一見、いかにも手塚治虫らしからぬ作品だが

「アドルフに告ぐ」から始まって、「きりひと讃歌」「奇子」と手塚治虫晩年の青年・大人向けの衝撃的な作品を取り上げてきた。「きりひと讃歌」「奇子」とビッグコミックに連載された作品がその発表順どおりに続いたので、このままその後のビッグコミック連載を追いかけてもいいのだが、あまりにも内容が重いものが多かったので、少し離れて、ギャグ漫画、ブラックユーモアに満ち溢れたとんでもないSFコメディを取り上げることにした。

「人間ども集まれ!」である。これは知る人ぞ知る手塚治虫の中期を代表する大傑作で、手塚治虫を語る上でどうしても外すことのできない作品なのである。

但し、この作品はその絵を一目見ていただくと直ぐに分かることだが、いつもの手塚治虫の絵とは全く似ても似つかぬいかにも手塚治虫らしくない絵で描かれている。

この漫画を読んで、直ぐに手塚治虫作品だと分かる人はいないのではないかという程、いつもとまるで異なる手塚治虫がここにいる。

そんな具合に絵はいつもと全く異なるトーンで描かれているが、内容は一応SFなので、その点に関しては手塚治虫らしいと言っておこう。

でも、ここに描かれるSFの世界も、いつもの手塚治虫の世界とは明らかに異なるものだ。そして何と言ってもこの作品はギャグ漫画、徹底したコメディなのである。ドタバタコメディと言ってもいい。手塚治虫はギャグ漫画もたくさん描いたが、有名な作品はそれ程多くはない。

その意味で、この「人間ども集まれ!」は、絵もいつもと違うばかりか、内容もSFとはいうものの、毒に満ちたブラックコメディであり、いかにも手塚治虫らしからぬ異質の作品のように受け止められそうだ。

だが、決してそうではない!僕はこの作品は最も手塚治虫らしい作品ではないか!?ある意味で手塚治虫の思想や世界観をブラックユーモアで包み込んだ、最も手塚治虫らしい作品で、彼の代表作たる地位を占める名作中の名作、最高傑作と言ってもいいのかなと思う程である。

いつものようにまたベスト5の話しをすると、やはりベスト5には入れられないが、ベストテンには必ず入ってくる、いや入れなければならない重大な問題作とは断言できる。

手塚治虫漫画全集全2巻。現在入手不可能。

想像を絶するものすごい内容

内容は想像を絶するものすごいもので、これをリアルに描くことは流石の手塚治虫も躊躇ったであろうという程の衝撃作。

ここに描かれた世界はあまりにも強烈過ぎて、「だから手塚治虫はいつもと異なるこんな軽いタッチの絵にして、ギャグ漫画で描くしかなかった」というのが真相ではないか、と思いたくなるほど衝撃的な内容なのである。

順を追って説明していこう。

「アドルフに告ぐ」と同じ文春文庫ビジュアル版として出た文庫全2冊。真っ白な紙がここでも美しく、読みやすい。これも現在入手不可能。

「人間ども集まれ!」の概要

1967年1月25日号から68年7月24日号まで、ちょうど1年半に渡って週刊漫画サンデーに連載。手塚治虫は39~40歳であった。

手塚治虫が起死回生を掛けて、ビッグコミック誌に青年・大人向けの作品を連載し始めたのは1968年、40歳の時のこと。その第1作は「地球を吞む」だが、この「人間ども集まれ!」の後に、あの一連のビッグコミック連載が始まったと考えてもらえばいい。厳密に言うと「人間ども集まれ!」の後に、いわば第二の人間ども集まれ!とも呼ぶべき「上を下へのジレッタ」というコメディが発表されるのだが、いずれにしても「人間ども集まれ!」という如何にも破天荒なとんでもないブラックコメディに取り組んだ後、やおらビッグコミックの一連の傑作群が誕生することになるわけで、その意味でもこの「人間ども集まれ!」は手塚治虫の全作品を通じても、特別に重要な意味を持つ問題作なのである。

