「ディア・ドクター」は「ゆれる」を超える大傑作

「素晴らしき世界」をギンレイホールで観て、心を鷲掴みにされてしまった僕は、既にギンレイホールで観ていた「永い言い訳」以外の西川美和作品をブルーレイを買い込んでひたすら没頭。「ゆれる」では鑑賞後に頭の中を何日も占領される羽目に陥り、さんざんに揺れまくりながらも、益々西川美和の世界のハマってしまった。

そして最高傑作との評価の高い「ディア・ドクター」を観る。これは2009年の日本映画の最大の話題作にして最高の作品として非常に評価の高かったものだが、「ゆれる」同様にこれも僕は何故か観ていなかった。シネフィルを名乗る資格なし。本当に恥ずかしい限り。

今回ようやくじっくりと繰り返し観ることができてホッとすると同時に、あらためて大変な名作にして問題作だと痛感させられている。後からじわじわと感動が込み上げてくるちょっと特殊な作品なのだ。

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公開当時から評価は非常に高かったが・・・

2009年の公開なので、今から11年前。あの超問題作の「ゆれる」から3年後。「ゆれる」は多くの謎を残しつつも非常に高い評価を受けたのだが、この「ディア・ドクター」は「ゆれる」以上に評価が高かった。この年の最高傑作として大絶賛。キネマ旬報のベストテンでは評論家、読者選出ともに第一位に輝き、西川美和は脚本賞、更に主演の鶴瓶も主演男優賞を獲得するという快挙を成し遂げた。

これだけ評価の高い話題作をリアルタイムで観ていなかったことは我ながら恥ずかしい。「ゆれる」も観ておらず、一体どうしてだったんだろうと不思議でならない。猛省している。

「ゆれる」と「ディア・ドクター」をほぼ同時期に観た訳だが、観終わった後の印象と感想は随分違う。「ゆれる」には衝撃を受けると同時に、観終わった後で、何日も寝ても覚めても「ゆれる」のことで頭が一杯という体験をしてしまったのだが、「ディア・ドクター」の方は、意外にも僕は観終わって後もかなり冷静で、それほど深い感動を受けたというわけでもなかった。

実は、中盤で非常に惹きつけられ、これは大変なことになりそう、最後は涙腺が崩壊するような感動に襲われそうだと鳥肌が立った。ところが意外と終盤は淡々と進み、少し痒いところに手が届かない、正に隔靴搔痒感を味わうことになってしまった。感動のツボにズバリ突き刺さって来ないようなもどかしさが残って、残念な気持ちになったのだ。

もっと感動的に描けたはずなのに、どうして敢えて盛り上げないのだろうか?これは凄い感動作になったはずなのに、どうして敢えてその感動を封じ込めるように作るのか?それに不満を感じた。

衝撃を受けるラストシーンが用意されていて、確かにそれには大変な衝撃を受けるのだが、それ以上に僕は戸惑った。「ゆれる」と同様に、この作品でも謎が残ってしまったのだ。

というわけで、少し冷めた感想を抱いたのだが、実はその後があった。何だか後から後から、映画の様々なシーンが思い起こされ、妙に色々なことが気になってくる。

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映画の主題はズバリ「嘘」。様々な嘘に翻弄

この映画は「嘘」が主題だ。その嘘は映画を観ているうちに誰にも直ぐに分かるように作られているのだが、その中核の決定的な嘘と、実はその嘘を巡って周囲の登場人物たちも色々と嘘をついているかもしれないという極めて屈折した錯綜したストーリーとなっている。それが分かり始めると、俄然、色々なことが気になってきて、またまたこの映画に心を奪われてしまうことになる。

「ゆれる」も嘘をつき合う兄と弟の話しだったが、今回の「ディア・ドクター」は完全に嘘つきを主人公にした話し。西川美和にとって「嘘」が最大のテーマであることが間違いないが、今回の「ディア・ドクター」の嘘は、明らかに許されない嘘と許されてもいい嘘とがせめぎ合うというか、これは「嘘」に翻弄される登場人物たちの悲喜劇と言ってもいい。

そんなことに色々と思いを馳せていると、この映画が実に良く作られていることが分かってきて、少し謎だった色々な伏線も見事に繋がってくる。そして後からドンドン感動が込み上げてくるのである。

観終わった直後には少し不満を感じていた僕が、最後にはこれは大変な映画だった、すごい映画だったと、西川美和に全面的なリスペクトを捧げるしかないという気持ちになってくる。しみじみとこれは至高の名作に違いないと痛感させられるのである。

