打ちのめされて言葉を失う:存在のない子供たち

昨夜、すごいものを観てしまった。
ギンレイホールの「存在のない子供たち」。
何とレバノン映画。レバノンと聞いて、どれだけの人がピンと来るだろうか?

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前回大絶賛した「風をつかまえた少年」の舞台はアフリカのマラウイだった。そのアフリカのマラウイに比べれば、中東のレバノンの方がずっと馴染みがあると思うが、どこまで理解してもらっているか、いささか不安である。

レバノンはあの凄まじい内戦を繰り広げていたたシリアの西隣り。そしてあのイスラエルの北側にある。首都はベイルート。これは有名な都市で、聞いたことがある人が多いだろう。

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実は、このレバノンという国は本当に大変な国であり、隣国のシリアとイスラエルを巡ってただの一日として平穏な日はないという凄まじい歴史を繰り返してきた。

 

そんな複雑を極める歴史もさることながら、我々日本人にとってはあの日産のカルロス・ゴーン被告が逃げた先というか、ゴーンを匿った国として、今年に入って一挙に知られることなった。あのゴーン節炸裂の記者会見もレバノンベイルートからだ。

ちなみにそのカルロス・ゴーンはフランス人と思われているが、母親はフランス人。父親がレバノン人なのである。

 

さて、映画に話しを戻す。僕のような世界中あっちこっちの映画を観ているシネフィルでも、レバノンの映画は未だかつて観たことがない。イスラエルの映画は、このところ何本かギンレイホールで上映されたので、少し馴染みがあった。

果たしてあれだけ政情不安定なレバノンで作られた映画がどんなものなのか、興味は尽きない。その初めてのレバノン映画、どんなものだったのか?

 

「存在のない子供たち」。これがそのレバノン映画のタイトルだ。

ものすごい映画だった。打ちのめされた。そして言葉を失った。

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ギンレイホールで僕が涙を流すのは、もうしょっちゅうのことで、珍しいことでも何でもない。だが、昨夜は特別。もう涙が次々に溢れ出してどうにもならず、滂沱の涙に鼻水も出て、グチャグチャ状態に。映画を観終わってから明るくなって人にその顔を見られるのが困る。もっとも僕の周囲はみんな大泣きしていて、肩を震わせている人も少なくなかったが。

 

すごい映画だった。もう、名作だとか傑作だとか、数年、いや数十年に一本とか、そんなことは一切言わない。言いたくない。

そんな評価はこの映画にはふさわしくない。全く関係のない世界だ。
そんなありきたりの映画に関する評価は、この映画には失礼というもの。この映画をそんな尺度で観てはならない。

 

とにかくこのレバノンの実情、良く知られているであろう首都ベイルートの社会、そこで暮らす最下層の人々の生活。特にやたらと多い子供たちの生き様、生活ぶり。それを知ってほしい。

そのあまりにも悲惨な社会状況と、そのしわ寄せが最も弱い存在である幼い子供たちに直接向かってしまうことの悲惨さと理不尽さを知ってほしい。生きることに絶望している子供たちがいることを、この映画を観ることで、追体験してほしい。

願うのはただそれだけ。

 

僕は打ちのめされて言葉を失ったから、これ以上何も言うことはないのだが、映画の紹介として、全くストーリーに触れないのもないだろう。簡単に紹介する。

 

レバノンベイルートで暮らす12歳くらいのゼインは幼い妹や弟たちと悲惨な生活を送っている。12歳くらいというのは、親も誕生日すら知らず、出生届けの類も何もないからだ。一切の教育から遠ざかっているばかりか、一家の生活を支えるために激しい労働を強いられている。一つ年下の妹のサハルとは特別に仲が良く、サハルが生理が始まって服を汚した時も涙ぐましい献身ぶりで妹の面倒をみる。その妹が結婚することに。サハルを気に入っていた大家が僅かなはした金で、身売りされたわけだ。

