全人類必読の書

この本にはただただ驚嘆してしまう。全く信じられない本があったものだ。

あのアインシュタインとフロイトという20世紀というか人類最高の知性を備えた不世出の天才2人による往復書簡。

そのテーマは何と、人間はどうして戦争を繰り返すのか?人類から戦争をしないなくすことはできないのか?という人類のとって究極の難題について語りあったもの。

こんな往復書簡が残っているなんて、本当に知らなかった。多くの人が知らないのではないだろうか?

アインシュタインとフロイトという二人である。人類最高の頭脳アインシュタインと精神分析を始めた心理学のこれまた先駆的な天才が、戦争の本質について誠実に語り合ったという未曾有の問題書簡。

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どうしてこんなことが実現したのか?

こんなすごい企画を考えて、実現させてしまったのは当時の国際連盟だったというからこれまた仰天だ。若い人は国際連盟と言ってもピンとかないかもしれない。

今の国際連合の前身で、悲惨を極めた第一次世界大戦の後にアメリカ大統領ウィルソンの提唱によって設立。

脇道に逸れるが、言い出しっぺだったのに、アメリカは議会の反対で加盟できず、日本は当時中国に進出していて、満州事変の責任を取って、当時の外相松岡洋右が脱退宣言したことで歴史的には有名だ。

この往復書簡は人類にとって歴史的な事件と言ってもいいかも知れない。

ことの経緯は本書の中に非常に分かりやすく丁寧に書かれているが、簡単に言うとこうなる。

国際連盟がアインシュタインに対して、「誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できる」という提案をしたのである。

その国際連盟からの依頼に対して、アインシュタインが選んだ相手がフロイトであり、最も大切と思える問いとしてアインシュタインが選んだテーマが戦争だったということだ。

フロイトという相手。テーマの「人類はどうして戦争を繰り返すのか」。どちらもあのアインシュタイン自身が自由に選んだのである。

もうこれだけでワクワクドキドキが止まらなくなる。国際連盟も随分と気の利いたことを企画したものだ。こんな二十世紀を代表する天才を担ぎ出して、こんなものすごいテーマを真っ正面から取り扱ったことはあっぱれの一語に尽きる。

正に歴史的な事件としか言いようがない。

わずか110ページの薄っぺらな文庫本。だが、これはまごうことなき人類の宝とも呼ぶべき一冊。

どうして人は戦争を繰り返すのかは、僕にとっても永遠の課題だった

この本のことを詳しく紹介するに当たっては、どうしても僕自身の苦悩と葛藤に触れないわけにはいかない。

アインシュタインとフロイトという世紀の知的巨人の前で、僕自身のことなどあまりにも小さ過ぎるどうでもいい話題となってしまうが、この往復書簡に僕がどうしてここまで感動するのか、という一番本質的な部分と深く関わる問題なので、どうしても避けてとおることができない。どうかご容赦とご理解を賜りたい。

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世界史マニアがあるときに気が付いた衝撃の事実

僕は歴史が好きでたまらない歴史マニアなのである。特に世界史はほとんど熱烈な趣味の対象と呼んでいいレベル。高校時代は世界史に熱を上げ、ひたすら没頭した。その後も不断に勉強をし続け、今でも世界史に関しての知識は最高レベルを維持していると思う。いつでも大学受験のためのトップ講師が務まると自負している。

そんな世界史オタクがあるとき、あまりにも当たり前の事実に改めて目覚めて、衝撃を受けた。20歳の頃のことだ。実は似たようなことは高校時代から朧げどころか、かなり明確に感じていたのだが。

世界史とは戦争の歴史だった。人類はこの地球上に生を受けてから、今日に至るまで、ありとあらゆるところで戦争、つまり人間同士の殺し合いを続け、それは途切れたことがないと。世界史と言うのは実は人間同士の殺し合いの記録であったと。

