マキァヴェリに大変な興味を持った

あるきっかけがあって、あの「君主論」で有名なマキァヴェリ(マキアヴェッリ)に大変な興味を持った。

マキァヴェリが書いた「君主論」の名前を知らない人はいないだろう。「目的のためには手段を選ばない」という権謀術数で知られたいわゆる「マキァヴェリズム」の生みの親、提唱者だ。

ルネサンスが花開いた15~16世紀のイタリアはフィレンツェで活躍した外交官にして著作家(政治学者)である。

僕は個人的に「マキァヴェリズム」には共感できないし、そんなマキァヴェリズムを主張した「君主論」にも、作者のマキァヴェリにも、今まで興味を抱いたことはほとんどなかった。

マキァヴェリの「君主論」、実は

だが、古今の名著として人類史に残る「君主論」が、何とマキァヴェリが失職し、追放され、活躍の場を全て奪われた失意のどん底の中で書かれたものだと知るに至って、急に強く惹きつけられた。

失職と挫折がなければ「君主論」は生まれず、マキァヴェリという人物も知られることなく、歴史に名を留めることもなかったのである。

衝撃を受けた。そうだったのか。激動の生涯を送ったマキァヴェリが僕の中で、急遽クローズアップされることになった。

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マキァヴェリの生涯、知らなかった

マキァヴェリ、「君主論」、マキァヴェリズム。いずれも知っているつもりだった。

だが、実際に「君主論」を読んだことはなかったし、マキァヴェリがどんな人物で、あの有名な「君主論」がどんな状況の中で書かれたのか。マキァヴェリの生業はなんだったのか?元々政治学者、思想家、作家だったのか。詳しくは何も知らなかった。

マキァヴェリのごく簡単な概要は

ちょっと調べると、

マキァヴェリがルネサンスの中心地であったフィレンツェ共和国の官僚、しかも大学も出ていないノンキャリアの公務員で、外交官として活躍したものの、フィレンツェの有名な名家、金融財閥のメディチ家を巡る政変に巻き込まれ、働き盛りの40代半ばで突然失職し、全ての職を解かれ追放の憂き目に遭い、そんな失業してしまった元公務員が失意の隠遁生活の中で書き綴ったのが「君主論」だったことが判明した。

何も知らなかった。同じように初期ルネサンスの大詩人、「神曲」で有名なダンテも追放され、失意の中で「神曲」を書いたという。

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マキァヴェリを詳しく知りたくなった

最近、そんな人物にやたらと興味を持ってしまう。

本人には何の責任もないのに失職し、失意の中で歴史的な名著を遺したマキャベリ。興味が尽きない。もっと詳しく知りたくなった。ウズウズしてしまう。

マキァヴェリの生涯を詳しく知るのに、何がふさわしいのか?何を読んだら詳しく分かるのか?前から少し気になっている本があった。

イタリアの歴史物ならあの人しかいない塩野七生の登場だ。塩野七生の膨大な作品群の中にあっても屈指の傑作とされている「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡」だった。

塩野七生はこの「熱々たけちゃんブログ」でもギリシャ人の物語を2冊紹介させてもらっている。

「わが友マキアヴェッリ」のことは以前から知ってはいた。あのマキァヴェリズムの生みの親のマキァヴェリのことを「わが友」と呼ぶ違和感に却って刺激を受けていた。

だが、今まで読んだことはなかった。

紹介した塩野七生の「わが友マキアヴェッリ」の3つの文庫分を並べた写真
文庫3冊を横に並べてみた。表紙の写真は1はボッティチェリ、2はギルランダイオ、3はミケランジェロ。いずれもフィレンツェが生んだルネサンスの巨匠たちの作品だ。
紹介した「わが友マキアヴェッリ」の文庫本の裏表紙
文庫本の裏表紙。それぞれの内容がコンパクトにまとめられている。

 

即座に購入。直ぐに読み始めた。

文庫本で3冊に及ぶそれなりに長い作品だったが、集中して一気に読み上げた。3冊併せて10日間もかからなかった。実におもしろかった。

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マキァヴェリ?マキアヴェッリ?どっちなの?!

