少年誌に連載されたとんでもない黒手塚作品

久々の手塚治虫作品の紹介となる。今回は連載16回目だが、まだまだ紹介したい手塚作品は山のようにあって、実は一番取り上げたい「手塚治虫最大の問題作」はまだ大切に残してある(笑)。それをどのタイミングで取り上げるか悩んでいるが、今後もあまり知られていない手塚治虫の隠れた傑作を少しずつ取り上げていくつもりだ。

今回は「アラバスター」である。

紹介したアラバスター全集版の写真
手塚治虫漫画全集のアラバスターを並べるとこうなる。現在では入手不可能。文庫本になっている。

 

手塚治虫には手塚治虫の一般的なイメージとは程遠い極めて暗く、救いようのない作品がいくつもあることは、何度も紹介してきたとおりである。

特に「ビッグコミック」に連載してきた青年向けの作品にその傾向が強いことも詳しく説明し、「きりひと讃歌」「奇子」「ばるぼら」など、それらの作品を何作か取り上げてきた。

黒手塚(手塚ノワール)」と呼ばれるこれらの暗くて救いようのない手塚作品は、青年向けの作品に多く、少年誌にはさすがにあまり連載されることはなかったのだが、中にはとんでもない黒手塚が極めてメジャーな少年誌に連載されたこともあった。その極みが「アラバスター」である。

この「アラバスター」。ちょっと考えられないほど暗く残酷で、救いようがない衝撃的な内容であり、よくぞこんな問題作品が超メジャーな少年誌、あの「ブラック・ジャック」が連載されていた「少年チャンピオン」に半年間にも渡って連載を続けていたものだと、あらためてビックリしてしまう。PTAなんかが騒ぎ出さなかったことが不思議なくらいの残酷極まりない復讐物語なのだ。

元々僕は黒手塚が大好きなのだが、そればかりに夢中になっているわけでは、もちろんない。だが、ロシアによるウクライナへの侵略戦争をはじめ、日本でも元首相が選挙応援演説中に銃で暗殺されるなど、これだけ衝撃的な事件が次々と起きると、どうしても手塚治虫が突き詰めた人間と社会のダークサイト面を激しく掘り下げた作品に身を置きたくなってしまう。暗くて救いようのない衝撃的な内容を求めてみたくなる。このやりきれない思いを黒手塚の底知れない暗さと救いようのない世界に接することで、人間の本質を考え、追求したくなる一方で、逆に癒されたいというか、昇華させるしか気持ちの整理がつかなくなってくる。

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「アラバスター」の基本情報

昭和45年(1970年)12月21日号~昭和46年(1971年)6月28日号まで「少年チャンピオン」に連載された。時に手塚治虫43歳後にあの「ブラック・ジャック」の連載によって堂々たる少年誌に急成長した少年チャンピオンも、このアラバスター連載当時はまだ発刊間もない時代だった。

少年チャンピオンの刊行は昭和44年(1969年)の7月だった(当初は隔週刊)ので、チャンピオンが世に出て1年半後の「アラバスター」連載ということになる。ちなみに、手塚治虫はそのチャンピオン誌の創刊時には、このブログでも既に取り上げている「ザ・クレーター」の連載を始めた。「ザ・クレーター」が終了した後は、社会的にかなり物議をかもした「やけっぱちのマリア」を連載し、その後で、「アラバスター」と続くのである。

「やけっぱちのマリア」は、青少年向けの性教育を意図して書かれたが、その露骨な性的描写を巡ってPTAがかなり騒いだ問題の作品で、福岡県の児童福祉審議会から有害図書の指定を受けた。

その直後に今度はあの残酷で、救いのない暗さが際立つ「アラバスター」の発表。今日振り返ると、手塚治虫はまだ発刊されたばかりの「少年チャンピオン」ではかなり大胆な問題作ばかりを連載したことが浮き彫りになる。秋田書店もよくぞ腹をくくったものだ。