衝撃を受けた。

戦争を繰り返す歴史と現実に、絶望的になった20代

そこからある意味で地獄のような日々が始まった。僕は根がまじめな方で、当時は若さ特有の純粋さも人一倍強かったのだと思う、その事実を冷静に受け止めらない。いけないことは僕が大学卒業後に普通の社会人にはならずに、法律の勉強に明け暮れていたことだ。もちろん、必死に法律の勉強をしなければならなかったのだが、考える時間は無尽蔵にあった。法律の勉強をしながら、人間と戦争について思索を深めるに時間の不足はなかった。仕事に追われていればそんなこともなかっただろうが、自分一人で机に向かう日々を過ごしていると、どうしてもそっちの方に関心が奪われ、結果的には法律の勉強にも集中できなくなり、やがて断念を余儀なくされてしまう。法律の勉強がメチャクチャつまらなく退屈だったということもあったのだが。

例の戦争の問題は、自分の中ではこれ以上はない極めて重要な問題として、わが心と思索の中心課題と増長し、歴史を知れば知る程、そして現実の世界の出来事を知れば知る程、やがて深い絶望に陥り、苛まれるようになっていく。

僕が導いた答えはこうだった。絶望するしかないその答え

僕は戦争を知らない世代である。だが、実際の戦争を体験していなくても、歴史を通じて、日々のニュースを通じて戦争の事実は知ることはできる。

人類は、地球上に生を受けてから今日に至るまで、古今東西いつでも同じ人間同士で殺し合いを果てしなく繰り返し続け、権力者は常に暴力によって、前政権を打ち倒し、どの地、どの時代にあっても血が流れないことはなかった。世界史のどの1ページを捲っても、そこには夥しい人間の、人々の血が流れている。

そこで僕が思い知ったのは、残虐な個人のAとかBとか、暴力的な権力者が悪いのではなく、人間という生物としての種が持つ特性として、そもそも同じ種同士で殺し合うことを宿命付けられたのが人間の本質なんだと。

近現代で言えばヒトラーやスターリンが特別に悪かったわけではなく、あのようは虐殺や大量殺人は、人間そのものの特性。誰でも内なるヒトラーやスターリンを抱えていて、ヒトラーに成りうる。ミニヒトラーはその後も次々に現れて来るのは、そもそも人間の本質そのものだからなのではないかと。人間の心そのものに問題があって、相手を殺戮したいという本能を誰でも持ち合わせているのではないか。

そう考えると、この世から戦争と紛争、殺し合い、ジェノサイドがなくならないのはそのせいだと妙に納得できた。納得はできたが、それは僕にとってはとんでもない結論で、深い絶望に陥った。

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更に深い絶望に陥って、一時はノイローゼ直前に

人間に互いの殺戮本能が備わっていることは間違いなく、それが本質的な理由となってこの世から戦争がなくならない、そう明確な答えが導き出せた後で、更なる地獄が待ち受けていた。こう考えたのだ。

人間という種に互いを殺し合う殺戮本能が備わっているのは、むしろこの人間という存在を救うために、すなわち人間がこの地球上で種として生存するために備わっているのではないか!?そう思えてきたのだ。

地球という小さな天体で、人間がこのままドンドン増えて行ったらどうなってしまうのか?人間と言う種が互いに殺し合うことをせずに、争うこともなく極めて平和に互いを助け合っていったら、どうなるのか?人類で覆われてしまい、たちまち食糧難となり、やがては全人類が滅亡してしまうのではないか。

とすると、大きな戦争が定期的に起きて、数千万単位で人類が死んでいくことは、人間と言う種が生き残るための極めて有効な装置なのではないか。「人間が存続していくために、戦争が不可欠な仕組み」だということ。恐ろしい結論だった。

僕は戦争絶対反対論者で、平和を希求してやまない人間だったのだが、もしかしたらと、この悪魔のような結論に到達したときのショックと言ったらなかった。目の前が真っ暗になり、今までの自分の人生、知的生活の全てを否定されたように感じた。

僕の考えついた結論が間違っていないのなら、どんなに平和を望もうと頑張ってみても、この世から戦争と殺し合いがなくなることはなく、むしろ人類の存続のためには戦争が必要。必要悪としての戦争があり、戦争そのものが人間にとって不可欠な、非常に大切なことだということになってしまう。

