また文春新書から立花隆の追悼本が発刊

立花隆が亡くなってからもうかれこれ7カ月以上も経つのに、未だに追悼特集というのは多少気が引ける。だが、僕としては、どうしてもこういうタイトルになってしまう。

と言っても注意が必要だ。少し分かりにくく誤解を招きそうなので、ここは立花隆の熱烈なファンであり、30年以上に渡って熱心に立花隆の本を読み続けてきた僕が、明確に説明しておこうと思う。

紹介した新書の表紙の写真。
この表紙は結構気に入っている。読書猿のコメントは的確だ。
紹介した新書の裏表紙の写真。
この帯に掲げられたキーワードは、立花隆が語るテーマのホンの一部である。とにかくものすごい引き出しの多彩さ!

この本の成り立ち

この新しく発刊されたばかりの新書は、立花隆の未発表の原稿を初めて出版したということではなく、もう既に一度出版された本の焼き直し、ハッキリ言って再発売である。その点に誤解があっては亡くなった立花隆もさぞ不本意なことだろう。真相をハッキリとさせておく。

これは2011年に出版された「二十歳の君へ」という本の中から、その中の一部を独立させて、その部分だけを改めて出版したものである。ちょうど今から10年前に出版された本である。

今はもう入手できない10年前の本の写真
これが10年前に出版された「二十歳の君へ」。現在は入手できない。

この「二十歳の君へ」は、立花隆が客員教授を務めていた東大の立花隆ゼミに集まった学生たちと一緒に編纂した一冊。この本は3部構成になっていた。

1 東大のゼミ生による著名人16名へのインタビュー
2 立花隆が東大で行った講義録
3 1と2を体験した東大のゼミ生によるコメントコーナー

ちょっと取り留めもない感があったのだが、この中の第2部の立花隆が行った講義録、これが何と立花隆の最終講義となったわけだが、この部分だけを独立した本にまとめて、再発行したものである。

旧著の目次の部分の写真
「二十歳の君へ」の目次。こんな3部構成になっていた。この中の第二章が新しい本書となる。

実はこの10年前に出版されたオリジナルの「二十歳の君へ」は現在は絶版になっていて、入手することができない。

Amazonで中古本として調べても、なぜかかなり高額の値段が付いているので、今回の再発売は大歓迎である。

元々、少しまとまりに欠けたオリジナル。僕は東大のゼミ生たちによるのインタビューにはあまり興味がなかったので、この立花隆の書いた(話した)立花隆だけの部分を独立して一冊の本にしてくれたことは本当に大歓迎。

実はこの「二十歳の君へ」はまだ読んでいないホンの数冊の中の1冊だったのである。もちろん購入はしていたのだが、なぜか読んでいなかった。今回初めて読んでみて、深い感銘と感動を禁じ得なかった。これは極めて貴重なかけがえのない一冊だ。

東大の立花隆ゼミとは何だったのか?

立花隆は1995年、母校の東大に招かれ、先端科学技術研究センター客員教授に就任する。その一方で、1996年〜1998年にかけて、東大の教養学部で「立花隆ゼミ」を主催することになった。一旦、教養学部としてのゼミは97年度に終了したが、大変に好評だったらしく、その後も自主ゼミとして継続されることになり、2005年に復活。それが2011年まで続いたのである。

通算ちょうど10年間、立花隆ゼミは続いたということになるのであろうか?

詳細を確実に把握しているわけではないのだが、年譜から辿るとそういうことになる。

僕は東大には縁もゆかりもないので、実は今一つ、立花隆の東大での活動の全体像が詳細には理解できていない。一番よく分からないのは、客員教授としての授業である講義と立花隆ゼミとの関係。立花隆の東大での講義は「知の現在」と名付けられ、数十回に渡って続いていた。その時の講義の記録は、2巻まで出版されている。実は何と、待望の2巻目(「サピエンスの未来」)は今年(2021年)の2月に、何と21年ぶりに発刊されたのだったが。この直後に立花隆の訃報が届いたのだった。

