さあ、総論と俯瞰的展望は終わった。いよいよ具体的に手塚治虫の作品を取り上げて行くことにしよう。あまり知られていない青年・大人向けの作品群からできるだけチョイスしたいと考えているが、手塚治虫を語って「火の鳥」や「ブラック・ジャック」、「鉄腕アトム」、「バンパイア」、「どろろ」など超メジャーな人気作に触れないわけにもいかない。

そういう意味では、この「手塚治虫を語り尽くす」シリーズは、相当な量となりそうだ。知っている作品でも、知らない作品でもどうかよろしくお付き合い願いたい。

先ずは開幕の第1作目。これを何にするか相当に悩んだが、結果的には、一番愛してやまない重要な作品を持ってくることにした。あの「アドルフに告ぐ」だ。

これは僕にとって、特別に愛着のある究極の作品のため、第1作目に取り上げると決めてから、一体何をどう書いたらいいのか、ずっと思案に暮れていて、いたずらに時間が経ってしまった。「アドルフに告ぐ」について語ることは、僕にとってものすごいプレッシャーだ。「熱々たけちゃんが、沸騰たけちゃん」になってしまう可能性がある。いつもただでさえ、熱くて長いのに、この特別な作品に冷静に向き合えるか、甚だ心もとない。

とにかく感じていることをそのまま語って行くのが一番いいだろうと腹を括って書き始めている。

いきなり最高傑作の「アドルフに告ぐ」から始める

この「アドルフに告ぐ」のことを、僕がどれだけ気に入っているかを語ることは難しい。

手塚治虫の膨大な量の作品の中の圧倒的な最高傑作。その一言に尽きる。ほとんどの手塚作品を読破している僕が、自信を持ってこれだけは宣言しておきたい。但し、注意してほしいのは、この「アドルフに告ぐ」のレベルはあまりにも高く、ちょっと考えられない奇跡的な作品なので、これが手塚治虫の最高傑作と断定しても、それ以外にも名作・傑作の類はそれこそ山のようにあることを最初に強く言っておきたい。「アドルフに告ぐ」が全てではない。

少し逆説的な言い方になるが、手塚治虫に「アドルフに告ぐ」という作品がなかったとしても、僕は手塚治虫をこよなく愛し、その作品の魅力に耽溺したであろうことは間違いない。

仮にバッハが「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ曲」を作曲しなかったとしても、こよなくバッハを愛し続けるように。

仮にスタンリー・キューブリックが「2001年宇宙の旅」を作らなかったとしても、キューブリックへの熱愛は一向に覚めないように。全く同じことだ。

全手塚作品で「アドルフに告ぐ」に匹敵できる作品は

この究極の名作に匹敵できる作品が、実は手塚には他にもある。それは「火の鳥」の「未来編」と「鳳凰編」の2作品!とまた断定してしまう。手塚治虫の神髄、究極の名作を3本だけ選べと言われれば、迷うことなくこの3本を選ぶ。ちなみに更に次にくるのは、全体としての「ブラック・ジャック」と答える。全242作品を1本と数えてだ。

今こう言いながら、それ以外にも膨大な名作・傑作が残っていることに思いを馳せ、ちょっと恐ろしくなった。他にも甲乙つけ難い名作・傑作があるのに、そんな乱暴なことを言ってしまっていいのだろうかという不安と、あらためて手塚治虫という人の途方もない天才ぶりに脱帽。「天才は量産する」と言われるが、正に手塚治虫はその典型。たった一人の人間が残した偉業とは到底思えない膨大な作品が残されていることに、あらためて恐ろしくなってしまうのだ。

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「アドルフに告ぐ」の基本情報

この作品が一般週刊誌の週刊文春に毎週連載されていたことは前回触れたとおり。当時は漫画がこのようなメジャーな一般週刊誌に連載されるなんてことは、全く考えられなかったこと。

連載期間は、1983年1月6日号から1985年5月30日号までの約2年半。終盤近くになって手塚治虫が急性肝炎と胆石で入院し、約2カ月間の休載を余儀なくされたが、毎回(毎週)10ページと比較的短かったものの、全113回に渡って連載された。

手塚治虫は当時55~57歳で、60歳で急逝してしまったことを踏まえるともう晩年と言っていいが、「ブラック・ジャック」の連載が大変な評判となり、手塚人気が再燃し、再び旺盛な創作力が蘇ってきた時期の代表作だ。晩年のピークとも呼ぶべき、ある意味で最も油の乗り切った時期と呼んでいいのかもしれない。

