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朝日新聞に信長貴富の思わぬ記事が掲載
松本に在住の親しい友人から、合唱作曲家・信長貴富の朝日新聞に掲載された「人は、なぜ歌うのか?」をテーマにした記事が送られてきた。
信長貴富のことは良く存じ上げていて、彼の合唱作品を多数、指揮してきた。もちろん歌ったことも頻繁だ。
その記事を読んで、僕は深く感銘を受け、即座にこのことをブログに書かなければと即断した。
実に感動的な内容で、スマホで送られてきた記事を拡大して読んだのだが、その場で身動きできなくなるほど感動し、涙が込み上げてならなかった。
信長貴富の切実な思いが痛い程伝わってきた。その思いが、彼の言葉の一字一句が、胸に突き刺さる。
ここに書かれていることは、実は僕も常々考えていたことで、やっぱり信長さんも作曲しながら同じことを考えていたのか!という感動と共に、本当にそのとおり、僕らが歌を歌う意味、歌を歌って何を成し遂げることができるのか、歌の力で、歌うことで、平和を実現できるのか!?
その究極の問いかけに、立ち尽くすしかなかった。
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信長貴富が書いていたこと
新聞記事をアップしたので、詳しくはぞれを実際に読んでいただくとして、僕が一番衝撃を受けたのは、後段の信長が作曲した合唱曲の傑作「初心のうた」について、書かれた部分だ。
僕も愛して止まない信長貴富の大ヒット作にして屈指の傑作「初心のうた」は木島始の詩をテキストにしている。
信長貴富の大傑作「初心のうた」
一言でいうと、近年の日本の右傾化を心配し、警鐘を鳴らす内容だ。もちろん、それは単に日本の右傾化を憂えるだけではなく、全ての戦争や紛争を糾弾し、平和を希求するものだ。
これは音楽的には決して難しい作品ではなく、アマチュア合唱団でも存分に楽しめるものだが、最近の邦人の合唱曲の中では、殊の外愛されている人気の高い作品である。
信長貴富の膨大な量の作品の中にあっても屈指の大傑作と呼んでいいものだ。
僕も信長貴富の作品は随分たくさん指揮してきたが、この曲への愛着がひと際高い。
「とむらいのあとに」が鳥肌ものの感動
全5曲から構成されており、全ての曲が素晴らしいが、特に第3番の「とむらいのあとに」というア・カペラ曲が言葉を失う程の素晴らしさだ。
これは膨大な信長作品の中でも屈指の、特別な名作である。
「銃よりひとを
しびれさす
ひきがね ひけなくなる
歌のこと」
という木島始の詩が凄いことはもちろんだが、信長の音楽も深淵にして感動的で、わずか3分程の短いものながら神がかり的な至高の作品だ。
僕はこの曲を熱愛している。
但し、完璧に演奏することは至難の業だ。
信長貴富はこの記事の中で、現在もウクライナやガザで激しい戦争が続いていることに胸を痛めている。
僕がかつて指揮をしたときもそのような強い思いを抱いて、この曲の演奏に臨んでいた。歌の力で平和を手繰り寄せたいと。
だが、そんなことは実際に可能だろうか?歌の力で平和を実現する!?そんなことができるのだろうか。
合唱講習会でのあるエピソード
ここに書かれているエピソードは極めて興味深いものだ。
こんなことがあったという。「初心のうた」の作曲者自身による合唱講習会で、受講者の一人が休憩時間に信長さんに話しかけてきたという。
「このような曲を歌っても戦争はなくならない。歌う意味を感じることができない」と。
そう言われた作曲者の信長さんは、「私はその時、返答に窮し、あいまいな笑みを浮かべることしかできなかった」と。
これを読んで、僕は本当に胸が締め付けられ、信長さんと同じように言葉を失った。
本当に「返答に窮してしまう」。そのとおりだと思う。
合唱講習会に出て、作曲者であり、講習会の指導者に面と向かって「歌う意味を感じることができないと訴える受講者の強心臓というか、厚顔ぶり、無神経さにも驚かされるが、実際にその受講者の素朴な疑問、もしかしたら、考えに考えた挙句に思い切って作曲者に思いをぶつけたという、極めて誠実な方だったのかもしれない。そんな気もする。
それにしても、こんなストレートな直球による質問を受けて、信長さんもさぞ困ったことだろう。彼の困惑した表情が目に浮かぶ。
「返答に窮し、あいまいな笑みを浮かべることしかできなかった」という言葉に偽りはないだろう。
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実は、この講習会には僕も参加していた
実はここで話題になっている「初心のうた」の作曲者自身による合唱講習会には、僕も参加していた。私の敬愛する合唱作曲者にして世界的な合唱指揮者である松下耕が指揮者となって曲作りをしながら、その脇には作曲者の信長貴富がいて、作曲者のこの曲に込めた思いや曲作りの真意を伝えていくという非常に興味深いものだった。
東京都合唱連盟が企画した素晴らしい講習会で、今でもあの時のことを忘れることができない。
