手塚治虫の長男によって映画化された隠れた名作

今回の手塚治虫は「ばるぼら」だ。この「ばるぼら」は錚々たるメンバーによって映画化され、昨年(2020年)11月に劇場公開、年明けの今月から動画配信されているので、既に映画を観た方もいらっしゃれば、観てないまでも、話題を耳にしたことはあるのではないか。

その映画の出来栄えは?

稲垣吾郎と二階堂ふみという二枚看板。監督は知る人ぞ知る、手塚治虫の長男のビジュアリストにして映画監督の手塚眞(まこと)

手塚眞は純粋な映画監督というのとは違って、動画クリエイターと呼ぶべき存在なのだろうが、このところ偉大な父親の作品を映画化することに意欲を燃やしており、今回は正に試金石となる映画化だった。

手塚眞の作品については、僕はあまり知らないのだが、昨年(2020年)4月に惜しまれつつなくなった大林宣彦監督が、死の目前に、NHKの「クローズアップ現代+」に出演し、「映画をつないで平和な世の中に」と託された4人の映画監督を取り上げた非常に印象的な優れた番組の中で、岩井俊二や、塚本信也、犬童一心という大物と並んで他ならぬ手塚眞が取り上げられていて、非常に驚かされると共に、何とも嬉しい思いをしたものだ。あの偉大な父親のDNAを少しでも引き継いでくれるなら大歓迎である。

さて、その映画「ばるぼら」はあいにく未だ観ていない。どんな出来栄えなのか、大いに気になるところだ。つい先日発行されたばかりのキネマ旬報ベストテンによると、第48位とあまり評価されていない残念な結果となっているが、読者選出ベストテンでは11位と惜しくもベストテンからは外れてしまったが、かなりの大健闘。実際に観た一般の映画ファンはそれなりに高い評価をしたことが分かる。これはちょっと嬉しい。

僕も早めに観てみたいのだが、僕のイメージの中では、ばるぼらのイメージに二階堂ふみは少し違和感があることを否めない。稲垣吾郎は悪くはないと思うが、本来の役者としてもっといい俳優がいたんじゃないだろうかと思うのだが。誤解がないように言っておくと、僕は稲垣吾郎は俳優としても捨て難いと好感を抱いているので、念のため。

いずれにしても、このブログの読者の皆さんには、先ずは手塚治虫の原作を先に味わってほしい。ちょっと特殊な作品世界だけに、それを切望する。

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「ばるぼら」の基本情報

原作の「ばるぼら」は、例のビッグコミックに連載された手塚治虫の大人・青年向けの一連の作品の中の一作である。

既にこのブログで取り上げてきたあの「きりひと讃歌」「奇子」に続く作品。「きりひと讃歌」「奇子」という超弩級の傑作にして問題作に続く作品だけに、その内容がどのようなものか読者としても大いに気になるところだろうが、手塚治虫自身も相当なプレッシャーがあったのではないだろうか。

ビッグコミックへの連載期間は1973年7月10日~74年5月25日。約1年弱、10カ月間の連載だった。手塚治虫が45歳から46歳にかけての作品ということになる。手塚治虫の復活の狼煙(のろし)となるあの「ブラック・ジャック」の連載開始は、「ばるぼら」がスタートした4カ月後の11月19日からなので、この「ばるぼら」の連載がスタートした後は、「ばるぼら」と「ブラック・ジャック」は正に並行して、同時に描かれていたことになる。手塚治虫の冬の時代はいよいよ終わりを告げようとしていた、そんな時期の連載だった。

講談社の手塚治虫漫画全集。全2巻。現在は入手不可能。これが文庫本化され、1冊にまとめられている。
大都社から出ていた版。これも今では全く入手できない。
角川文庫版。映画化のことが全面的にクローズアップされている。この文庫の解説が本文中でも紹介した長男で映画化を果たした手塚眞が書いていて、読み応え十分。ところがこの文庫、絶版となってしまった!現在入手不可能。何たるスキャンダル!