強制的に連れて行かれるサハルを救い出そうとゼインば激しく抵抗するが、嫌がって泣き叫ぶ妹を救うことができない。

怒ったゼインは、家を飛び出して職探しをするが、中々上手く行かない中、赤ん坊を抱えたラヒルと出会い、赤ん坊の面倒を見る替わりに同居が認められた。ところがラヒルは元々エチオピア移民で不法滞在しており、レバノン政府によって逮捕され、刑務所に入れられてしまう。こうしてゼインは、乳飲み子を抱えて食べるものもない中、想像を絶する困難に直面してしまう。水が出ない水道管をひねって、「最低な国だな」とうそぶくゼイン。

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万策尽きたゼインは、ある衝撃的な事実を知って、妹を連れ去った大家を殺しに向う。だが、結局は少年刑務所に。その刑務所からテレビ局に電話をして、今の自分の置かれた境遇と子供が生きていけない怒りをぶちまける。そこで訴えた言葉が胸に突き刺さる。そして両親を裁判に訴えた。

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実は、映画はいきなり裁判から始まるのだ。

何の罪で親を訴えるのか?と問う裁判長に、「僕を産んだ罪」。こんな世の中に僕を産んだからと・・・。

 

これはもうダメだ。世界にこんな悲惨な実態があるのに、自分はこんな恵まれた日本でノホホンとしていることにもういたたまれない。アメリカもヨーロッパももうどうでもいい。

レバノンのこの最下層の生活ぶり。自分を産んだことを呪う12歳の子供の言葉に、僕は言葉を失う。親への願いは子供を作るなと。もう言葉がない。

あの映画の前に、僕は言葉を失った。発する言葉がない。ただただ衝撃を受け、言葉を失った。

 

そうは言っても、一つ二つだけ、映画的な解説をさせてもらうと。

先ずは監督だが、これが女性だ。ナディーン・ラバキー。脚本と監督。そして映画の中でもゼインの弁護士として少し登場。レバノンが生んだ最高の映画監督して注目されているらしい。2007年の『キャラメル』という初めての長編映画で監督、脚本、主演を務め、カンヌ国際映画祭でユース審査員賞を受賞し、世界60ヵ国以上で上映。以後の作品も軒並み大絶賛されている世界でも大注目の監督とのこと。

恥ずかしい。僕は全く知らなかった。この映画を観れば、彼女の力量がずば抜けたものであることを痛感させられる。

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もう一つは何と言っても、主人公のゼインを演じた少年のこと。この少年はすごい。大変なものだ。名前は何とゼイン。ゼイン・アル=ラフィーア。シリアで生まれた本人自身も映画の中のゼイン同様にまとまった教育も受けられず、10歳の時から家計を助けるために働いているという。

このゼインが素晴らし過ぎる。よくあんな少年を見つけ出したものだ。

あの悲しみと怒りを湛えた瞳と顔つき。その凛々しいばかりの美しさ。本当に信じられない程の美しさと悲しみを秘めた目力に圧倒される。

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このゼインをスクリーンに観たときの驚きと衝撃は、『エデンの東』であのジェームス・ディーンを初めて観たときの感動と限りなく近いものがあった。

もちろん青年と少年でまるで違うのだが。そのくらいのインパクトだったのである。

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パンフレットにも不満がある。ゼインの写真、あの彼の素晴らしい顔つきと表情がまともに写っていない。アップもほとんどない。残念だ。チラシの方がいいか。

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これはもう直接ご自分の目で確かめてもらうしかない。
ゼインのあの悲しみの表情が、脳裏に焼きついて離れない。

 

ギンレイホールでの上映は来週の金曜日21日まで。ギンレイホールへ急げ。

立花隆のこと:総論編

立花隆は僕が最も時間をかけ、読んできた作家である。僕は作家と言うとどうしても小説を書く人と捉えてしまうのだが、立花隆は小説は全く書かないので、作家ではないということになってしまう。

立花隆が書くのは専ら政治や社会、科学関係の批判であったり、解説であったり、そんな類。先ずは第一級のジャーナリストであり、ノンフィクション作家と呼ぶべきなのだろう。

 

