手塚治虫の前代未聞の問題作

今まで手塚治虫の隠れた名作や問題作、特に黒手塚あるいは手塚ノワールと呼ばれる人間の負の部分を徹底的に暴くダークで残酷、暗くて救いのない作品を中心に紹介してきたが、今回はその頂点、究極の黒手塚作品を紹介させてもらう。

満を持しての登場である。

それが「MW」だ。MWと書いて「ムウ」と読む。

これは本当にすごい。手塚治虫のイメージが根底から覆って、ほとんど修復不能になってしまう。それ程の衝撃的な問題作なので、読む方も覚悟が必要だ。

血も涙もない極めて残忍な方法で殺人を繰り返す究極の殺人鬼にして、とんでもないことを企む狂気の青年の、度肝を抜く行動に空いた口が塞がらなくなる。

それでいて、そのおもしろさと言ったら並外れていて、これほどワクワクドキドキさせられる手塚作品は他にはない、と断言したくなる超一級のエンターテイメントでもある。

もちろん手塚治虫作品なので、単なるエンターテイメントではないことはもちろんだ。

ここには手塚治虫ならではの、現代社会に向けた切実なる問題提起があるので、本当に覚悟して読んでいただきたい。

とにかくこれは前代未聞の大変な衝撃作だが、漫画としてはめちゃくちゃおもしろいので、夢中になって一気呵成に読めることは、確約させてもらう。

できるだけネタバレしないように書くつもりだが、この作品の本質に迫るためにはネタバレ覚悟で書かなければならない部分もあり、その点はご容赦願いたい。どうしてもネタバレは困るという方は、作品を実際に読んでから、この記事をお読みいただきたい

紹介したMWを3冊並べて写した写真
現在は入手できない講談社の手塚治虫漫画全集から。全3巻。

プーチンへの怒りの矛先、として読む

本作の主人公が繰り返す残虐非道な殺人は本当にあまりにも酷くて、辟易とさせられるが、単なる快楽殺人鬼ではない。

実際に本書を読んでもらえば直ぐに分かるのだが、彼がこんな酷い殺人を繰り返すには訳がある。

一口で言えばもっと酷い悪が存在しているということなのだが、その巨悪とそれに挑む非道な殺人劇

そして現実世界に現に存在する巨悪。プーチンとロシア。このウクライナへの侵略戦争への怒りの持って行きようのない憤懣やるかたない思いの矛先としても、この作品を読む。

悪を持って悪を制する究極のテーマ

こういうものを読むのは辛いのだが、現在、世界にはもっと酷い理不尽な殺戮行為が日々起きていて、誰も止められずに放置され、ロシアから攻め込まれたウクライナは孤軍奮闘するも、無辜ならウクライナの一般民間人は幼い子供も含めて、膨れ上がる一方だ。

この怒りを収めるには、このMWが特効薬になる。いや、そういうことではない。

この「MW」を読むと、本当に救い難い酷い世界が描かれて絶望感に浸されるが、現実世界の方がもっともっと酷いということなのだ。

悪を持って悪を制す、そんな展開がもうそろそろ実現してほしいと願わずにいられない。「MW」が描く世界はまさにそんな過酷な世界だが、ウクライナの現状を見るにつけ、本当に何とかならないのか、こんな非道な理不尽を一日も早く止めなければならないと、心の底から痛感させられるのである。

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「MW」(ムウ)の基本情報

これは当ブログの「手塚治虫を語り尽くす」シリーズでも、既に何本も紹介してきた「ビッグコミック」誌に継続的に連載された手塚治虫の青年・大人向け作品の一作である。

このシリーズで取り上げたのは「奇子」「きりひと讃歌」「ばるぼら」「シュマリ」という傑作、名作ばかりである。

「ビッグコミック」での連載の順番でいうと、「MW」は「シュマリ」の次に描かれた。

期間は1976年9月10日号~78年1月25日号。約1年半弱の連載だ。手塚治虫48歳から49歳にかけて。

全集では全3巻。「奇子」「きりひと讃歌」よりは少し長く、「シュマリ」よりは少し短い長さ。全体は26章から成り立っている。

これも紹介した全3冊を並べた写真

「ブラック・ジャック」との前後関係は

手塚治虫を襲っていた「長い冬の時代」はもう既に終わりを告げていた。復活の狼煙を上げたあの名作「ブラック・ジャック」の連載は、もうとっくに始まっていたことには注目が必要だ。

