ビゼーの「カルメン」が遂に古楽器で演奏

ビゼーの「カルメン」と言えば、誰でも良く知っている世界で最も有名なオペラ(歌劇)の一つだ。いや、古今東西のありとあらゆるオペラの中で最も良く知られ、親しまれている作品と言い切ってもいいだろう。

あの心が浮き立つ有名な序曲や「ハバネラ」などの誰でも聴いたことのあるカルメンが歌う数々の歌やフラメンコ。そして闘牛士の勇ましい歌と音楽。

本当にこの「カルメン」程、広く人口に膾炙したオペラは稀だ。

それほど「カルメン」の名前は非常に良く知られているが、実は名前とイメージ先行の感もあって、詳しいあらすじの内容や、作曲者ビゼーのことなどは驚くほど知られていないのが実情ではないだろうか

今日これだけの人気を誇る「カルメン」が、初演当時はあまり評判が良くなくて、ビゼーは失意のうちに若くして死んでしまったことなどは、あまり知られていないのかも知れない。

そういう意味では、この機会にビゼーの「カルメン」の基礎情報を再確認いただき、この名作を先入観なしで味わっていただければと切に願うところだ。

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古楽器で演奏された「カルメン」の登場

「カルメン」の初演は1875年のこと。19世紀後半。日本で言うと明治7年、今から約160年ほど前のことである。

実は今回紹介する演奏は何と古楽器によるものだ。これがこの演奏の最大の目玉、売りと言ってもいい。

古楽器(オリジナル楽器、最近はピリオド楽器と呼ばれることが多い)による演奏というのは一般的には、当然のことながらバッハを中心とするバロック音楽を中軸にしている。

ところが、それがドンドン拡大してきて、今では古典派のモーツァルトやベートーヴェンを古楽器で演奏することもすっかり当たり前のことになってしまっているが、そうはいっても18世紀どまりであった。

ガーディナーによる古楽器による「幻想交響曲」

それをイギリス出身の古楽と合唱音楽の大物指揮者のジョン・エリオット・ガーディナーが、フランスのベルリオーズの有名な「幻想交響曲」を古楽器で演奏したことが大きな話題を呼んで、その後もブラームスあたりまで古楽器演奏の波が押し寄せて来ていたのだが、それが一挙にビゼーにまで及んだ。

1875年初演の「カルメン」までが古楽器によって演奏されるに至ったという驚くべきトピックスなのである。

ガーディナーが古楽器で演奏して大きな話題を呼んだベルリオーズの「幻想交響曲」は1830年に作曲された。ベルリオーズはフランスが生んだ鬼才であり、フランスで1830年といえばあの7月革命の年である。

「カルメン」を作曲したビゼーもフランス人であり、1830年の「幻想交響曲」から1875年の歌劇「カルメン」までの45年間を、一挙に古楽器でカバーしたことになる。

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オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティークの功績

ベルリオーズの「幻想交響曲」を古楽器で演奏して話題をかっさらったのはジョン・エリオット・ガーディナーだったが、今回ビゼーの「カルメン」まで古楽器で演奏してしまったのも、ガーディナーその人だ。

サー・ジョン・エリオット・ガーディナーは元々は僕が熱愛しているモンテヴェルディを中心にバッハ、ヘンデルなどのバロック音楽を専門とする古楽のスペシャリストであった。

特に手兵の「モンテヴェルディ合唱団」という極めて質の高い合唱団を育て上げ、そのスーパー合唱団と古楽器のオーケストラ「イングリッシュ・バロック・ソロイスツ」(イギリス・バロック管弦楽団)で一連のバロック音楽を精力的に録音し、非常に高い評価を得て来ていた。

ガーディナーの矛先はその後、バロック音楽からもっと後の時代まで拡大していく。

古楽器を用いた演奏を古典派の作曲家(ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン)と更にロマン派(シューベルト・シューマン・メンデルスゾーン・ブラームス・ベルリオーズetc)にまで拡大するに当たって、その手兵である「イングリッシュ・バロック・ソロイスツ」(イギリス・バロック管弦楽団)を改編して新たに世に誕生させたのが「オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク」であった。これはフランス語を日本語読みしたもので、日本語で表記すると革命的ロマンティック・オーケストラとなる。

この「オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティック」が中々凄いオーケストラなのだ。古典派とロマン派の音楽を作曲された当時の楽器を用いて演奏するために編成された古楽器オーケストラである

特に1991年から94年にかけて録音されたベートーヴェンの交響曲全集は超名盤として極めて高く評価されたことはクラシック音楽ファンなら知らない人はいない。

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「カルメン」を古楽器で聴く!

