「洗骨」賛‼️どうしても観てほしい

ギンレイホールでまたまた凄い映画を観てしまった。日本映画の「洗骨」。29日・金曜日まで上映されている。

監督・脚本があのお笑い芸人のガレッジセールのゴリさんということもあって、かなり話題になったようなので既にご覧の方も多いだろうが、まだ観ていないという方は、これは何があっても、またどうしても観てほしい稀有な映画。こんな素晴らしい映画を観逃すのは人生最大の損失だと大声で言ってしまいたくなるくらい、これは絶対に観てほしい映画なのである。

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とにかくタイトルの洗骨という風習そのものにビックリさせられる映画なのだが、実に良くできている。さすがにお笑い芸人が作った映画だけあって、とにかく全編に渡ってユーモアに満ち溢れていて、声を出して笑ってしまうシーンの続出。

でも、勘違いしないでほしい。これは夫にとって最愛の妻であり、子供達にとっても最愛の母親というかけがえのない女性の死と、それを葬り悼む映画なのだ。本来笑うシーンなんてあるはずないのに、笑いこけるシーンの連続というのがこれまたすごい。

でも、最後は厳粛な弔いと悼みに襟を正さなければならなくなる。涙が次から次へと溢れ出て、もう止まらなくなること必定。

笑って、泣いて、家族の絆と命の繋がりの尊さにシミジミと、心の底から感動させられることを約束する。

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そして、その感動は他の映画では決して味わうことのできないちょっと特殊なものなのだ。

単なる家族の生き死にと、傷つけ合いながらも絆で固く結ばれる家族模様を描いた映画と思うべからず。そんなに気軽な気持ちで観ると度肝を抜かされることになる。

 

ポイントはずはりタイトルの洗骨にある。

この特殊な葬儀の在り方そのものが、観るものを圧倒させ、言葉を失わせるのである。

「洗骨」とは一体どういうものなのか?これには解説が必要だ。僕もこの映画を観るまで具体的な方法は知らなかった。

映画の中でも登場人物が、「えっ!?これは日本なの?」と驚きの声を上げるシーンが出てくるが、本当に日本にこんな風習があったとは驚きである。

 

洗骨とは、死者に対して、一度土葬あるいは風葬を行い、数年後に遺体が骨となった後に、その骨を海水や水、酒などで洗い、再度埋葬する葬制だという。その風習は全世界で確認されており、北米先住民族、アフリカやインド洋諸島、東南アジア、オセアニアなど広く分布、実施されていたという。日本では、沖縄や奄美大島などで確認できるとのこと。現在では肉親が遺体を洗うという過酷さがある上、衛生的な問題もあいまって、火葬場での火葬が推奨され、更に保健所の指導により沖縄本島では戦後消滅したとされているとのこと。それでも一部の離島では現存しており、現在でも受け継がれている地域が存在するとされる(以上、パンフレットより一部引用)。

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映画の舞台は沖縄の離島粟国島(あぐにじま)の粟国村で、そこでの洗骨は、死後、一旦棺を海岸近くの墓場の風通しの良い空間に置いて、そこを石を組んで密閉し、いわゆる風葬にし、4年後にその石を取り除いて、棺を外に運び出し、あらかじめ持ってきていた水で骨を洗うように描かれている。この見たことも聞いたこともない驚異の葬制が、映画の終盤のクライマックスになる。これは本当に観る者を震撼させるが、それは震撼どころか、この部分を観ないことにはこの映画の真の感動を味わえないという特別に貴重なシーンとなる。

いや、その話しはまだ早い。急いじゃ駄目だ。

 

映画はいきなり葬儀から始まる。東京の大企業で働くしっかり者の息子と名古屋で美容師をしている娘は駆けつけて、無事に葬儀を済ませるのだが、故人の夫であり、2人の父は酒を飲んで悲しみを紛らわせようと、いかにも頼りなさげ。そして最愛の人にもう一度会えるというような普通には理解できない言葉が途切れ途切れ親族間で話題となっている。

 

そしていきなり4年後だ。洗骨を行う日のために全国バラバラになっていた家族が島に戻ってくる。

だが、この4年の歳月は長男にも娘にも、そして島に残っている父親にとっても苦難の月日であった。父親はあれ以来酒に溺れて、自堕落な生活を送っている。まだ妻の死が信じられないようで、いまだに自分の布団の横には死んだ妻の布団がそのまま敷いてある。ほとんどアル中状態だ。

