目 次
「冬の旅」の後、無性に「水車小屋」を聴きたくなる
あまり好きじゃなかったはずのシューベルトの「冬の旅」とがっぷり四つで取り組んで、その魅力に改めて開眼したのは良かったが、やっぱりあの暗さと救いのなさにはすっかり打ちひしがれてしまった感がある。
3本の記事、合わせて2万字超の「冬の旅」との格闘はさすがに堪えた。
そして、無性に「美しき水車小屋の娘」を聴きたくなった。
あの絶望的な「冬の旅」の後に、「美しき水車小屋の娘」を聴きたい!ほとんど魂の叫びというか、本能的な欲求だった。
同じミュラーの詩に付けた連作歌曲集。「冬の旅」全24曲、75分に対して、「美しき水車小屋の娘」全20曲、65分。

この2つの連作歌曲集は、同じ詩人の詩に作曲した兄弟のような相似形の作品ながらも、その曲調、曲想、雰囲気は似ても似つかない。
あれだけ、暗くて絶望的な歌をひたすら繰り返し聴き続け、2万字も文章を書いた後は、「美しき水車小屋の娘」に救ってもらおう、自然とそう思った。
「美しき水車小屋の娘」の明るさが心に沁みる
暗くて絶望的、全く救いのない「冬の旅」に対して、同じシューベルトが「美しき水車小屋の娘」では、同じ作曲家が作った作品とは思えない程、全く異なる音世界が展開される。
もちろん共通する点も多いが、一転して明るく、伸びやか、全体的に希望と優しさに満ちていて、牧歌的。温かい雰囲気に包まれている。
この牧歌的な抒情性に救われる。明るさと温かさが心に沁みてくる。シューベルトの天真爛漫さが最もストレートに出た実に魅力的な作品だ。
明と暗、希望と絶望。この対極にある2つの歌曲集を聴くことで、我々はシューベルトという作曲家の真価を体験できる。今回は是非とも「美しき水車小屋の娘」の世界を知ってほしい。


シューベルト「美しき水車小屋の娘」の基本情報
「美しき水車小屋の娘」はシューベルトが31歳という若さで夭折するその5年前に作曲された。「冬の旅」は亡くなるちょうど1年前に作曲されたので、「美しき水車小屋の娘」は「冬の旅」の4年も前に作曲された。1823年のこと。
シューベルト25歳。青春のど真ん中で作曲された歌曲集ということになる。
まだまだ元気だった頃のシューベルトで、ここにはシューベルト特有の陰鬱さと激情的な感情爆発など、死が迫ってきてからの作品が持つ暗さ、憂鬱さとは無縁な音楽が繰り広げられる。
同じ頃に作曲された作品としては、何と言ってもシューベルトの名前と深く結びついている代表作、交響曲第8番「未完成」はこの前年に作曲され、翌年には「アルペジオーネ・ソナタ」や弦楽四重奏曲「死と乙女」などが作られている。
詩は「冬の旅」と同じ、ドイツの薄幸詩人ヴィルヘルム・ミュラーによる。
全体は20曲からなり、全体を通して演奏すると60~65分に及ぶ大作であることは上述のとおり。
詩人のミュラーについて
詩人のミュラーのことは、前回の「冬の旅」の中で紹介しているが、重要な点なので、繰り返しになるが、再度書いておく。
シューベルトの3大歌曲集のうちの2つまで詩を用いられたミュラーだが、この詩人の評価は決して高いものではない。
ゲーテやハイネとは比べるべくもなく、二流詩人だと言われているが、シューベルトの心を捉えたことは間違いなく、それで十分ではないか。僕はシューベルトという稀代の歌曲作曲家に上手くフィットした貴重な詩人だと思っている。
ミュラーの側から言うと、シューベルトが自作の詩に連作歌曲集を作曲してくれたことで、その名前は永遠のものとなった。シューベルトがこの有名な2大歌曲集を作曲していなければ、ミュラーの名前は多分、文学史の中では生きていなかったはずだ。
この二人が生涯に一度も逢ったことがなかったことも前回書いたが、2人の共通点には本当に驚かされる。全くの同時代人で、しかも2人揃って夭折している。

