ブルックナーの紹介をスタートさせる

いよいよブルックナーのことを紹介していこうと思う。

この熱々たけちゃんブログのクラシック音楽の紹介では、最近では夢の新フォーマットである「ブルーレイオーディオ」を集中的に取り上げてきたことはご案内のとおり。

ブルーレイオーディオというディスク1枚に、10時間以上の音楽が高音質で収録できるということで、熱々たけちゃんブログでは、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタ全曲16(17)曲の弦楽四重奏曲全曲交響曲全9曲などを、1枚のブルーレイオーディオで聴く楽しみと快感について、熱く語ってきた。

本当に僕はこの新しいフォーマットであるブルーレイオーディオにすっかりはまってしまったのである。

それをいいことに、60年近くクラシック音楽を熱心に聴き続け、膨大なCDをコレクションしている熱烈なクラシック音楽のマニアである僕でも、近ごろはすっかり聴かなくなってしまった交響曲を、久しぶりに集中的に聴くようになったのだ。

先ずはマーラーの交響曲の全曲、そしてベートーヴェンの不滅の全9曲、といった具合に一気呵成に取り上げてきた。

これもブルーレイオーディオという頗る便利なものがあったからである。

この勢いをそのまま引き継いで、マーラーとベートーヴェンの次に何を聴くのかと言えば、これはもうブルックナーに行きついてしまう。

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マーラー、ベートーヴェンの次に、誰の交響曲を取り上げるか

ブルーレイオーディオ1枚に10時間近い音楽が収まってしまうメリットを最大限活かせることが前提条件となる。

ベートーヴェンの交響曲を取り上げた後は、順当に行けばブラームスになるべきところだが、ブラームスには交響曲は4曲しかない。

シューマンも一緒。メンデルスゾーンは5曲。いずれも数が少な過ぎる。

一番いいのは、シューベルトかもしれない。作曲した交響曲の数も9曲であり、ベートーヴェンともマーラーとも一緒。

だが、僕が愛してやまないシューベルトも、こと交響曲に関しては、誰でも良く知っているあの「未完成」(第8番)と「ザ・グレート」と呼ばれる第9番の2曲だけが傑出していて他の作品はかなり見劣りしてしまう。相当な落差がある。

9曲の全てを丁寧に聴き込んで、このブログに取り上げるには、モチベーションが働かない。

そんなこともあって残念ながらシューベルトは敬遠。

となれば、もうブルックナーしかいない。交響曲を聴き込むに当たっては本命中の本命であり、正に王道である。

ということで、今後はブルックナーを取り上げることにした。

ブルックナーのカラーの肖像画
ブルックナーの肖像画。カラーで描かれているのが嬉しい。

ブルックナーはかなり変わった作曲家

ブルックナーは色々な意味で、本当に変わった作曲家で、ハッキリいうと変人。ブルックナーを熱愛している音楽ファン(かくいう僕ももちろんブルックナーの音楽を熱愛している)には誠に申し訳ないが、本当に大変人としか言いようがない。

作曲家としても、様々な問題を抱えたちょっと困った存在なのである。

ブルックナーの写真
Bruckner, Anton [1824-1896] ブルックナーの写真(1894年)70歳の写真

 

残した交響曲は実に感動的な素晴らしいものが多いは事実。僕も大好きな作品がいくつもある。

だが、その名曲揃いの交響曲とて大きな問題を孕んでいて、これからブログで紹介していくに当たっても、あの問題を考えると何かと気が重い本当に困った作曲家なのである。

あの問題については次回以降。

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ブルックナーの作曲したジャンル

変わっている最たる点は、作曲したジャンルが極端に偏っていること。

ブルックナーは基本的に交響曲と宗教曲しか作曲していない。

約9曲の巨大な交響曲と、神を讃えた合唱曲だけだ。神を讃えた合唱曲には3曲のミサ曲とテ・デウムなど。そしてモテットと呼ばれる無伴奏の混声合唱曲が、10曲あまり。

この宗教曲も、全てを含めてCDの数としては3〜4枚程度。

我が家にあるブルックナーの宗教曲のCDの写真
我が家にあるブルックナーの宗教曲のCDの写真。

 

