長い間、誤解されてきた隠れた名作

今回は「アポロの歌」だ。あまり知られていない。だが、色々な意味で物議をかもした社会的にはかなり話題となった有名な作品だ。これは悲運の作品と呼んでもいいかもしれない。長い間、ずっと誤解されてきた。しかもかなり嫌な誤解である。

今こそ、この「アポロの歌」の真の価値に光を当てたい。そう思わずにはいられない。

これは手塚治虫の全作品の中でも隠れた名作であり、黒手塚の屈指の傑作だ。誤解を受け続けてきたことが残念でならないが、本当は実に素晴らしい魂のこもった真摯な作品なのである。

性教育漫画だと言われてきた

この「アポロの歌」は長い間、手塚治虫による性教育を目的とした漫画だと言われてきた。もう一作、もっと有名な「やけっぱちのマリア」というかなり知られた作品があって、この両作品は性教育を目的とした漫画といわれ、当時のPTAなどから厳しく批判され、発禁処分を求める運動が行われたことは、良く知られている。

実際に横浜市では有害図書に指定された。

性教育と言うよりも、子供向けの雑誌にも拘らず、SEXやエロスなど性愛を描いたエロ漫画だと捉えられたのだ。

大ヒットした永井豪の「ハレンチ学園」と同じ路線の漫画として扱われ、発禁運動の対象とされてしまった。

明るくノー天気で屈託のないギャグ漫画の「やけっぱちのマリア」は、確かに「ハレンチ学園」とかなり似た作風で、子供向けのエロ漫画と言われても、全面否定はできないように思われる。

だが、ほぼ同時期に描かれ、同類項とされた「アポロの歌」は、まるで違う。

漫画のオープニングに擬人化された精子と卵子による受精が描かれ、そこから妊娠に至り、子供が産まれるというシーンが詳しく描かれたことが、性教育漫画という評価になってしまったのだろうが、それとて非常に真面目な描写で、有害図書に指定されるなどとんでもない話しだ。

これは極めてシリアスな深い内容を持った問題作である。確かに性のことは取り上げられるが、子供の教育上、好ましくないとして発禁処分や有害図書の対象となるような漫画では決してない。

紹介した「アポロの歌」全3巻を並べて写した写真
この表紙絵を見ると、確かにエロティックな雰囲気が漂ってくるが、有害図書とは縁遠い極めてシリアスで、悲痛な愛の試練を描いた名作だ。

「アポロの歌」の基本情報

掲載された雑誌は週刊少年キングで、期間は1970年(昭和45年)4月10日号~11月6日号までの7日月間だった。手塚治虫は42歳。

驚かないでほしい。この「アポロの歌」は、何と手塚治虫の全作品を通じても屈指の名作であるあの「きりひと讃歌」と全く同時に連載されていたのである。信じられないことだが、「ビッグコミック」誌に連載された「きりひと讃歌」と今回の「週刊少年キング」に連載された「アポロの歌」は、何と連載のスタートが全く同時なのである。いずれも1970年(昭和45年)の4月10日だったのである。つまり「きりひと讃歌」と「アポロの歌」は、全く同じ日から新規スタートしたのである。

ちなみに「アポロの歌」は7カ月間で終了し、一方の「きりひと讃歌」は、翌年の12月25日まで続いた。但し、「アポロの歌」は週刊誌に連載され、「きりひと讃歌」は、隔週刊誌に連載されたので、作品の長さはあまり変わらない。

講談社の全集では全3巻。「きりひと讃歌」は全4巻なので、やはり連載期間の違いで長さには多少の違いがあるが、それほどは差がない。全3巻の作品としてはあの「奇子」先日紹介した「MW」がそれで、この屈指の名作・問題作である両作と同じ長さということになる。

なお、現在も活きている文庫全集では1巻に収まっている。

全体は5つの章から成り立っている。

紹介した「アポロの歌」の3冊を斜めに置いた写真

少年誌に連載された黒手塚の代表作

これは「週刊少年キング」に連載されたもちろん少年や子供向けに描かれた作品ではあるが、実は相当に暗く、辛い物語である。

正に僕がこの「手塚治虫を語り尽くす」シリーズで盛んに取り上げてきた、いわゆる手塚ノワール=黒手塚に属する作品である。

手塚ノワール=黒手塚は、基本的にビッグコミックなど青年・大人向けの作品が多いのだが、既に紹介した「アラバスター」など、少年誌に連載されたものも少なくない。この「アポロの歌」もそんな一作である。