絶望に値した。人間の本質に打ちのめされた。自分がたどり着いた答えに、僕はすっかり絶望してしまった。

ほとんど自暴自棄に陥ってしまう

僕自身が到達した結論に、自分自身で絶望し、あの頃の僕は中々自分の夢を実現できない苦しみとで、相当に神経を擦り減らしていた。思考はドンドン深みに嵌り、ほとんど危ない段階まで行っていたと思う。

次第にこんな風に考えるようにまでなった。

互いに殺し合って、殺戮の限りを尽くし、戦争して死んでいくことが求められている、そういうどうしようもない存在が人間というのなら、いっそのこと人間などはいったん全てが滅びてしまった方がいい。人類は一斉に滅亡する方がいいのだなどと、一時は真剣に考えたりした。

手塚治虫の例の「火の鳥」の「未来編」の世界に心を奪われた。核戦争で全人類が全て滅んでしまって、その中で一人だけ永遠に死ぬことができない男だけが悠久な時間を孤独の中に生き続け、いつか神に代わって、新しく生まれて来る新人類に全てを託す、今度の人間こそ間違えないでほしいという、あの考えが一番自分の考えにマッチした。

そしてオウム真理教の麻原彰晃がサリンを使ってやろうとしていたこと、麻原が言う「ヴァジラヤーナ・サッチャ」というのは、もしかしたらそういうことを目指していたのだろうか?と思えなくもなかった。麻原彰晃は結局、何も語らず処刑されたが。

その後は自殺も、問題行動を起こすこともなく、大人になったが

その後、夢は破れてしまって、何とか定職に就き、好きな合唱活動も再開することが叶う中で、一時期、真剣に思い詰めた絶望的な考えから、少しは脱却し、ノイローゼや絶望からは解放された。そして、今は割り切ってこう考えている。

「人間は同種同士で殺し合うことから逃れられない知的生物」「こんなに知的に進化したのに同種で殺し合うという宿命から逃れられない生物」。

つまり20代で目覚めた結論は微動だにしていない。当時は、だからどうにかしなきゃならない、そんな人間をどうにかしなければならないと真剣に思い悩んだものだが、今はそんなことは考えていない。大人になったということなのだろう。逆に言えば純粋さを忘れてしまったということだ。問題が本質的に消えたわけでも何でもない。

これが大人になるということだろうか。どう評価してよいのかこればかりは見当がつかない。

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戦争を憎み、平和を求める考えは今も変わらないが

自分一人の力ではどうにもできない、SFまがいことは考えないことにした。あの時の危機から自分を救おうとした場合にはこうするしかなかったということか。あれから約40年。戦争を憎み、専制政治と独裁政治による暴力支配、世界各地で起きる殺し合いとテロ行為を憎む思いは全く変わらない。どこまでも平和を希求する考えは微動だにしない。

戦争は全ての芸術と文化を台無しにしてしまう

音楽・映画・文学・美術などを愛して止まない僕は、戦争という行為、人を殺すという行為は、それらの人間の文化的な活動を全て頭ごなしに否定することに他ならないので、どうしても容認できないのである。お互いに殺し合うことから逃れられない人間が、一方で愛情に溢れていて、優しさを持ち合わせ、弱者を労わることができる存在であることも確かだ。

そして素晴らしい音楽を作曲し、感動的な映画や文学を作り、素晴らしい建造物や絵画や彫刻を作るとができる。この何とも矛盾だらけの人間にたまらない愛おしさを感じないわけにいかない。

自分のことで大きく脱線してしまったが、戦争と人間の関係についてノイローゼに陥り、自暴自棄になる直前にまで悩み抜いたからこそ、このアインシュタインとフロイトの世紀の往復書簡に度肝を抜かれ、肌身離さずに持ち歩くまでに愛読していることは間違いない。

さて、本書に戻る。

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アインシュタインの問いかけはこうだ

アインシュタイン自身のフロイトに宛てた実際の手紙から引用すると、「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」これがアインシュタインが選んだテーマだ。人類最高の知能(頭脳)と呼ぶべき物理学と天文学の大天才にとっての「今の文明でもっとも大切と思える問い」が、ズバリ戦争だったということがすごい。この事実だけで、僕の心はたまらなく熱くなる。

アインシュタインは、フロイトに宛てて、「技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。(中略)ですが、いまだ解決策が見つかっていません。戦争の問題を解決する外的な枠組を整えるのは易しいように思えてしまいます。すべての国家が一致協力して、一つの機関を創りあげればよいのです。」

こうして展開した後で、アインシュタインは、こうフロイトに疑問を投げかける。これを読んだ時の僕の衝撃!