ところで、マキァヴェリは日本語で何と表記するべきなのか?僕は山川の世界史の教科書を通じてずっとマキァヴェリで貫いてきたが、肝心の塩野七生の評伝のタイトルが「わが友マキアヴェッリ」となっているので、少しややこしい。

調べてみると、日本語では色々な表記がなされていて、確定していない。

要は非常に単純な問題で、イタリア語の「Machiavelli」という綴りが何と発音されるのか、それを日本語に表記するとどうなるのか、ただそれだけのことなのに、どうして統一されないのか、勘弁してほしい。

調べてみると2種類どころか、もっとある。
マキァヴェリ、マキアヴェッリ、マキャヴェリ、マキャヴェッリ、マキャベリと5種類。

塩野七生はイタリアに住んでいるわけだから塩野七生の表記が正しいと信じたい。

但し、日本では世界史の教科書として不動の地位を占める「山川の世界史」がマキァヴェリを採用しているため、圧倒的にマキァヴェリが主流だ。

だが、綴りを見ても、マキアヴェッリがやっぱり正解だと思う。

僕は長年の身に付いた習慣で「マキアヴェッリ」表記に馴染めなくて困っているが、ここでは塩野七生に敬意を表し、今後は「マキアヴェッリ」で統一させてもらう。

したがって、マキァヴェリズムは「マキアヴェッリズム」となる、念のため。

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マキアヴェッリの生涯の3区分

波乱万丈の劇的なマキアヴェッリの生涯は、見事に3つに区分される。

①マキアヴェッリが29歳でフィレンツェの書記官に任用されるまでの無名時代。フィレンツェはメディチ家の全盛時代。

②マキアヴェッリがフィレンツェ共和国のノンキャリアの官僚として少しずつ活躍し、やがて外交官として重大な業務を担って東奔西走の大活躍をする時期。44歳までの15年間。

③追放されていたメディチ家がフィレンツェに戻ってくる中で、マキアヴェッリは公職の全てを解任され、失職に追い込まれる。年収10年分の罰金まで受け、追放。その後、反メディチ家の陰謀事件にも連座され逮捕、拷問まで受ける。 
フィレンツェを離れ、田舎の別荘で隠遁生活の中で「君主論」始め、何冊もの著作を書いた。
44歳での失職から58歳の死までの14年間。

マキアヴェッリの非常に有名な肖像画
マキアヴェッリの非常に有名な肖像画

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新潮文庫の塩野七生作品の取り扱い

塩野七生の作品はほぼ全てが新潮文庫から出ているのだが、その特徴は、やたらと薄い文庫にして冊数を増やす方式だ。

これは新潮社の販売戦略なのか著者の塩野七生の意向なのか分からないが、僕には抵抗がある。あの有名な一大巨編「ローマ人の物語」は初版時のハードカバーでは全15冊なのに、新潮文庫では何と全43部になっている。中核のカエサルについては、ハードカバーでも上下2冊の大作だが、それが新潮文庫では6分冊になっている。

1冊のハードカバーの単行本を3冊の薄い文庫本に分けて販売しているわけだ。これはどうかなと思っている。

今回取り上げた「わが友マキアヴェッリ」も全く同じ発想。見事に新潮文庫は3分冊となっている。

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塩野七生「わが友マキアヴェッリ」の基本情報

本書「わが友マキアヴェッリ」には副題が付いている、「フィレンツェ存亡」である。これは非常に大切な点で、マキアヴェッリが生まれ育った中世における都市国家であったイタリアのフィレンツェそのものが、本書のもう一つの主人公なのである。

本書はニコロ・マキアヴェッリの生涯を描いただけではなく、マキアヴェッリが生まれ育ち、酸いも甘いも、成功も挫折も全て味わうことになったフィレンツェ共和国の存亡そのものが大きなテーマ。この時代のフィレンツェの存亡は余りにも目まぐるしく激動期にあった。

こう言うことも許されるだろう。フィレンツェ共和国の存亡を抜きにしてマキアヴェッリの生涯を語ることはできないと。

というわけで本書はフィレンツェとマキアヴェッリの物語である。

新潮文庫から3分冊で発刊。上述のとおり、新潮文庫における塩野七生作品の取り扱いなのだが、「わが友マキアヴェッリ」に関して言えば、これは素晴らしい判断だったと3分冊化を大歓迎したい。

