目 次
暗い音楽ばかりを量産したシューベルト
このところ、「死の目前に到達した異常なまでの創作的高まり」として31歳で夭折したシューベルトの死の年に作曲されたとんでもない作品を紹介してきた。
「弦楽五重奏曲 」と歌曲集「白鳥の歌」(僕の紹介記事は2部構成:前編・後編)。これらはシューベルトが31歳で急逝した1828年に作曲されたものだった。
その2曲とも非常に暗いことはもちろんだが、その芸術性は至高の高みに達しており、シューベルトの全作品を通じての頂点がここにあったことは言うまでもない。
この死の年に作曲された傑作はまだあるのだが、それはまた次回に取り上げるとして、今回のシューベルトは死の直前に作曲されたものではないものの、死の年に作曲された至高の作品群に勝るとも劣らない暗い音楽を紹介したい。
弦楽四重奏曲の「死と乙女」である。
これは膨大な量に及ぶシューベルトの全作品の中でも、非常に良く知られた傑作で、シューベルト屈指の名作として極めて人気の高い作品である。
それが何ともやりきれないほど暗い音楽なのだ。
シューベルトという人はとにかく暗くて、絶望的な音楽を量産した作曲家なのである。
「未完成交響曲」の耐え難い陰鬱さ
シューベルトと言えば「未完成」と言われるほど、作曲者名と作品名が不可分に結びついたものを他に上げるのが困難なほど良く知られているシューベルトの「未完成交響曲」も、実に陰鬱な暗い曲である。
僕は小学校高学年の頃に、シューベルトの「未完成」と共に、他の有名交響曲であるモーツァルトの「ジュピター」やベートーヴェンの「運命」、ドヴォルザークの「新世界」の4曲を夢中になって繰り返し聴いていた当時から、シューベルトの「未完成」は非常に苦手で、あの暗さと、しばしば大音量で癇癪を起すような曲想が好きではなかった。4曲の中で、いつも避けていた曲が「未完成」だった。
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暗いイメージはないかもしれないシューベルト
シューベルトは残された肖像画を見ても、非常にやさしい表情をしたイケメンである。
いかにも青春と若さの象徴であり、爽やかなイメージはあっても、そんなに暗いと言うイメージは一般的にはないかもしれない。
そのシューベルトは憑りつかれたかのように非常に美しい歌曲を量産し、31歳の若さで夭折した。
石川啄木に近いイメージだろうか
日本の歌人でいうと「石川啄木」のようなイメージが、最も近いだろうか。石川啄木は何と26歳で夭折しているので、シューベルトよりも更に5歳も若く亡くなっている。
シューベルトが「一握の砂」に代表される石川啄木に限りなく近いイメージというのは理解できる。
啄木を暗いと捉えることが適切かどうか自信がないが、才能を認められずに極貧の中に生きた啄木に暗い作品が多かったのは、紛れもない事実。
啄木との類似性はともかく、シューベルトには暗い作品が本当に多い。
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「死と乙女」にすっかりとハマっている日々
「未完成交響曲」、歌曲集「冬の旅」など、良く知られた名作はいずれも暗いものが多いが、その中でも、最も暗く絶望的な曲想を誇る作品が、今回紹介する弦楽四重奏曲「死と乙女」だ。
このめちゃくちゃ暗くて、絶望感が充溢しているどこにも救いがない感じの音楽が、実は、一聴するなり心を鷲づかみにされる名曲中の名曲なのである。
全4楽章からなり、全体を聴くと演奏によっては50分近くもかかる大曲だが、冒頭から曲の終わりまで、若き天才作曲家の持てる力が存分に発揮された超弩級の傑作。
曲のタイトルの「死と乙女」というのは、シューベルト自身が作曲した有名な歌曲「死と乙女」が第2楽章で非常に印象的に用いられているからだ。
この第2楽章の切々と胸に迫る部分は、正に圧巻である。
誰でもこの曲を一度聴けば、その悲しみと絶望感に心を揺り動かされ、忘れ難い音楽となるに違いない。
僕はこのところ、例のハ長調の弦楽五重奏曲とこの「死と乙女」を、繰り返し聴き続けている。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏も素晴らしく、この年齢になって、何故かシューベルトに魅了されてしまう。
弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」の概要
先ず、作曲されたの年は1824年。シューベルトが死んだのは1828年なので、死の4年前。年齢は27歳だった。
シューベルトが31年というあまりにも短すぎる生涯であったにも拘わらず、膨大な量の作品を作曲したので、1824年、27歳当時には直接の死の影はなく、その後も死の年までに作曲された作品はたくさんある。
そういう意味では、この「死と乙女」は「死の目前に到達した異常なまでの創作的高まり」にいう範疇に該当する作品ではない。
弦楽四重奏曲「死と乙女」は、27歳という若さで作曲されたにも拘わらず、シューベルトが作曲した弦楽四重奏曲の中では14番目の作品となる。
2年後の29歳で第15番が作曲されており、それが最後の弦楽四重奏曲となった。
楽章ごとの概要と解説
全体は4つの楽章からなり、演奏時間は全体で40分以上かかる、古今東西あまたある弦楽四重奏曲としてはかなりの大曲の部類に入る。
【第1楽章】 約11分半
アレグロ ニ短調、4分の4拍子、ソナタ形式。
冒頭は付点のリズムを伴う極めて力強く印象的な2回のアタックで始まる。
まるで暗闇を鋭く切り裂くようなこの冒頭の音楽を聴いただけで、聴き手はシューベルトの「青春の闇」に引きずり込まれてしまう。
この楽章、僕は非常に気に入っている。
【第2楽章】 約14分半
アンダンテ・コン・モート ト短調、2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ)、変奏曲形式。
この楽章の主題は、シューベルト自身が1817年(ちょうど20歳頃)に作曲した歌曲「死と乙女」の冒頭のピアノ伴奏部分に基づいており、それが5つの変奏とコーダで展開されていく。
これが第2楽章の冒頭に流れる「死と乙女」の旋律である。
こちら↓が歌曲「死と乙女」の楽譜。2ページのうちの1ページのみ。
この冒頭のピアノ伴奏部分が弦楽四重奏に取り入れられている。
【第3楽章】 約4分
スケルツォ:アレグロ・モルト - トリオ ニ短調 - ニ長調、4分の3拍子、複合三部形式。
これは活きのいいリズムで、聴く者の耳を刺激してくるが、途中でいかにもやさしい心が和む音楽が流れ始める。こういうところはシューベルトの真骨頂だ。
だが、それもほんの束の間。また刺激的な音楽に戻って閉められる。
【第4楽章】 約9分
プレスト - プレスティッシモ ニ短調、8分の6拍子、ロンドソナタ形式。
最初はちょっとせかせかした音楽で、青春の慌ただしさを感じさせる。ゆとりなんか到底ないぞ、といった感じが伝わってくる。
途中でいかにも堂々とした力強い音楽が立ち現れる。運命の荒波に抗って、正々堂々と胸を張って生きようとする力強い宣言のように思えなくもない。
暗く絶望的なこの暗い曲を閉めるには、これでいいのかもしれない。
といって、明るい光が差し込むわけでは決してない。ここにあるのはあくまでも悲壮感であり、最後には堂々と全曲が結ばれる。
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第2楽章の「死と乙女」部分について
曲全体の中でもタイトルの由来となったこの「死と乙女」の変奏部分が圧巻であって、この曲を聴いたときの深い感動と共感は、この第2楽章部分にあることは間違いない。
この約15分間に、聴いている者の感情も徹底的に揺り動かされ、深い感動へと導かれることになる。
この楽章は、前述のとおり歌曲「死と乙女」の冒頭のピアノ伴奏部分から引用されているのだが、楽章全体が「変奏曲」となっている点がポイントだ。
変奏曲について
変奏曲というのは、クラシック音楽で良く見かける形式であり、ズバリ「○○変奏曲」と名付けられている作品が少なくない。しかもそれらはかなり有名なものが多く、名曲が揃っている。
