感動的な自伝「音楽は自由にする」の続編だ

坂本龍一の逝去を受けて、急遽、新潮文庫として再発行された坂本龍一の自伝「音楽は自由にする」。

僕は直ぐに読み終えて、このブログに取り上げ、この自伝がどれほど内容が充実していて、感動的なものだったのかを縷々紹介させてもらった。

その記事の中にも書いたが、この感動的な自伝「音楽は自由にする」は、途中で終わっているのである。2009年、坂本龍一57歳までの記録に留まっている。

僕はその自伝があまりにもおもしろく、坂本龍一の業績はもちろん、坂本の生き様、考え方にも深く心を惹かれ、何としてもその続編を読んでみたくてたまらなかった。

どうしてこんないいところで終わってしまうんだ!?と。これじゃ、肝心かなめの坂本龍一のガンとの格闘もなければ、2011年の東日本大震災もない、もちろん今も続く新型コロナウイルスによるパンデミックも素通りしてしまう。

どうしてもその続きを読みたかった。

すると、ちゃんと続編が残されていることが判明。これには狂喜した。

それが今回紹介する「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」なのである。

そう言われれば、僕の行きつけの御茶ノ水の丸善でも、坂本龍一が急逝された後に、新潮文庫の「音楽は自由にする」と並んで、それほど厚くないハードカバーの長いタイトルの本が山積になっていたことが脳裏に思い浮かんだ。

「そうかあれだったのか。自伝の前編・後編の2部作が両方とも山積みになっていたんだ」と気が付いた次第。

但し、こちらはまだ文庫化されていないハードカバーである。

紹介した本の表紙の写真
これが表紙の写真。ボロボロに朽ち果てたピアノは一体何なのか?本書を読んで確認してほしい。帯に載った坂本龍一の姿が何とも印象的だ。
紹介した本の裏表紙
これが裏表紙。帯の解説が分かりやすい。

 

こちらも非常におもしろく感動的だった

直ぐに購入し、読み始めると、こちらも前編と全く同じトーンで書かれており、非常におもしろく感動的な内容だった。

今回も一気に読み切った。前編にも増してこれは感動に満ちた自伝であり、読み終えた今は、とにかく胸が詰まって感無量となる。

あの坂本龍一がもうこの世に存在しないという寂しさと悔しさはあるが、亡くなる直前までの坂本龍一の八面六臂の活躍と、坂本の信条や世界観を知ることができて、大変な満足感を噛み締めていることも事実である。

良くぞ、こんな素晴らしい自伝を遺してくれた、と感謝するしかない。

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坂本龍一「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」の基本情報

出版社は新潮社。2023年6月20日発行。僕が購入した本は7月10日発行の3刷である。

冒頭からいきなりガンの状況が伝えられ、それを含めて本文は8つの章立てとなっている。
以下にタイトルを示しておく。

1 ガンと生きる
2 母へのレクイエム
3 自然には敵わない
4 旅とクリエーション
5 初めての挫折
6 さらなる大きな山へ
7 新たな才能との出会い
8 未来に遺すもの

本文はそれで終了となるが、その後に

(編集者の鈴木正文による)著者に代わってのあとがき
フューネラル・プレイリスト
年譜 が付いている。

最終ページは285ページ。

初出は、『新潮』2022年7月号~2023年2月号である。

紹介した本を立てて写した写真
立てて写すとこんな感じである。

 

ちなみに年譜の前に置かれた「フューネラル・プレイリスト」とは何なのかと思われる向きが多いかと思われるが、これは逝去された坂本龍一の葬儀の際に流された音楽のリストアップである。

詳しくは後述するが、これを坂本龍一は自分自身であらかじめ決定していたのだ。それを見ると坂本龍一が最も愛した音楽が何だったのか如実に分かるかけがえのないものとなっている。

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冒頭にガンとの壮絶な闘いの全容が

自伝の前半に当たる新潮文庫の「音楽は自由にする」が2008年までで終わっているので、その続きである「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、当然2009年からスタートすると思っていた。

ところがそうではなく、いきなり余命宣告を受ける死の目前、つまり坂本龍一にガンが再発し、そのガンと格闘する壮絶な場面からスタートするので、本当にめんくらってしまう。