その時の手塚治虫への支えと頑張りで、手塚治虫の最大のヒット作にして感動的な「ブラック・ジャック」の連載をもらったのだから文句はあるまい。そのおかげもあって少年サンデーや少年マガジンをも凌駕する少年漫画誌のトップを極めるまでに急成長を遂げるのだから、その甲斐があったというものだ。

「アラバスター」は講談社の手塚治虫漫画全集では全2巻。通巻で約500ページの中編漫画。「奇子」や「きりひと讃歌」などとほぼ同じ長さである。

前後の作品を振り返ると、前回の手塚紹介で取り上げた「ボンバ!」は「アラバスター」の直前に書かれている。同時期に並行して連載されていた作品は、何といっても「きりひと讃歌」である。「ガラスの城の記録」「人間昆虫記」というこれまた大人向けの問題作も同時期の作品だ。いずれも暗くて、救いようのない話しばかりである。

正に「黒手塚」が量産された時期だったのである。この時期、青年・大人向けに暗くて残酷で救いのない「黒手塚」ばかりを描いていた手塚治虫が、少年を対象に書いた「黒手塚」がこの「アラバスター」ということになる。

紹介したアラバスター2巻を立てて撮った写真
立てて並べるとこんな感じである。

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どんなストーリーなのか

話しはそれほど複雑でもなく、分かりやすい。黒人青年のジェームズ・ブロックは学生スポーツのナンバーワンで、ミュンヘンオリンピックで金メダルを6つも獲得したスーパースター。その彼が売り出し中の白人の美人女優スーザン・ロスと恋仲になり、プロポーズをするが、あえなく振られてしまう。

その理由が「あなたとはオリンピックの英雄としておつきあいをしていたのよ」「ハハハハ、本気だなんて、あなた、お顔をごらんになったことあって?あなた、本気で私と結婚できると思ったの?」と、黒人の肌の色を理由として激しく拒否したのである。残酷な仕打ちに怒り狂ったジェームズは騒ぎを起こして実刑判決を受け、7年間収監されてしまう。

自分の肌の色を憎み、スーザンへの復讐を誓うジェームズは、刑務所で人体を透明にする光線を発明した科学者と知り合い、出所後に彼の作った光線銃で透明人間化を図るのだが失敗し、血管が浮き上がる半透明の世にも醜い姿に変わり果ててしまう。

その銃を使って、スーザン・ロスへの復讐を遂げたジェームズ・ブロックはそれだけでは満足できず、この世の見せかけの美と美しいものへの復讐に駆り立てられ、世界中の美しいものを全て醜くしようとする復讐の鬼、怪人アラバスターとして生まれ変わり、手当たり次第に人々を醜く変え、次々に殺戮しまくるのであった。

刑務所で知り合った光線銃を発明した科学者には亜美という孫がいた。亜美は実験台とされ死んでしまった科学者の娘から生まれ、その光線銃を浴びたせいで生まれつき透明人間だった。アラバスターは亜美を誘拐し、自分の仲間に引き入れ洗脳。亜美と関わりのあった不良少年のゲンも加わり、アラバスター一味は社会への復讐に挑んでいくのだが・・・。

その息詰まる激しい復讐の行き着く先は?亜美は救い出されるのだろうか?

手塚治虫のブラック・ライヴズ・マター

これは今でもアメリカで続いている「ブラック・ライヴズ・マター」そのものである。この21世紀でも黒人に対する偏見と差別がなくならない中にあって、この作品が発表されたのは1970年。今から50年、半世紀前のこと。相当な差別があったことは間違いない。

肌の色という見た目で拒否されたアラバスターは、「ブラック・ライヴズ・マター」の先取りであるばかりか、最近良く言われるようになった「ルッキズム」への戦いである。それをテーマに50年も前にこれだけの妥協のない徹底的に暗く、残酷で救いようのないドラマを生み出した手塚治虫は、やはりは天才と呼ぶしかない。

実は、ストーリー紹介で書いたアラバスターのスーザンへの復讐は何と序盤であっけなく終わってしまう。本来の復讐を達成してしまってからの、アラバスターの執念と言うか、手塚治虫の拘りと妥協のなさが半端ではないのだ。