何と言っても大バッハの「ゴールドベルク変奏曲」が名曲中の名曲であり、ベートーヴェンにも「ディアベリ変奏曲」、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」というのも名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。
ある特定のテーマ(メロディ)を最初に奏で、そのメロディを少しずつ変えていく、つまり変奏していくわけだ。
ベートーヴェンが変奏の名人だったことは良く知られているが、音楽史上最高の変奏の天才は、もちろん大バッハことヨハン・セバスティアン・バッハである。
バッハの十八番だった「フーガ」というのも、言ってみれば究極の変奏に他ならず、晩年の「音楽の捧げもの」や「フーガの技法」、そして高い人気を誇る「ゴールドベルク変奏曲」まで、数学的な精緻さで変奏を極めていく。
アマチュア的な分かりやすさが最高
それらの超人的な変奏に比べると、この「死と乙女」のメロディを用いたシューベルトの第2楽章の15分間の変奏は、正直に感想を言わせてもらうと、それほどレベルの高いものとは思えない。
こんなことを言うと、叱られてしまいそうだが(炎上してしまいそう)、シューベルトによるこの変奏は非常に分かりやすく、音楽の素人が聴いても、確かにあの「死と乙女」のメロディが次々と変奏されていく様子が、手に取るように分かるものだ。
シューベルトはあの自身のメロディを、次にこうやって変奏し、その次はこうきたか!なるほどな、と非常に分かりやすいものとなっている。
分かりやすいだけではなく、そうやって変奏する作曲者の思いというか、狙いのようなものが手に取るように伝わってくるのである。
誤解を恐れずにいうと、これらの変奏はある意味で極めてアマチュア的な、それだけにありったけの魂の籠った熱い変奏を聴かされることになるのである。
「死と乙女」のメロディが5つに変奏されていくのだが、そうやって変奏される毎に、シューベルトのこのメロディに対する愛着というか、切実性が痛いほどに伝わってきて、聴き手の心を鷲づかみにする。
これは聴いていて、本当に心が痛くなる切実な音楽だ。身を切るような音楽と言ってもいいかもしれない。
それでいて、信じられない程の美しさで満たされている。
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この暗さと絶望感はどこから来たのか
ここまでの暗さと絶望感はただ事ではない。シューベルト時に27歳。「青春の深い闇」と言ってしまえばそれまでだが、実際にこの作品を作曲していた当時、シューベルトは様々な面でどん底にあえいでいた。
梅毒で助からないと判明した
何と言っても病気のことだ。重い梅毒に罹患しており、助からないと言われてしまう。詳細は分からないが女中から移されたと一般的には言われているようだ。
そして実際に4年後にその梅毒が原因で、シューベルトは31歳でこの世を去った。
今なら、ステージ4のがんの告知を受けたようなものだろうが、あれだけ繊細で、いかにも誠実そうなシューベルトが梅毒で身をボロボロにされていくことは、本人も耐え難いものであっただろうことは想像に難くない。
そんな矛先をどこにも当てることのできない怒りと自己嫌悪。深い絶望はいかばかりだっただろう。
悲しみというよりも怒りしかなかったのでなかろうか。その怒りは自分自身にも向いていただろう。正にシューベルトを死の世界に引きずり込む青春の闇だ。
そんな事情を知ると、この弦楽四重奏曲「死と乙女」のただならぬ暗さと絶望感の深さは、少しだけ理解できるような気もする。
シューベルトの作品の多くが、非常に暗く救いがたい曲調に覆われていることは、この病との戦いと絶望によるものが大きかったことは、間違いなさそうだ。
梅毒で命を奪われた芸術家たち
ちなみに、この梅毒という病は、著名な芸術家の命を大量に奪った許し難い病気であった。
作曲家として有名なところでは、あのシューマンの発狂は、血筋もあったようだが梅毒だと言われており、他はスメタナが有名だ。歌曲作曲家のヴォルフなど。
実はベートーヴェンも梅毒に罹っていたと言われている。