古楽器で演奏される「カルメン」は実に興味深い。「カルメン」はオーケストラだけで演奏されるあの有名な冒頭のいわゆる序曲がかなり長くて、その部分を今回紹介するオペラ上演の映像では、ガーディナーの指揮姿と併せて珍しい古楽器をふんだんに見せてくれる

フルートあたりを見てもらうと一目瞭然だ。現在の金属製のフルートとは全く異なる木で作られたフルート。フラウト・トラベルソである。木管楽器と呼ばれる所以が良く分かる。

これらの古楽器はバッハやヘンデル、テレマンなどはもちろん、モンテヴェルディの演奏などでは良く見かけるものだが、それがあの人口に膾炙した「カルメン」で聴かされると、何とも奇妙な感じがする。遂にあの「カルメン」まで古楽器で演奏される時代なのかと、非常に感慨深いものがある。

ギンギンした響きは鳴りを潜め、落ち着いた少しくすんだ響きが、優しく心に染みわたってくる

「カルメン」はフラメンコや闘牛などスペインならではの派手なパフォーマンスが満載な音楽のように見えて、その実、実は非常に切なく辛いストーリーと繊細な音楽を誇る

古楽器のくすんだ優しい響きが、ドン・ホセの故郷の幼馴染みにしてドン・ホセの母親も本人も結婚を強く願っている許嫁ミカエラの、切ない思いにそっと寄り添うようにも聴こえてくる。

これは今までになかった新しい「カルメン」で、新しい音楽体験と呼んでいい。

 

紹介した「カルメン」のブルーレイのジャケット写真
これがジャケット写真。輸入盤だが日本語字幕が付いていて、鑑賞には全く問題がない。
裏ジャケット写真
裏ジャケット写真。これを見ると輸入盤だということが分かる。日本語がどこにもない。

基本情報:ガーディナー指揮の「カルメン」

ジョルジュ・ビゼー作曲 歌劇「カルメン」全4幕(1875年初演)

台本:アンリ・メイヤック&リュドヴィク・アレヴィ
原作:プロスペル・メリメの小説「カルメン」

カルメン:アンナ・カテリーナ・アントナッチ(ソプラノ)
ドン・ホセ:アンドルー・リチャーズ(テノール)
ミカエラ:アンヌ=カトリーヌ・ジレ(ソプラノ)
エスカミーリョ:二コラ・カヴァリエ(バス=バリトン) 他

合唱:モンテヴェルディ合唱団、オー=ド=セーヌ県少年少女合唱団

管弦楽:オルケストル・レボリューショネル・エ・ロマンティーク

指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

演出:エイドリアン・ノーブル

映像監督:フランソワ・ルシオン

収録:2009年6月22日・25日
オペラ=コミック座 パリ フランス

紹介した「カルメン」のディスク本体とジャケット写真
ディスク本体とジャケット写真。

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歌劇「カルメン」はどんなストーリー?

1820頃のスペインのセヴィリャが舞台。ジプシーの女カルメンは、奔放な生き方をしていて多くの男が彼女の魅力にぞっこんだったが、軍隊の伍長のドン・ホセは見向きもしない。そこでカルメンが近づいて魅惑的な歌と踊りを見せた後で、バラの花をドン・ホセの顔に投げつける。

これで一遍に心を奪われてしまったホセは、騒ぎを起こして逮捕されたカルメンを護送する際に、逃亡を手伝い、収監されてしまう。釈放されたホセはカルメンに会いに行くが、カルメンの無理難題に振り回され、軍隊を退役するに追い込まれる。一方で、カルメンの前に当代人気随一の闘牛士エスカミーリョが現れ、ホセから心が離れていく。

ブルーレイに添付された解説書から引用したオペラの1シーン。
ブルーレイに添付された解説書から引用したオペラの1シーン。カルメンを捕縛して連行するドン・ホセ。

 

ホセには故郷に母の面倒を見ているいかにも純真な許嫁のミカエラがいて、ホセに愛を訴えるがホセはカルメンを諦められない。そしてカルメンに復縁を迫るのだったが・・・。

オペラの1シーンから
オペラの1シーンから。カルメンとドン・ホセ。

今ならストーカーそのもののドン・ホセ

これは一口で言うと、どこにでも有りがちな男と女のドロドロの愛憎劇ということになってしまうのだろうが、相当に切実なやりきれない話しである。男をたぶらかす奔放な女のカルメンは、正に男を破滅に追い込むファム・ファタールの典型である。