「数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。しかし、その真摯な努力ににもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。とすれば、こう考えざるを得ません。
 人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。(中略)
 答えは一つしか考えられません。人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!」

これはどうだ!?
アインシュタインから発せられた問いかけは、何と20歳の頃、僕が到達した答えそのままで、このことで僕が深く絶望し、真剣に苦悩したあの考え方と全く一緒だったのだ。

絶句。言葉を失った。

アルバート・アインシュタイン(1879~1955)

フロイトの返事はかなり長く、詳細に展開される

これに対するフロイトの答え。それは僕の長年の人間に対する絶望と苦悩に対する答えに他ならなかった。

読む前から心がわななく。震えと動揺が抑えられない。

そのフロイトの答えは、熟読に値する実に感動的な、素晴らしいものだった。

一言で言うとそうなるのだが、先ずはフロイトの返事の内容の濃さ。ここまで丁寧に自説を展開するのかと驚嘆するしかないほど、丁寧に誠実の限りを尽くして、実に分かりやすくかつ論理的に回答している。

アインシュタインのフロイトに宛てた質問は文庫のページにして10ページというコンパクトなものだ。このコンパクトの中に盛られた壮大な疑問と問いかけが圧巻なわけだが、対するフロイトの返事は何と35ページにも及んでいる。

アインシュタインからの手紙の3.5倍の長さで誠実の限りを尽くして答えた。フロイトという人間の素晴らしさに感動させられるが、返事を書いた当時、フロイトは77歳だったと知って驚嘆してしまう。

フロイトの自説の展開は実に論理的なのだが、非常に分かりやすく読みやすいもの。本当に読み応え十分だ。

そして後半、アインシュタインからの究極の質問に対して、何といとも簡単に賛成してしまう。衝撃の発言はこうだ。

「人間はなぜ、いとも簡単に戦争に駆り立てられるのか。あなたはこのことを不思議に思い、こう推測しました。人間の心自体に問題があるのではないか。人間には本能的な欲求が潜んでいるのではないか。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が潜んでいるのではないか。
 この点でも、私はあなたの意見に全面的に賛成いたします。そのような本能が人間にはある、と私は信じています。そして、憎悪の本能がどのようにあらわれるかについて、近年、一生懸命に研究してきました。(後略)」

これはどうだ!?心理学の世界最高の泰斗で、精神分析を生み出した人間の心の専門家が、いとも簡単に人間の殺戮本能を認めてしまったのだ。

こんな表現が次々と出てきて打ちのめされてしまう。

「歴史の中にあらわれる無数の残虐な行為、日常生活に見られるおびただしい数の残虐な行為を見れば、人間の心にとてつもなく強い破壊欲望があることが分かります」

挙句の果てに、こんなふうにまで主張する。

「以上の議論から、どういう結論が出てくるでしょうか。当面のテーマとの関連で言えば、こういう結論です。
『人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!』

人間の心の中に巣食う殺戮本能を否定するなんてあり得ないと分かっていても、人間をもう少し美化してくれれば、それはそれで救いがあったかもしれない。

でも、そうではなかった。辛いことで、絶望的な気分になるが、それが人間という生き物の本質だとフロイトも全面的に認めてしまったわけだ。

アインシュタインもフロイトも、人間は心の中に、戦争をして相手を殺戮するという本能を持っていると全面的に認めてしまった。

ここで僕がどう感じたなんてことを書き連ねるのは野暮なことだ。

だが、救いはある。フロイトはそれを認めた上で、何とか戦争を回避する方策、心の在り方を模索していく。アインシュタインに精一杯答えていく。

エロス的欲望=「生への欲望」と破壊欲望=「死の欲望」

いかにもフロイトらしいエロスのことが出てくる。

「人間の欲望には二種類ある。一つは、保持し統一しようとする欲望。これをエロス的欲望と呼んでもよい。場合によっては性的欲望と呼んでもよい。(中略)もう一方の欲望は、破壊し殺害しようとする欲望。攻撃本能や破壊本能という言葉で捉えられているものである。」