「ブラック・ジャック」の記念すべき第1作目の連載開始は1973年11月19日号である。「ビッグコミック」への連載としては「MW」の前作である「シュマリ」のときには「ブラック・ジャック」は既にスタートしていた。

正確に書いておきたい。「MW」が連載された時点で、「ブラック・ジャック」の連載は既に3年近くも経過しており、既に137本のエピソードが発表されていた。「ブラック・ジャック」の全エピソードは243本なので、半分以上が既に発表されていたことになる。

逆に「MW」の連載終了後に発表された「ブラック・ジャック」のエピソードは、44本しかない。

したがって「MW」は、手塚治虫が完全に復活を遂げた後の作品ということになる。つまり、この「MW」は手塚治虫復活後の最も脂の乗り切った時期に書かれた作品なのである。

なお、「ビッグコミック」との連載に関していうと、従来までの諸作品とは少し変化がある。従来までは、一つの作品が終了すると、間髪入れず、その終了直後から直ぐに次の作品の新連載がスタートするのが常だったが、今回の「MW」は「シュマリ」終了後から少し時間が空いているのが特徴だ。

あの雄編「シュマリ」の連載が終了したのは1976年の4月25日号。「MW」の連載開始は、同年の9月10日号からだったので、丸々4カ月以上空いていたことになる。これは非常に珍しいことだ。この期間に手塚治虫は「ビッグコミック」には何の発表もしていない。

手元にある「MW」の3種類を立てて写した写真
我が家にある「MW」の3種類を立てるとこんな感じである。ハードカバーと文庫は2巻となっている。

「冬の時代」が終了した後に築かれた「黒手塚」の頂点 

僕は、「MW」の発表時期はかなり重要な意味を持っていると考えている。

「MW」はあまりにも暗く残虐で、全く救いようのない世界が徹底的に描かれており、手塚治虫作品にこれ以上の暗く救い難い作品は、他にはない。だから僕はこの「MW」を黒手塚=手塚ノワールの頂点と位置付けているのだが、この悪魔的な作品を描いた時には、手塚治虫は長く続いた「冬の時代」からは既に脱却し、見事に復活を果たし、手塚治虫ブームが再来していたことに注目してほしい。

このブログでも再三取り上げてきた黒手塚作品は、そのほとんどが、手塚治虫の人気が凋落し、事業面でも失敗するなどどん底の時代の反映だったのだ。「きりひと讃歌」「奇子」「ばるぼら」「ガラスの城の記録」「ボンバ!」「空気の底」「アラバスター」など、全てそうだった。

手塚治虫自身の苦境が作品の暗さに直接影響を与えていたのである。ところが「MW」はそうではない。既に「冬の時代」は過去のこととなり、「ブラック・ジャック」によって手塚治虫は完全に復活し、人気は再演し、正にレジェンドとして神格扱いされていた。

その人気の最盛期に書かれた「MW」が、それまでに例のない程の暗く救い難い作品となり、黒手塚として未曽有の頂点を極めた点には注目する必要がある。

つまり、手塚治虫自身のスランプとか苦境と全く関係なく描かれた黒手塚には、本当に手塚治虫自身の思いが反映されているのではないか、自身の苦境とやりきれなさを作品にぶつけたのではなく、恵まれた環境下での究極の黒手塚作品の意味こそ、手塚治虫を理解する上での最大のポイントになるような気がしてならない。

現在は入手できない「MW」のハードカバーの写真。全2巻。
これが「MW」のハードカバー全2巻。現在は入手できない。

どんなストーリーなのか

ただならぬ緊迫シーンからスタートする。幼い男の子が誘拐され、父親が身代金を届けるシーン。そこで犯人がまんまと身代金を獲得し、何食わぬ顔で親しい神父を訪ね、警察の目をかいくぐる。読者を一気にドラマに惹きつける圧巻の滑り出し。まるでハリウッドの超一流のサスペンス映画の冒頭シーンのようだ。

主人公は若くして支店長の信頼を集める美貌のエリート銀行員の結城美知夫。この結城は恐ろしい裏の顔を持っていて、誘拐事件の犯人である。女性とまごうばかりの美貌の持ち主で、自由自在に女性に変装し、誘拐と殺人を繰り返していく。

結城には15年前に知り合った賀来(がらい)という神父とゲイの関係にあり、親しくしていた。賀来は結城の犯行の全てを知っており、神父として苦悩するのだが、自身が結城をゲイに導いた負い目もあり、究極の選択を迫られながらも決断しきれない。

