【前編】からの続き
目 次
カエサルの文章の魅力
飾り気のない、ある意味でそっけない位のドライな文で、総じて短文。
戦場に派遣されて勝利した報告を、非常に有名な「来た、見た、勝った」という驚異的な短文で伝えたカエサルだけに、短文は得意中の得意。正にカエサルの真骨頂だ。
感情表現、心理描写などを極力避けて、客観的な文章に徹する。
主人公のカエサルを、「私」という一人称ではなく、「カエサル」と三人称で表記するあたり、客観性の最たるものだ。

名文家から絶賛されたカエサルの文章
当時はもちろん、後代においても、カエサルの文章は絶賛されている。
特に同時代の元老院の重鎮でカエサルの政敵でもあった、古代ローマ最大の名文家として名高い弁論家にして政治家でもあったキケロは、リアルタイムで「ガリア戦記」を大絶賛したことは有名だ。
そして時代は一挙に下って現代の日本。あの著名な文芸評論家の小林秀雄が「ガリア戦記」を読み終えて、興奮を抑えきれない調子で大絶賛したことも良く知られている。
本書の中倉さんの100ページを超える解説の最後が、この小林秀雄の感想文の紹介となっている。少し長いが、引用させてもらう。

「初めて、この有名な戦記が通読できた。少しばかり読み進むと、もう一切を忘れ、一気呵成に読み了えた。それほど面白かった。・・・(中略)・・・近頃、珍しく理想的な文学鑑賞をしたわけである。訳文はかなり読みづらいものだった。だが、そんなことは少しも構わぬ。原文がどんな調子の名文であるかすぐ解ってしまう。政治もやり作戦もやり突撃する一兵卒の役までやったこの戦争の達人にとって、戦争というものはある巨大な創作であった。知り尽くした材料を以ってする感傷と空想を交えぬ営々たる労働、これはまた大詩人の仕事の原理でもある。『ガリア戦記』という創作余談が、詩のように僕を動かすのに不思議はない。サンダルの音が聞こえる。時間が飛び去る」(『文学界』昭和17年5月号)
やっぱりカエサルは凄い!
僕も実際にこの素晴らしい新訳を読んで、かなり夢中になった。一旦読みだすと、小林秀雄が言うように、中々途中で止められなくなる。
さすがに500ぺージを一気呵成に読み切ることはなかったが(僕はいつも10冊近い本を同時進行で読むのが通例だ)、「ガリア戦記」には本当に夢中にさせられた。
とにかく抜群の読み易さ。登場するガリア人の部族の名称や個人名などのラテン語が、非常に読みにくいカタカナで表示されるのには、世界史大好き人間の僕でも閉口させられたが、それさえ気にしなければ、非常に読み易い。
それはやっぱりカエサルの文章が簡潔で、分かり易さに徹しているからだろう。
文章の流れが理にかなっていて、極めて自然。接続詞の使い方など、思わず唸ってしまう程に、流れがいい。思わず膝を叩きたくなってしまう程だ。塩野七生の文章を読んでいて、時々、アレっと引っかかるようなことは全くない。
細かく番号を振られ、ドンドン読み進める
元々が短めの文章の連続で読み易いことに加えて、全体に細かく番号が振られて、これが長い戦記を非常に読み易くしている大きな要因だ。
左右2ページに大体、3つくらいの番号が振られている。内容的も面白いので、次の番号まで、そこを読み終えるとまた次の番号までと、知らないうちにドンドン読み進んでいく。


僕もこの長い作品を読み終えるのに、そう日数を要しなかった。
こういうことを2,000年前のカエサルが意識してやっていたのだとすると、やっぱりカエサルという人物は、色々な意味で天才、大変な能力に恵まれた稀有な人物だと思えてくる。
まるでハードボイルドそのもの
非常に簡潔で、事実だけを分かりすく文字にする。感情や心理描写は避けて、その時、カエサルや仲間、敵が取った行動や結果だけを文字にする。登場人物たちの取った行動とアクション描写に徹して、そこに余計な説明や感情を入れ込まない。
これが20世紀のハードボイルドだ。純文学としても大巨匠ヘミングウェーを筆頭に、レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメットなどミステリーやサスペンス、スパイものやギャングもので一世を風靡した。
それを2,000年も前にやってのけているように感じるのは極端、あるいは全くのお門違いだろうか。
カエサルの文章は、感情があまり表に出てこない非常に乾いた文章のように感じる。
ガリアの英雄ウェルキンゲトリクス
「ガリア戦記」はカエサルのガリア遠征の8年間を、年に1回ずつ発行していた。つまり8年間の戦争を第1巻から第8巻までの8部構成としている。
その中の圧巻は、実質的な最終巻である第7巻(紀元前52年)である。ここで登場するローマ軍に敢然と立ちはだかったのが、有名な全ガリアの指導者ウェルキンゲトリクスだ。
カエサルに真っ向勝負を挑んで、再三カエサルとローマ軍を苦しめながらも、最終的にはカエサルの軍門に下ったガリアの英雄だ。
ウェルキンゲトリクスは日本では知る人ぞ知る、フランスの国民的英雄。ジャンヌ・ダルクと並び称されている人物だ。