後はあの巨大な交響曲群があるだけだ。

我が家にあるブルックナーの交響曲全集の写真
我が家にあるブルックナーの交響曲の全集及び全集に近いセット物の写真。10種類以上ある。
我が家にあるブルックナーの交響曲全集の写真②
我が家にあるブルックナーの交響曲の全集及び全集に近いセット物のCDを立てて撮影した。

 

実はそれ以外にも、弦楽五重奏曲が知られているが、ブルックナーの室内楽を熱心に聴いている人はそれほど多くはないだろう。

というわけで、大作曲家として戦後、マーラーと並んで大変な人気を博したブルックナーだが、交響曲と宗教曲しか作曲しない非常に偏った作曲家なのである。

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ドイツ3大Bについて

クラシック音楽ファンの間では昔から「ドイツ3大B」と呼ばれる存在がある。

これはドイツが生んだ大作曲家の中でもとりわけ功績の大きかった神のような存在が、偶然にもBで始まる名前だったことによる。

バッハとベートーヴェンが入っていることは、言うまでもない。これは不動。

長いこともう一人のBはブラームスで決まりだったのだが、戦後になってマーラーとブルックナーに絶大な人気が集まったことを受けて、もう一人のBは、ブラームスではなくブルックナーだという主張が出始めた。

しかもこのブラームスとブルックナーはほぼ同時代人(ブラームスがブルックナーよりも約10歳若い)が当時の音楽潮流として、全く別の方向を向いており、互いに対立し合っていたから、話しはそう単純ではない。

常識的に言えば、ベートーヴェンのようにありとあらゆるジャンルに名作の数々を残したブラームスが、バッハやベートーヴェンと並べるにふさわしいことはもちろんだが、とにかくブルックナーの熱愛者はどうしてもブラームスの代わりにブルックナーということになってしまう。

そんな語呂合わせはどうでもいいじゃないかと思われるかもしれないが、実はこのドイツ3大Bには、もっと深い意味が秘められている。

音楽史上最高の作曲家3人を指す言葉

ドイツ3大Bの意味するところは、ドイツの生んだ作曲家の中のというローカルな話しではなく、クラシック音楽そのものが圧倒的にドイツが本家本元で、最高の音楽は全てドイツ人が作曲したというドイツ至上主義が根底にあるから話しはややっこしい。

つまり、ドイツ3大Bは、全世界の全作曲家の中の3大Bを意味する言葉として用いられているきらいがある。

ドイツはそもそも全世界で最も音楽の天才を生み出している特別な存在なので、ドイツ3大Bは、古今東西のありとあらゆる作曲家の中のBの付く最高の作曲家3人だというわけだ。

「B」にも注意が必要だ。

アルファベット26文字のうちの2番目のBの名前の3大作曲家ではなく、そもそもBで始まる作曲家にはあまりにも偉大な大作曲家が多かったのであり、26のアルファベット全体とは実は関係ない。

つまりアルファベットの数だけ3大○がいるわけではないということ!

音楽史上の3大作曲家は誰?

3番手のBがブラームスなのかブルックナーなのか?が問題なのだが、実は、議論の余地のないバッハとベートーヴェン以外に、この二人と並ぶことができる音楽史上の作曲家としてはモーツァルトがいるだけだ。

クラシック音楽の中で3人の天才を選ぶとしたら、バッハとモーツァルトとベートーヴェンの3人に尽きてしまう。

これは例の吉田秀和が様々な機会を通じて主張してきた考え方だが、吉田秀和ならずともクラシック音楽の3人は、「バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの3人に尽きる」ことに誰も異論はないし、クラシック音楽ファンなら、誰だってそう思っている。

だから、3大Bというその心としては、Mさえ除けば、クラシック音楽の最高の3人を指す言葉なのである。

だからこそ、そのBの3人目がブラームスなのかブルックナーなのか、が少々深刻な問題になってしまう。

「2B&2M」でいかが?