※今日では医療界では「がん」と表記するのが一般的なのだが、本書の中で坂本は「ガン」と表記しているので、それにしたがうことにする。

そして、読者の我々は坂本龍一がそのガンで71歳で亡くなっていることを知っているだけに、大変な衝撃を受けてしまうのだ。

これはあまりにも生々しく、切実かつ残酷過ぎて、冷静に読めなくなってしまう。

ここに書かれたガンとの必死の格闘は非常に辛いものだ。結局、助からずそのまま亡くなってしまった。その死の間際までのガンとの壮絶な闘いぶりが坂本龍一ご本人の言葉で切々と綴られる

その結末を、読者である我々は知っているのたが、書いている(語っている)ご本人は知るべくもない。

そのことがまた我々読者の胸を締め付ける。

そのガンとの直近の格闘ぶりを一通り伝えた後で、自伝前半からの続きである2009年に戻る構成となっている。

本のタイトルの由来

この本のタイトルは、ガンとの壮絶な闘いを続けていた坂本龍一が、後どれだけ生き続けることができるのかという率直な思いに他ならないのだが、実は、このタイトルの言い回しにオリジナルがあって、それをある時に坂本龍一がつぶやいたことが由来になっていることを、本書を最後まで読んでようやく知った。

坂本龍一自身による語りの本文が終了した後に付いている鈴木正文による「著者に代わってのあとがき」部分に、その経緯が詳細に紹介されており、なるほどなと思い知らされた。

2021年1月に坂本龍一は転移したガンを取り除く手術を東京で受けたのだが、その手術は困難を極め、20時間に及んだという。

ちょっと長くなるが、重要な部分なので、鈴木正文のあとがきからその部分をそっくり引用(表記もそのまま)させてもらう。

鈴木正文のあとがきからの引用

『1月の大手術のあとの心身の深傷(ふかで)に、坂本さんは病室で、ふと、「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」とつぶやいた、と、打ち合わせの席で、マネジメント・サイドの人がいった。坂本さんが音楽を担当した1990年の映画「シェリタリング・スカイ」(ベルナルド・ベルトリッチ監督)の最後に登場した原作者のポール・ボウルズが、ナレーターのようにして語った言葉の一部だった。
 このつぶやきが、連載の、そして、この本のタイトルとなった。それは、口にされたとたんに、僕たちのこころをとらえた。
 映画の中のボウルズは、モロッコの場末のカフェにまよいこんだ主人公のキットを演じたデブラ・ウィンガーに、「迷子になったのかね?」とたずね、「イエス」とこたえたかの女に、原作となった1949年の同名の小説中にある以下の部分を、棒読みするように語った。
「自分がいつ死ぬか知らないから、わたしたちは人生を、尽きせぬ泉であると思ってしまう。しかし、物事は無限回起きるわけではない。ごくわずかな回数しか起きないのが実際だ。子どものころのある午後をあと何回思い起こすであろうか?それがなければ自分の人生がどうなっていたかわからないふかいところで、いまある自分の一部になっているそんな午後であってさえ。たぶん、あと4回か5回だろう。いや、もっと少ないかもしれない。満月がのぼるのを見ることは、あと何回あるだろうか?たぶん、20回か。そして、それなのに、無限回あるかのように思っている」(拙訳)
 坂本さんは、まよいこんだ東京の病室で、ボウルズのこのことばを反芻したのだ。
 夜空を照らす満月と、昼のまぶしい青空を現出させる太陽とをともにのぼらせ、僕たちを護る一枚の薄皮のようなシェリタリング・スカイの、その向こう側に氾がる(ひろがる)闇を見つめて―。
 2021年1月の満月は、29日にのぼった。術後である。記録では空は晴れていた。その日から2023年3月7日までのあいだのすべての満月の夜に東京の空が晴れていたとすれば、坂本さんは、理論的には、満月を見る27回の機会を持った。現実には何回、見ただろうか―。

これを読んでもらえば、何の解説もいらないだろう。

ちなみにその映画「シェリタリング・スカイ」は、坂本龍一が映画音楽作曲家として一躍世界中にその名前を知られることになったベルナルド・ベルトリッチ監督の超大作「ラスト・エンペラー」に続いて、2本目に音楽を担当した作品であった。

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自伝の前半部分の新潮文庫とは重大な違いが

今回の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、新潮文庫からほぼ時を同じくして刊行された自伝の前半部分の「音楽は自由にする」とそのまま繋がっている。