そのウェルキンゲトリクスの活躍には、むしろ応援したくなってしまうのだが、有名な最後の大決戦、アレシアの戦いでカエサルに敗れ、ガリアはローマに征服された。
このアレシアの戦いが中々感動的だ。
カエサルに抵抗を覚える部分も
ウェルキンゲトリクスは戦死することなく、自らカエサルの前に姿を現して降伏し、捕縛された。
その時のカエサルの記録(文章)があまりにも素っ気なくて、僕は大いに失望させられた。
ガリア全体の有能な若き指導者で、散々カエサルとローマ軍を苦しめたウェルキンゲトリクスが最後に男らしく降伏した姿に、カエサルは淡々としていて、一言の賞賛も自らの喜びも書かない。
特別なことは一切書かれていないので、これはどこから広まった話しなのかハッキリしないが、この時の様子がこう伝わっている。
「ウェルキンゲトリクスは指導者としての装いに身を正し、丁寧にブラシをかけられた馬に乗って城砦を出、カエサルのところに来ると、その周りを粛々として一周した後、馬から降りてカエサルの足元に静かに座り、連れ去られるまで、身動きひとつしなかった」とのことだ。

この非常に感動的かつ印象的なシーンについて、カエサルは一言もない。あまりにも素っ気ない。
このカエサルに対して、「これは相当な自制心だな」といたく感銘を受ける反面、僕の本音としては、たとえ一言でもいいから、ウェルキンゲトリクスに対するコメントを聞きたかった。残念でならない。


ウェルキンゲトリクスはローマに送られてローマ市の獄舎に繋がれ、6年後の前46年。カエサルが凱旋式を挙行した折、見世物にされた後、死刑に処された。
同胞以外の敵には冷たかったカエサル
このカエサルの徹底した無情さ、ハードボイルドに却って共感を覚えるのか、去来する思いは山のようにありながらも、敢えて一言も発しなかったことで、その思いの強さを伝えようとしたのか、それは分からない。
だが、僕の好みは、やっぱり最後にウェルキンゲトリクスに対して一言、言葉が欲しかった。カエサルらしい歴史に残る短い一言で、ウェルキンゲトリクスを讃えてくれたら、どんなにカエサルを好きになったことだろう。
冷たいな、カエサル。あんたは人情家で、寛容な人間だったのでないか、と毒づきたくなってしまう。
残酷な描写は多い
全体を通じて、読んでいて非常に気分が悪くなる目を疑うような描写がかなり頻繁に出てくることにも触れないわけにはいかない。
淡々と、あくまでも客観的に目をそむけたくなるような過激な表現が頻繁に現れる。
「多くの敵をたおし、その後も、ローマ軍の騎兵部隊を目にして逃げるかれらを追撃して、多数を屠った」
「他を追撃して殺戮をほしいままにした」
「かれらを地上から完全に抹殺できる」
本書は「戦記」なので、こういうことは当然なのかもしれない。
第8巻ではこんな惨いこともやった
「ガリア戦記」は第8巻まである。7巻でウェルキンゲトリクスとの戦いで勝利した後の第8巻(紀元前51~50年)は、実質的には戦後処理で、この部分はカエサルではなく部下のバルブスがカエサルの文体を真似て執筆している。
この8巻には、特に衝撃的な残酷描写がたくさん出てくる。
「逃げ行く敵をかこみ、馬も右手も疲れ果てるまで殺戮の限りをつくした。こうして、恐怖のあまり武器を投げすてた者も入れて、1万2千人を上まわる敵兵を殺し、輜重(しちょう)もすべて手に入れたのであった」
この後、更にトラウマになりそうな残酷描写が待ち受ける。
絶望し、やむなく投稿してきた現地住民に対して
「そうしたかれらにたいし、カエサルは厳罰でのぞむことにした。自分の情け深さはは広く知られているので、厳しい罰を科しても人でなしなどとは思われないだろうし、また何より、各地で同じように反乱が相次げば、収拾がつかなるので、あらたな反乱を未然にふせぐためには、見せしめが必要と考えたからである。
そして、こう決心するや、武器をむけた者たち全員の両手を切り落とし、悪行にたいする処罰がいかなるものかを見せつけた」
これは、残虐行為を受けたガリア側の記録ではなく、カエサルが残した戦記である。執筆者こそカエサルではなかったが、これを良しとして本国に報告し、後世に残したのは紛れもないカエサル自身であった。
カエサル、お前もか!
この目を覆いたくなるあまりの残酷さに、思わず「カエサル、お前もか!」と叫んでしまった。元々、ガリア人の地にローマ軍が征服に行った戦いである。そこでカエサルによって何がなされたのか、この一文で全てが明らかになる。
カエサルのクレメンティアは同胞だけか
カエサルの「クレメンティア」、寛容は同胞のローマ人に対してだけで、蛮族(そう呼んだのもカエサル)に対しては容赦なかったのが実態だ。
これを読んで、僕は大好きだったカエサルのイメージが一挙に覆って、所詮、権力を手中に収めた人間のやることは古今東西変わらない、これじゃ織田信長や豊臣秀吉と何ら変わらないじゃないかと大いに失望させられた。
これが戦争の実態だ
これが戦争の実態だ。平和裏にローマを繁栄に導いたというイメージは、僕の完全な思い込みだったことが判明した。
それが明確になっただけでも、本書を読む意味がある。
現在、プーチンのロシアがウクライナにやっている侵略戦争と何ら変わることはない。カエサルの真相も明らかになって、何だか非常にやり切れない。
一読に値する歴史的名著
最後にカエサルのガリア征服の残虐性を伝えて、衝撃を受けた読者もいるかもしれないが、これが歴史の真実である。書いた本人が自らの残虐行為をオープンにしているので、隠蔽ではなくありのままに語っていることは、敬服に値する。
僕はやっぱり戦争物は苦手、好きになれないと痛感させられたが、カエサルの2,000年間に渡って古びることのない見事な文章は、生涯に一度はじっくりと読んでおきたい。
今回の中倉玄喜さんによる新訳の文庫本は本当に申し分のない貴重な一冊。是非とも実際に手に取って、読んでみてほしい。そしてカエサルという稀代の英雄に思いを馳せてもらえればありがたい。
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[新訳]ガリア戦記 (PHP文庫) [ ユリウス・カエサル ]