そんな賀来の弱さに付け込んで、賀来を利用しながら凶悪な犯罪を繰り返す結城。次々と唖然とさせられる殺人を重ねていくのだが、結城がこのような蛮行を重ねるには理由があり、世の中からは封印されている15年前の驚愕すべき事件が原因だったのだ。そのことを知っているのは賀来しかいない。

その15年前の事件を巡って、物語はとんでもないスケールで広がっていく。

結城の真の目的は一体どこにあるのか?狙いは何なのか?賀来は結城の犯行を止めることができるのか?そもそも苦悩する賀来はどうなってしまうのか?

手に汗握るサスペンスとミステリーが怒涛の勢いで繰り広げられていく。

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血も涙もない悪魔のような殺人鬼

あの手塚治虫が、良くぞこれだけの情け容赦ない殺人鬼を造形したものだと思う。

漫画が始まると、直ぐに我々は信じ難い衝撃的な殺人を目撃することになる。誘拐された幼い男の子の無残な絞殺死体が目に飛び込んでくる。この衝撃に耐えられるか!という開幕早々の目を疑うシーン。

それを皮切りに、結城はあまりにも残酷な方法で、次々と多くの人間を殺戮していく。ページを捲る手が震えてしまう程だ。

手塚治虫もこれだけのものを描くには、相当な覚悟が必要だったと思うが、ドラマの設定では、殺人鬼の結城はある理由が元で、それも彼が被害者として、善悪の判断ができない、すなわち倫理観と良心が完全に失われてしまっているのだ。

つまり結城はあることを原因とする病気として、倫理観と良心を完全に失った人間として描かれるのである。

とは言っても、知的レベルは抜群で、その猟奇的で残酷な連続殺人は、全て念入りに計画されたものばかりであることが、やり切れなさを増長する。

決して衝動殺人や快楽殺人ではない、計画され尽くした復讐劇なのである。実は更にその先があるのだが・・・。

これは、良心がなくなれば人はどこまで残酷になれるのか、という実験と言えるのかもしれない。

本当に恐ろしいトラウマになりかねない衝撃的な殺人のオンパレードである。その残酷さとエグさが、脳裏に焼き付いて離れなくなる危険性が高いので、くれぐれも覚悟して読んでほしい。

現に僕自身もそうだった。この「MW」を初めて読んだ時の衝撃は、良く覚えているし、何度読んでも、その衝撃が薄まることがない。

前代未聞の徹底した悪の描写に打ちのめされることになるので、注意が必要だ。

牧師との同性愛を続けながら、女性を凌辱し容赦なく殺害

主人公の結城から受ける衝撃は、その残虐極まりない殺人シーンだけではない。

先ずは、彼の性的行動の倫理観の欠如が甚だしい。もう一人の主人公である神父とはゲイの関係にあり、それでいて女性とも端からSEXに及ぶ。いわゆる両刀使いという奴だ。

それだけではなく、ボディガードにもしている獰猛な猛犬とも獣姦を繰り返すというとんでもないアブノーマルさ。

精神的にも相手を追い込む真の悪魔

殺人やレイプという残虐行為以上に恐ろしさを感じるのは、相手を精神的に追い込んでいく手腕だ。

相手の誠実な思いや感情をもてあそび、嘘で騙し抜いて、相手を精神的にズタズタにする。正に悪魔なのである。

ポイントは結城は病気によって良心も倫理観も完全に失われてしまったことが原因でそうなってしまったということなのだ。「悪気がない」とかいうレベルではない。良心と倫理観が完全に欠落しているので、そもそも自分のやっていることが非道だ、残酷過ぎるという意識が全くなく、一切悪いことだとは思っていない。だから後ろめたさも一切なく、本能のままに復讐を果たしているだけなのである。

だが、周囲にいる人間はたまったものではない。まともな神経の持ち主、つまり普通に人としての良心と倫理観を持っている人間にとってはいたたまれない、気が狂ってしまいそうなシチュエーションの連続ということになる。

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殺人鬼に翻弄されるもう一人の主人公:神父の賀来

それがこの作品のもう一人の主人公である神父の賀来である。結城とゲイの関係にある神父の賀来の苦悩はあまりにも耐えがたいものだ。賀来の苦しみの深さは想像を絶するものだが、そもそも幼い結城を犯し、ゲイの道に引き込んだのが賀来だったこともあり、責任を感じながらも究極のジレンマに陥る。