ハードカバーの一般書籍として刊行

週刊文春での連載終了後、文芸春秋社からハードカバーの一般書籍として単行本化され、横山明による極めて印象的な表紙絵と共に、書店の店頭で一般文芸書と一緒に平積み展開された時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。単行本は全4冊。
第1巻が1985年5月30日。第2巻が同年6月30日。第3巻が同年8月1日。そして最終巻となる第4巻が少し遅れて同年11月10日に刊行された。僕は毎回、騒ぐ血を抑えられないほど次の発売日が待ち遠しく、その都度、重厚にして威厳のある横山明の表紙絵に圧倒されながら、大切に買い込み、夢中になって読み耽ったものだ。僕はこのハードカバーの「アドルフに告ぐ」に特別の愛着を感じていて、同じものを何冊も買い込んで、大切に保管した。それくらいかけがえのない作品だったのだ。本当にこの単行本化をリアルタイムで体験できたことは、今となっては最高の手塚体験となった。

これが当時大きな話題となった文芸春秋社から刊行されたハードカバーの4冊。非常に強烈な印象を残し、誰でも手に取りたくなる。長く書店に並んでいたが現在は入手不可能。帯に書かれた短い紹介分(キャッチコピー)が実に的を得ている!

これが大ベストセラーとなって、この後、「火の鳥」「ブラック・ジャック」を始め、手塚治虫の過去の名作群が各社から続々とハードカバーの一般書として刊行されることになったことは、記憶に新しい。

コンビニコミックスとして出たもの。上下2巻。メチャクチャ厚い。僕はこのコンビニコミックスも大好きで、発売当時、福岡県内のあっちこっちのコンビニを探し求めて、何と8セットも買い込んでしまった!病気です(笑)。

文春文庫ビジュアル版として文庫化され、これがまた大ベストセラーに

更に1992年4月に文春文庫ビジュアル版として全5冊に文庫化。これがまた大ベストセラ-になる。僕はハードカバーに劣らず、この文春文庫の5冊も非常に気に入っていた。ビジュアル版と銘打たれ、とにかく信じられない程の真っ白な光沢のある紙を使っており、手塚治虫の絵が抜群に映えたのである。全5冊が箱に入ったセットも販売され、それこそどれだけ購入したか分からない。それを多くの友人たちにプレゼントして、みんな夢中になって読んでくれ、大喜びしてくれたことが忘れられない。

これが文春文庫のビジュアル版の5冊。中の紙が真っ白で美しく、これまた大のお気に入り。現在、表紙の絵が変わったが入手は可能。相当に手薄になっているようでバラで買うしかなさそうだ。全4冊になった模様。興味のある方は下の広告をクリックしてください。

こうしてハードカバーの時と同じような現象が起きる。この後、手塚治虫の過去の傑作・名作が続々と文庫化され、以前から漫画の文庫本は存在していたのだが、その後、手塚治虫作品に限らず、漫画文庫は大きなブームとなって今に至っていることは、皆さんご存知のとおり。

漫画が続々と立派なハードカバーで刊行されたり、文庫本となって片っ端から刊行されるようになったのは、本を正せば、全てこの「アドルフに告ぐ」がきっかけだったのだ。その意味では、元々の週刊文春での連載といい、この「アドルフに告ぐ」は、漫画という媒体の販売方法をも変革してしまった画期的なものだったことも忘れてほしくないものだ。

これが現在、普通に購入できる唯一のものとなる講談社の手塚治虫漫画全集。全3巻。

2種類の文庫を横から見るとこんな感じ。手塚治虫は文庫サイズには反対だった。

手塚治虫は、実は漫画の文庫化には反対だったらしい

少し脱線するが、この手塚治虫畢生の大作「アドルフに告ぐ」が、今日まで続いている漫画文庫の大ブームを引き起こしたという話しを受けて少し触れておくと、手塚治虫は漫画を文庫で読むことは嫌っており、続々と文庫化されることに反対していたことは有名な話し。要は絵が小さいわけだから。本来連載された時はB5版、見開きにしてB4なのに、それが文庫になるといかにも小さい。少年誌の連載漫画が単行本になると新書サイズのコミックスとなって刊行されるわけだが、手塚治虫はそのサイズにも納得していなかったようで、まだ存命中に講談社から手塚治虫の300巻に及ぶ大全集が刊行(死後100冊が追加されて最終的に全400冊。それも現在ではほとんど入手不可能となっているのは辛い現実)される際にも、そのサイズを巡って喧々諤々の議論があったようだ。最終的には、手塚治虫の希望が受け入れられて、縦182ミリ、横130ミリの変形サイズとなっている。B5を少しだけ小さくしたサイズで、さすがに読み易く、手塚の思いは痛いほどに伝わってくる。