それにしても、過激な内容だ。繰り返すが、コメディだから許されたとんでもない作品と言っていいだろう。

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先ずは絵のタッチの違いについて

ストーリーの紹介に入る前にここで手塚治虫が採用した手塚治虫らしからぬ絵のタッチの違いについて、先に説明しておきたい。

「大人漫画(マンガ)」というジャンルがある。これは再三説明して来た手塚治虫の晩年の青年・大人向けの漫画とは意味が全く異なるので注意が必要だ。手塚治虫がビッグコミック等に連載した青年・大人向けの漫画、つまり「大人向け漫画」と「大人マンガ」は全く別の概念である。

手塚治虫の大人向け漫画は、そのテーマが少年向きではなく、青年あるいは大人を読み手の対象にした漫画という意味で使っている。それに対して、大人マンガは、もちろん大人向けの内容が多いのも事実だが、絵のタッチを問題としていて、ほとんど背景のない細くて柔らかな線で描かれた軽いタッチが特徴。

あの小島功の絵、カッパの出てくるあの黄桜のマンガが代表例だと言えばイメージが湧くだろう。劇画の対極にあるタッチである。

これが「大人マンガ」のタッチ。戦争シーンでも悲壮感はまるでない。

この軽いタッチが意外と癖になる。

大人マンガはある時期、かなり漫画の主流と呼ぶべきほどの勢いを持ったこともあり、大きなスランプに陥って色々と試行錯誤を繰り返していた手塚治虫にとって、大人マンガで描くことは大きなチャレンジであったに違いない。

手塚治虫自身、大人マンガは簡単に書けるので、まんざらでもなかったようだ。長編ではこの人間ども集まれ!と上を下へのジレッタの2作品があり、短編では「フースケ」が活躍する一連の作品があって、手塚治虫の膨大な作品の中では目立たない作品だが、読んでみるとそれが結構おもしろい。

このことに関しての、手塚治虫自身の言葉を引用しておく。

手塚治虫漫画全集の「人間ども集まれ!」のあとがきで、手塚治虫自身が「なぜこういう画風でかいたか、という点については、(中略)なによりも、それまでのぼくの漫画の画風に限界を感じていたからです。子どもむけの、あかぬけしない、ごちゃごちゃしたペンタッチから、ぬけだしたいとも思っていたからです。(中略)漫画家もだんだん年をとっていくと、若いときのようなこまかな線がなかなかかけなくなるといいます。ぼくの場合、たしかに目がわるいせいもあって、こまかいペンタッチにはしだいに苦痛を感じてきたわけで、この「人間ども集まれ!」や「フースケ・シリーズ」のようなかき方は、たいへん気らくに、気をはらずにかくことができまいた。(後略)」

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どんなストーリーなのか

東南アジアのとある架空の国の戦争に参加した主人公の天下太平は、戦火を免れようと逃亡していたが、そこで同じく逃亡中の科学者大伴黒主(おおとものくろぬし)と出会い、一緒に逃亡生活を送ることに。結局、二人とも捕らわれてしまうのだが、その国では戦闘を効率良く進めるために、捕虜の精液を採取して試験管で人間を育てようとするとんでもない人体実験を繰り返していた。そして、何と天下太平の精子が特殊な精子であるこことが判明し、新たな人間の誕生が企てられる。

ゲリラの襲撃によって、その研究所は破壊されてしまうが、今度は仲間の大伴黒主が、天下太平の特別な精子に興味を持って、研究の名目の元、良からぬ計画を企てる。尻尾が2本ある天下太平の精子から生まれた人間は、男でも女でもない、第三の性、つまり生殖器のない無性人間だったのだ。

そこにもう一人、何ともうさん臭い記者崩れの「呼びや」の木座神明(きざがみ)が登場。大伴と木座神は結託して、天下太平の精子を使って無性人間を大量に誕生させ、まるで働きバチのように兵士としてだけ働かせるシステムを作って、人間の言うことを忠実にきく殺人マシーンとして大量に育て上げていく。