僕は若い時に純文学というか小説ばかり読んでいたのに、やがてノンフィクションに大きく舵を切ったのは、そもそも立花隆の影響である。立花隆がかつてそうだったことを再々表明している。影響は間違いなく受けた。

 

先ずは当時、大きな話題となっていた「宇宙からの帰還」を読んで圧倒され、リアルタイムで田中角栄の金脈追究とロッキード裁判の詳細な報告を夢中になって読んだものだ。

 

あれだけの権勢を誇った絶大な権力を持った総理大臣をペンの力で辞任に追い込んだ功績は何と言っても不滅の大仕事。よくぞそんなことができたものだとただただ驚くしかない。

 

先に投稿した総論のノンフィクション編にも書いたとおり、立花隆という人はちょっと並外れているのである。一人の人間ができる業務量と成果がとんでもないレベルに達している。ひたすら畏敬の念を持つしかない。

 

繰り返しになるが、立花隆のやることはとにかく徹底していて、執筆対象に対して、ありとあらゆる手段と資料を駆使するだけでなく、関係者に徹底的な取材を重ねて、それによって得られた事実を明らかにする。その明らかになった事実を非常に明確な分かりやすい日本語を用いて、ど素人にも良く理解できるように分かりやすく書き上げるのである。

これが真似できない。正に渉猟の鬼というか、ほとんど常軌を逸した狂気の渉猟が常にある。一つの真相と本質に迫るために絶対に妥協はせずに、ありとあらゆる努力とエネルギーを費やす。言うは安くして容易なことではない。そして分かりやすくかつ正確な日本語の駆使。

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本当に立花隆の本は良く読んできた。これが我が家にある立花隆の本の全貌。いや、違う。気に入った作品はハードカバーを読んでも文庫になる度に買い揃え、しかも美本を複数冊買ったりするので、ここに写っていない本がまだまだかなりの量、我が家の書棚を占拠していることになる。

そんなこんなで、立花隆は僕の血であり、肉であり、骨である。などと大袈裟なことを言ってしまいたくなるのだ。

 

今回、ブログに立花隆のことをまとめて書くに当たって、我が家にある全ての立花隆の本を並べてみた。先ほど書いたとおり重複する本は省いているのが原則だ。

中々壮観だが、僕の手元には今、立花隆の著作が95冊あることが判明した。

最近出たばかりの新書の新刊、「知の旅は終わらない-僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」のタイトルのとおりどうやら立花隆の本は約100冊出版されてきたようだ。僕の手元に95冊揃っているので、ほぼ全ての本がここにあることが判明した。そりゃあそうだ、そのはず。僕は立花隆の本を長年に渡ってひたすら集めてきたのだから、当然と言えば当然か。

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この機会に調べたら、手元の95冊のうちまだ読んでいないものが、15冊もあることが明らかになった。80冊は読み終えているわけだ。

前回の米原万里のところでも触れたように、完全に読み終わったときの立花隆ロスが空恐ろしいので、敢えて残してあるというのも事実。

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その立花隆ももう80歳になろうとしている。さすがに一時の勢いは影を潜めて来た。これが残念でならない。年齢を考えれば当然のことなのだが、新刊はメッキリと減り、たまに出てくる新刊も薄いものが多い。前述のとおり立花隆は執筆に当たって、関係するありとあらゆる本と資料、更に関係者に徹底的な取材等を重ねて本にする性格上、やはりこの年になるとさすがに無理なのだろう。簡単な随筆を書くのとは訳が違う。

それは仕方ないことだ。前から立花隆の大きな仕事だったはずなのに、未出版で終わっていた武満徹に関する分厚い力作「武満徹 音楽創造への旅」が出版されたことをせめて喜びたいが、もう大きな仕事は期待できないだろう。

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これは本当に残念で、口惜しい。我慢できない。つまり今の日本にはあの立花隆がいなくなっているのだ。あの巨大な権力者であった田中角栄を追求して、総理の座から引きずり下ろした立花隆はもういないということを意味する。