鶴瓶のもっといいショットがあると思うのだが、何とも地味なジャケ写。
この裏ジャケ写にはいい写真が多いのだが、いかんせん小さ過ぎるのが残念だ何円。

「ディア・ドクター」の基本情報

2009年 日本映画 127分

原作・脚本・監督:西川美和

出演:笑福亭鶴瓶・瑛太

余貴美子・井川遥・松重豊・笹野高史・中村勘三郎・香川照之・八千草薫 他

評価:キネマ旬報ベストテン 日本映画第1位・読者選出ベストテン第1位
   キネマ旬報主演男優賞 笑福亭鶴瓶 
   キネマ旬報脚本賞 西川美和 キネマ旬報読者選出監督賞 西川美和 他

「ゆれる」でも書いたが、この不愛想極まりないタイトルだけのディスクは本当に何とかならないものだろうか。

どんなストーリーなのか

山と棚田に囲まれた人口1,000人ちょっとの小さな山村。村の診療所には唯一の医師伊野(笑福亭鶴瓶)が村民の尊敬を一身に集めて診療を担っていたが、ある日、突然失踪してしまう。診療所で伊野を支えていたベテラン看護師(余貴美子)と都会から地域医療を学ぶために2カ月間診療所に来ていた研修医の相馬(瑛太)は困惑するばかり。刑事(松重豊)が捜索するが一向に見つからないばかりか、村人たちが失踪した医師のことを誰も何も知らないことが分かってくる。やがて、伊野は無免許のもぐりの医者であったことが判明。

失踪する直前に伊野は娘が東京で勤務医をしている未亡人のかづ子(八千草薫)の診察を受け持つ。胃の不調を訴えるかづ子は、実は末期の胃がんに侵されており、伊野はかづ子からある「嘘」の依頼を受ける。久々に家に帰って来た医師であるかづ子の娘が母親の不審に気が付いて、伊野を診療所に訪ねてくるのだが・・・。伊野の失踪の真意と行方は?村の診療体制はどうなってしまうのか?そしてかづ子は助かるのか?

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様々な社会的なテーマを提示する問題作

これは医師免許を持っていないにも拘わらず、3年半もの間、ニセ医者として村の医療を支えてきた?ペテン師の話しである。映画はニセ医者が失踪したところから始まるのだが、このペテン師のニセ医者が村民の尊敬を一身に集め、神様のように崇められていた事実が描写される。医師免許はなかったが、伊野はかなり熱心に勉強もしており、それなりに的確な医療を提供していたことが話しを一層複雑にする。

だが、そんなもぐりの医師が通用するほど今の医療は甘くはない。とても対応できないような高度の医療技術を必要とする場面でも、本人は施術を躊躇いながらも相棒の看護師に助けられながら、成功に導き、大学病院の医師から大絶賛を受けることもあった。

彼の行為が許されないことはもちろんだが、実際に医師が確保ができない僻地はどうなってしまうのか?現に伊野が失踪し、ニセ医者だったことが判明した後、診療所は閉鎖され、村から医師は消えてしまった。

そんな無医村に近い僻地で、老人たちはどのような死を迎えるのが望ましいのか?映画はユーモアを豊富に散りばめながら、日本の深刻な医療問題をさりげなく提起していく。今では当然となったがんの本人への告知の問題もある。がんの告知は今日では全く当然のこととなったが、そんな現在においても助かる見込みのない末期がんの告知は、相変わらず難しい問題だ。

そんな解決困難な難しい問題を孕みながらも、映画は伊野の生き様と周囲の人間模様をミステリー仕立てで、至高の人間ドラマとして盛り上げて行く。

鶴瓶の抑えた演技が絶品

笑福亭鶴瓶は、今や日本のお茶の間に最も親しまれた顔となり、様々な映画にもたくさん出演しているが、主演を務めたのはこの「ディア・ドクター」が初めてだという。

鶴瓶はあまりにも個性が強烈で、どんな作品に出ても同じ色に見えてしまいがちだが、この「ディア・ドクター」では、いつもの鶴瓶色を封印しているのが素晴らしい。実に落ち着いた冷静にして抑えた演技が絶品。鶴瓶がこんな抑えた演技ができるとは正直驚いた。実に良心的ないい医者になり切っている。この伊野医師には誰でも好感を持つのではないか。

伊野は医師免許を持っていないニセ医者なのだが、本物の医者でもこんな素晴らしい人はあまりいないのではないかという程、患者の話しを良く聴き、患者に寄り添う素晴らしい医師?なのであった。

研修医の相馬が彼に憧れ、都会志向の今までの在り方から目覚めて、1年後にこの村に戻ってくるから受け入れてほしいと訴えるシーンは、映画全体を通じての最高の見ものである。そんなニセ物ながらも、村民たちから慕われる伊野を誠実かつ自然体で演じた鶴瓶は見事の一言。