本書に収められたこの立花隆の最終講義は、東大での最後の授業ということではなく、既に東大を退官していた立花隆に文芸春秋が講義の場を提供し、文芸春秋の大ホールで東大の立花ゼミ生を相手に行った講義であった。それをゼミ生たちが分担して講義録としてまとめたものが本書というわけだ。

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常識では考えられない前代未聞の最終講義

さすがの立花隆も感慨深く、時に感極まったのではないか。

本来予定されていた講義は2時間だったようだが、何と立花隆の講義は中々終わらず、最終的には6時間に及ぶものとなった。

それにしても2時間の予定が6時間になるというのはあり得ない。時間感覚が麻痺しているとしか言いようがない(笑)。あるいは計画性がなさすぎると言うべきか(笑)。

あの類い稀な知の巨人の立花隆が、こんないい加減な場当たり的なことをやる人間だということが、僕には何だか妙に嬉しい。学問の前には時間なんてどうでもいいとする立花隆に、いかにも「らしさ」を感じてしまう。

こんな非常識がまかり通ってしまうところも、立花隆ならではと言うべきだろう。

本書の全体構成

さて、この本はその6時間の及んだ最終講義を元にまとめられたものである。

全体は6つの章から成り立っている。それぞれ漢字一文字のかなり抽象的なタイトルが付いているが、その下に具体的な内容が示されているので、そこまで引用してみることにしよう。

第1章 序
 知の巨人、振り返る/死に向かう肉体/リアリティの皮相/疑わしきに囲まれて/脳内コペルニクス的転回

第2章 死
 「死ぬのは怖くないですか?」/泥酔パルシー/歩くタンパク質、走る電気信号

第3章 顧
 二十歳の全能感と無能感/私は船尾に、君たちは船首に/一九六〇年の二十歳、橘隆志/問題の問題/割と短いトンネルの向こうは、誰も知らない世界でした/筆を執るにも千冊の途/事実は小説よりも奇なり/紙書籍よ、さらば?

第4章 進
 複雑さの収束点/種の起源/私よりも賢いスパコンが解けない私の頭脳

第5章 考
 作ってみないと分からない/明らかに明らかでない世界/「考える」ことについて考えてみると/「分かる人」になるために/私たちの十年、立花隆の十年

第6章 疑
 ポスト・コールドウォー・キッズ/「平和ボケ」の治し方/リアルない歴史の傍に/いっそゼロから/世界情勢は複雑怪奇/真相は深層に/不確かな時の波に揺られて

 

どうだろうか?中々興味深いサブタイトルがズラッと並ぶ。このサブタイトルを読んでいるだけでも、立花隆の一筋ではいかない複雑怪奇な頭の中を覗いているようで興味が尽きないのだが、これで驚いていてはいけない。

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唖然としてしまう立花隆の6時間

ある意味で支離滅裂というか脈絡がないと言うべきなのかもしれない。とにかく語るテーマと話題がまるで万華鏡のように目まぐるしく次から次へと移り変わっていく。

一体どうなっているのか?この6時間は本当に驚くべきものだ。

何が一番近いかと言えば、これはインターネットの検索のようだと例えるべきだろうか。そうネットサーフィンだ。

一見、支離滅裂のように見えて、立花隆の頭の中ではちゃんと繋がっている。むしろ縦横無尽と言うべきなのだ。この引き出しの多さと多彩さには本当に恐れ入ってしまう。

そして驚くべきことは、その先々でどのテーマや話題についても、その事柄の一番深い深淵さを一挙に示し、物事の本質に鋭く迫るのである。

一口で言うならば、本書は信頼している若いゼミ生を相手に、立花隆が70歳までに情熱を傾けて取り組んできたありとあらゆる研究・取材テーマの全てを縦横無尽に語り切ったものを言えるだろう。6時間に封じ込められた「立花隆のすべて」というのが真相なのである。