「奇子」終了と同時にスタート

いつもながらに手塚治虫の想像を絶する才能には脱帽するしかない。何度も書いていることだが、あの「奇子」の連載が終了したのは1973年の6月25日のこと。そして新作「ばるぼら」はわずか2週間後の7月10日から連載スタートしている。ビッグコミックは隔週刊、つまり2週間に一回しか発売されないので、想像してほしい。「奇子」が大団円を迎えて終了した最終回が掲載された、その直後の号から「ばるぼら」が始まっている。全く途切れていないのだ。両者は1回の休みも挟むことなく、連続して掲載されているのであった。

一体全体、どうなっているのだろう、手塚治虫の頭の中と、体力。そして精神力は。ただただ驚嘆するしかない。天才というのは本当にいるんだという実例。もちろん他にもいくもの作品を同時に連載していたのだから恐れ入る。

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日本を代表する世界的小説家の内面を赤裸々に描いた問題作

手塚治虫が選んだテーマは、ズバリ、芸術家の創作の苦悩と混迷。日本を代表する世界的な小説家の内面をあからさまに描き出す。その文豪の主人公は、実はアブノーマルな性欲、異常性欲の持ち主で、その苦悩と葛藤が全面的に描かれるだけに、これまた「きりひと讃歌」「奇子」に勝るとも劣らない問題作なのである。その小説家のモデルは三島由紀夫ではないかと言われている。

どんなストーリーなのか

主人公の美倉洋介は日本を代表する世界的な耽美派の作家なのだが、自らの異常性欲に苦しんでいた。ある日、美倉は新宿の場末で飲んだくれのフーテン、ばるぼらと出会い、そのままばるぼらは美倉の家に住みついてしまう。汚い身なりにアル中でひっきりなしに酒ばかり飲んでいるばるぼら。美倉の金にも勝手に手を出す始末で、怒った美倉が何度追い出しても、またいつの間にか舞い戻って来てしまう。まるで野良猫のような存在だ。異常性欲に苦しみ、創作上もスランプに陥っていた美倉だったが、やがてばるぼらの存在が契機となって失われていた創作意欲が蘇ってくる。果たしてばるぼらは何者なのか?芸術家に創作意欲を与える芸術の女神(ミューズ)なのか、それとも芸術家を破滅に追い込む悪魔の化身なのか?

手塚治虫自身がモデルであることは間違いない

美倉洋介のモデルはもっぱら三島由紀夫だと言われているが、これが手塚治虫自身であることは言うまでもないだろう。これは手塚治虫自身の創作の苦しみとそこからの脱却を企てた自伝的な作品と呼ぶしかない。

異常性欲に興味の矛先が向かいがちだし、物語は途中から70年代当時世界中で流行していたオカルト色の強いものになって、明らかにそのオカルトブームに引っ張られて脱線してしまうことが多い。このことは手塚治虫自身が認めているとおりなのだが、あくまでこの作品の根底にあるものは、芸術家が創作するに当たっての底知れぬ苦悩と格闘を描いたものであることは間違いない。

そんなこともあってか、この「ばるぼら」。実は非常にファンの多い、手塚治虫の隠れた大人気作なのである。あるライターは「アドルフに告ぐ」「ブラック・ジャック」を抑えて、堂々の4位につけているほどだ。「漫画の神様手塚治虫が残した漫画おすすめ15作についてランキング形式で語る」がそれ。全手塚治虫作品の中の第4位はすごい。いずれにしても、この隠れた傑作は思っている以上に「結構好きだ」というファンが多いのである。

手塚治虫の芸術感や人生観を知る上で極めて重要な鍵を握る作品と言えそうだ。

手塚治虫自身、この作品にささやかな誇りを持っていることを表明している。講談社の手塚治虫作品全集のあとがきに「「ビッグコミック」には、ぼくはなぜか重いものと軽いものを交互にのせるくせがあって、「ばるぼら」は、「奇子」と「シュマリ」のあいだに気分休めにかきましたが、いわゆる大河ものではないまでも、手を抜いた小品というわけではありません」と実に控えめに書いているのだが、なんのなんの、手塚治虫自身が相当気に入っていて、気合いをいれた作品だと思われてならない。

様々な版を集めるとこうなるが、いずれも現在入手できない。今、購入できるのは講談社の手塚治虫文庫全集のみである。

手塚治虫自身が認める、オッフェンバック「ホフマン物語」がモチーフ

その全集のあとがきには、「ばるぼら」のモチーフになったある作品が手塚治虫自身によってハッキリと打ち明けられている。

それがオッフェンバックの「ホフマン物語」というオペラ。オッフェンバックと言えばあのどこの運動会でも必ず流される「天国と地獄」で有名な作曲家。僕のようなクラシック音楽の熱烈なファンにとっては、実はオッフェンバックと言われても、ハッキリ言ってそんなに重要な作曲家だとは到底思えないと言うのが実際のところなのだ。これは誤解と偏見、先入観以外の何者でもないのかもしれないが、正直なところこれが本音。

