かつて名画座に通い詰めたが

熱々たけちゃんブログ、第5弾です。

今日はギンレイホールのことを取り上げる。ギンレイホール飯田橋にある知る人ぞ知る有名な名画座である。

映画にあまり興味がない方は名画座と言ってもそれが何なのか分からない人が、今となってはかなりいるのかもしれない。

というのは、名画座という存在そのものが、ほとんど世の中から消滅しつつあるからだ。

だから、先ずはギンレイホールのことを語る前に、名画座のことについて書きたいと思う。

 

映画を観る環境というのは、ここ数十年の間に革命的に変わってしまった。

VHSのビデオテープができたのは本当に衝撃的だった。あれができてから、映画は自分の観たいときに自由に観ることができるようになった。

それまでは映画は、テレビで放映されることを除けば、映画館で観るしかなかったのだ。

シネフィルと称するに憚らない僕は、高校時代から映画に取り憑かれ、特に大学時代は本当に映画の追っかけだった。合唱と映画、そして山のことしか頭になかった。

その時代に多くの映画ファン、映画マニアの枯渇を潤したのが名画座だったのである。

映画は映画館で観るしか方法がなかった時代、新しく封切られたロードショー以外に、映画を観るとしたら、名画座に行くしかなかったのだ。そう、名画座というのは、昔の映画を2本立て、あるいは3本立てで上映する映画館のことなのである。

これが昔は都会にはかなりたくさんあって、僕のような映画マニア、シネフィルはとにかく全国の名画座の上映スケジュールを調べて、観たい映画がかかっていると、どこにでも飛んで観に行ったものなのである。

 

今と違って、全国の名画座の上映スケジュールなんて調べようがない。その時の映画マニアのバイブルが2つの雑誌。ピアのことはまだご記憶がある人が多いことだろう。

もう一つ、シティロードという月刊誌があって、僕はこのシティロードの大ファンで、その中の名画座上映スケジュールを毎月毎月、貪るようにチェックしていた。

「ピアよりもシティロード」。真の映画マニアはシティロードを片時も離さないものだ、などと変にこの雑誌の肩を持っていた。

名画座の上映スケジュールはもちろんだったが、2ページ見開きの封切り映画の星取表が載っていて、これが最大のお目当。本当にこれは毎月楽しみで、熟読させていただいた。

懐かしい古い時代の話しである。とは言っても、まだ40年位前の話しで、そんなに昔のことでもない。

 

映画館でしか映画を観ることができなかったあの時代、名画座がかなりたくさんあった。

僕は同志社大学に通っていて、同志社はもちろん京都にあるので、京都の名画座には本当にお世話になった。

いくつもあったが、僕は何と言っても3本立ての上映をしてくれていた祇園会館にハマっていた。3本立ての名画座というのは大変なことだ。僕のような映画マニアは、気に入った映画は2回は観ないと気が済まなくなるので、時には3本立てを2回観る、つまり一日に6本の映画を立て続けに観る羽目になる。

元々映画マニアなんだから、不満のありようもないわけだが、3本目に観た映画が気に入って、どうしても2回観たくなったときには本当に6本観るしか術がない。時間にして13時間、時には14時間を軽く突破するわけで、朝一番の9時前に祇園会館に入り込み、終映の10時過ぎまで延々と映画と対面し、狭い客席に座り続けることになる。

そんな映画ドップリ生活が今となっては何とも懐かしい。

 

そうやって世の映画マニア達は、全国の名画座を追いかけていたのだ。僕も京都から映画を観るためだけの目的で何度か東京にも遠征した。

あの時代、映画は名画座でしか観ることができなかったわけで、機会は少なかったが、逆に言うと必ず大画面で観ることができたわけである。それはそれで恵まれていたとも言える。

 

僕が社会人になって、学生時代のように一日中名画座に籠るなんてことができなくなった頃、ちょうどVHSのビデオテープが普及し始めた。映画館に籠れなくなったほぼ同じタイミングで家庭で自由に映画を観る時代が到来し、元々病的な収集癖のある僕は映画のソフトをそれこそ、狂ったように集め始めた。

VHSからLD(レーザーディスク!ご存知ですか?)、更にDVDへ。僕はそれらの媒体を気に入った映画は全て買い換えるという収集地獄に陥って、小遣いの全てを音楽CDと映画ソフトに当てるという生活が何十年続いたことだろう。

それは実は、未だに過去形にはなっていない。今はブルーレイで買い換える日々なのである。

 

このように映画ソフトを簡単にして自由に我が家で映画を楽しめるようになることが、映画館特に名画座を追い詰めることになった。

こうしてあの時代にたくさんあった名画座はドンドン姿を消し、都内でも激減してしまった。これはシネマコンプレックスという外来の映画上映システムが封切館を席巻するという二重の苦しみの結果でもあるだろう。

こうして、東京からも馴染みの名画座はほとんど姿を消した。大学卒業後、国分寺に住んでいた僕は三鷹オスカーという名画座に随分お世話になったものだが、疾うになくなってしまった。

 

映画は大スクリーンで観なければダメだと確信していた僕も、名画座そのものがなくなってしまう一方で、自宅で自由に映画を再生することで、映画を観ることには不自由はしていなかったのだが、どうも違う。違うのだ。

家庭のテレビで観ていては映画を観たことにはならない‼️

たまに封切館で映画を観ると、やはりその大スクリーンと、何よりもその音響の素晴らしさに興奮させられる。

やっぱり映画は大スクリーンと大音響で観なければダメだ。いくら映画ソフトを山のように集めても虚しい。

 

そんな時に出遭ったのがギンレイホールなのであった。

さあ、ここからはギンレイホールについて、思う存分語らせてもらう。続く。