ブルーレイに添付された解説書の表紙。フラメンコを踊るカルメン。
ブルーレイに添付された解説書の表紙。フラメンコを踊るカルメン。主役のカルメンを演じるのはソプラノのアンナ・カテリーナ・アントナッチ。現在最高のカルメンとされている名歌手だが、僕はこの人の歌う時の口の形がどうしても気になってあまり好きにはなれない。

 

男の方は、悪い女だと頭の中では分かりながらも、どうしてもその女を忘れることができない。熱病にうなされるかのようにカルメンに執着してしまう。あんなに魅力的な清純な乙女が目の前にいるのに、彼の目には映らない。

添付の解説書からの引用写真
添付の解説書からの引用写真。ドン・ホセと故郷の許嫁のミカエラ。まだホセがカルメンと遭遇する前だ。

 

そしてどこまでもカルメンを追いかけてしまう。これは今流に言えば正にストーカーそのものに他ならず、その最後の行為もストーカーとしての最悪の行為にまで及んでしまう。

添付の解説書からのオペラの1シーン
添付の解説書からのオペラの1シーン。右側の向かい合って立つ二人がカルメンとドン・ホセだ。

 

これをストーカーといって非難することは自由だが、恋とは常にこういう側面を持つものではないだろうか。この理不尽な男女の愛を誰が非難できるだろうか。

男女の愛憎の究極の姿は、今日、日本のあっちこっちで頻繁に起きるストーカー被害の典型例ということで簡単に済ますには、あまりにも切なく、苦しいものだ。

この切実さが、「カルメン」がこれだけ世界中で愛される理由ではないだろうか。

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ビゼーが望んだオリジナルの姿を再現

実はこの演奏のポイントは、用いられている楽器が古楽器、つまりビゼーが生きていた時代のオリジナルの楽器を用いているということだけではなく、作曲者ビゼーが望んだ本来の姿、その忠実な再現に拘った演奏となっていることだ。

楽器が古楽器だということはある意味で手段の一つであって、ガーディナーが目指したものは、ビゼーが望んだ本来の「カルメン」の再現だったのだ。

傑出した音楽的才能を持ったビゼー

ビゼーは若い頃から音楽的才能を発揮し、進学したパリ音楽院でも優秀な成績を残した。

フランスの若い作曲家にとっての登竜門であり、最大の名誉ともいえる「ローマ賞」も19歳の若さで受賞し、イタリアで修業を重ねた。ピアニストとしての才能も傑出したものだったが、ビゼーが目指したのはオペラだった。

それが思うにまかせない。オペラでは中々評価されることがなかったビゼーが、持てる力の全てを傾注して打ち込んだ作品が「カルメン」だった。完成までに2年間もかかっている。

ビゼーの有名な写真
ビゼーの有名な写真。鮮明な写真に驚かされる。
こちらはビゼーの肖像画
こちらはビゼーの肖像画。

「カルメン」の初演は大失敗、ビゼーは失意の中で急逝

実は、今日これだけの人気を誇る「カルメン」も、1875年のパリのオペラ・コミック座での初演では意外にも大失敗に終わり、ビゼーは失望し、それが直接の原因だったとは言い切れないが、心臓の発作に襲われ、一時は小康を得るが、2度目の発作が致命的となって急逝してしまう。何と36歳という若さであった。

急逝の直後は稀有な天才を失ったとフランス楽壇を大いに嘆かせたビゼーだったが、その後は忘れ去られていった。

これもビゼーの写真
これもビゼーの写真。中々精悍な顔付きだ。

 

親交のあった作曲家のエルネスト・ギローが、ビゼーの死後、ビゼーが「カルメン」の中で台詞部分として扱ったものをレスタティーボ(簡単に言うと話すように歌う独唱)として新たに作曲し、今日のグランド・オペラ・スタイルに改変した。

結果的にはこのギローによって手を加えられたグランド・オペラ版が、徐々に人気を博していき、今日のカルメンの人気を決定づけ、不動のものとした。

こちらがカルメンに改変を加えたギローの写真
こちらがカルメンに改変を加えたギローの写真。

 

したがって、今日、世界中のオペラハウスで盛んに上演される「カルメン」は、ビゼーが作曲したものにギローが手を加えたもの、ハッキリ言うと他人の手が加わったものなのである。

以前に取り上げたムソルグスキーの畢生の大作「ボリス・ゴドゥノフ」に、リムスキー・コルサコフが改変して人気を博した話しと良く似ている。もっとも「カルメン」の改変は「ボリス・ゴドゥノフ」の改変に比べれば、わずかなものだ。