だから、今の安倍政権が存続しているのではないか。かつての立花隆がいればあれだけ問題となった森友学園加計学園の問題があのまま終わるわけがない。そして今の桜を見る会の問題。僕は立花隆に、今の日本の政治、安倍政権の腐敗をどう見ているのか?そしてそれを隠蔽するために財務省が書類を改竄するなど言語道断な信じられないことがまかり通ってしまっていることを。内閣府の文書廃棄もあり得ないことだ。

いや、それだけじゃない。もっと大切なことがある。政権と行政の腐敗以前の問題として、安保法制を筆頭に恐ろしい勢いで押し進められているこの右傾化と戦前復帰の機運、こんなことがまかりとあるわけがない。立花隆が歳を取って勢いがなくなってしまった途端に、この有り様かと実に嘆かわしい。

出でよ、第二の立花隆!それを切実に願う日々だ。

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実は、立花隆がこのところかつての勢いが失われてしまっただけではなく、かつてあれだけ書店の棚に並んでいた立花隆の本が、文庫本も含めてほとんど見かけることがなくなってしまった。大きな書店に行っても、立花隆の文庫が並んでいないのだ。何たるスキャンダル‼️

考えられないことだ。中公文庫が特に顕著で「宇宙からの帰還」ですら見当たらないくらい。それと講談社文庫から立花隆の著作がほとんど消えている。ああ、何と嘆かわしい。

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凋落の兆しはまだある。

かつて立花隆の本は、どこの出版社から出ている本であっても、「立花隆の本」という全ての出版社を縦断して、立花隆の全ての著作が紹介された折り畳みのリーフレットが必ず挟まれていたのだ。シェ・タチバナという立花隆オーナーの会社の紹介と共に。

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見た目はちょうどギンレイホールのギンレイ通信のような感じ。もう一回り大きいのだが。

これである。

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もう数十年に渡って立花隆のありとあらゆる本にはこの「立花隆の本」が必ず挟まれていた。僕はこれを集め、眺めるのを何よりも楽しみにしていたのだ。色々と調べたが他のどんな作家でもこんなことはない。唯一立花隆の本だけである。すごいなあとつくづく感心したものだ。

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良く見てもらうと同じ年に3種類も作り直されていることが分かる。1994年。充実した新刊が続々と出版された絶頂期の頃だ。この前後は毎年こんな感じだった。

 

それがいつの間にか、もう姿を消してしまった。最近は立花隆の新刊が出ても、あの「立花隆の本」は入っていない。本当に残念でならない。

 

10 年ほど前からの立花隆批判とバッシングにも驚かされたものだ。毀誉褒貶はこれだけの人になると当然付き物だとは思うが、あの立花隆が実際あんな風に批判されると、つくづく悲しくなる。

 

立花隆はまだまだ元気である。新刊新書の最後にはこれから書きたい本のことが書かれている。それはいいとして、どうかご存命のうちに今の安倍政権とその取り巻き、自民党に、かつてのような妥協のない厳しい批判を繰り広げてほしい。それが貴方の最後の大仕事のはずなのだ。

 

このブログの読者も、今こそ立花隆の仕事を思い起こすべきだ。徹底的に現資料に立ち返り、事実に基づいてことの真相と真実を明らかにし、間違っていることがあるのなら、どんな巨大な力を持った相手にでも、ペンの力で立ち向かうこと。これを学ばなくて何とする⁉️

 

 

 

僕が読んで来た本:総論2 ノンフィクション

 先ず、始めに

さあ、純文学を離れて評論とノンフィクションだ。

この評論とノンフィクションこそ僕の読書の中心なのである。色々と文学についてあれこれ書いてきたけれど、僕の読書の中心はその純文学ではなく、評論とノンフィクションにある。

 

評論とノンフィクションで読む作家もある程度固まっている。ここではその総論編をお届けしたい。

そもそも僕は純文学を読んでいたのは主に若き日で、最近ではもっぱら評論とノンフィクション一辺倒なのである。

もちろん中島敦チェーホフドストエフスキーは今でもおりに触れ読むけれど、最近ではもっぱらノンフィクションにのめり込んでいる状況。

 