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どんなストーリーなのか

主人公の近石昭吾は、同時に十人以上の男と淫乱放蕩の生活を送る母親の姿を見て育ったことで、男女の愛に不信感を抱くようになり、動物や虫のオスとメスが交尾する姿を見ると激しい憎悪にかかれ、容赦なく徹底的に虐待し、殺してしまうということを繰り返してきた。

その残酷性と凶暴性を矯正するべく現在は精神病院に入院させられ、治療を受けることになる。

その治療の中で見る彼の夢や幻想がドラマとして描かれる。

残虐行為を繰り返し、生命を疎かにする昭吾に、神様が罰を与える。

それは昭吾がある女性を好きになるのだが、その女性との愛が成就しようとする瞬間に、自分自身または相手の女性が死んでしまって愛は決して実ることなく、それを永遠に繰り返すという罰だった。

こうして、女性を愛したことも、女性から愛されたこともない主人公は、古今東西の様々なシチュエーションで素敵な女性に出会い、やがて2人に愛が芽生え、恋に落ちることになるのだが、その愛が成就しようとする瞬間に、相手の女性が無惨な形で死んでしまい、結ばれることがない。昭吾自身が死ぬこともあれば、2人揃って死んでしまうこともある。

その都度、身を裂かれるような耐えがたい苦しみを味わうことになる昭吾。

こうして永遠に愛は報われず、成就しない。

物語は、想像を絶する奇想天外な展開を見せる。現代と未来と時空を飛び越えて、いかにも手塚治虫の天才でなければ思いつかない複雑に錯綜する驚異の世界に拡大していくが、どこまで行っても異形の愛が芽生え、そして死が待ち構えている。

この耐えがたい苦しみを繰り返す昭吾は、最後に・・・。

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永遠に愛が報われない悲痛な罰

これは大変な苦しみであり、耐えがたいものだ。

手塚治虫も、随分と残酷な設定を思いついたものだ。これは辛い、辛過ぎる。

いくら愛を毛嫌いし、愛を交わすつがいの動物たちを残酷に殺しまくったからといって、これは酷過ぎる。ここまでの罰はキツ過ぎないか!?

本当にあまりにも切なくて、救いがなくて、読んでいて胸が苦しくなってくる。

ここには5つのエピソードが描かれるが、そのいずれもが、先ずは素敵な出会いと愛の芽生えが描かれた後に、これ以上はないという残酷な形で愛するものが死んでいく、あるいは自分が死んでいく

身を裂かれる悲痛な愛の喪失である。

その中の一つだけだって、耐え難く絶望に打ちひしがれることになるのに、それが永遠に繰り返されるのだ。

手塚治虫も随分と残酷だ

これが黒手塚の真骨頂には他ならないのだが。

生命の大切さと愛の尊さを訴えようとする手塚治虫の意図と狙いは良く分かるが、これはあまりにも残酷過ぎるのではないだろうか。

黒手塚作品を紹介した際には必ず触れて来たことことだが、この作品を連載中の手塚治虫は公私共に最大の苦境に陥り、作品面でも大きなスランプに陥っていた。

その荒んだ心境の反映なのだが、これにしても辛すぎる設定だ。

残酷過ぎる。

夢の中の昭吾は愛に飢えた心優しい少年

現実の昭吾は交尾する生き物を見ると残酷な方法で殺戮を繰り返す凶暴で残酷な少年だったが、夢の中に登場する昭吾は愛に飢えた優しい少年で、非常に好感が持てる。こっちが本来の昭吾の人格のはずなのに、母親の愛を知らずに、男女の愛を汚らわしいものと信じ込んだ昭吾は優しい心を失ってすっかり歪んでしまっていた。

そんな少年の本来の姿を夢の中に発見する我々読者は、昭吾の心の美しさと純粋さを知って、心癒され救いを感じ、昭吾をすっかり好きになってしまう。それだけに美しい心を持った昭吾が、夢の中で体験する永遠に報われない愛が、あまりにも壮絶なものだけに、本当に言葉を失い、胸が詰まってしまう。