終了後の懇親会にも出させていただいて、信長さんから「初心のうた」の楽譜に直々のサインをいただいている。公開させてもらう。
ちょっと脱線するが、ここで簡単に合唱作曲家の信長さんのことをあらためて紹介しておきたい。
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信長貴富のこと
朝日新聞の記事では、以下のように紹介されている。
「のぶながたかとみ 作曲家。1971年、兵庫県生まれ。上智大卒。作曲は独学で、多数の合唱曲のほかに独唱曲やオペラなどを作曲。作品は全日本合唱コンクールで多くの合唱団に演奏される。コラムタイトル「くちびるに歌を」は代表作の一つ。」
中々ユニークな経歴の持ち主だ。
元々は著名合唱団の歌い手だった
ポイントは上智大を卒業しており、音大出身ではないということ。そうなると作曲は独学でということになる。
信長さんは、実は今のように極めて有名な合唱曲の作曲家として知られるようになるまで、長きに渡って「合唱団OMP」、栗山文昭という最高の合唱指揮者が指導する日本トップの実力を誇るアマチュア合唱団(現在は「合唱団響」)で一歌い手として活動していた方だ。バリトンを受け持っていたはず。
合唱団OMPでの活動のことは、朝日新聞の記事の中でも、冒頭部分で少し触れられている。
合唱団の一歌い手、つまり団員が、日本を代表する最高の合唱作曲者に華麗なる大変身。
言ってみれば、合唱界では前代未聞の途轍もないシンデレラストーリーなのである。男性である信長さんにシンデレラというのは相応しくないのだろうが。
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独学で始めた合唱曲作りが今や頂点に
僕も長年に渡って合唱界に身を置いていた者として、信長さんの未だかつて聞いたことのない活躍ぶりをリアルタイムで追体験してきた。
当初はOMPでの厳しくも多忙極まりない合唱活動(合唱団OMPは当時日本最高のアマチュア合唱団として、毎年全日本合唱コンクールの全国大会に出場し続けて、ほぼ常に金賞に輝いていたスーパー合唱団)を続ける傍ら、ポップスやポピュラー、あるいは日本の抒情歌などの編曲を精力的にこなし、先ずは編曲者として作曲の研鑽を続けてきた。
やがてオリジナルの合唱作品を次から次へと発表し続け、正に飛ぶ鳥を落とす勢い、気が付いたら合唱作曲界のトップに君臨するまでになっていたという大変なサクセス・ストーリーなのである。
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僕はある事情で今、合唱から離れているが
実は僕は、現在、約50年間以上(実に半世紀以上)に渡って深く関わってきた合唱から距離を置いている。
直接の原因はもちろんあの新型コロナウイルスのせいである。これによって全てが狂ってしまった。
僕の本業は急性期の大病院の事務局長である。
事務局長は、もちろん医者ではなく事務職なのだが、病院の経営面と運営面の実質的な責任を負わされており、その責務はかなり大きい。
病院長を直接支え、病院の様々な運営と経営面の責任者として医師に対しても時に指揮命令を下す場面も少なくない。
コロナ感染の全盛期にあっては、職員の感染予防活動を率先して垂範しなければならない立場。
合唱活動を推進すること、僕はみんなの前で指揮をして、大きな声で曲作りを指導する立場にあって、その飛沫飛散大会とも言える活動はどうしても自粛せざるを得なく、様々な紆余曲折があったが、結局は合唱活動を断念せざるを得なかった。
本当に悲しい出来事だった。
今日では、新型コロナの感染もいよいよ下火になって、多くの合唱団が漸く正々堂々と従来の活動を再開している。
喜ばしいことだ。
だが、僕は合唱に戻らなかった。今でも仲間はいて、その気になればいつまで活動を再開できるのだが、今となってはもうその気になれない。
このブログを始め、やりたいことが多過ぎる。ブログを書くというアウトプット活動は、僕のように様々なカテゴリーを扱っていると、そのインプットだけでも膨大な時間がかかる。
映画を見て、クラシック音楽を聴いて、本を読み、漫画も読む。シャクヤクに費やした時間も相当なものだった。
そんな次第で、現在、合唱に関しては、指揮することも歌うこともすっかりご無沙汰している。
だが、今回の信長さんの「歌を歌う意味」というようなテーマを読むと、俄かに昔の血がムラムラと騒ぎ始める。
この文章には感銘を受けた。感動した。涙が込み上げた。
もう一度、合唱のことを思い出そうと、思わず血が騒いだ。
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今は決然と言い放つ信長の言葉に深く感動
例の15年前の合唱講習会で、受講者から「こんな歌を歌っても戦争はなくならないから、歌う意味がない」と言われて答えに窮し、あいまいな笑みを浮かべることしかできなかった信長貴富は、今回の記事では、決然とこう言い放つ。