3冊の文庫本を立てて撮影した。
立てるとこんな感じ。3冊全体では800ページ近い大作だ。

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新潮文庫の3分冊化は大歓迎

それはもちろん既に触れたようにマキアヴェッリの58年の生涯が、3つに区分されるからに他ならない。マキアヴェッリの生涯の3区分が、そのまま3冊の文庫に分かれて収まる結果となった。

塩野七生「わが友マキアヴェッリ フィレンツェ存亡」3分冊の概要

1巻 序章と第一部 マキアヴェッリは、なにを見たか 
1469年~1498年 フィレンツェ共和国の公職に就くまで 29年間

2巻 第二部 マキアヴェッリはなにをしたか 
フィレンツェ共和国第ニ書記局書記官時代 1498年~1513年 29歳~44歳 15年間

3巻 第三部 マキアヴェッリは何を考えたか
失職の年から、死までの歳月 1513年~1527年 44歳~58歳 14年間   

 

1巻 210ページ 佐藤優の解説20ページ
2巻 276ページ 佐藤優の解説22ページ
3巻 245ページ 佐藤優の解説21ページ

さすがにフィレンツェ共和国の外交官として東奔西走の活躍を見せた官僚時代がいくらか長いが、3つの人生区分がほぼ同じ長さとなっている。

なお、1巻の第一部では、公職に就く前のマキアヴェッリの生涯というよりも、コシモやロレンツォを中心とする名家のメディチ家によるフィレンツェ共和国の最盛期が描かれている。メディチ家が追放された後の、怪僧サヴォナローラによる宗教政治も重大テーマとなる。

3巻全体では塩野七生の本文は、731ページに及ぶ。大作だ。

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「君主論」はどんな状況で書かれたのか

マキアヴェッリの名を歴史に留めることになった名著「君主論」は、当時、内からも外からも重大な課題を抱え存亡の危機に直面していたフィレンツェ共和国の、大学も出ていないノンキャリアながら実力ナンバー1の実務家として東奔西走、文字通り八面六臂の大活躍をしていたマキアヴェッリが、突然、全ての職を解かれ、失職に見舞われた後、意に添わぬ隠遁生活の中で書かれたということは何度も書いた。

マキアヴェッリの肖像画
マキアヴェッリの肖像画
マキアヴェッリの肖像画
マキアヴェッリの肖像画

 

この時の様子を本文から引用する。少し長くなるが、最も需要なくだりである。序章からだ。

「44歳の男にとって、職を解かれるということは、どういう意味を持つのであろう。生計を立てる必要はもちろんあったが、それだけではなく就職した職場、その職場を44歳になって突然追われたら、どのような心境になるものであろうか。
マキアヴェッリは、29歳の春からこの年までの15年間勤めてきたフィレンツェ共和国第二書記局書記官の職が気に入っていたのである。出張経費の少なさに苦情を言いながらも、自分のしている仕事が心から好きだったのだ。それを、汚職をしたわけでもないのに、仕事に手落ちがあったわけでもないのに、突然解任されたのである。共和政体が崩れ、かわりにそれまで追放されていたメディチ家が、政権に返り咲いたからであった」

「(前略)脳にへばりついたかびをとり除き、自分に向けられた運命のいたずらに対して、怒りをたたきつける彼。自分をこのように踏みにじるのは、運命の神が、自分を苦しめるのをいまだに恥じていないかをためすためだというマキアヴェッリ。
この彼の怒りは、生計の道を断たれただけの者が感じる怒りとは、強さも質も、ちがうものではなかったであろうか。
人間には誰にも、その人だけがとくに必要とするなにかがあるものである。それを奪いとられたとき、それに無関心な者からすれば納得いかにほど、奪いとられた当人の怒りはすさまじい
マキアヴェッリにも、彼にとってとくに必要ななにかが、あったのだろう。
それを理解するかしないかが、彼その人を理解するかしないかにつながり、『君主論』をはじめとする、彼の著作にあらわれた思想を、理解できるかどうかにもつながるのではないだろうか」

【後編】に続く

 

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後編に書いているのですが、この新潮文庫の各巻には佐藤優による非常に長い充実した解説があって、これは是非とも読んでいただきたいところです。電子書籍版には付いておりません。その意味で電子書籍よりも新潮文庫版をお薦めします。

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