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永遠に繰り返される過酷な罰を描いた他の作品

罰として永遠に愛が成就されない悲劇というのは、シチュエーションは異なるが、カミュの「シーシュポスの神話」を思い出させる。

カミュの「シーシュポスの神話」

「ペスト」で有名なカミュの良く知られた随筆だ。神を欺いたことで、神々の怒りを買ったシーシュポスに与えられた罰。

巨大な岩を山頂まで押して持ち上げるノルマを与えられ、苦労してようやく山頂まで持ち上げた瞬間に、岩は突然、転げ落ちてしまう。再びやってもまた同じことが起こる。こうしてそれを永遠に繰り返さなければならないというエピソードである。

これがカミュの描く不条理だ。

思えば、手塚治虫にはこの手の作品が少なくない。

「火の鳥」の宇宙編と異形編

手塚治虫のライフワークである「火の鳥」の中にこの手の話しが2つ出てくる。「宇宙編」と「異形編」である。

いずれも生命を粗末にした主人公が、神というか、絶対的な存在である火の鳥の怒りを受けて、その罰として与えられる苦行である。

「宇宙編」では、一定の年齢に達すると赤ん坊に逆戻りし、それを永遠に繰り返されるというエピソード。

「異形編」は、ある目的のために名医を暗殺した女剣士が、殺した名医が行っていた宇宙の中での戦争によって、傷だらけになった生き物たちを治療する役割を引き受けざるをえなくなり、数十年に渡って来る日もくる日も治療に追われ続けるが、やがて自分を殺しにくる若者が現れて、殺されてしまう。それは若き日の自分自身で、殺した若者がその治療を引き継いで治療を続け、やがてまた殺される。それが永遠に繰り返される。

「火の鳥」の主人公「猿田(猿田彦)」

そもそも、「火の鳥」の全体を通じての主人公である猿田(猿田彦)の存在そのものが、その典型となっている。

古今東西、太古の昔から遥か未来の先まで猿田は名を変え姿を変えながら、それでも大きな鼻と醜い容姿から女から決して愛されないという苦しみを、どの時代、どこにもあっても味わい続けなければならない

思えば、火の鳥も随分と残酷なドラマである。

「時」に拘った手塚治虫は、このように永遠に続く時の中で、苦しみが未来永劫続いていくシチュエーションに拘り続けた。

「アポロの歌」の主人公昭吾も、素晴らしい愛を知り、ようやく愛が成就するその瞬間に、死が訪れて愛を喪失するという苦しみを永遠に続けなければならない。これはちょっと辛過ぎる設定だ。

こんな悲痛な作品が少年誌に連載された

これはその苦しみの深さと救い難さにおいて、究極の黒手塚作品かもしれない。

これが少年誌に連載されたというのは画期的というよりも、かなり大胆なことだったろう。

性についての衝撃よりも、愛がここまで残酷な手段によって断ち切られるというドラマ設定が、少年には教育上良くないのでないか、これは子供の心にトラウマを残すのではないかと思ってしまうほどだ。

この作品は性愛を描いた漫画として有害図書の指定を受けたりと散々に叩かれたわけだが、性愛云々よりも、愛する男女を絶対に幸せにしないという残酷な仕打ちは、子供たちにはキツ過ぎないかと思ってしまう。

思わずメンタルを病んでしまいそう。

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最高傑作の「アドルフに告ぐ」の先取りシーン

5つのエピソードの中でも、僕が最も気に入っているのは、一番最初のエピソード。第1章「花と死体」だ。

昭吾がナチス時代のドイツ兵として登場する衝撃的なエピソード。ユダヤ人を絶滅収容所へ列車で移送させる業務を命じられた昭吾は、そのユダヤ人の中にいた一人の少女に心を奪われ好きになってしまう。何とかして彼女を逃がして助けようとするのだが、逆に少女から撃たれ瀕死の重傷を負う。その脱走を図った少女をナチスのならず者たちが蹂躙しようとするところを瀕死の昭吾が、ナチス兵を射殺して何とか少女を救い出す。

乱暴を受けて傷だらけになった少女は、私が殺そうと撃ったのにどうして私を助けるの?と驚嘆し、そこで二人は初めて心を通わせ、愛が芽生えるのだが、傷ついた二人は共に死んでいくという実に感動的なドラマだ。

このナチスの少年が好きになったユダヤ人少女を救い出そうと尽力する姿は、あの手塚治虫の最高傑作「アドルフに告ぐ」に出てくるシーンと全く同じだ。少年時代のアドルフ・カウフマンが好きになってしまったユダヤ人少女のエリザを助けようとするエピソード先取りだ。あまりにも設定が似ていてビックリしてしまう。