これが手塚治虫が気に入っていた講談社の手塚治虫漫画全集。「アドルフに告ぐ」は没後の刊行となった。このサイズはやっぱり文庫よりはずっと読みやすい。

文庫以外の3種類を横から見るとこんな感じになる。どれにも愛着があるが、コンビニコミックスのこのとんでもない厚みが妙に好きだ。

漫画をどの大きさで読むかは重要な問題だ

漫画を読む時に、どのサイズで読むべきかということはかなり重要なポイントだと僕も考えている。これは手塚治虫自身も大好きだった映画を観る時の話しと一緒である。映画を観るのに、映画館で観るのか、それともテレビで観るのか?テレビで観ることもやむを得ないが、できれば大画面の劇場で観るべきなのと全く同じ話しがここにある。

元々僕の中では手塚治虫の漫画を読むことと、映画を観ることとの間には何の違いもない。僕がこれほどまでに手塚作品が好きなのは、その漫画は映画のモンタージュと同じ手法で描かれている、いわば「手塚漫画は映画そのものに他ならないからだ」と言ってしまってもいい。この話しはいずれまた掘り下げてみたい。

僕の手元にある5種類の「アドルフに告ぐ」。この中で現在も購入できるのは、文庫の2種類だけとは。何たるスキャンダル!!


アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ(2) (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ(3) <完> (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ 1 (文春文庫) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ 2 (文春文庫) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ 3 (文春文庫) [ 手塚 治虫 ]


アドルフに告ぐ 4 (文春文庫) [ 手塚 治虫 ]

どんなストーリーなのか

話しを「アドルフに告ぐ」に戻す。

これはもちろんあのアドルフ・ヒットラー(ヒットラーはヒトラーと表記されるのが通例だが、手塚治虫はヒットラーとの表記を用いている、念のため)とナチスドイツの話しである。タイトルのアドルフは、ヒットラーを指すことはもちろんだが、この作品の中には3人のアドルフがいて、この3人が複雑に錯綜し合う。一人は他ならぬアドルフ・ヒットラーその人。もう一人はドイツ総領事館のナチス党の外交官を父に、日本人母親との間に生まれた神戸在住のアドルフ・カウフマン。もう一人は神戸のパン屋の息子、ユダヤ人のアドルフ・カミルの3人だ。そしてこの日本人の血を引くナチス高官の息子とユダヤ人の息子という二人のアドルフが、神戸を舞台に幼少期を過ごし、無二の親友だったのだ。歴史はこの二人を親友のままでは終わらせない。歴史の激動に翻弄され、悲惨な悲劇に巻き込まれて行く。そのあまりの理不尽さと辛さに言葉を失ってしまう。

この3人のアドルフの奇想天外な絡み合いが中核になるのだが、ここにもう一人重要な人物が加わる。手塚治虫自身、狂言廻しと明言しているが、ある意味での真の主人公とも言ってもいい日本人の通信記者である峠草平。

この4人が絡み合いながら描かれるナチス勃興期から第2次世界大戦の終戦までの、世界史上で類を見ない未曽有の殺戮にして人類史上最大の悲劇となったユダヤ人のジェノサイドを抜群のストーリーテリングとハラハラドキドキの連続の中に描いていく。

鍵となるのは、ヒットラーがユダヤ人の血を引いているという驚嘆すべき極秘文書の存在。ヒットラーとナチスに壊滅的打撃を与え、いわば歴史をひっくり返すこの極秘文書のありかを巡って、ドイツと日本とで手に汗握る展開が繰り広げられていく。峠草平はナチスのゲシュタポと大日本帝国の特高という両国の残忍極まりない秘密警察から追われ続け、実の弟が命と引き換えに入手した極秘文書を、激しい拷問に耐えながら、守り抜こうとするのだが・・・。

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ヒトラーとナチスを描いた映画は山のようにあるが

これはヒトラーとナチスを描いた山のようにある映画や小説の中で、最も感動的な最高の作品であると断言したい。ヒトラーとナチスを描いた映画は無尽蔵にあり、僕はそのほとんど全てを観ているが、この漫画「アドルフに告ぐ」を超えるものは今のところ一本もない。ヒトラー存命中に作られたチャップリンの「独裁者」から「シンドラーのリスト」「ブリキの太鼓」「戦場のピアニスト」、最新の「ジョジョ・ラビッド」など名作との評価が高いものでも、この「アドルフに告ぐ」を凌駕できない。凌駕できないどころか、遠く及ばない。「アドルフに告ぐ」の前では全ての映画が影が薄くなってしまう。どんな有名な名作映画も手塚治虫の漫画には敵わない。これは僕の偽らざる実感である。