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深い恨みと、社会への報復

この作品に登場する人物はいずれも一癖も二癖もある問題の人物ばかりで、少年漫画とは到底思えないような心の中に「闇」を持った人間ばかりなのである。唯一まともな人間は亜美とは血の繋がっていない兄のかに平ぐらいのものだ。

特に酷いのが、本来は正義の味方であるはずのアラバスター一味を追いかけるFBIの辣腕刑事のロック・ホーム。ロックは手塚治虫作品の影の部分を担うお馴染みのキャラクターだが、ここでの異常ぶりは尋常ではない。自分の美貌を鼻にかける憎々しい男で、亜美はロックに暴行と辱めを受け、これが契機となってアラバスターと共感し合い、美と社会への憎しみの情を決定的なものとしてしまう。

本当にもの凄いストーリーと人物造形。ありきたりの勧善懲悪になっていない点が、いかにも黒手塚の真骨頂だ。アラバスターと亜美の普通の人間、美に対する深い恨みは底が知れず、それをそのまま社会への報復に結びつけ、ほとんど成し遂げてしまう徹底ぶりが凄い。これはアラバスターの執念というよりは手塚治虫自身の執念であったのだろう。

少年漫画ではありえない衝撃のラスト

この作品には本当に驚かされる。冒頭から最終ページまで目を疑う展開の連続だが、特にラストの衝撃は相当なものだ。ネタバレになるので詳しくは書けないが、少年誌ではありえないラストとだけは言っておこう。とにかく実際に読んでもらうしかない。

この時期の手塚治虫はどん底だった

当時43歳の手塚治虫はどん底に陥っていた。とにかく手塚の漫画が受け入れてもらえなくなっていた。世の中は新しい漫画の表現方法である劇画が主流となり、手塚治虫は飽きられ始め、古いタイプの漫画家とみなされていた。つまり「漫画の神様」が過去の人になりつつあったのだ。

手塚治虫が熱を入れていたアニメーション事業も行き詰まり、手塚治虫自身が社長を務めていた虫プロ商事と虫プロダクションが相次いで倒産するのは1973年のことである。

手塚治虫自身が自ら「冬の時代」だったと回想している1968年から1973年(40歳から45歳)はそんな手塚治虫が陥ったどん底時代で、まさしく作家、芸術家としても、経営者としても行き詰まり、様々な試行錯誤を繰り返し、必死であがいていた時代だったのだ。

黒手塚の真相は

「黒手塚」というのは、この時代の手塚治虫の内面を反映した作品群だったのである。この黒手塚作品が残されたことで、手塚治虫作品は真の文学作品に成りえたというべきだろう。未来志向の善意と良心がてんこ盛りの肯定的な人間観だけではどうしても深みがなく、一面的になってしまう。人間が内面に持ち合わせているダーク面をトコトン描くことによって、作品に深みを与え、大人の鑑賞にも耐えうる超一級の文学作品にも勝るとも劣らない未曽有の作品が残されたと考えている。

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オリジナル版を読んで驚嘆、大幅修正が!

「アラバスター」にはオリジナル版が出ている。既に紹介している「空気の底」前回紹介した「ボンバ!」のオリジナル版と同一の立東舎からのものだ。この立東舎から出版されている一連の手塚治虫のオリジナル版は、そのほとんどが「黒手塚」であり、手塚治虫の膨大な作品群の中で埋もれてしまいがちな黒手塚作品の、最良な形での復活に熱心に取り組んでいる。

しかも他社から出ている他の手塚作品のオリジナル版が、ほとんど1万円近くするものが、何と税抜きでは3,800円前後である。本としての体裁も紙の質も他社の1万円と何ら遜色はない。非常に良心的な素晴らしい出版社だと感心してしまう。

その「アラバスター」のオリジナル版にはビックリだ。講談社からの手塚治虫全集とは随分内容が変わっているのである。こんなことはそう滅多にあるものではない。

間違えないでほしい。先に少年チャンピオンに連載されたオリジナルが立東舎からのオリジナル版であり、現在、市場に出回っている「アラバスター」は、講談社の手塚治虫全集として単行本化されるに当たって、大幅な改変が加えられていたということだ。

ちょっとやそっとじゃない。大幅な改変、いや本質的な改変が加えられている。これには驚きだ。

何といっても、主人公のアラバスターの出自と背景がまるで変えられてしまっている。名前まで変更されている!