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ビゼーのオリジナルを再現したガーディナー盤

今回のガーディナーによる舞台演奏は、ビゼーが作曲したオリジナルの「カルメン」を再現したものだ。

初演の失敗の原因はビゼーが作曲した音楽や、ビゼーが目指したオペラの構造や仕組みに問題があったのではなく、そのあまりにも悲惨な内容や過激な描写など、ビゼーの音楽以外の要素に原因があったと分析されている。

であれば、それを本来の姿に戻してビゼーが2年間に渡って心血を注いだオリジナルの姿を、味わってもらおうということだ。

最大のポイントは、ビゼーが目指した「台詞を伴う歌芝居」=オペラ・コミックの再現だ。したがって普通の「カルメン」では本格的な歌以外の部分はレスタティーボによって、あくまでも「歌われる」のであるが、この上演では台詞(せりふ)の語りで進められる。

この形がビゼーの目指したものだった。

今日、世界中で上演されるレスタティーボを伴うグランド・オペラ・スタイルが決して悪いというわけではないのだが、本来ビゼーが目指した姿を知っておくことは極めて重要なことだと思う。

奇しくも初演と同じオペラ・コミック座での公演

それが奇しくも1975年の失敗に終わった初演と同じ会場のパリのオペラ・コミック座で上演されたのも、歴史的な快挙と呼ぶべきだろう。

今回のこのビゼーのオリジナル版の上演を強力に推し進めたのは、他ならぬオペラ・コミック座だったという。収録は2009年(後述)。初演から134年ぶりに再びオペラ・コミック座で初演と同じ姿で上演されたということであり、中々感動的な話しである。

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この名作が、映像では満足に視聴できない状況

今回紹介させてもらった「カルメン」は、古楽器で演奏され、一般的に流布されている版とは異なる特殊な演奏と呼んでいいものだが、何と現在、ブルーレイで視聴できる上演は、この演奏しかない。

DVDではカラヤン盤など2種類ほど入手できなくはないが、これだけの人気を誇り、世界中のオペラハウスで盛んに上演されている「カルメン」にブルーレイの上演記録がないなんて、本当に考えられないことだ。

このガーディナー盤は、古楽器であるとかビゼーのオリジナルとか、再三書いたようにあまり一般的なものではないのだが、演奏については非の打ちどころがない

驚愕のモンテヴェルディ合唱団のオペラ出演

主役のメンバーたちの素晴らしい歌と踊りに心を奪われるはもちろんだが、この演奏で強調したいのはかなり頻繁に出て来る合唱の卓越性。これには正直、驚嘆させられる。さすがはガーディナーと万雷の拍手を送りたくなってしまう。

合唱を担うのはもちろん、モンテヴェルディやバッハでお馴染みのあのガーディナーの手兵「モンテヴェルディ合唱団」なのだが、ジプシーの女労働者に成り切って、薄汚い衣装を身に付け、煙草を吸いながら、胸の谷間はもちろん、乳房をギリギリまで晒して、汗だくの姿で歌う様を見て、驚嘆しきり。

ブルーレイのディスク本体
このディスク本体に掲載された写真が、モンテヴェルディ合唱団のメンバーだ。これではハッキリしないが、かなり過激な衣装を着ている。

 

あのモンテヴェルディやバッハなどで清純の極みの歌声を聴かせてくれるモンテヴェルディ合唱団の女声陣が、あんな汚れ役を演じながらも、いつもと変わらぬ圧倒的な精度の完璧な合唱を聴かせてくれることに本当に鳥肌が立ちっ放しとなった。

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騙されたと思って観てほしい最高の舞台

舞台演出も1800年代初頭のスペインの雰囲気を良く伝えるもので、実に感動的だ。

そして何と言っても、ちょっと目を疑う程の画質の良さ。これはどうしてもブルーレイで観てもらわなければダメだ。

あまりにも良く知られている「カルメン」だが、初心に戻ってこのオリジナル版をみてもらって、ホセの苦しみと許嫁のミカエラの悲しみに浸ってほしい。

そしてファム・ファタールとしてのカルメンの底の知れない魅力と、恋の不条理を思い知るべきだ。これは本当にお勧めの1枚。

 

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輸入盤。日本語字幕付きなので全く問題ありません。


ビゼー: 歌劇《カルメン》 / ガーディナーアントナッチ(S)リチャーズ(T) [Blu-ray]

 

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