.ミルクボーイの登場

そこで、僕もついつい娘と女房につられて一緒になって見始めてしまう。でも、まだ心ここにあらずの状態。娘が応援していた和牛は見逃してしまったが、ミルクボーイというあまり知られていないコンビが登場してきた。それまでと同じようにボケッと見始めていたのだが、あろうことか瞬く間に引きずり込まれてしまった。僕は本当に漫才のことはほとんど知らず、ボケとツッコミも良く分からない程なのだが、このパッとしないコンビを見ていたら、もうこれが何ともおもしろくて、身を乗り出して見る羽目に陥る。いやあもうおもしろいのなんのって。僕だけではない。女房はプリンを食べながら見ていたのだが、思わず口から吹き出してしまったほどだ。

そのおもしろさはもう何と言っていいのか。先ずはツッコミの内海崇の実に聞きやすい滑舌の素晴らしさにある。何のアクションもなくただ話のネタのおもしろさだけが勝負なので、7割以上は一人で喋っているツッコミの言葉が聞き取れないと、正に生命取り。

その点、内海の言葉は実に明瞭、関西弁を駆使しながらも関東の人間でも聞きやすく、本当に聞いていて惚れ惚れとする滑舌の良さ。

その喋りの巧さと間の取り方の絶妙さに舌を巻いてしまった。

 

3.ミルクボーイの漫才のおもしろさは

ボケのおかんが気に入っている朝ごはんの名前が思いだせないので、ツッコミが一緒になって考えてあげるというただそれだけの話し。

答えを示しながらも、ボケが補うおかんのコメントを受けて、即座にその答えを否定することの繰り返し。ただそれだけのことなのだ。

それがどうしてこんなにおもしろいのだろう。肯定したり、否定したりする理由が実に奮っている。特におかんのコメントを受けて、さっき自分が言った答えをたちまち否定する理由が実におもしろい。本当にその答えは全くそのとおりなのだが、滑舌の良い大きな声で真っ正面から言われると、ただただ爆笑するしかない。

いやあ、本当におもしろかった。コーンフレークというどこにでもある身近な食べ物を巡って、ここまでの笑いを引き出す能力たるや、大変なものだと感服させられた。

 

過去のM-1史上の最高得点を獲得したというのが、僕には少しピンと来ない。というのはこのミルクボーイの漫才がめちゃくちゃおもしろかったのは事実であったが、これだけ世に受け入れられている漫才。これとはまた違ったおもしろさがあって、コンクールとなればこのあまりにも身近なネタがそんなに高く評価されることになるのかどうか、その審査基準が想像もつかない。ところがどの審査員も軒並み最高得点を付けた。

 

ファイナリストに選ばれたのは断トツ一位のミルクボーイとかまいたち、そしてペコパの三組。かまいたちもペコパもおもしろく、好感は持ったが、最後に演じたミルクボーイに、僕はまたまたビックリ仰天してしまったのだ。

何と今回は「最中」を巡る話し。えっと思ったのは始まると同時。

何と何と、「コーンフレーク」と「最中」と食べ物の違いはあっても、全く同じ展開なのであった。おかんが好きな食べ物の名前を忘れたから、ツッコミが一緒に考えてあげるという展開。即座に答えを出しながらもボケのおかんのコメントを聞いて、たちまち前言を覆して否定する、それの繰り返しだ。そう、食べ物の対象が変わっただけで、全く同じ展開と落ち。これは全く同じなのである。

僕は正直、こんなのあり?と思った。だが、これがとにかくおもしろい。おもしろくて、おもしろく、その都度爆笑してしまうのだ。

最初に聞いたコーンフレークの方が、否定の理由が斬新で、より魅力的ではあったが、最中も素晴らしい出来栄え。実に楽しめた。

 