それにしても、これは読んでいて驚嘆させられるのはもちろん、心の底から畏敬の念を抱くしかない。本当に圧倒されてしまう。

中でも特に印象に残ったテーマは

この講義の段階で立花隆はちょうど70歳。立花隆は今年の4月30日に80歳で亡くなったので、これは死のちょうど10年前に行われた講義ということになる。70歳を迎えた立花隆は相当に「死」を意識していて、頻繁に「死」のことが語られる。

「死」を巡る問題は立花隆のライフワークそのものなので、非常に示唆に富む重要な話しが続々と続く。

ちょうど50歳も年の離れたほとんど孫と等しい20歳の若者たちに贈る言葉は、時にかなり厳しいものだ。本の帯にも掲げられた「数年以内に君たちは人生最大の失敗をするでしょう」を始め、辛辣な言葉も続くが、冒頭から立花隆は若者たちに生きて行く上での様々な切実なヒントを分かりやすく提示している。これを読むだけでも価値がある。

立花隆は、本書の中で「この講義は、若い人へのいろんなアドバイス集であるとともに、頭をよりよく使っていくためのヒント集のようなものです。あるいは、この世界をよりよく掴む、またはよりよく見るための手がかり集のようなものと言っても良いかもしれません」と書いている。

空前の「映画賛」

僕が仰天してしまって思わずラインマーカーをしっかりと塗ってしまった部分はこれだ。

「現代は同じフィクション世界でも、文学の世界は映画の世界に完全に負けていると思いますね。文学の世界はひとりの著者が頑張ってひとりで作り上げるものであるのに対し、映画はシナリオライター、俳優、演出家、カメラマン、美術家などなど多くの才能が集まって作り上げる壮大な総合芸術の世界で、異質な才能のとりあわせのシナジー効果が正の方向にうまく働くと、観客のハートと頭をつかんで振り回すパワーにおいて、もはや活字などとは比べることができない高みにに達していると思いますね。」

これにはビックリ。立花隆が映画を観ることは良く知っていたが、ここまで映画を高く評価していることは、不覚にも知らなかった。この映画に対する賛美は、映画という芸術に対するこれ以上の称賛は考えられないほどの「映画賛」。このまま額に入れて飾っておきたいほどの映画へのリスペクトに満ちたものだ。

この一文に出会えただけでも感涙ものだった。

詳細な注は、東大のゼミ生が書いたものだが

各章に詳細な注が付いていることは誠にありがたいことで、この注は立花隆の生徒たち、つまり立花隆ゼミの学生たちが書いたものだという。

丁寧に分かりやすく書かれているが、僕としては少し不満がある。どうしても立花隆の文章と比べてしまう。そのレベルの差は歴然だ。一生懸命に師の書いた文章の解説をしようとしているのだが、やはり全く追いついていない。少し薄っぺらい難のある解説が見受けらられることは残念だ。

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巻頭と締めの藤森三奈氏の解説はいただけない

立花隆がまだ存命当時、オリジナルの「二十歳の君へ」の編集と出版を受け持った担当編集者の藤森三奈氏による「はじめに」と巻末の「あとがきにかえて 立花隆さんへの手紙」が、本来なら非常に感動を呼ぶことになるはずだったのに、この2つの文章があまりにもお粗末でビックリした。

この人は本当にプロの編集者なのか?立花隆の担当を務めていたのかと。

文章はあまりにも稚拙で、そもそも何を言いたいのかよく分からないレベル。こんなものをここに載せちゃいけないんじゃないか。これでは折角の立花隆の名著に傷が付くと言うレベル。これは本当にいただけない。

この文章は、ほとんど小中学校の学級文集のレベル。プロとは到底思えない。本人もだが、文藝春秋も猛省してほしい。

この本を読んだに違いない多くの元立花隆ゼミの東大生たちもきっとそう思っているはず。ゼミ生が書いた方がズッと良かったと心から思う。痛恨の極み。

この本にはそんな難点がいくつかあるのだが、立花隆の最終講義の価値を減ずるものでは決してない。内容は本当に素晴らしいものだ。

どうかじっくりと立花隆の言葉に耳を傾けてほしい。

 

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