法的には無性人間は人間とは見なされず、無性人間を殺しても何の問題もないこととなり、これを梃にとんでもない計画を次々に実行していく。

先ずは太平天国という独立国を作って、世界各国に無性人間の兵士たちを大量に輸出して暴利を貪る。それでも飽き足らず、更にエスカレートさせ、アメリカから返還された直後の小笠原で戦争ショーが計画されることに。大スタジアムで無性人間同士に戦争をさせ、そこに世界中から要人と観客を集め、全世界に配信上映するという一大イベント計画だ。

全ての無性人間の父親である天下太平はこの計画を止めることができない。一方、無性人間の中には反抗分子も出てきて、無性人間の第一号である未来(みき)を中心にこの戦争ショーをやめさせようと妨害工作を繰り広げるのだが、遂に幕は切って降ろされる。

果たして戦争ショーはどうなるのか?そして無性人間の運命は?

物語は想像を絶するスケールで急展開し、最後には衝撃的な結末が待ち受ける。

とにかくその抜群のおもしろさ。この奇想天外のストーリーに時の経つのも忘れてしまう。最後はそこまでやるのかという衝撃の大きさに言葉を失ってしまうに違いない。

最高のブラックユーモアは、下手なドラマよりもよっぽど核心に迫る

こんな大人マンガでも、その抜群のおもしろさはいつもの手塚作品だ。何を書かせても上手いもんだなと感心させられることしきり。

これはかなり衝撃的で、絶望的なストーリーでありながら、ここには「きりひと讃歌」や「奇子」、「アドルフに告ぐ」の深刻さや悲壮感は全くない。ほとんどゼロだ。言ってみればドタバタのブラックコメディ。究極のSFギャグコメディというのが真相。

ところがこのギャグコメディの内容が頗る発的なのだ。

この「人間ども集まれ!」は、あのスタンリー・キューブリック監督の驚愕の大傑作「博士の異常な愛情」がそうであったように、あまりにも内容が深刻で、悲劇的なものを描こうとしたら、こうやってコメディにしてしまうしかないという点と、更にこうやって描かれたギャグコメディは、往々にして、リアリズムに徹して描いた真面目なドラマよりもよっぽど本質に迫れることができるという見事な証左と言うしかないものだ。

手塚治虫の全作品を通じても、これ以上の過激なストーリーはない。戦争と殺し合いを繰り返す人間と言う生き物のどうしようもない愚かさ、バカさ加減を徹底的にギャグにして、コメディとして笑い飛ばしてしまう。

主人公の天下太平を担ぎ出した悪魔のような科学者の大伴黒主が呟く一言が全てを語っている。「どうして人間は戦争と平和を繰り返してきたのか?」

木座神の発想に背筋が凍りついてくる。
金儲けのために戦争ショーを企画して、その戦争で戦い合う人間に新しく生まれた新人類の無性人間を兵隊アリとして使うという発想。男でも女でもない無性人間という新たな人類を量産させて、彼らに人類が繰り返し続けてきた戦争と殺戮を全て肩代わりさせようとするわけだ。しかもその殺し合いと殺戮を見世物にして、人間の殺戮本能を満足させると共に、徹底的に儲けてやろうとする発想。こんな物語を他に誰が描けるだろうか。やっぱり手塚治虫は天才としか言いようがない。

話しがドンドン恐るべきテンポで展開していくスピード感。大胆な省略法が、映画よりも先を行っている感がある。

ブラックユーモア、この気宇壮大な物語。これはもしかしたら、手塚治虫の最高傑作、いかにも手塚治虫らしい最高の傑作のようにも思えてくるのである。

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全く異なる2種類のエンディングが存在

実は、この「人間ども集まれ!」には全く異なるエンディングが存在している。現在、読むことができるものは、漫画サンデーでの連載が終了後、手塚治虫が単行本化する前に、例によって手塚治虫が大幅に加筆修正を施した単行本版である。