ちなみにMも錚々たる作曲家揃い。モーツァルト我が熱愛のモンテヴェルディ。この二人で十分だが、他にもメンデルスゾーンやマーラー。更にムソルグスキーもいるが、むしろ日本の三善晃と間宮芳生を加えたいところ。

僕に言わせてもらえば、古今東西のクラシック音楽の天才は「2B &2M」の4人で決まり。もちろん、バッハ・ベートーヴェンとモーツァルト・モンテヴェルディの4人である。これにドビュッシーを加えてくれれば僕には全く不満はない。

脱線した。

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ブルックナーという作曲家の特徴

変人ブルックナーには、他の音楽史を彩る天才作曲家たちと比べて、著しい特徴がある。

ブルックナー紹介の序章として最初に書いておきたい。

ブルックナーの写真
ブルックナーの写真。田舎のオジサンといった風貌ではある。

40歳過ぎてから作曲を始めた

ブルックナーの最大の特徴は、先ずここだ。小さな教会のオルガニストとして活動はしていたが、本格的な作曲は40歳を超えてから。それ以前にも宗教曲を中心に作曲はしていたが、あくまでも習作に留まっており、本格的な作曲は40歳を過ぎてからとなる。非常に遅いスタートだった。

古今東西の長い音楽史の中で、こういう遅いスタートは他に例がない。

モーツァルトを引き合いに出すまでもなく、大作曲家のほとんどは、物心つく頃から作曲を始めているものだ。

早熟の天才と言われる人でなくても、どんなに遅くても20代では傑作を残している。

それがブルックナーは40過ぎなのだから、恐れいる。

記念すべき交響曲第1番の完成は42歳の時だ。

そして、遅くなって作曲を始めたブルックナーはその後も全く評価されることがなかったが、漸く周りから評価され、作曲家として名声を得たのは60歳の時であった。

交響曲第7番が大絶賛を博したのが初めてだった。誠に気の毒なブルックナーなのである。

ブルックナーの肖像画
ブルックナーのカラーで描かれた肖像画。

72歳まで作曲し続けた 

一方で、大作曲家としては高齢を誇り、亡くなったのは72歳。死の直前まで作曲し続けた。

バロック時代には長命の作曲家がかなりいて、我がモンテヴェルディもラモーも70代で大変な傑作を量産し、バッハの100年前に生まれたシュッツに至っては80代でも名作を残している。

ところが古典派以降、大作曲家は短命というのが定着し、実際に72歳まで作曲し続けたのは、異例中の異例である。

但し、ブルックナーの場合は作曲家としてのスタートが42歳と遅かったので、作曲期間としては30年となる点に注意。名声に包まれたのは晩年の約10年間だけだった。

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生涯独身で、少女好き

ブルックナーは72年の生涯を通じてずっと独身だった。あのベートーヴェンやブラームスも独身だったので、独身そのものは特徴にもならないが、ブルックナーは何度も恋をして、遂に一度も実らなかった。

その原因の一つには、ブルックナーが少女好きだったことがある。そういうと「ロリコン」のようでイメージが良くないが、アブノーマルとか変態ということでは必ずしもない。

簡単にいうと、若い時に普通に年相応の少女を好きになったが報われず、その後、ブルックナーは年を取っていったが、いつも最初の恋と同じように16、17歳の無垢な少女を好きになった。年甲斐もなく少年のような恋をしていたようだ。

少女崇拝」のようなものが確かにあったようで、60歳、70歳になっても、子供のような若い娘に直ぐに夢中になり、自分の孫のような少女に向かって熱烈に求愛するのである。気に入った少女を見つけるとその場でいきなりプロポーズするような非常識なエピソードも色々と伝わっている。

結婚を申し込んでも、その少女の親が当然のことながら難色を示し、実現することはなかった。

ロリコンというよりは、ブルックナー自身が大人になり切れない少年のまま歳だけ取っていったというのが真相のようだ。それにしても子供じみてるというか、年甲斐もない。

憂鬱症と強迫観念

作曲を始めたのも遅く、しかも長年に渡って全く評価されなかったなど、恵まれない人生を送ったことも影響したのか、ブルックナーの精神状態はかなり不安定だったようで、深刻な神経衰弱にしばしば陥った。