こうしてフロイトならではの人間の心の本質と闇が解き明かされていく。

こんな衝撃的な表現まで飛び出して、僕は初めて読んだ時にはあまりにも刺激が強過ぎて、衝撃が収まらなかった。

「精神分析学者の目から見れば、人間の良心すら攻撃性の内面化ということから生まれているはずなのです」

果たして戦争を回避する術はあるのか?

フロイトは、何と言っているのか?

それは本書を読んでもらうしかない。どうか直接、確認していただきたい。
それで戦争を本当に回避できるかどうかは別として、フロイトの切なる思いは痛いほど伝わってくる。 

これは、実際に読んでもらわないとダメだ。

ジグムント・フロイト(1856~1939)

奇しくも第二次世界大戦の開戦前夜

この2人の天才による世紀の往復書簡は、1932年の7月から9月にかけてなされている。

時、あたかも第二次世界大戦開戦前夜のことだ。ナチスドイツがポーランドを攻め込んで実際に第二次世界大戦が始まるのは1939年の9月のことだが、ヒトラーが首相となって史上最悪の独裁者が誕生したのは、1933年のことである。

ちなみにフロイトは第二次世界大戦の勃発と同時に83年の生涯を閉じている。

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二人ともユダヤ人でナチスから迫害された

アインシュタインもフロイトもどちらも奇しくもユダヤ人。ヒトラーからとことん迫害を受けた。そんな時代にあって真剣に取り交わされた二人の天才による戦争と人間論。

この2人の往復書簡がもっと世界に喧伝されていれば、その後の歴史は少しは変わったかもしれない。

あいにくこの世紀の往復書簡はナチスによって葬られたのである。

解説は養老孟司で、これがまた素晴らしい

本書の解説はあの日本を代表する解剖学者の養老孟司である。

この解説が20ページもある実に慧眼に満ちた読み応えのあるもので、必読。

本書にはもう一つ解説がある。こちらはフロイト研究者としても著名な心理学者の斎藤環によるもので、フロイトの考えを実に分かりやすく解説してくれている。こちらも30ページを超える読み応え十分の解説で嬉しい。

訳者のあとがきも、深く熱く感涙もの 

浅見昇伍の訳は非常に読みやすいもので、絶賛に値する。この名訳がなければこれほどの感動を味わえなかったかもしれない。

この訳者が書いた「あとがき」。これがまた感動的なもので、存分に味わってほしい。実に熱い。

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これはどうしても読んでほしい全人類必読の書

本当にこれは驚嘆の書と言うしかない代物だ。全人類必読の書と声を大にして主張したい。

ほとんど奇跡的な大変な本である。詳しい解説を含めても110ページという薄っぺらい文庫本でありながら、その中からアインシュタインとフロイトが、類い稀な考察と箴言の数々で我々に直接呼びかけてくるという奇跡。そして素晴らしい解説の数々。

全人類必読の書であり、一家に一冊。常に手の届くところにおいて、繰り返し繰り返し、天才たちの言葉に耳を傾けてほしい。

僕はカバンの中に常に入れて持ち歩いている。

僕のように戦争と人間について深く思い悩んだことがない人であっても、現在でもなお世界のあっちこっちで起きている紛争行為や軍事的な弾圧や殺戮に心を痛めない人はいないだろう。最近特に深刻なのはミャンマーの軍事クーデターと軍事政権による民衆の弾圧行為である。どうしてああいうことが起きてしまうのか。嘆きは深い。

そんな時にこそ、このアインシュタインとフロイトによるこの上なく貴重な手紙を読んでほしい。
必ずや深い感銘を受けるはずである。

 

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