ここでも膨大な量の本が出てくるのだが、これは総論編だ。できるだけ簡潔に概要を示すに留めたいと思う。

 

吉田秀和

先ず真っ先に紹介しなければならないのは音楽評論家の吉田秀和のこと。もうこの人は僕にとって神様みたいな人で、彼の著作を繰り返し繰り返しどれだけ読んだか分からない。そんな生活がもう40年以上続いている。

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多分、それは僕だけではない。およそクラシック音楽に興味にある人で吉田秀和の文章に触れないで来た人は皆無だろうと思われる。いや、皆無だと断言したい。

 

吉田秀和は惜しくも8年前の2013年に何と98歳で亡くなったが、東京帝大文学部の仏文科を卒業後、終戦後間もない昭和23年に斉藤秀雄や柴田南雄などと一緒に桐朋学園の子供のための音楽教室を立ち上げ、初代室長に就任。多くの著名な音楽家を育てたことで有名だ。その一期生にあの小澤征爾がいる。

 

自身は演奏家とはならなかったが、その評論は膨大なものがあり、その全てが傑作だ。およそ吉田秀和が書いた文章に駄文は一切ない。僕は高校時代から彼の様々な著作に没頭し、今に至っている。作曲家論、作品論、指揮者論、ピアニストを始め様々な演奏家論などなど。

グレン・グールドなどまだ日本では誰も注目していなかった新人演奏家の才能を見抜くことにかけては天才で、積極的に紹介し、絶大な影響力を持った。繰り返すが、およそクラシック音楽を好きな人で吉田秀和の影響を受けなかった人はいないのだ。

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僕なんかは日々クラシック音楽漬けになっているが、僕にとってクラシック音楽を聴くということは、吉田秀和が言っていることを確認し、実証することに他ならないようにさえ思えてくる。

時にこの吉田秀和の呪縛から逃れたいと思うのだが、最大の呪縛は実は心の中ではこの吉田秀和の世界から離れたくない、永遠にこの吉田秀和の言葉の中に身を置いていたい、そう思ってしまうことなのだ。それくらい吉田秀和という存在はとてつもなく大きく、深く、その中に身を置き、彼の言葉に日々身を委ねることは堪らなく安心で、居心地がいいのである。

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とにかく文章がめちゃくちゃうまい。その文章のうまさは日本のどんな著名な作家も太刀打ちできないレベル。吉田秀和の文章を読んでいると、音楽が聞こえてくるようだ。音楽を言葉で表現し、その真価を伝えることができた唯一無二の人。

 

立花隆

次は立花隆である。

立花隆は僕の血であり、肉であり、骨である。この人は色々な意味でスーパーマンというか並外れた人物で、僕は彼の膨大な本を人生の大半をかけて読み続けて来た。「宇宙からの帰還」はもう何回読んだだろうか?

時の絶大な権力者、空前の人気を誇った庶民宰相の田中角栄をペンの力で辞任に追い込んだことはもう伝説だろうか。かつてはそんな時代が確かにあったのだ。

政治批判、時事問題への容赦ない批評。左翼と右翼、そのいずれに対しても妥協を許さない徹底解明と真相究明。そして宇宙、医学、自然科学への没頭と計り知れない探究心。そして臨死体験をとことん検証。武満徹など芸術にも取り組み、その著作は歴史、哲学、文学など多方面に渡り、正に知の巨人と呼ぶのがふさわしい。

それらありとあらゆる執筆対象に対して、とことん原典の資料に立ち返り、徹底的に分析し、解明していく。業界トップの専門家への徹底的な取材とインタビュー。

渉猟のレベルが尋常ではない。渉猟の鬼というか、狂気の渉猟というか。一つの目的、ターゲットに近づくためのありとあらゆる努力とエネルギーが、一人の人間ができる範囲を遥かに飛び越えてしまっている。

 

立花隆で何よりもすごいと思うのは、難しい内容を極めて分かりやすい言葉で書くこと。推測や感想の類は一切なく、事実とファクトのみで真相と本質に迫る。その切れ味が恐ろしい。