ジェームズ・ブロック(黒人青年) ← 佐野次郎(父が黒人兵の混血)
スーザン・ロス ← 美室令子

※ 以下の漫画の引用(5種類)は、いずれも左側(上)が全集版で右側(下)がオリジナル版である。

そして決定的な改変は、本来のオリジナルでは、佐野次郎は黒人とのハーフで肌は黒かったが、それ以上に外見上の問題は顔の左半面に大きな醜いあざがあったこと。オリジナル版では佐野の顔の左目の周辺に大きな赤いあざがあって、それが強調されているのだが、僕が何度も読んでいた全集版ではジェームズの顔にそんなあざがあったことは全く意識していなかったので、驚いて確認したところ、全集版では顔のあざは全て消えていた!印刷の加減かなと思ったが、完全にあざは消えていることが判明。

 

実は台詞も大幅に変えられていることも判明。オリジナル版の解説によると、改変箇所は何と200ページにも及ぶという。

この作品は外観上の美をテーマにしているだけに、顔にあるあざと黒人の肌の色との違いは大きな違いだ。オリジナル版では「ブラック・ライヴズ・マター」を前面に出すというよりも、顔のあざの方が重要だったのだ。もちろん改変後(全集版)でも佐野は黒人との混血であり、肌の黒さはあったのだが。

完全な黒人と日本人ハーフとの違いもあって、ところどころ主人公の顔そのものが全く違っていて驚かされる

※ 以下の2枚の漫画の引用を見ると、顔が決定的に違っている。全集版は黒人青年。オリジナル版は日本人と黒人とのハーフ。

 

皮膚科の患者団体や医師会からの圧力がかかったのだろうか。それとも手塚治虫の忖度だったのか。いずれにしてもこれらの改変の真意は非常に気になるところで、興味が尽きない。

オリジナル版を是非とも購入してほしい

この作品を味わうにはオリジナル版を是非とも読んでいただきたいと切に希望する。ワイドサイズの圧倒的な迫力と白い紙に描かれた手塚治虫の熱い思いがストレートに伝わってくる。この大きさで読んでもらわないと、アラバスターと亜美の苦悩、そして手塚治虫の怒りと失望が伝わってこないように思われてならない。

圧巻の520ページ。開幕の佐野次郎の身を裂かれる失恋はオールカラーで描かれ、佐野の苦悩が痛いほど伝わってくる。

手塚治虫のファンならば、この「アラバスター」のオリジナル版は座右の1冊になるはずである。

アラバスターのオリジナル版の写真。立派な装丁。
これがオリジナル版である。迫力が凄い。
オリジナル版の裏表紙の写真
オリジナル版の裏表紙。帯の解説が秀逸。
オリジナル版を立てて撮った写真。厚みが分かる。
オリジナル版を立てるとこんな感じになる。厚みが凄い。

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「ルッキズム」への徹底した復讐譚を読んで!

少年誌に連載されたとんでもない「黒手塚」の極み。手塚治虫にはかつて堂々と少年誌に掲載されていたこんな作品もあって、今読み返しても全く古びていないことに驚嘆させられる。「ブラック・ライヴズ・マター」「ルッキズム」と時代の最先端を象徴するかのような社会問題を50年も前に鋭く見抜いていた手塚治虫の慧眼にも脱帽するしかないが、ここに描かれた妥協なき復讐が、今日、全世界を取り巻く鬱積したやりきれない思いの代弁として少しは機能してくれそうで、ホンの少しだけスッキリする。

いずれにしてもこの機会に、黒手塚の世界に接してみてはどうだろうか。手塚治虫の一面しか知らない人は、是非ともこれをお読みいただき、手塚治虫の深遠さを感じ取ってほしい。きっと貴重な体験になるはずだ。

全集版とオリジナル版を並べて撮った写真
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