シューベルトの生没年:1797~1828年。享年31歳。
ミュラーの生没年: 1794~1827年。享年32歳。
完全な同時代であった。
ミュラーはシューベルトより3年早く生まれたが、シューベルトが31歳で夭逝したときには、既に1年前に亡くなっていた。
「美しき水車小屋の娘」作曲の経緯
「美しく水車小屋の娘」の作曲については、かなり興味深いエピソードが残されている。
シューベルトが友人の家を訪ねると友人は不在だったが、机の上にミュラーの「旅のワルトホルン吹きの遺構からの詩集」を見つけ、興味を持ったシューベルトはその詩集を勝手に持ち帰り、翌日にはもう3曲も作曲した。
後日、無断で持ち帰ったことを友人に謝罪し、今、この詩集に作曲していると報告。実はその詩集の持ち主も作曲するつもりでいたのだが、シューベルトが作曲し始めたと聞いて、作曲を断念したという。
珍しく完成までに長期間かかっている
そんなことで、ミュラーの「水車小屋の青年の話し」はシューベルトをすっかり夢中にさせたが、その後は作曲がはかどらず、シューベルトには珍しく完成までに半年以上も要した。
1823年の5月から作曲が始められ、完成したのは同年11月。早書きのシューベルトが7カ月もかかるのは非常に珍しい。
どんなストーリーが展開されるのか?
具体的なストーリー性に乏しかった「冬の旅」に対して、「水車小屋」の方にはしっかりとしたストーリーがある。
小川の導きで水車小屋にたどり着いた若者はそこに住む美しい少女に恋をする。少女も若者に好意を寄せるが、やがて猟人が現れ、少女の心は猟人に傾き、若者は失恋してしまう。絶望した若者は小川に身を投げるのだった。
ドイツの田舎を舞台にした典型的な「ボーイミーツガール」だ。


青春の童話(メルヘン)
失恋した若者の自殺は辛いが、この曲の中ではあまり悲惨には描かれず、ずっと若者を見守ってきた小川に身を委ねることでむしろ幸福を得られるようなメルヘン色が強い。
決して「冬の旅」のような深刻な苦悩と絶望に陥らない、いやそのような描写がなされない青春の童話と言っていいかもしれない。

お気に入りの歌をチョイス
全20曲はいずれも魅力的な歌ばかりだが、その中でも特に僕のお気に入りの歌をいくつかピックアップさせてもらう。今回はタイトルだけにしたい。
他にもいい歌がたくさんあるが、最小限の選択となる。
多くの方が、同じ曲をチョイスするのではないだろうか。誰が聞いても美しい感動的な歌ばかりだ。