正しく坂本龍一が書いた(語った)自伝の前編・後編なのだが、この2冊には装丁上というか、編集上というか、大きな違いがある。

新潮文庫の前編の方が、ずっといいのである。新潮文庫の「音楽は自由にする」は、元々ハードカバーで出版されていた坂本龍一の自伝を、急逝を機会に文庫化したものだ。

僕が自伝前半の新潮文庫を紹介したブログの記事の中でも強調したことだが、新潮社は文庫化するに当たって、多分オリジナルのハードカバーには載っていなかった非常に貴重なものを加えてくれたのだ。

充実していた人名や用語の解説がない

新潮文庫の自伝の前半部分に出てくる事項や人名の解説部分。この部分の解説の充実度はちょっと考えられないレベルだった。

この解説部分だけで、立派な「坂本龍一用語集」になる貴重なもの。章立て毎に非常に丁寧に、痒いところに手が届く実に充実したレベルで解説されているのだ。この部分があることで、読者の理解がどれだけスムーズになったことか。僕にとっても非常にありがたかった。

それが今回のハードカバーには、一切ない。

まあ、普通はそんなものだ。あの新潮文庫が特別。読者への適切なるサービスとしてあれ以上のものはない。現物を確認していないが、「音楽は自由にする」のオリジナルのハードカバーには、あの用語(人名含む)解説はなかったはずだ。

いずれこの「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」も、必ずや新潮文庫に加わるだろう。その時は「音楽は自由にする」と全く同様に同じレベルの用語解説が掲載されることは間違いないだろうが、それはまだまだ先のことだ。

それを待つのは、楽しみの一つとして悪くはないのだが、今回、新潮文庫の「音楽は自由にする」を読んだ後、その続きとなる「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んだ際に、大きなギャップと物足りなさを感じることは覚悟しておいてほしい。

それがなくても、坂本龍一の自伝の後半部分の興味とおもしろさが半減するわけでは、決してないのだが。

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坂本龍一の八面六臂の活躍に心躍る

この2009年からの坂本龍一の活躍ぶりには心躍るばかりである。YMOはとっくに解散して、ソロ活動に専念し、特に今まで坂本には縁も所縁もなかった、映画に自分が作曲した音楽を付ける、つまり映画音楽の作曲に没頭していく

その過程が非常に興味深い。大島渚監督から「戦場のメリークリスマス」への俳優としての出演のオファーを受けた際、勢いで「音楽を任せてくれたら出ます」と答えてしまったことによる映画音楽との関りには驚嘆するばかりだ。

それがきっかけとなって、世界的な巨匠監督ベルナルド・ベルトルッチから超大作「ラストエンペラー」の作曲を依頼され、それが筆舌に尽くし難い苦労の末に、最終的にはアカデミー作曲賞に輝き、オスカーを獲得したことで坂本龍一の音楽人生は大きく様変わりすることになる。

この映画音楽を巡っての作曲上の苦闘ぶりが圧巻。認められた成功談だけではなく、認められなかった失敗談や様々な苦悩や挫折体験が、いつになく熱く語られる。

坂本龍一の苦闘ぶり、苦悩ぶりが痛いほど伝わってくる。

活躍のホンの一部しか知らなかった

映画音楽以外にも自身のアルバム作りや、坂本龍一を慕ってくる世界中の多くの若い才能たちとの交流や作品作りが生き生きと語られる。

正に充実し切った八面六臂の大活躍が嬉しい。

そしてこれを読むと、僕たちが知っている坂本龍一の姿は、その活躍のホンの一部分でしかないことが分かってくる。その活躍ぶりを知って嬉しいのはもちろんだが、こんな活動もやっていたのかと先ずは驚かされる方が先となる。

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誰でも知っている近年の大ニュースが続々登場

今回の坂本龍一の後半部分となる自伝の内容は2009年以降である。ということは、最近の12年間ほどの坂本龍一の活動が語られるわけで、日本と世界の直近10年間ちょっとの歴史の振り返りともなるわけだ。

誰にとっても、2009年以降の約10年間の記憶というのは鮮明であろう。

誰もが良く知っている歴史的な大事件が坂本龍一によって語られるわけで、いかにも生々しく、親近感があるはずだ。

中でも今日を生きる我々にとって非常に忘れがたい重大な3つの出来事について、坂本龍一の関りと思いが綴られる。

3.11東日本大震災

2011年3月11日に起きた東日本大震災についての坂本龍一の記述はかなり生々しい。地震が起きたその時、坂本は青山のスタジオで、三池崇史監督の映画「一命」のための録音初日だったという。当日の避難の様子が具体的かつ生々しく語られる。