手塚治虫はナチスを描かせると実にうまい。

愛の本質に鋭く切り込む最終章に心から感動

この作品は少年漫画誌に連載され、性教育漫画などと非難を受け続けたにも拘らず、その実態は愛の本質をどこまでも深く真剣に迫った稀な漫画である。

確かに黒手塚の頂点と言ってもいい程、その設定はあまりも残酷で辛過ぎるものであるが、逆にこの作品ほど、真剣に愛の何たるかを突き詰めた作品は、他にはない

手塚治虫作品で描かれる恋愛は決まって一目惚れから始まり、そのことだけが唯一、僕の手塚治虫への不満なのだが、この「アポロの歌」では、それぞれのエピソードで必ず愛の芽生えが描かれるのだが、一目惚れで始まるなどとそんな単純なものは一つもない。

片思いの苦しさや、反発を感じていたものが様々な確執を得ながらも、その中からやがて愛が芽生えてくる心理描写など、他の手塚治虫にはない恋愛感情の本質に深く迫る稀有の作品だ。愛されない苦しみと、愛せない苦しみ、そこからどうやって互いに愛し合うようになっていくのか。

合成人間との愛の顛末を描く「女王シグマ」と最終章には、涙が止まらなくなってしまう。嗚咽の感動が込み上げ、収まらなくなる。

これは愛の本質を描いた「愛の賛歌」と呼ばなければならない作品だとも思う。

これだけ残酷なシチュエーションを設定したからこそ、ようやく愛の本質にまで辿り着けたのかもしれない。

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オリジナル版がとてつもなく魅力的

この「アポロの歌」にはオリジナル版が出ている。既に紹介済みの「アラバスター」「ボンバ!」のオリジナル版と一緒の立東舎からのものだ。何度も触れてきたが、手塚治虫作品のオリジナル版は様々な出版社から多くの作品が出版されているが、この立東舎から出ている物が圧倒的に素晴らしい

値段は他社のほぼ半額ぐらいと例をみないほど格安なのに、装丁の見事さや内容の充実度は他社のものを軽く凌駕している。

特にこの「アポロの歌」は総ページ数600丁度のいかにも名作に相応しいボリューム感を誇り、とてつもない魅力を放っている。この素晴らしい紙質による美しい大画面で読むと、この隠れた名作を読む喜びがヒシヒシと込み上げてくる。感涙に値するクオリティの高さだ。

手塚治虫ファン必携の1冊である。

「アポロの歌」オリジナル版の表紙の写真
これがオリジナル版の表紙。絵も素晴らしいが、帯のキャッチコピーが秀逸だ。
オリジナル版の裏表紙の写真
これが裏表紙。この帯に書かれた詳細な解説が読み応え十分。
オリジナル版を立てて斜めから写した写真
この厚みを感じてほしい。本当に気に入っている1冊だ。

同時連載の「きりひと讃歌」に勝るとも劣らない傑作

本当に何とも辛過ぎるエピソードが続くが、これほどまでして、手塚治虫は愛の尊さと生命の大切さを訴えたかったのである。

少年漫画でここまで衝撃的な設定が必要だったのかと思わなくもないが、この時代の手塚治虫はどん底だったということを思い出してほしい。中途半端な甘っちょろいドラマを描くつもりなど、手塚治虫は全く考えていなかったのだろう。

正に「愛の渇望と試練」。これほどの辛い恋愛ものは観たことも読んだこともないというレベルだが、ここまで妥協なしで描いてくれたことで、カタルシスが沸き起こることも事実。

あの全手塚作品の中でも屈指の名作である「きりひと讃歌」に勝るとも劣らない傑作だ。

どうか騙されたと思って、究極の悲痛なる愛の試練のドラマに、身を任せてほしい。

手塚治虫全集とオリジナル版を並べて置いた写真
隠れた名作にして究極の黒手塚。是非読んでほしい。深い感動が待ち受けている。

一度しかないこの人生を、大切なパートナーとの愛を育みながら全身全霊で生きてほしいと思わずにいられない。それこそ手塚治虫が願ったことに違いないと確信させられる。

必読の知られざる手塚治虫の真の名作。是非読んでほしい。辛い話しだが、深い感動が待っている。

 

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