分かりやすくて、親しみやすく、しかも美しい歌ばかりなので、実際に聴いていただき、読者の耳で確かめてもらえれば思う。
〇 第2番「どこへ?」(約2分半)
〇 第6番「知りたがる男」(約4分)
〇 第8番「朝の挨拶」(約4分半)
〇 第9番「水車職人の花」(約3~4分)
〇 第12番「休息」(約4分半)
〇 第16番「好きな色」(約4分)
〇 第19番「水車職人と小川」(約3分45秒)
〇 第20番「小川の子守歌」(約6分半~7分)
「美しき水車小屋の娘」の音楽的特徴と魅力
一言で言えば、シューベルトの魅力満載の愛すべき音楽ということになる。
「冬の旅」とは対照的に明るく、愛に満ちた優しくて美しい歌ばかりだ。
ピアノ五重奏曲「ます」と並ぶ、天真爛漫のシューベルトのいいところが全面的に出た愛すべき歌曲集だ。
誰もが安心して聴くことができる、聴く人を幸福にしてくれる心と耳の清涼剤。カンフル剤と言うべきか。
斬新さと革新性とは無縁だが
音楽上の斬新さと革新性とは無縁だが、シューベルト本来の天真爛漫な美しさと分かりやすさ、親しみやすさは抜群だ。
「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」とでは、音楽の中身、レベルがまるで違うと強調しておきたい。
両歌曲集の作曲時期には4年の開きがあるが、シューベルトにとって、4年という年月はたとうえようもなく長い。何と言ってもシューベルトは31歳で夭折してしまったのだから。
それでいて、亡くなる直前の数カ月間に一挙に創造力を爆発させ、ドンドン革新的な音楽を作って駆け抜けていった。
そんな作曲家にとって4年の年月は一般人の数十年に値するかもしれない。
有節歌曲とそこから進化する歌との違い
「美しき水車小屋の娘」の歌の多くは、「有節歌曲」という形式で書かれている。これはどこにでもある典型的な歌の形式で、あるメロディがあって、その同じメロディに1番、2番、3番と歌詞を乗せていく。同じメロディを繰り返して歌うわけだ。
「冬の旅」では有節歌曲はほとんど姿を消して、詩の内容に応じて、音楽が変化を遂げていく。「水車小屋」の歌から、「冬の旅」への歌の飛躍は甚だしい。更にシューベルトは「白鳥の歌」の「ハイネ歌曲集」で更に高く、遠くへ飛躍した。
4年間でシューベルトはここまで変わった。ここまで進化したというべきだろうが、進化したことが、聴く者や歌う者にとって幸せなことなのかどうかは、全く別の問題だ。
分かりやすくて、親しみやすい「水車小屋」の有節歌曲の方がずっと好き、「冬の旅」への変化を進化と呼ぶのなら、進化なんかしなくていい、そう思う人もきっと多いことだろう。
お前は「音楽的にどっちが重要か」と問われれば、迷わず「冬の旅」と答える。これには議論の余地がない。
だが、「どっちが好きか」と問われれば、これまた迷わず「水車小屋」だと答えるだろう。
これは歌による紙芝居そのもの
青春の童話(メルヘン)のようなものだと書いたが、この65分間で展開されるのは歌による紙芝居ものもののように思える。
20枚からなる若者の青春を描いた紙芝居に他ならない。いい塩梅に喜怒哀楽に満ちていて、悲しい部分もありが、それほど暗くも絶望的になることもなく、最後の自死も小川の大きな愛に包まれたと考えれば、むしろ希望があると言えなくもない。音楽はどこまでも慰めに溢れている。
そして何と言っても音楽がどこまでも美しい。これは人々に愛されて当然の音楽だと心から思う。
誰の演奏を聴いたらいいのだろうか?
【後編】に続く
☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入をお願いします。
【フィッシャー=ディースカウの演奏】
本文で書いたように「冬の旅」と同様、現在、フィッシャー=ディースカウの名盤中の名盤として知られる全盛期のドイツグラモフォン盤(72年録音)の国内盤が入手困難となっています。正確に言うとSACD規格のCDは入手できるのですが、これは専用機が必要で、普通のCDプレーヤーでは再生できません。
幸い2種類のフィッシャー=ディースカウの録音が入手できますので、どちらかを選択してください。1962年録音のムーア盤と1969年録音のデムス盤です。どちらも素晴らしい演奏なので「冬の旅」程の不満はありません。
(1)1962年録音 ピアノ:ジェラルド・ムーア
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シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」(全曲) [ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ]
(2)1969年録音盤 ピアノ:イェルク・デムス
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シューベルト:歌曲集≪美しき水車小屋の娘≫ 他 [ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ]
【フリッツ・ヴンダーリッヒの演奏】
本文中にも書いた通り、この名盤が廃盤となっています。フィッシャー=ディースカウに勝るとも劣らないヴンダーリッヒの演奏がこの「美しき水車小屋の娘」にはピッタリだと思われるだけに残念極まりありません。
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【中古】 シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」/フリッツ・ヴンダーリヒ(T),フーベルト・ギーゼン(p)