ロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」を忘れるな

前回の本の紹介「絶対に感動できる5人の小説家」の中で、フランス文学についてはカミュなど色々と読んだが、夢中になっている作家は特にいないと書いた。だが、非常に大切な人を忘れていた。これはいかん。ロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」。うっかり忘れていた。とんでもない失敗。

早速補足させていただがなければならない。「チボー家の人々」は長編の大河小説で8部11巻からなる大作。日本でも白水社から全13巻ものとして長きに渡って出版され続けている。

白水社の和訳本の最後に載っている「チボー家の人々」の全容の紹介。全13冊。

「チボー家の人々」の概要

僕もこの長編を夢中になって読み、今までで最も感銘を受けた小説の一つとなっている。カトリックの厳格な父の元で育った二人の対照的な兄弟の幼少期から死ぬまでを描いた息の長い小説で正に大河小説と呼ぶのが相応しい。
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どんな物語なのか

兄のアントワープは父の後を継いで医者となるが、弟のジャックは感受性が強い傷つきやすい人間で、少年期から父に背いて施設に入れられるなど様々な問題を抱えながら成長していく。やがて社会問題に目覚め、革命運動に身を投じる。時あたかも第一次世界大戦の開戦直前。ジャックは仲間とこの無意味な戦争を何とかやめさせそうと奔走するのだが、遂に戦争は始まってしまう。それでも諦めきれないジャックは起死回生のアイデアを思いつき、それに命をかけるのだが・・・。

魅力の中心は何と言っても次男のジャック

何と言ってもジャックが魅力的で、心を奪われる。彼の屈折した複雑な心情も共感できるものばかりで、感情移入してしまう。だが、エリート医師になる兄のアントワープの人物像も中々魅力的なのである。

その二人を巡る女性たちの恋のエピソードも胸に迫るもので、これは実に魅力的な素晴らしい小説なのだ。

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僕の蔵書。カバーを付けるのが竹重流。

「1914年夏」でノーベル文学賞

特に、全体の3割以上を占める「1914年夏」は第一次世界大戦前夜のヨーロッパ各国の政治状況と国際関係が生き生きと描かれ、膨大ながらも一気に読み終えてしまう。この「1914年夏」は1937年のノーベル文学賞に輝いている。戦争を何とか止められないかと必死で奔走するジャックと読む者は運命を共にするようで、その盛り上がりは半端ではない。

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全13巻の中でも圧倒的な中心部分を形成する「一九一四年夏」全四冊。読み応え十分。これでノーベル文学賞を受賞した。


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この名作が不当に扱われているように思われてならない

これは超一流の純文学の系譜に連なる名作中の名作だと僕は信じて疑わないのだが、どうしても分からないことがある。というのは、この「チボー家の人々」は文学としては冷遇されている、正当に評価されていないのではないかと思われてならないのである。

もちろん、この大作は日本でも白水社から出版され、戦後多くの日本人にも愛読されて来たことは事実である。僕も子供の頃、この小説が書店の棚に並んでいたことを子供心に良く覚えている。

これは純文学それとも大衆小説

だが、これは正当な純文学として取り扱われているのだろうか?大河小説ということで、大衆文学の扱いを受け、軽く見られているように思えてならない。

マルタン・デュ・ガールもフランスの大作家、文学者という扱いはまるでされていない。岩波文庫の「フランス文学案内」には、フランスが輩出した古今の作家達が非常に細かく掲載されているのに、マルタン・デュ・ガールの名前もチボー家の人々の名前も一言もないのだ。何たるスキャンダル。

これは単なる大衆小説なのか?

岩波文庫の「フランス文学案内」での取り扱い

と書いていたのだが、本日何となく気になって、上記岩波文庫の「フランス文学案内」をもう一度、読み直してみたのである。

そこでビックリ‼️何とちゃんと載っていたのだ。そればかりかかなり詳しく書かれており、この「チボー家の人々」のこともかなり褒めてくれているのだ。えっ!?一瞬、信じることができなくて、我が目を疑った。どうしてこれを見逃したのだろう?全くもって理解できないのである。

その本は岩波文庫の「増補フランス文学案内」。渡辺一夫と鈴木力衛の共著である。岩波文庫別冊①。本当にどうしてこのマルタン・デュ・ガールとチボー家の人々に関する記述を見逃したのか理解できない。

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何で一言も書いてないんだと怒りが治らなかったが、ことあろうか、僕が気づかなかっただけで、何とマルタン・デュ・ガールの顔写真まで載っているではないか。これは本当に恥ずかしい。著者に対しても申し訳なく、僕のブログを読んでくれた読者の皆さんにも心から許しを請うものである。

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岩波文庫別冊「増補フランス文学案内」の「チボー家の人々」の該当部分。