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周囲の俳優陣の素晴らしい演技合戦

鶴瓶の周辺を固める俳優陣が揃って見事なのが嬉しい。特に印象に残るのニセ医者の伊野を支えるベテラン看護師役の余貴美子。色々な意味で彼女こそこの映画のキーパーソン、全ての真相を知る、いや知っているはずの存在である。地域医療の困難さも。

伊野に影響を受ける研修医役の瑛太ももちろんいいが、それ以上に存在感をアピールするのは、やっぱり香川照之だ。ゆれるに続いての出演。西川監督も絶大の信頼を寄せているのであろう。

もう一人、非常に強烈な印象を受けるのはかづ子の娘、都会の勤務医役の井川遥。その清楚な美しさも特筆ものだが、本物の医師としての存在感と自分に心を開かない母親との対峙に見せる緊迫の演技と切迫感に心を奪われる。

八千草薫のための映画だったとも言える程

そして圧巻はかづ子役の八千草薫。この映画は八千草薫のための映画だったと言ってもいい程の圧巻の存在感と美しさを誇る。本当に素晴らしい。八千草薫はこの映画の出演時、78歳。しかも山村で細々と農業に携わる地味な未亡人の役。いわば田舎のお婆ちゃん役である。それでいて光り輝くような凛とした美しさにうたれてしまう。

あのかづ子がニセ医者の伊野を揺り動かした。彼女が患者として伊野の前に現れなければ、伊野は失踪することもなかったはずである。そんな重要な役柄を、あくまでも自然体で力を抜いて演じた78歳に最大の賛辞を捧げたい。

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幾重にも張り巡らされた「嘘」の実相は?

「嘘」をテーマにしたこの作品。「ゆれる」ではまだ内側に秘められていた「嘘」が、「ディア・ドクター」では一挙に前面(全面)に躍り出た。主人公の伊野の医師詐称がその最たるものだが、実はそれだけではないことが重要だ。八千草薫のかづ子が、医師の伊野にある嘘を依頼する。そのときにはかづ子は伊野がニセ医者だとはもちろん知らない。伊野は迷いながらもかづ子の嘘を引き受ける。この嘘を、ニセ医者がどこまで貫けるのかが最大の見どころとなる。

僕が一番気なってならないのは、身近にいた看護師の余貴美子と研修医の瑛太が、どこまで気づいていたのかである。もし気づいていながら黙っていたとするなら、周囲にずっと嘘をつき続けていたわけであり、これは大きな問題を孕む。どうしてそれを告発しなかったのか!?

許される嘘というものはあるのだろうか?動機において許されるのなら、周囲に嘘をつき続けてもいいのだろうか?

問いかけは日本の医療の本質的な問題点に深く関わることであり、いかにも重い。

「嘘」に拘り続ける西川美和の深層心理に迫ってみたいものだ。

ちなみにこの「ディア・ドクター」の映画公開時のキャッチコピーは、「その嘘は、罪ですか」である。必ずしも主人公のニセ医者のことだけを言っているのではないことが、ポインドだ。

恐るべし西川美和

「ディア・ドクター」の脚本は、もちろん監督の西川美和自身が書いている。西川美和は自分は脚本家であり、監督業は後から付いてきたと思っているようだ。過去の作品の全てが、自ら書いて完成させた脚本を、自分で演出しているのだが、西川美和の凄いところは、その脚本をノベライズ(小説化)したり、逆に自ら書き上げた小説を、脚本に脚色したりするなど文学的な手腕が傑出している。

この「ディア・ドクター」の原作は、西川美和自身が書いた小説「きのうの神さま」である。ちなみにこの「きのうの神さま」は直木賞の候補作になったということで、そのマルチの才能に驚かされるばかり。

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最高の愛の話しではないだろうか

この映画は謎に満ち溢れている。「ゆれる」ほどではないが、全編が謎ばかりのでミステリーだと言っても決して過言ではない。

錯綜した嘘。誰がどこまで嘘をついているのか?そしてあのラストシーン。実に謎が多い。

そしてもう一つのポイントは、冒頭にも書いた医療を巡る日本の社会が現在直面しているいくつもの社会的なテーマ。

そんな様々なテーマを複雑に孕みながらも、僕はこの映画の最大の眼目は「愛」じゃないかと考えている。この映画は最高の愛の話しだと思えてならないのだ。「愛」こそが最大のテーマ。

「愛の話し」という視点で冒頭から映画をもう一度観始めると、もう最後の最後には涙が込み上げて止まらなくなってしまう。

このブログの読者の皆さんもどうか実際に観ていただき、大きな「嘘」をつきながらも、その中で最後まで自分を貫いた一人の男の誠実な生き様を目撃していただきたいと切に願う。これは至高の名作と呼ぶしかない傑作だ。

これを観ないのはあまりにももったいない。

 

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