「しゃぼん玉」のこと

ギンレイホールで観た全映画4の中で絶賛させてもらった「しゃぼん玉」のことを、独立させてまとめてみました。こちらも是非、読んでください。

 

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このしゃぼん玉のことは全く知らなかった。まあ、折角だから観てみましょうというくらいの軽い気持ちで、ほとんど期待していなかった。冒頭の重要シーンを観ても、何だかまどろっこしいなあと妙に醒めてスクリーンをぼんやりと眺めていた記憶がある。それが最終的にはどうして、僕をあそこまで感動させ、涙が止まらなくなってしまったのか。何も期待していなかった期待度ゼロの映画が、素晴らしかった時ほど嬉しいことはない。これぞ至福の映画体験だと断言できる。

ギンレイホールは、新作映画の数か月遅れの2本立てだけに、そういう体験をしばしば味わえるのだ、しかも大スクリーンで。これがギンレイホールへ足繁く通い詰め、離れられなくなってしまう最大の要因かもしれない。その感動が特別なものだったときの喜びといったらない。そんな体験となったのがこのしゃぼん玉だった。

主人公の若い男は、年寄りや若い女性ばかりを狙うひったくりで、本当にどうしようもない奴だ。若い女性を襲ってそのバッグを奪い取ろうとするが、思いがけない抵抗に遭い、思わずナイフで刺し殺してしまう。その現場から必死に逃れようとヒッチハイクを続け、ようやく辿り着いたとところが、九州は宮崎県の山深い山中。そこで偶然にも、バイクで大けがをした老婆から助けを求められる。彼のキャラクターからすれば、当然そんな救いは無視して、バイクを奪って逃走するところで、現に彼は一旦はその誘惑にかられながらも、何故かその老婆を助けてしまう。そして、そのままその老婆の家に居候してしまうことになる。老婆は殺人犯のこの若い男を逆に命の恩人としてトコトン優しく接し、老婆の周囲の老人たちも同様に厳しくも優しい触れ合ってくれることによって、男は失いかけていた人間性を取り戻していくかのように見えたが・・・・。

主役の林遣都とこれが遺作となってしまった老婆役の市原悦子がもう絶品。そして舞台となった宮崎県の椎葉村の景観の美しさに身も心も洗われる。厳しくも純朴な老人たちと交わるうちに彼の恵まれない幼少期も浮かび上がり、彼は生まれて初めて本物の家族を得て、人間性を取り戻すかに見えるが、そんなうまい話だけでは人は感動などしやしない。ようやく掴みかけた幸せの目前で、彼は思いがけない形で、自らが今まで犯してきた罪の深さに対峙させられ、自らの心の深淵を見つめ直すことになる。そこで彼が取った行動は・・・。

直木賞作家の乃南アサのベストセラー小説の待望の映画化とのこと。小説のことも知らず白紙で臨んだ僕は、終盤に用意された思いがけない展開に、もう涙が止まらなくなる。ここまで描いてくれるんだと、ドキドキしながらも画面から目が離せなくなる。そしてラストシーンで深い感動に襲われることになる。その感動のクライマックスで秦基博の甘い声が響き渡るのだ。ここに至って、頬を伝わる涙は、滂沱な涙と変ってしまう。

 

映画を観終わってこんなに幸せな気持ちを味わえた映画は近年稀なこと。あの山田洋次監督の一世を風靡した「幸せの黄色いハンカチ」以来のことではないかというのが僕の正直な感想だ。

遠い田舎に年老いた母親や父親を残して都会で働いている人が観たら、本当に身につまされそうだ。不幸な幼少期を過ごし、殺人を犯すまでに至った人間でも、その後の素晴らしい人々との出会いによって人生はまだまだやり直せるという、素朴なメッセージが痛いほど伝わってくる。都会の生活と厄介な人間関係で日々苦しんでいる人は必見。何らかのかけがえのない救いが必ずや得られるはずである。

この映画との出会いは本当に嬉しく、職場の病院で、「これは絶対に観なきゃだめだ」と多くの職員に声をかけさせてもらった。

 

これだけの感動を味わった後、直後にもっとすごい感動作タレンタイムと巡り会ってしまうのだからギンレイホールに感謝するしかない。