だが、対象が違うだけで、同じ展開のネタがどう評価されるのか検討がつかなかった。かまいたちもペコパも相当おもしろかっただけに良く分からない。

それが蓋を開ければ、松本以外の全員がミルクボーイを押す圧勝に。

純粋におもしろいものを高く評価するという審査員陣の姿勢にも感服させられた。松本人志が「今年は、過去最高の大会だったのではないか」とコメントしていたが、へええと驚くことしきり。

というのは、ミルクボーイの二つのネタはめちゃくちゃおもしろく、好感を持ったが、そのネタはあまりにも身近な食べ物の話で、実に古典的だと感じたからだ。

これだけ漫才ブームが続いている成果として、僕のような漫才ド素人ではついていけないような深い世界、ありきたりに言えば評価の基準が違うのではないか?そう思っていたのだ。それが圧倒的な支持。身近なありきたりな小さなネタでも、とにかくおもしろければ高く評価される。そのあまりにも当然なことが認められたことに安心もし、嬉しかった。

 

4.誰もを傷つけない平和な漫才に感動

思えば、あのミルクボーイのネタには派手なアクションもなければ、何と言っても、暴力的な要素も相手をこき下ろじたり、バカにしたりという要素がこれっぽっちもない。極めて平和と平穏に徹したネタなのである。

もう40年も経つのだろうか。80年代初頭の突然の漫才ブームから多くのお笑い芸人が続出した。ビートたけしや紳助、そこから更に松本人志のダウン・タウンやとんねるずが世を席巻した当時、それは極めて荒々しいアクションや相手を徹底的にこき下ろし、侮辱し、攻撃するものばかりだったような気がする。極めて攻撃的なお笑い。もちろん、僕は漫才の世界を丁寧にフォローしてきていないので、自信はなく誤解があるかもしれないが、そんなイメージを払拭できない。

相手をバカにして、攻撃することで笑いを取るという根本的な姿勢がこのところの漫才の本質になっていなかっただろうか?僕が漫才ブームに乗れなかった一因はここにあったのは事実なのだ。

ところがミルクボーイの漫才はそれとは全く別のものだ。ミルクボーイは、相手を傷つけない。誰をも傷つけない。その人を、相方を、ネタの対象とされている食べ物そのものも、とにかく否定しない。誰をも攻撃しない。極めて平和的な漫才なのである。そして、聞く者、見る者を幸福感に包み込む。幸せな気持ちにしてくれる。

この平和で平穏で誰もを傷つけない漫才。僕は古典的と言ったが、実はこんなに斬新な漫才はないのでないかと思えてくる。

それがたまらなく嬉しい。

実は、ファイナリストに残ったペコパのネタの展開も実は相手を傷つけないということが斬新に感じられたのだ。

ボケとツッコミの2人のやり取りを聞いていると、いつもえっ?あれっ?とさせられるのだ。普通ならボケをこけ下ろすところ、それを認めてやるという意表を突く意外さで、受けを取る。そういう意味ではこれもまた人を傷つけない漫才の新しい形かもしれない。

もしかしたら、漫才の世界は変わりつつあるのか?

 

5.これなら、もしかしたら⁉️

それにしてもミルクボーイの平和と平穏さは徹底していた。誰をも傷つけないで、誰をも幸せにしてくれる‼️

僕の頭の中で漫才に対する認識を根底から覆した画期的なものとなったばかりか、これだけ優しさに溢れていて、人を幸福感に包んでくれるものなら、これだけ大きな笑いを誰からも引き出せるなら、今この瞬間にもいるイジメや生活苦、人間関係から死を考えている多くの少年少女やおじさん、おばさん達、多くのサラリーマン達に、自殺する前に、死を選択する前に、どうか4分だけ時間をいただき、この漫才を聞いてもらいたい。そんな欲求が沸沸と湧いてきた。

 

ミルクボーイの漫才は、もしかしたら人の生命を救う4分間になるのかもしれない。そんな気さえしてきた。

漫才の驚くべき世界、新たな可能性を知ることができてこんなに嬉しいことはない。

娘にも感謝しなければ。

 

どうかYouTubeで実際の映像をご覧になってください。著作権の関係でアップできないのがとても残念。

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