賀来は結城の犯罪を全て承知していながら、結城の策略に遭って殺人の片棒を担ぐことになってしまう。

賀来には良心も倫理観も普通に備わっているばかりか、そもそも神に仕える神父であるだけにこのジレンマは辛い。

この二人の主人公は正しく神と悪魔なのである。この作品の中で、悪魔の結城による眼を背けたくなるようなおぞましい殺戮シーンを何度も見せられるのだが、その結城の蛮行を許そうとしない賀来が存在してくれることで、読者の我々も辛うじて神経・精神の平衡を保つことができるような作りになっている。苦悩する賀来こそが我々の救いなのだ。

だが、賀来の苦悩を遥かに凌駕する狂気のエスカレーションは留まることを知らない。

過激な復讐劇は単なるカモフラージュ。結城の究極の目的は!?

この濃厚なノンストップミステリーにしてスリラーの本作は、前半の結城によるあまりにも過激過ぎる復讐劇は単なる序章に過ぎない。いや、そもそも復讐が結城の目的ではないことが徐々に明らかになっていく。物語の真のテーマは、ドラマの中盤あたりからクローズアップされてくるのだ。

殺人鬼結城の真の目的がどこにあって、結城は何をしようと企てているのか。結城の狙いが判明するとき、戦慄を禁じ得なくなる。

そのスケールの大きさもさることながら、どうしてそこまで人間不信と人間嫌いになってしまったのか。

結城の心の闇、そこに至る魂の変遷を推し量るとき、この作品はにわかに偉大さを帯びてくる。

紹介した「MW」の文庫本を並べた写真
かつて出ていた小学館文庫。この帯を読むと結城の究極の目的が判明してしまう。

オウム真理教のサリン事件を先取りしていた

本作の真の主人公は結城美知夫でも神父の賀来でもなく、MWという秘密毒ガス兵器なのである。このアメリカ軍が秘密裏に開発し、日本の沖縄のとある無人島に保管してある強烈な毒ガス兵器が真の主人公。

その存在すら固く隠蔽された毒ガス兵器を巡る攻防こそが、全体を貫く中心テーマなのである。

僕はこの作品を初めて読んだときに、手塚治虫作品とは到底思えないような残酷で救いようのないストーリーにトラウマになる程の衝撃を受けたのだが、それ以上に受けた最大の衝撃は、この猛毒の毒ガスMWのことだった。

あの日本で現実に起きたオウム真理教による一連のサリン事件があったからだ。

我が家にある「MW」を全て並べて写した写真
全体を写すとこんな感じになる。実はこれ以外にもコンビニコミックスがあるのだが、物置で出せず。

猛毒のMWはサリンそのもの

この猛毒の毒ガスによって結城が目指した展開が、あのオウム真理教による松本サリン事件と地下鉄サリン事件そのものだったからだ。サリンをばら撒いて人々を殺害するという麻原彰晃とオウム真理教の企てを完全に先取りしていたからである。

この「MW」が連載されたのは1976年から78年にかけて。オウム真理教による一連のサリン事件は1994年から95年に起きている。手塚治虫は何と20年近くも時代を先取りし、毒ガスにより殺戮を予言していたことになる。

MWの威力はすさまじいのだが、オウム真理教によるサリン事件を知っている者にとっては、このMWは毒ガスのサリンそのものだ。「MW」という作品は、サリンを用いてとてつもないことを企てた人間を描いた漫画ということになる。

手塚治虫、恐るべし。

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胸が張り裂けそうになるシーンの連続

この作品の中には、結城が繰り広げる残虐な殺人シーンの他にも、胸が張り裂けそうになる辛いシーンが何カ所も出てくる。思わず涙が込み上げて止まらなくなる。
特に幼い子供が大人のエゴの犠牲になるシーンは本当にいたまれず、胸が苦しくなる。

手塚治虫は随分と残酷な作家だな、と恨み節の一つも吐きたくなるが、これだって、実は現実の社会においては常に社会の一隅にて実際に起きている悲劇に過ぎないとも言えるものだ。

そういう意味ではこの「MW」は、手塚治虫の最大の社会派作品であることは間違いないのである。この世界に現実に存在する社会悪と理不尽さを一切の妥協なしで、徹底的に暴き、告発した問題作となろうか。

MWの意味するものとは

MW(ムウ)というのは、このドラマのキーとなる猛毒の毒ガスのことだ。このMWによって無辜な人々が多数犠牲になり、純粋無垢だった主人公の結城は良心を失い、精神を狂わされ、殺人鬼に変容し、更なる企てへと駆り立てられる。

その毒ガスの名前がMWとされているのだが、そもそもMWの名前の由来はどこからきたのだろうか?