元々漫画サンデーに連載されていた版、すなわちオリジナル版は、実は驚くなかれ、ハッピーエンドで終わっているのである。

この変更は非常に重要だ。手塚治虫自身のこの件に関する貴重なコメントが残っているので、少し長くなるが紹介しておこう。

「この漫画のラストは、単行本むけにすこしかきなおしてあるのです。連載の最終回は、もっとハッピーエンドでした。それを、このようなつきはなすような結末にしたのは、カレル・チャペックの「山椒魚戦争」のラストに感銘をうけた影響があると思っています。こんどの全集の上梓のさいにもとにもどしたら、という話もあったのですが、あえて単行本の形のままで再録しました。ぼくはこういう終わり方のほうがすきです。」

手塚治虫自身がハッピーエンドを拒否している点は非常に興味深い。チャペックから影響を受けたと告白しているわけだが、僕にはやはりこの作品の連載当時の手塚治虫が陥っていた深刻なスランプとその荒んだ精神状況が決定的だったのではないかと考えている。暗い手塚治虫、黒手塚とも呼ばれているが、そんな手塚治虫が大好きな僕としては、この結末に何の不満もない。

ハッピーエンドのオリジナル版も非常に素敵なのだ

だが、実はオリジナル版のハッピーエンドも実に素晴らしいのである。この本来の結末は本当に素敵。これはこれでどうしても残してほしかった、そう思わずにいられない。

少なくともどちらも読めるようにしておいてほしい。「アドルフに告ぐ」で詳しく紹介したように、今は手塚治虫作品のオリジナル版が競い合うように出版されている。実は、「人間ども集まれ!」のオリジナル版は、手塚作品のオリジナル版が雨後の筍なみに出てくる前に、他の作品に先駆けて出版されていたのだ。「人間ども集まれ!」完全版というのがそれ。

1999年に出版された完全版。これは本当に素晴らしい。どうしても入手しようとしたら古本で探すしかない。

完全版の裏表紙。これが天下太平のシッポが2本ある精子だ。

これが素晴らしい。両方の結末をいずれも載せた正に宝物。これは1999年、もう20年以上も前に出版され、今ではもちろん入手不可能となっている。他のどの作品よりも先にオリジナル版が出され、その後、オリジナル版がもてはやされてドンドン出されるようになった時には、もう消えていたという何とも残念な結末。あらためて再度出版してくれることを切望したい。

いずれも現在は入手できない。今、読めるのは講談社の手塚治虫文庫全集のみ。

これはLGBT、トランスジェンダーと真摯に向き合った先駆的な作品

ここで手塚治虫が描きたかったことが、何よりも戦争と金に憑りつかれた人間の愚かさであることは間違いない。だが、この新たな人間として男でも女でもない無性人間を登場させた手塚治虫の真意はどこにあったのだろうか?

実はこの無性人間は、男でも女でもないというのだが、外見上は自由自在に男にも女にもなりえる存在なのだ。ある時は男として登場し、自由自在にそのまま女に変身できる。セックスはできないのだが、外見上は男になったり女になったり、そこに境界は全くない。どちらの性にも変わりうるのだ。そういう意味ではこの作品はLGBT、特にトランスジェンダーの問題に真摯に向き合った極めて先駆的な作品と呼べそうだ。描かれたのは60年代の後半だ。その何という先見の明。その時代の先取りにそら恐ろしささえ感じてしまう。

手塚治虫の天才ぶりはこんなところにも表れる。この時代を大きく先取りした衝撃的な大問題作を、どうか一人でも多くの方が読んでくれるように祈らずにいられない。

最も手塚治虫らしさからかけ離れていながら、実は最も手塚治虫らしい作品でもあるという、このちょっと特殊な隠れた大傑作をどうかお見逃しなきよう。

 

 ☟ 今はこの手塚治虫文庫全集で読むしかない。全1巻。968円(税込)。
   電子版もある。こちらは880円(税込)。


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