だが、オッフェンバックは「シャンゼリゼのモーツァルト」と呼ばれた鬼才ではある。オペレッタという軽い喜歌劇ばかりを量産した作曲家なので、どうしても軽く扱われてしまうのだが、その最晩年、前にも後にも唯一の本格的なオペラを作家した。それが「ホフマン物語」というわけである。

僕も手塚治虫がモロに影響を受けたと知って、「ホフマン物語」を初めて聴いてみたのだが、これが中々素晴らしい。こういう作品に全く目を向けていなかった自分が、これほどのクラシック音楽の熱烈な愛好家なのに、全くダメだなあと恥ずかしく思った次第。

あの「天国と地獄」のオッフェンバックがこういう深いものを作曲しているとは本当に知らなかった。無知を恥じたい。

手塚治虫の言葉。「ぼくはオッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』が好きでLPを仕事の合間にしきりにかけるのですが、いちどぜひこれをマンガ化したいと思っていました。幻想、怪奇、猟奇に満ちたロマンがあるからです」。

さて、その「ホフマン物語」だが、E・T・A・ホフマンの原作が中々のもの。天才詩人の失恋体験が語られるのだが、それがことごとくアブノーマルな悲劇で終わるのである。そして肝心な点は、詩作という芸術に傾倒すればいいものを、そうできずに世俗的な恋に落ちて、しかもことごとく悪夢のような結果で終わるという点が肝心で、芸術と世俗とのどちらを選ぶのかという究極の選択がテーマとなっている。「トニオ・クレーゲル」に代表されるトーマス・マンの若き日の小説群のようだ。

これにインスピレーションを受けて手塚治虫が作ったばるぼらも、正にそういう作品になっている。

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何度も映画化され、手塚治虫もその中の一本を熱愛していた

手塚治虫の関心もそこにあったのだ。芸術的才能に恵まれながらも、低俗的な恋に身をやつし、怪しく破綻してしまう恋。手塚治虫はこのストーリーに相応惹かれたらしい。

今回の「ばるぼら」の映画化を進め、脚本、監督を担った手塚治虫の長男手塚眞の詳しい解説(角川文庫のばるぼら解説)によれば、手塚治虫は実に4回も映画化されたホフマン物語の中でも、大変な名作として有名なマイケル・パウエルとエメリック・ブレスバーガー共同監督でバレエ映画化された「ホフマン物語」(1951年)を大変に気に入っていたということだ。ちなみにパウエルとブレスバーガーは「赤い靴」という名作で有名な監督。この「ホフマン物語」はベルリン国際映画祭で特別賞に輝いた傑作で、手塚治虫にとってはオペラそのものよりもこの映画の影響が強かったのではないかというのが息子の考察だ。手塚眞は「ばるぼら」は『ホフマン物語』の手塚治虫版だと断言している。

僕もこのオペラ映画「ホフマン物語」を観たが、実に素晴らしい出来栄えで、正直驚かされた。これを手塚治虫が熱愛したということに胸が熱くなった。「ばるぼら」を読んで楽しまれた方は、続いて映画「ホフマン物語」を是非ともご覧いただきたい。

これが手塚治虫お気に入りのバレエ映画「ホフマン物語」のブルーレイのジャケット写真。古い映画だが、目が覚めるような極彩色の美しさ。
ブルーレイの裏ジャケット写真。133分と長いが、オッフェンバックのオペラ全曲が収められている。演奏も悪くない。イギリスの名匠トマス・ビーチャムの指揮だ。

 

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終盤の盛り上がりと感動のラストが、手塚作品の中でも屈指の完成度

「ばるぼら」は途中で少しオカルト趣味に脱線してしまう部分もあるのだが、その全体的な完成度の高さは屈指のものだと思う。
特に終盤の盛り上がりは、途中の中弛みを補って余りあるもので、実にすごい。一気に引き込まれ、ハラハラドキドキ、第一級のサスペンスも味わえる。そして迎える衝撃のラスト。

ばるぼらの正体も明らかになるのだが、この実に味わいのあるラストは、手塚治虫の全作品の中でも屈指の完成度で、感動必至。こんな余韻のある素敵なエンディングは、手塚治虫には珍しいほどだ。この独特の深い味わいがこの作品を隠れた大人気作とし、長男が執念で映画化を成し遂げた理由も良く分かるというものだ。

手塚治虫自身の苦悩がヒシヒシと伝わってくる隠れた名作。隠れた人気作でもあるこの渾身の作品を、どうかお読みいただきたい。
少し厚めではあるけれど、1冊で完結の比較的短い作品だ。きっと気に入ってもらえるのではないか。

僕は手塚治虫の長男が作った映画「ばるぼら」をこの後、直ぐに観てみるつもりだ。

 

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