娘は大きなお腹をして帰って来た。結婚をしていないのにもう臨月のような姿に一同が唖然とさせられる。エリートの長男も何故か嫁も子供も連れて来ていない。

こうして少しずつ、この4年間の家族の苦難に満ちた人生模様が、笑いを伴いながら明らかにされていく。

一番しっかりしなければならない父親はアル中状態でどうにもならず、当然のことながら、長男と激しく衝突してしまう。洗骨の日が近づく中で、それぞれの辛い思いと人生の労苦とで、家族が激しく歪み合いながらも何故か少しずつ絆を深めても行く。それは都会を離れ、大自然に恵まれた粟国島の風土がなせる技なのかもしれない。都会生活で疲れ切って心身共に傷つき、打ちのめされたものが、少しずつ相互理解へと絆を深め始めていくのだが。

それに大きな貢献をしたのは、島の風土に加えて、父親の姉である伯母の存在が大きい。あまりにも厳しく、頭ごなしで一方的なこの伯母は、全ての登場人物の苦しみも悲しみも知り尽くしているかのような存在なのだ。

そして、一族で迎える洗骨の日。果たして、その洗骨とはどんなものなのか、どんなことをやるのだろうか?いがみ合っていた家族はどうなるのだろうか?

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いよいよ洗骨のシーン。映画はこの驚異的な行いである洗骨そのものをまるでドキュメンタリーのように丁寧に描いていく。関係者の一挙手一投足を正確に丁寧に克明に写していく。それはドキュメンタリーというよりもむしろ解剖学な精緻さのように僕には思えた。目の前に繰り広げられる所作は初めて見るものばかり、しかもそれは死者の骨そのもので、本来は目を背けたくなるものばかりなのに、不思議なまでに崇高にして高貴な時間が流れて行く。驚きと恐怖が深淵にして神々しいものに変わり、襟を正さなければならない厳粛な気分になる。

到底信じ難い行為を家族を中心に一族の全てが寡黙に淡々と進める中、いがみ合っていた人間関係まで洗い清められるような、そんな気がしてくるのだ。

映画はそれだけで終わらない。最後にアッと驚く圧倒的な感動シーンが用意されていて、もう本当に涙が止まらなくなってしまう。

 

すごい映画。観終わった後、深い感動に包み込まれ、思わず拍手をしたくなってしまった。激しい拍手ではない。静かな優しい拍手を。

優しく席を立って、本当に静かに優しく拍手をしたくなる誘惑を抑えるのが本当に辛かった。

前回のドイツ映画の「希望の灯り」でも言ったことと全く同じ言葉を、また言ってしまいたくなる。「全ての登場人物が愛おしい。全ての登場人物を抱きしめたい」と。

 

いやあ、本当にいい映画。これは日本の映画史に燦然と輝く名作となるのではないか。

映像の美しさも特筆もの。粟国島の海岸線など、その風光明美さには完全にノックアウトさせられた。息を飲む美しさだ。

この美しい景色を描きながらも、やはりこの家族の葛藤と弔いの描き方に圧倒されてしまう。

これをお笑い芸人が脚本を書いて、監督までやったというのは大変なことだ。ガレッジセールのゴリさんこと照屋年之。僕は残念なことにお笑いやお笑い芸人については詳しくなく、ガレッジセールのゴリさんのこともほとんど知らないのだが、この映画を観る限り、その才能は傑出している。大変なものだ。

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俳優陣はみんな実に立派。何と言っても悲しみから立ち直れないアル中の父親役を演じた奥田瑛二が素晴らしい味を出している。長男役の筒井道隆もいい役者になったなあと感心しきり。妊婦の娘役の水崎綾女も良かったが、何と言っても一番の役得は伯母役の大島蓉子だろう。

この人の造形はもうこの映画の白眉とも呼ぶべきもの。あまりにも厳しく、上から目線で、自分勝手でもあるが、全ての登場人物の苦しみと悲しみを、丸ごと全て理解して受け止めているまるで神様のような存在。こんな人がいてくれたらと願わずにいられない。僕の周りにもこんな人にいてもらって、頭ごなしにガンガン説教されたいと真剣に思ってしまう。

 

沖縄ならではの音楽にも心を癒される。映画の中にも印象的な役で出てくる古謝美佐子が歌う「童神」が更に感動を盛り立ててくれる。

 

あんなに笑わせておいて、終盤には本当に画面に釘付けにさせられた。完全にやられてしまった。

映画って本当にすごい。あんなものが描けるんだ。映画の無限の力と可能性を痛感させられた。

 

これは絶対に観てもらわなければならない映画。都心にお住みの方なら、ギンレイホールでの上映は29日の金曜日までなので、是非とも足を運んでほしい。仕事を休んででも観に行くべき映画。

終映は19:10からなので、仕事帰りでも間に合うぞ!是非とも大画面で観てほしい。

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