「空気の底」を凌ぐ充実のミステリー短編集

「空気の底」を紹介した際に触れた手塚治虫の傑作短編漫画集の「ザ・クレーター」を予告どおりに取り上げる。

最初に断っておくが、「空気の底」は大人向けの雑誌に掲載された作品であり、この「ザ・クレーター」は少年誌に掲載。その違いは明らかにあるということだ。

少年向けにテーマは限定されているのだが、その中で趣向を凝らした内容の充実度は本当に素晴らしい。

確かに手塚治虫自身が言っているようにいずれも粒揃いで、傑作のオンパレードとなっている。

ここでまた手塚治虫の短編漫画の妙技に存分に酔いしれたい。

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「ザ・クレーター」の基本情報

これはまだ創刊まもない「少年チャンピオン」に掲載された。創刊当時「少年チャンピオン」は1カ月に2回、つまり週刊ではなく隔週刊だったのが、この「ザ・クレーター」は毎回連載された。

連載は1969年8月10日から70年4月1日までの約8カ月間。手塚治虫が41歳から42歳と言う最も脂の乗っていた最盛期である。

実は、この「ザ・クレーター」は前回紹介した「空気の底」とほぼ並行して連載されていた。「空気の底」の方が少し早めにスタートしているが、ほとんどはかぶっていて、全くの同時期に別の雑誌にそれぞれ連載されていたのである。

そしてまたそれは、何と「火の鳥」中のあの至高の名作「鳳凰編」とも同時に書かれていたという信じがたいことは、「空気の底」でも触れたとおりである。

本当に手塚治虫という人は信じられない離れ業をいとも簡単に成し遂げていたのである。そら恐ろしくなるばかりである。

正にこの頃が手塚治虫の絶頂期と呼んでいいだろう。

作品は全17作。その中の何編かには「オクチン」こと奥野隆一という少年が登場してくるのだが、実はこのオクチン、いずれもオクチンとは呼ばれ、同じ顔をした少年なのだが、ストーリーは続くわけではなく、物語的にはその都度、別の少年の登場というトーンで貫かれているので、注意が必要だ。

紹介した「ザ・クレーター」の手塚治虫漫画全集の表紙写真

今はもう入手できない手塚治虫漫画全集の「ザ・クレーター」全3冊。中々印象的な表紙絵だ。

少し長めの短編漫画

もう一つ、ここで触れておかなければならないことは、この短編漫画集、いつもの短編に比べると少しページ数が多いのである。つまり少し長い。これは大切な点だ。

「ブラック・ジャック」でも「空気の底」でも、基本的には1話あたり20ページなのである。

ところが、この「ザ・クレーター」では、約1.5倍長くなっていて基本的に29〜30ページだ。中には32ページという作品もある点には注目が必要だ。

その分ストーリー展開に余裕が出て、かなり入り組んだ複雑な物語が展開されることになる。それだけにとりわけ充実した力作が多くなったのではないかと考えられる。

現在唯一入手可能な手塚治虫文庫全集の表紙写真。

現在唯一入手可能な手塚治虫文庫全集。こちらは全17作を1冊に収めている。かなり厚い文庫となっている。

どんなテーマが取り扱われているのか 

基本的には怪奇ミステリーが中心だ。「空気の底」と同様にミステリー、ホラー、世紀末SFなど、幻想的かつ奇々怪界な話しが多い。

「空気の底」でも触れたが、アメリカではもちろん、日本でも大ヒットした「ミステリー・ゾーン」(「トワイライト・ゾーン」)の世界、日本では「世にも奇妙な物語」に代表される大どんでん返しを含む怪奇ミステリーである。

特にこの「ザ・クレーター」では、全体的にSFに材を受けた作品が多いのが一つの特徴でもある。

「ザ・クレーター」の全ての表紙写真。

全体を並べるとこうなる。

全体を立てて写した写真。

立ててみるとこうだ。文庫本は1冊にまとめられた分、相当に厚くなっている。

天才のストーリー展開の妙技に驚嘆

僕はこの「ザ・クレーター」をもう繰り返し何度読んだか、数えられないほどだ。

その都度、手塚治虫のストーリーテラーとしての傑出した才能に驚嘆させられることになる。

普通の人間には到底思いつかないストーリーを、これまた想像を絶する展開に引っ張っていって、最後の最後にアッと驚かせる衝撃的な見事な結末で決着をつける全体の流れが、ものすごい。