他のジャンルに目を移すと、画家のゴッホとマネ、ゴーギャン。文学・哲学の分野では特に多く、あのシューベルトの「白鳥の歌」で紹介したハイネ、ボードレール、モーパッサン、ニーチェ、オスカー・ワイルドなど錚々たるビッグネームが並んでいる。
ペニシリンという特効薬は本当に喜ばれたわけである。
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全ての楽章が短調で貫かれた徹底ぶり
ここまで暗い作品も珍しい。暗い音楽は調性的には短調であることはもちろんだ。
この曲は弦楽四重奏曲第14番 ニ短調「死と乙女」とされているが、この曲に限らず、曲名の前に調が表示されることが多い。
但し、その曲が仮に4つの楽章から成り立っている場合、調名は冒頭の楽章の調が示されるのが常で、曲全体がその調であるわけではない。当然だ。
ところが「死と乙女」の場合、第2楽章が短調であることはもちろんだが、ニ短調と表示される以上、冒頭の第1楽章がニ短調であることは理解できると思う。
ところが前述のとおり、第3楽章も第4楽章も全て短調なのである。つまり曲全体の全ての楽章が短調で構成されている。
こういう曲は、滅多にない。
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徹底した暗さと絶望感に却って勇気づけられる
これ程の暗い曲も、その曲が暗ければ暗い程、聴く者にとっては救い、魂の救済になるということがある。
僕が手塚治虫の作品の中でも、「黒手塚」と称されるめちゃくちゃ暗くて、残酷で、救い難い一連の作品を愛して止まないように、音楽でも同じことが当てはまる。
やり場のない怒りや絶望を、感情に任せて全てありのままに吐露することで、吐露した側も、それを受け入れる側も、共に救われるということがあるのだ。
自分と同じように苦しんでいる作曲家がいて、その苦しみを音楽によってありのままに表現されることで、それを聴く者はその絶望感と怒りを共に味わうことで、却って気持ちがスッキリすることがある。
そして明日への活力が湧いてくる。そういうことが、不思議だが確かにあるのだ。
この「死と乙女」を聴いて、つくづくそう思うのである。
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この黒シューベルトの世界を味わってほしい
この曲はどこまでも暗い作品だが、一聴してその音の深さと切実さに心を鷲づかみにされてしまう実に説得力のある、聴く者の心に深く響いてくる音楽である。
圧倒されてしまう凄い音楽で、聴いてもらえれば、忽ち心を奪われてしまう強烈な音楽でもある。
青春の闇と言ったが、この悩み多き人生、特に苦しいことばかり多い青春時代にとっての掛け替えのない音楽、正に「青春の金字塔」と言ってもいい至高の音楽だ。
この音楽を聴いてもらえれば、誰もが感動し、シューベルトのことが大好きでたまらなくなる必聴の名作。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団のこの世のものとも思えないほどの美しさと傑出した説得力を持つ超名盤を聴いていただきたい。
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こちらは僕も愛聴しているアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏。完璧な素晴らしい演奏で一番の押し。
シューベルト:弦楽四重奏曲≪死と乙女≫、≪ロザムンデ≫ [ アルバン・ベルク四重奏団 ]
もう一つは、アマデウス弦楽四重奏団の演奏もお勧め。こちらはシューベルトのもう一つの室内楽の名曲、ピアノ五重奏曲「ます」のカップリングで、何とも嬉しいもの。
こちらも自信を持ってお勧めしたい。
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★CD / エミール・ギレリス、アマデウスSQ / シューベルト:ピアノ五重奏曲(ます)、弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」 (解説付) / PROC-1539