しかし今、私は思う。
そう、私もあなたと同じ無力感の中にいる。歌にガザの殺戮を止める力はない。ウクライナの戦火を鎮めることもできない。それでもなぜ歌うのか。この問いは人間の存在そのものを問うことに等しい。なぜ殺し合わねばならないのか。なぜ憎しみは消えないのか。それでもなぜ、生き続けるのか。
人はなぜ歌うのだろう。風を。虹を。日々のささやかな驚きを。諧謔と享楽を。自由を抑圧するものへの怒りを。死への怖れを。生きる苦悩を。共に生きる歓びを。
なぜと問う前に、歌わずにいられない私たちがいる。限られた人生の一部を音楽のために捧げる人々の、歌うという行為そのものに、私は希望を発見し続ける。その行為の連鎖に、私は期待を捨てられずに、果てしない問いに向かって今日も作曲を続けている。
すごいな、感涙してしまった
僕はこれを読んで心の底から感動し、感涙に咽んだ。涙が溢れ出た。そして喝采を叫んだ。
そうだ。そういうことなのだ。それしかない。
この信長さんの崇高な詩にも例えられるべき感動的な文章の後で、僕が何か言葉を付け加えることは「屋上屋」で、止めるに越したことはない。
だが、これだけは言っておきたい。
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黙っていたらダメだ!
歌を歌っても無意味かもしれないが、歌ってみることそれ自体に意味がある。黙っていてはダメだ。それでは何も始まらない。
歌いたいという本能で、思いを訴える。先ずはそこから。効果を期待してもダメかも知れない。だからと言って止められるのか。歌わないで済ますことはできるのか。
我々には歌は不可欠なのだ。
誰かが声を出さなければ何も変わらない!
信長の、歌うことは生きることと等しいという言葉には、深く共感して止まない。
我々歌う人間にとって、歌うことは生きることに等しいから、色々な苦しみ、苦悩があっても生きて行かなければならないように、歌わないわけにいかない。
何か対価を求めて歌うわけではない。
だが、歌うことで、もしかして世界を変えることができる余地があるならば、迷わずにそれを目指したい。
歌の力で独立を勝ち取った例もある
歴史的に見ても、世界には歌の力で独立を勝ち取った国だってある。それほど昔のことでもない。
バルト3国、特にラトビアでは歌も用いた「人間の鎖」が契機となって、ソ連からの独立を勝ち取ったことはあまりにも有名だ。
「歌う革命」として1989年の東欧革命の前後、1987年から1991年にかけて発生した、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の独立を目的とする一連の出来事で、そこで大きな力を発揮したのは合唱、歌だったことは、どんなに褒めたたえても褒めたたえ切れない偉業である。
だから、諦めちゃダメだ。
どうせ歌わないわけにはいかないのだから、迷わずに歌っていきたい。何の効果も変革もないかもしれない。いや、多分ないだろう。
だが、万に一つでも世界が平和になれる余地があるのなら、それを進めるべきではないか。
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合唱でも、歌でも、文章でも
何も合唱に限らない。独唱曲だって、ポップスだって何だっていい。歌は世界を変える可能性がある。
もちろん歌に限った話しでもない。言葉を発していきたい。詩でも小説でも何でもいい。メッセージを訴え続けることが大切だ。もしかしたらロシアのウクライナへの侵略戦争を止めることができるかもしれない。
だが、そうは言っても何人もの大勢で同じ歌詞を一緒に歌う、合唱が一番かなと思う。
合唱は我々にとって生きること。信長さんがおっしゃるように、我々が歌い続けることで何かが変わることを期待し続けたい。それを信じ、祈りたい。
また合唱、始めようかな。
☟ 信長貴富のことと信長が作曲した平和を希求する傑作「初心のうた」に興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入ください。
1.「初心のうた」が収録されているCD。
著名な合唱団である松原混声合唱団の第24回定期演奏会のCD。信長貴富の「初心のうた」の他にも、間宮芳生の合唱のためのコンポジション第5番「鳥獣戯画」という超弩級の名作もあって、これは聞き逃せないCD。
3,300円(税込)。送料が120円かかります。ご容赦ください。
私が愛聴していたクール・シェンヌのCDが廃盤になっているのは痛恨の極み。ここには信長貴富の代表作「思い出すために」も入っていて、素晴らしいCDだっただけに、誠に残念だ。
2枚組CD 松原混声合唱団第24回演奏会 間宮芳生《鳥獣戯画》 信長貴富《初心のうた》/新実徳英《ビオス》松 / ブレーン
2.信長貴富「初心のうた」の楽譜
1,650円(税込)。送料240円。
楽譜 信長貴富/初心のうた 544920/混声合唱とピアノのための