その直後にアメリカに戻り、チャリティコンサートなどに出演し、4月にはドイツ、更に5月から6月にかけてはカールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)とヨーロッパツアーを行い、7月に日本に戻ってきて、岩手県の陸前高田市と気仙郡の住田町を訪れる。

震災の発生から既に4カ月が経っていたが、そこで坂本は想像していた以上に衝撃を受ける。

「人間が作ったものはすべて、いつかは壊されるんだ」と痛感、「どうしたって自然には敵わないな」と思い知らされる。

そして、誤解を恐れずに言えばと前置きした上で、「被災地で目にし光景は究極のインスタレーション、人智を超えた凄まじいアートだと思いました」という。そして、、「むろん、その思いは自分の仕事にも跳ね返ってきて、人間ごときが努力して音楽や表現物を作っても、果たして何の意味があるんだろう、という無力感にも襲われたという。

新型コロナウイルスのパンデミック

コロナ禍を巡って非常に印象に残ったのは、以下の記述。

日本でも緊急事態宣言が出て、坂本は思い切ってニューヨークに戻る決心をするのだが、その時の移動時のエピソード。

『出発のために訪れた成田空港はがらんとしていて、機内にもたったの15人ほどしか乗客がいない。到着先のJFK空港でも、いつもは大混雑のイミグレーションが貸切状態になっていました。空港のあるニューヨークからマンハッタンまで車で移動すると、普段は観光客やタクシーでごった返している日中の5番街から、人も車もその姿を消している。文字通り、もぬけの殻になっているんです。喩えは悪いけど。中性子爆弾でも落ちたのかな、というくらいの現実離れした光景でした。街の様子が一変してしまったという意味では9.11以来の、あるいはそれ以上の衝撃だった』

坂本龍一は9.11の同時多発テロをニューヨークでリアル体験している(「音楽は自由にする」に詳述)だけに、何とも重い言葉なのであった。

こうも書いている。

『コロナのグローバルな規模での感染爆発は、人間たちが過度な経済活動を推し進め、自然環境を破壊してまで地球全体を都市化してしまったことが遠因として考えられる。その反省を未来に活かすためにも、自然からのSOSで経済活動に急ブレーキがかけられたこの光景を、しっかり記憶しておかなくてはいけないと思うのです。』

ロシアによるウクライナへの侵略

これはもうごくごく最近のこと。今年(2023年)の3月7日に亡くなった坂本龍一はこのロシアによるウクライナへの理不尽な侵略戦争を目の当たりにしている。

本書の本当に終わりの方(244ページ)に「ウクライナのイリア」として言及がなされている。

『そして2022年を迎え、この長く続くコロナ禍での闘病生活にもどこかで慣れてしまった頃に、もうひとつショッキングな出来事がありました。2月24日、ロシア軍がウクライナへ侵攻したことです。まさか自分が生きているうちに、また新たな戦争の始まりを目撃しなければならないとは。しかも、第二次世界大戦以来、欧州では最大規模の軍事侵攻だと報じられました。ぼくはアメリカをはじめとするNATO諸国が善でロシアが悪だという、単純な二元論は取りませんが、ウクライナという主権国家を圧倒的な武力で侵略するロシアの行為は、絶対に許されるものではない。ただ、それと同時に、シリアやイエメン、パレスチナなどで日々命の危険に晒されている人々のことを、我々は今のウクライナ人と同じくらいきにかけてきたかという反省がすぐに去来します』

そして、キーウに住むヴァイオリニスト、イリア・ボンダレンコとの出会いが生まれる。このあたりは是非とも本書を実際に読んでいただこう。

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分かりやすくて読みやすい文章にまた感嘆

とにかく本書は文章が非常に分かりやすく、驚くほど読みやすい。

この点は前半部分の「音楽は自由にする」と全く同じ。この2冊は全く同じトーンで書かれ、基本的には口述筆記の体裁を取っている。

坂本龍一がヒアリングか何かの形で編集者に語ったことを元に、そのまま書いているわけではもちろんなく、その編集者が改めて読みやすい文章に書き直しているに違いない。

その編集者の手腕に脱帽だ。

本書のあとがきを書いている鈴木正文さんがその人に違いないと踏んでいたが、実はあとがきの鈴木正文さんの実際の文章を読むと、非常にたどたどしい読みにくい文章で(上述のタイトルの由来の長い引用文を読んでお分かりのとおり)、この人がまとめたとは到底思えないのだが。