異常なまでに数字に拘り、木の葉や積んである木材の数、河原の石の数を数えるなど、強迫観念に苦しめられた。やがてはドナウ川の川岸の砂粒まで数えるようになり、数え切れなくなって発狂寸前になってしまうことさえあったらしい。

次回以降に詳しく紹介していくが、ブルックナーが作り続けた大交響曲は、第7番まで全く認められなかっただけではなく、多くの批評家、作曲家から辛辣な批判を浴びた。

認められないだけだったならまだましなのだが、徹底的に批判され、敵意と悪意に満ちた酷評を浴び続けた。

それが繊細で、臆病なブルックナーの精神を如何に傷つけ、追い込まれていったのか、想像するに余りある。

同じジャンルしか作曲しなかった

交響曲と宗教曲しかほぼ作曲していないことは既に書いたとおり。

我が家にあるブルックナーの交響曲のバラのCDの写真
我が家にあるブルックナーの交響曲のバラのCDの写真。全集、セット物と一部重複している。

同じテーマと曲想を追い続けた

ブルックナーには交響曲は9つあり、最後の第9番は未完に終わっている。

それ以前にも「交響曲0番」と「交響曲」という習作があるが、それについては各論として後日詳しく紹介しよう。

その番号付きの9つの交響曲には名作が目白押しだが、実は、全て同じテーマを追求したもので、いずれも非常に似通った曲想だ。

誤解を恐れずに敢えて乱暴に言ってしまうと、ブルックナーの交響曲はどれを聴いても、みんな同じ

メロディはもちろんそれぞれ違うし、当然それぞれの個性はあるが、基本的には似たような曲ばかりである。

要するにブルックナーという人は、9曲の交響曲を通じて、同じテーマと同じ曲想を、その度に磨きかけてきたというのが真相である。

ベートーヴェンの不滅の9つの交響曲が、一つとして似たようなものはなく、それぞれが別々の個性で光り輝いているのとは大違いである。

この点をよく理解しておいて欲しい。

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同じテーマを繰り返し追求したので、最後ほど傑作に

同じテーマと曲想を、新しい交響曲を作曲する度に前よりもいいものを作曲しようと追求していったため、最後の作品ほど素晴らしいものになっていくということは、至極当然のこと。

ブルックナーはある意味で非常に分かりやすい作曲家と言えるのだ。

多くの評論家やブルックナーファンは、ブルックナーの作品の完成度の高さ、出来の素晴らしさ、感動の深さに順番を付けると、第9番、第8番、第7番の順になるという。

最後に作曲したものが一番素晴らしく、その次はその前、その次は更にその前と順番を遡っていくことになる。

分かりやすくも、何とも変わった作曲家である。

それもひとえにブルックナーが生涯を通じて、つまり交響曲の作曲を通じて、常に同じテーマを追いかけ、繰り返しそれを追求したからに他ならない。

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神を讃え、賛美する祈りの音楽

それは何かというと、神を讃えること、神の奇跡と神が作った世界を褒め称えることに他ならなかった。そして神への祈り。

ブルックナーのありとあらゆる創作、つまり全ての交響曲、全ての合唱曲は、神を讃え、神を賛美すること、そしてその神への祈りだった。

そういう意味では、ブルックナーの音楽は、キリスト教や宗教に興味がない人には、全く理解できないものとなってしまう危険性がある。

ところが、必ずしもそうはならないところが音楽、いや芸術の素晴らしいところなのである。

神とキリスト教を理解できない、あるいは全く信じていなくても、ブルックナーの音楽の素晴らしさは、十分に理解できる。

だからこそ、これだけブルックナーの音楽は、今日これだけの市民権を得て、大人気を博しているのである。

それは何故なのかも次回以降、考えていきたい。

次回チクルスに続く。

 

☟ 興味を持たれた方は、こちらのブルーレイオーディオが収まったカラヤンの全集を聴いてみてください。このカラヤンの全集については、次回以降に詳しく取り上げる予定です。


【輸入盤】交響曲全集(第1番~第9番) ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィル(9CD+ブルーレイ・オーディオ) [ ブルックナー (1824-1896) ]

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