立花隆は僕の読書の中核を占める存在なので、この後、各論編で詳しく報告させていただく。

 

佐藤優

立花隆に近い存在で、愛読しているのはあの佐藤優だ。鈴木宗男事件に絡む背任罪容疑で逮捕され、512日間の勾留をうけた例の外務省のラスプーチン。彼は同志社大学の神学部出身の鬼才で、外交官の道を絶たれた後、突如、ものすごい書き手として論壇にデビュー。信じられない程の量と質の膨大な著作を出し続けている。今では、佐藤優立花隆同様に知の巨人と呼ばれるが、知の怪物と呼ばれるのがふさわしい。

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佐藤優は本当に怪物、化け物としか言いようがない存在で、膨大な読書量と知識、その並外れた説得力のある文章力で「右」からも「左」からも一目も二目も置かれる論壇の異端児となった。

僕は彼の本が大好きで端から読破。何を読んでもおもしろいし、その膨大な知識と博学、確信を持った見識に圧倒されないことはない。何と言っても文章が本当に上手く、読み易くて分かり易いのがいい。

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でも、今でも毎月2冊も3冊も新刊が出るに至って、遂に新刊フォロワーは諦めた(笑)。

でも、この人はどうしても読まないわけにいかない。同志社の神学部が産んだ突然変異というかやはり怪物としか言いようがない。 

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彼はあの時、逮捕されることがなければ今でも外交官をやっていたわけで、この怪物作家は存在していなかったわけだ。世の中には本当に不思議なことが起きるものだ。

 

辺見庸

もう一人、大切な人がいる。辺見庸だ。辺見庸は1991年に「自動起床装置」で芥川賞を獲得した作家だったが、その後は小説はほとんど書かなくなって、ノンフィクションと現代社会への鋭い批評が中心となってくる。世に衝撃を与えたのが「もの食う人びと」という渾身のルポルタージュだ。これは全くものすごい本。世界中の貧困に喘ぐ地区を旅して食べるという行為をトコトン追い続けたノンフィクション。チェルノブイリ放射能汚染された食物を食べざるを得ない人々などはの取材など、極限の食を追求。深い洞察に満ちながらも、飾らない言葉でユーモアさえ湛えて書かれたこの本は、いつ何回読んでも衝撃を受け、何よりも抜群に興味深い。この本を何人に人にプレゼントしたか思い出せないほどだ。

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その後は、最近の日本の政治の右傾化を鋭く批判。絶対に妥協を許さずに孤高を貫く生き様とそこから紡ぎ出される深くて、読む人の魂に突き刺さってくる重い言葉を世に問い続けている。2004に脳出血に倒れて不自由な身体となり、翌年には大腸がんを公表。そんな中でも、一歩を退かずに信念を貫きとおし、論陣を張る姿に圧倒される。格調の高い重い一言一言に襟を正さざるを得ない。

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加藤周一

加藤周一も大好きだ。この人の本も夢中になって読んでいる。医者にして文学をも極めたこの人の文章は、これまた非常に読み易いにも拘らず、含蓄に富んでいて、読むほどに味わいを増す。随筆の名品は本当に患畜に富んだものだった。

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9条の会の発起人としても有名だった加藤周一だが、少しずつ確実に進みつつあった当時の日本の右傾化に警鐘を鳴らし続けながら12年程前に89歳で亡くなったが、今のこの日本を見たら何というだろうか。

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半藤一利

今年90歳になろうとする半藤一利の本もかなり精力的に読んできた。この昭和史の語り部の書いた本はどうしても読まないわけにはいかない。

語り口調で書かれた本が多いので、かなり読みやすく、どんどん読めるのがこの人の作品のいいところだ。

でも、そこに書かれている内容は実際の自身の経験に基づいたものが多く、やはり傾聴するしかない。昭和史を中心にあの戦争がどうして起きて、どのように終わったのかを繰り返し繰り返し、問い続ける。