誰がまとめたのかは不明だが、とにかく日本語の達人としかいいようがない優れた編集者、ライターが書いたであろう文章が素晴らしい。本当にいい文章で惚れ惚れさせられる。

編集者が伝える坂本龍一の壮絶な最期

あとがきで編集者の鈴木正文が克明に伝える坂本龍一のガンとの闘いの最後は壮絶の一語。読んでいて胸が押し潰される。

鈴木さんの文章がこなれておらず、読みにくいのが難だが、その坂本龍一のガンとの壮絶な闘いぶりは良く伝わってくる。

ガン患者の最期はみんなこんな具合に悲壮なものかもしれないが、それにしても辛過ぎる。

坂本龍一の自伝は、その像絶な闘いぶりの最後、亡くなる直前まで書かれている。

それだけに、その後にこのようにして息を引き取ったというのを詳細に知ることは、読者として、坂本龍一の熱心なファンとしては相当に辛い。

でも、これは思い切ってしっかり読んで、あらためて壮絶な最期を迎えた坂本龍一に心からの敬意と哀悼を捧げたい

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「フューネラル・プレイリスト」について

本書を読んで、驚くと同時に何とも感激させられたのは、最後のページに載っている「フューネラル・プレイリスト」である。

これは前述のとおり、坂本龍一が亡くなった後、その葬儀で流す音楽の一覧表なのである。

誤解しないでほしい。実際の坂本龍一の葬儀でこういう音楽が流されたという記録ではない。

これは死期を悟った坂本龍一本人が、自分の葬儀ではこの音楽を流してほしいと、全て自ら選択したものなのである。自伝の中にもこのチョイスのことが出て来る。

この中には何と坂本龍一自身が作曲した音楽は1曲も出てこない。それがすごい。何という潔さだろう。

大半が著名なクラシック音楽である。

坂本龍一が愛して止まなかったドビュッシーとバッハがかなり多い。加えてサティやラヴェルなど坂本龍一が愛したフランスの近現代音楽が並ぶ。

フランス近現代音楽というとドビュッシーとラヴェルと並んでフォーレというのが三羽烏としてあまりにも有名なのだが、坂本龍一は自身が生まれ変わりだと信じた程のドビュッシーへの熱愛ぶりは別格としても、ラヴェルもやっぱり好きだったのだが、何故かフォーレを非常に毛嫌いしていた。

僕のようにドビュッシーを熱愛しながらもフォーレも大好きな人間には理解できないのだが、フォーレ嫌いの坂本龍一があるときに、あの多くの人から熱愛されている有名な「レクイエム」に目覚め、このリストにも加わっているのが感慨深い。

ちなみにバッハはあのグレン・グールドが演奏したものが多い。坂本龍一はグレン・グールドが大好きだった。

クラシックの名曲の他には、著名な映画音楽作曲家の作品が並ぶ。

あのエンニオ・モリコーネとニーノ・ロータである。

他にもロックなど全33曲がチョイスされている。

「フューネラル・プレイリスト」のページを写真に撮ったもの
これが「フューネラル・プレイリスト」の正にリストである。全33曲。

 

後は実際のリストを見ていただこう。自分が死んだ時の葬式で流してもらう音楽のリストである。ここに最も好きだった音楽が並んでいることは間違いないだろう。

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2冊の自伝は是非とも読んでいただきたい

この2冊の自伝は、もちろん一体として読まれなければならない。

前編の「音楽は自由にする」を読まれた人は、その後、坂本龍一が如何にしてあの大輪を咲かせることになったのか、本人の口からハッキリと聞かなければならない。そんな義務的な言い方をするまでもなく、「音楽は自由にする」を読んだ読者なら、どうしたって後編の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」読まないわけにいかないはずだ。

そして、まだどちらも読んだことがないという多くの読者の皆さんは、どうかこの坂本龍一の非常に素晴らしい自伝を読んでいただきたいと、心からお願いするものである。

音楽活動だけではなく、彼の社会的な活動や発言、この日本という国に対して感じたことや熱い思いを是非とも知っていただきたいものだ。

あまりにも惜しい人物を71歳という若さで、我々は失ってしまった。

せめてこの人のやってきたこと、目指してきたことを何としても知っていただきたいと切に願うばかりだ。

 

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ぼくはあと何回、満月を見るだろう [ 坂本 龍一 ]

 

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音楽は自由にする (新潮文庫) [ 坂本 龍一 ]

 

 

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