逆に僕が不思議でならないのは、どうしてこの「アドルフに告ぐ」が映画化されないのかということ。本当にどうしてなのだろう?クリストファー・ノーランやジャン・ピエール・ジュネあたりによって是非とも映像化してほしいと切望して30年近くになる。極端なことを言えば、シナリオはこのままでいいし、手塚治虫の漫画そのものが最高の絵コンテに他ならないのだから、後は実写にさえしてくれさえすればいいのに。いつでもそう思ってしまう。

4時間を超える大長編で「アドルフに告ぐ」の実写版の映画を観てみたい。それが僕の最大の願いだ。

だが、映像物は存在しなくても、実はこの「アドルフに告ぐ」はラジオ番組にはなっている。手元にそのCDがある。3時間もので、非常に評価が高かったらしい。僕はあの物語がラジオで流れるイメージがどうしても想像できず、怖くて未だに未聴なのだが。

ラジオ放送のCD。これを持っている人は少ないのではないか。それなのに、未だに全く聴いたことがないというのも全くおかしい(笑)。

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そのおもしろさはどこにある?

とにかく無条件におもしろい。一度読みだしたら、もう途中でやめてしまうことができなくなるおもしろさ。ドイツと日本をまたにかけたそれぞれの小さなエピソードが複雑に錯綜し、もつれ合い、絡まり合いながらそれらが最終的に全て見事に収まるあたり、とても人間技ではない。それぞれの細かい伏線が最後に全て絡み合って、一本の大きなストーリーとして集約されてくるときの感動。全く無駄がなく快感すら覚えてしまう。

ページを捲る度に衝撃を受ける。どの1ページにも新たな衝撃と感動が待ち受けている。手塚治虫はこの「アドルフに告ぐ」を週刊文春に毎回わずか10ページだけ掲載していた。そして毎回、「アドルフに告ぐ」というロゴマークがスペースを取るため、実質的には新たなストーリー展開としては9ページ強しかなかったことになる。となると、毎回この10ページ足らずの中に、必ず読者を夢中にさせ、感動させ、1週間後の次回を楽しみにさせるストーリー展開とテクニックが不可欠になる。これは長い大河ロマンであるが、手塚治虫はその天才を駆使して、わずか10ページの中に読者を夢中にさせ感動させずにおかない全てのノウハウを注ぎ込んだ。僕には10ページどころか、どの1ページにも魂を揺さぶられる絵、言葉、アクションのいずれかがあって、必ず驚きと感動を味あわずにいられない。それほど濃密に書かれているのだ。手塚治虫の思いがどの1ページにも例外なく凝縮され、ほとばしり出ていると言ったらいいだろうか。

ちなみに一話読み切り型の「ブラック・ジャック」は毎回20ページ。あの「ブラック・ジャック」のちょうど半分の量で読者を惹きつけ、夢中にさせるのは至難の技で、それに成功したからこそ、これだけの濃密なドラマと興奮が達成できたと痛感させられる。

登場人物は実に多彩なのだが、憎々しいゲシュタボの幹部を始め、全ての人物がこの未曽有の混乱期をそれぞれ迷い、もがき苦しみながらも生き抜いていく姿が例外なく魅力的で、これはもうひたすら手塚治虫の人物造形の妙と絵の持つ力としか言いようがない。実に壮観の一語に尽きる。

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最後にこれだけは言っておきたい

こんなおもしろい漫画は読んだことがない。こんな感動的な漫画も読んだことがない。こんな衝撃的な漫画も読んだことがない。

良く使われる言い回しだが、『まだこの「アドルフに告ぐ」を読んだことがないという人は本当に幸せだ。これからあの感動と興奮を味わうことができるのだから』と言うしかない。でも、僕は更にこう付け加えたい。「既にお読みになっている方も幸せなのだ」と。以前読まれた方も、どうかもう一回読み返してほしい。細かい部分は忘れてしまっている部分もあるだろうし、この作品は読めば読むほど感動が深くなる稀有な作品だ。この漫画を熱愛している僕は一体全体「アドルフに告ぐ」を今まで何回読んだのか正確に把握できていない。10回や15回ではないはずだ。それでも読み返すと必ず新たな発見と感動がある。

是非もう一度、じっくりと読み直してみよう。手塚治虫の最高傑作の「アドルフに告ぐ」を。必ずや新たな感動に包まれるはずである。

 

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