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あの「日本の一番長い日」を著した功績は不滅である。読み易いとは言ってもその信念の強さは筋金入りで、あの戦争を二度と繰り返してはならないという切実な思いが常に通奏低音のように鳴り響いている。この90歳の叡智にもっともっと耳を傾けたい。

 

米原万里

さあ、いよいよ米原万里だ。僕は本当にこの人が好きで好きでたまらないのだ。こんなに素敵な、魅力的な人は他のどこを探してもいない。

彼女の生き様と彼女が残した本。感嘆するしかない。先ずは著作がたまらなく好きなのである。そしてその生き様も。

 

必要ないとは思うが、念のために米原万里のことを簡単に紹介しておこう。米原万里はロシア語の同時通訳として一世を風靡した才媛で、あのベルリンの壁崩壊からソ連消滅に至る歴史的大激動の際、世界中がその動向を注目する中にあって、時の歴史的指導者であるゴルバチョフエリツィンの同時通訳として八面六臂の大活躍をした。一方で40代半ば頃から執筆を始め、出された本はその全てが驚異的な内容ばかりで世の本好きを狂喜させた。あの類稀なロシア語の同時通訳が類稀な物書きでもあったわけだ。

そんな余人を持って変えられない逸材が、56歳という若さでがんのため早逝してしまったことは悔やんでも悔みきれない。

 

本当にこういう人が日本にいてくれたこと、女性としてこれ以上考えられないような社会的貢献をしたこと、あれだけ質の高い本を次々に発表してくれたことを少し奇跡かなと思ってしまう。

僕はことある毎に言っているのだが、多くの女性がこの突出した才媛のことを知らな過ぎる。こんな素晴らしい、下手な男など全く歯牙にもかけなかったすごい女性がいたということを本当に誇りに思ってほしいと。

日本に米原万里が居てくれたこと、それが女性であったことを、全日本人と全女性の誇りにして欲しいと願わずにはいられない。全く彼女の才能、筆力は群を抜いているから。

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本当にこれだけ魅力的な人はいない。米原万里が生涯に残した本は20冊程度でそんなに多くはないのだが、その全てが傑出した作品ばかりでどれを読んでも深い感動を受け、感嘆せずにいられないはずだ。

僕は彼女の全ての作品を手元に揃えているのだが、まだ読んでいないものが6冊ほど残っている。もちろん今もその未読の本を読み続けているのだが、読み切ってしまった後の米原万里ロスが恐ろしくて、敢えて読まないというバカなことをしていることを告白する。

 

「もう米原万里を読めなくなる」となったときの大きな穴がどうしても埋められないと思ってしまうのだ。だから、大切に何冊か残しているという何とも愚かな行為。でも、これは本当の話し。

僕が信頼してやまない若手女性合唱指揮者も、米原万里の熱心なファンで、特に彼女がさりげなく語った「発明マニア」がおもしろかったという一言が何故か脳裏に焼き付いて、この分厚な発明マニアだけは最後の最後まで残しておこうと目論んでいる。おかしいなあ、これは(笑)。

 

米原万里の著作はどれを読んでも感動させられるが、やはり究極の一冊は「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」ということになるだろう。これは正に奇跡的な一冊。これを読めば誰だって米原万里のずば抜けた才能を思い知らされ、米原万里に夢中になってしまうはずである。

その生き生きとした文章の素晴らしさと、語り口の絶妙さ。そして何よりもこれがノンフィクションで実際に彼女自身が体験した話しなんだと知るに及んで、こんな類稀な経験と能力を持った人間が、その活躍の絶頂期に病に倒れたことを心の底から嘆き、悲しむことになる。

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上で触れた佐藤優は、ロシア絡みで米原万里とは親交があったようだが、彼が逮捕されて苦境に陥った際、公然と佐藤優を擁護し、512日後に拘置所を出た時には、作家となるように強く勧め、様々な支援をしたという。このいい話しは佐藤自身によって披露されている。米原万里が亡くなった際、佐藤優は彼女の棺にすがり付いて号泣したという。人としても最高だった。ただただ涙が溢れる。僕も涙が止まらなくなる。

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