 かなり詳しく書いてあって、その全てに共感できるものばかりだったので、少し長い引用となるが、そっくり紹介させていただく。

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同文庫からの引用

「デュアメルと同時代の小説家ロジェ・マルタン・デュ・ガールは、ドレフュス事件の渦中に巻き込まれた知識人の姿を『ジャン・バロワ』の中で描きましたが、その名前を不朽にしたのは、『チボー家の人々』と題する大河小説です。この小説はプロテスタントとカトリックの家庭を対比させつつ、チボー家の兄弟の生涯を描き、戦争と革命に対する二つの異なった態度を、二十世紀のはじめから第一次世界大戦にかけてのフランスの社会を背景に、鮮やかな技巧で表現しております。ここに描かれた青年たちは、誠実に生きようとする希望とそれを圧しつぶす環境とのあいだで苦しみ、ある意味でジードがしばしば提出した生存の問題と共通するものを持っておりますが、手法としてはプルーストの小説などよりも、遥かに伝統的なものであり、むしろバルザックやゾラの手法に近いものと言えます。しかし、作中の青年たちの苦しみはあくまでも現代のそれであり、平易で力強い文体、瞬時も飽きさせない物語の展開など、読者はたちまち魅了されてしまうでしょう」

(後略)

全く紹介がないと思って失望していた僕がこの紹介を読んでどんなに喜んだか、想像がつくだろうか?

実際に、これ以上の賛辞があろうか!?僕の溜飲は一挙に下がった。こんな大切な部分を見逃して、何たるスキャンダルなどと嘆いていた自分が恥ずかしい。正に何たるスキャンダル‼️

ジャックの心象風景は十分に文学的だし、戦争反対の社会意識も、苦しい恋愛も、エピローグで描かれた戦後の兄アントワープの地獄のような苦しみなど、どう考えてもただの大衆小説という次元のものではない。ノーベル文学賞も受賞しているのだ。

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どうして翻訳が一種類しかないのか?

不思議なのである。これだけの人気小説で、ノーベル文学賞まで受賞しているにも拘らず、何故か翻訳はこの白水社から出ている山内義雄によるものしかないのである。

同じフランスのプルーストが神のように高く評価され、代表作の「失われた時を求めて」が20世紀最高の文学と呼ばれる中にあって、書かれたのもほぼ同時期(失われた時を求めては1913〜1927。チボー家の人々は1922〜1940)で、「失われた時を求めて」は、世界で最も長い小説としてギネスで認定されているということだが、それに比べれば多少短いが、ほぼ同じ長さであるにも拘らず、この扱いの違いは一体何なんだ!と思ってしまう。

プルーストの「失われた時を求めて」と比べてあまりにも

20世紀最高の文学と言われるプルーストとその最高傑作「失われた時を求めて」と比べるのはいかにも部が悪そうだが、「チボー家の人々」の熱心なファンとしては、そう言ってしまいたくなる。

プルーストの「失われた時を求めて」は、元々有名な翻訳がいくつも存在していたが、最近では更に岩波文庫から新しい訳が出揃い、更に競うようにして光文社古典新訳文庫からも新しい翻訳が出始めている。

どうやらこちらには6種類程の翻訳が百花繚乱の如くに立ち並んでいるのに、チボー家の人々の人々は1952年に訳し終えた山内義雄訳一種類しかないのだ。

日本のフランス文学者にとってはこのチボー家の人々とマルタン・デュ・ガールは見向く価値もないような扱いを受けているとしか思えない。

前述の岩波文庫のフランス文学案内に中にもプルーストとの対比が簡単に書かれていた。プルーストよりも手法としては、遥かに伝統的だと。

フランス語の先生曰く

また、僕のブログを読んでくれているフランス語のN先生は、僕の指摘に対して、以下のようにお考えを伝えてくれた。

「やはりプルーストは文学に新しさをもたらし、普遍性があるのに対し、マルタンデュガールは時代性に寄っているということはあると思います。プルーストの研究者は星の数ほどいますが、マルタンデュガールの研究者はほとんど存在していません。ただ、大衆的だからダメということはないわけです。翻訳が出ないことにはさまさまな理由があると思いますが、やはりその時代性が大きいのではと考えます」

フランス文学の専門家がおっしゃる非常に貴重なご意見がありがたい。

なるほどなあ、と肯くことしきり。

それでも、僕はここ70年間に渡って新訳が出ないということにはどうしても納得できないのである。残念でならない。


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フランス語の原書まで購入

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新しい翻訳が読めないのなら自分で原書をと、フランス語の原書を購入して眺めたりしているのだが。

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これがフランス語の原書の中身。比較的分かりやすいフランス語だ。

もうこの辺りで、新しい訳によるチボー家の人々が文庫となって書店の店頭に並ぶことを夢見ている。

日本のフランス文学者には見向きもされない「チボー家の人々」だが、この小説を愛読し、その影響を基に素晴らしい作品を書いてくれたのが短い漫画だというのはあまりにも歯痒い。
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高野文子の漫画「黄色い本」が欲求不満を慰める

高野文子の「黄色い本」。だが、この漫画は実に感動的で素晴らしいものだ。この漫画の存在が僕の欲求不満を慰めてくれる。

実はこの「黄色い本」のことを教えてくれたのも、前述のN先生だったのである。あらためて心より感謝したい。N先生いわく「個人的に漫画アートのバイブル」と。本当にこの漫画には感動させられる。「チボー家の人々」を愛する人にとって、この短い漫画の存在はどんなに嬉しいことか。

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正に黄色い!本。薄い漫画本だが、感動は厚い!

多くの皆さんにこの感動的な漫画を読んでいただきたいところである。

但し、小説を読み終わってから読まなければならないので、その点だけはくれぐれもご注意を。

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