これは漫画の連載当時からかなり話題となったようだ。

MとW。ManとWoman、男と女という説が最有力だが、これは結城が美青年であり、変装の名人で何度も女装して美女に変身することがことの由来だ。しかも結城は女とも男とも自由自在にSEXできることからも来ている。

MWは猛毒なのだが、その毒ガスだけではなく、結城という主人公の恐ろしさでもある。

Mad Weapon」あたりが正解のような気もするが、「Monster Way」など色々な説があるようだ。

そのそもこのMWという文字は、上下を反転させても同じになるあたりにも意味がありそう、などと色々な深読みもある。

いずれにしてもタイトルから謎を込めるあたり、この作品への手塚治虫の執念は相当なものだ。

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手塚治虫自身が語る「MW」

手塚治虫漫画全集のあとがきに手塚治虫は短いながらも、非常に明確な解説を書き残している。

これを読むと手塚治虫の真意はかなり明確になる。短いものなので、全文を紹介しておく。

『従来の手塚カラーを打ち破り、あっけにとられるようなピカレスクドラマを書いてみたいと思って、この物語の構想を立てた。
ありとあらゆる社会悪―暴力、裏切り、強姦、獣欲、付和雷同、無為無策・・・・・・、とりわけ政治悪を最高の悪徳として描いてみたかった。が、今となって遺憾千万なのは、すべて描きたりないまま完結させてしまった、自らの悪筆に対してである・・・・。』

「すべて描きたりないまま完結させてしまった自らの悪筆」!
何をご謙遜を、と言いたくなる。天才は自らに厳しいものなのだ。脱帽するしかない。

「奇子」すら凌駕する手塚治虫最大の衝撃作

これは本当に凄まじい作品である。良くぞこんな過激な作品を手塚治虫が描いたものだと、つくづく感心してしまう。

手塚治虫の衝撃作としては、何と言っても「奇子」に尽きるのだが、この「MW」の衝撃は「奇子」をも遥かに凌駕する凄まじいものだ。

「奇子」を凌駕する手塚治虫の最大の衝撃作、問題作ということになるのだが、僕は敢えて手塚治虫の最高傑作と言いたくなる。もちろん「アドルフに告ぐ」があるのだが、その次に来るのが「MW」と「奇子」であることだけは間違いない。

玉木宏と山田孝之のW主演で映画化されたが

この作品は映画化されている。玉木宏と山田孝之のダブル主演は相当なものだが、僕はあいにくまだ観ていないので、軽々しく論評することは控えなければならないが、ゲイの設定は無くなっているようだし、いかにも中途半端な印象が否めない。

この「MW」を映画化しようとしたら、世界のトップクラスの名監督に演出してもらわなければならないと切に願うものである。

クリストファー・ノーランかデヴィッド・フィンチャーあたりで映画化してもらえれば、世紀の名作が誕生しようである。

誰かそんなことをしかけてくれるプロデューサーが現れないものか。

それに値するものすごいスケールの大問題作なのだが、本当に残念だ。

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これを読まずして手塚治虫を語るなかれ

「奇子」に興味のある方には絶対に読んでいただきたいが、手塚治虫の最大の問題作にして最高のエンターテイメントである本作。

テーマがこんなに深刻なのに、とにかくめちゃくちゃおもしろい。一度読みだしたら、途中で止めることができないノンストップエンターテインメントでもある。冒頭の誘拐劇からアッと驚く衝撃のエンディングまで、ジェットコースター的な怒涛の展開に度肝を抜かれ、時の経つのを忘れてしまう。

数ある黒手塚の中でも頂点に位置する「MW」。手塚治虫が見つめた人の心の闇の深さと社会への憤りを、どうか知っていただきたいと切に願うばかりである。

必読の手塚治虫作品。これを読まずして手塚治虫を語るなかれ。

 

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第1巻 990円(税込)。送料無料。
長らく品切れ中でしたが、ようやく注文可能となりました。ですが、まだメーカーへの注文扱いですので、入荷まで時間がかかりそうです。ご注文の上、入荷までお待ちください。


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