どこまでも計算され尽くした見事なシナリオなのだ。

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特にお気に入りのエピソード

ネタバレにならないように気をつけて、4編ほど、特に僕が気に入っているエピソードを具体的に紹介してみたい。

溶けた男

これはSFのタイムトラベラーに属する作品だろうが、ホラーでもあり、反戦への強い思いが全面に出た、息を呑む衝撃的な作品。手塚治虫の全作品を通じても屈指の傑作だ。

ベトナム戦争の反対運動が盛んな中、アメリカから依頼されてある大学で極秘の研究に携わっていた佐藤は、深夜、大学の地下の教室で一人で勉強している風変わりな学生と知り合う。大学で調べてもらうとそんな学生はいなかった。更に調べるとその学生は何十年も前の太平洋戦争当時の学生だったことが判明。彼は軍部に逆らって壮絶な最後を遂げていた。そのことを知り、佐藤はある重大な決心をするが、運命は過酷に回り始めるのだった。

相当に衝撃度が強いので、覚悟が必要。だが、これは紛うことなき稀有の傑作だ。

爆撃機

とある架空の国を舞台にしたこれまた強烈な反戦ドラマ。

戦闘機のパイロットの奥野は空中戦で被爆して、生命カラガラ無人島に不時着。軍は彼の帰還を待っていたが、消息不明となったことで、「胸に被弾しながら最後の力を振り絞って敵軍の司令塔に突入した英雄」に祭り上げてしまう。国内に知らない者のいない軍神扱いを推し進めたのだ。

そんな中、奥野が軍に帰還してくる。慌てた軍部は、どうしても彼を亡き者にしようと、もう一度、敵軍に攻め込んで死んでこい!と命令をくだすのだった。ところが。

戦争と軍組織の救い難い仕組みを赤裸々に描く衝撃の問題作。戦争と軍の愚かさを強烈に糾弾して読む者を圧倒する。

双頭の蛇

1990年代(書かれた当時としては20年後の未来の話しだということに注意)、黒人と白人の比率がほぼ均等となっていたアメリカで、強烈な黒人差別が描かれる。表向きはしがない稼業に就いて大人しく暮らしている白人のキケロは、実は極端な人種差別者で、ギャングの帝王だった。黒人の実力者を次々と暗殺し、部下も残酷な方法で容赦なく殺す悪魔のような男。そのキケロの幼い男の子アーティは、そんな父親の正体を全く知らない。アーティには黒人の親友リュウがいたが、リュウの父親もキケロに残酷な方法で殺されるに至って、リュウは全ての真相をアーティに伝えてしまう。

絶望したアーティは家を飛び出す。キケロの必死の捜索も虚しく、どうしても探し出せない。リュウがキケロの盲点を突くアッと驚く方法で、探し出せなくしていたのだが、焦ったキケロが取ったある行動で事件は思わぬ方向に展開してしまう。

これは時代を先取りした驚くべき物語。これだけで優に一本の名作映画が作れそうだ。アーティとリュウの関係が何とも素晴らしく、残酷シーンが多いにも拘らず、しみじみと感動せずにいられない。爽やかなラストシーンも秀逸。手塚治虫の人を見る目の確かさと優しさに驚嘆させられる。

クレーターの男

これは「ザ・クレーター」の最後のエピソードであり、全体のタイトルにもなっている全体を通じての頂点と言うべき傑作だ。

これは純然なSFである。いかにも手塚治虫ならではの想像を絶する驚異的なストーリー。どこからこういう発想が出てくるのか、本当に頭の中を覗いてみたい。

アポロ18号で月面探索をしていたウイリアムは、地球から雲のようなものが観測されているクレーターで、その雲の正体を探りに出かけるが、事故に遭って、クレーターの巨大な壁面に宙吊りになって、全く身動きが取れなくなってしまう。やがて酸素がなくなり、苦しみの中で彼は息絶える。

死んだはずだった。ところが、やがて彼はふと目を覚ますのだった。死ななかったのか?いや、明らかに彼は一度死んで、そこから長い歳月が経って再び蘇ったのだ。目覚めた彼はミイラのような姿に変わり果てていたが。

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手塚治虫の魅力が凝縮された名作群

他にも心底恐ろしい思いをさせられる「巴の面」、あまりにも切な過ぎて涙が枯れてしまいそうな「生けにえ」など、強烈な印象を残す素晴らしい作品が多い。どれを取っても甲乙付け難い傑作ばかりだ。

手塚治虫の短編漫画の頂点の一つであり、手塚治虫魅力が凝縮されたと言っても過言ではない「ザ・クレーター」、全17編。

大いに楽しんでほしいものである。

 

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