(【前編】からの続き)

坂本龍一が熱愛した音楽としても有名

3年前(2023年)に急逝したあの坂本龍一が、中学時代にこのドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて衝撃を受け、トコトン夢中になったことは良く知られている。

坂本の自伝「音楽は自由にする」に、熱く書かれている。少し長くなるが、貴重なエピソードなので全て引用しておく。

ドビュッシーの若き日の有名な肖像画
ドビュッシーの若き日の有名な肖像画

坂本龍一のコメント

「中学2年になって、そろそろそれにも(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のこと)飽きてきたころ、叔父のレコード・コレクションを何気なく見ていたら目に入ってきたのが、ドビュッシーの弦楽四重奏曲のレコードでした。演奏はブダペスト弦楽四重奏団で、B面はラヴェルの弦楽四重奏曲。それをこっそり持って帰って、うちのステレオで聴いてみました。昔よくあった、家具調の、レースがかかっているようなステレオで。そして、ものすごい衝撃を受けた。

それは、自分の知っているどんな音楽とも違っていました。好きだったバッハやベートーヴェンとは全然違う。ビートルズとももちろん違う。聴いたとたんになんだこれは、と興奮して、すっかりドビュッシーにとりつかれてしまった。

あまりに夢中になってドビュッシーに共感して、自我が溶け合ってくるというか、もうずっと昔に死んでしまっているドビュッシーのことが自分のことのように思えてきた。自分はドビュッシーの生まれ変わりのような気がしたんです。おれはなんでこんなところに住んでいるのか、どうして日本語をしゃべっているのか、なんて思うぐらい。ドビュッシーの筆跡をまねて、帳面何ページにもわたってサインの練習をしたりもした。「Claude Debussy」って。 

自分が夢中になっている音楽の話を共有できるような友だちは、周りにはいませんでした。学校にもいなかったし、家に帰ってもいなかった。譜面を見ながら自分でぽろぽろ弾いてみて、どうしてこんな音がするんだろう、なんて思っていた。ひとりで音楽と語らっているような感じでしたね。」

驚くべきエピソード。天才は天才を知るということだろうか。

ちなみに、本書(「音楽は自由にする」)のに付けられた(注)も引用しておこう。

【ドビュッシーの弦楽四重奏曲】
「(前略)ドビュッシー31歳のときの作品。機能的和声から脱し、調性に縛られない自由な音楽世界を確立した時期の傑作。バロック以後ロマン派までの西洋音楽は長調/短調を基本とする近代調性を用いていたが、この曲では中世のグレゴリオ聖歌で用いられた教会施法などが導入され、ドビュッシー独自の新しい響きが生まれている。」

実は僕にはそれほどフィットしない

ドビュッシーの弦楽四重奏曲はこのように非常に高く評価されているのだが、ドビュッシー狂いの僕が、実はこの曲にはそれ程の魅力を感じていないと正直に告白する。

もちろん素晴らしい曲だと思うし、今まで数え切れない程、聴き込んできた。だが、僕にとってはこの曲は、大好きなドビュッシーの音楽の中には直ぐには入ってこない作品だ。

こんなことを書いてしまっていいのか、正直迷うとところだが、この曲の新しさ、斬新さ、ドビュッシーが自らの新しい音楽を確立させた記念すべき作品とは僕には感じられないと、本当に正直に書いておく。

ほぼ同時期に作曲された管弦楽曲の「牧神の午後への前奏曲」の斬新さ、いかにもここにドビュッシー誕生というのは、良く分かる。

いかにも今までどこにもなかった新しい音楽だ。僕の感性にも良くフィットする。ところが、弦楽四重奏曲はそうはいかない。

普通の名曲、良く書けた弦楽四重奏曲というに留まってしまう。フランクが考案した循環方式が前面に打ち出され、むしろ伝統的な音楽のようにさえ、思えてしまう。

僕の音楽的感性がどうかしているのだろうが、ドビュッシーの音楽をこれだけ愛している僕が、どうしたことだろうか?きっと相性が悪いのだろう。

だが、第3楽章は別だ。これは凄い。素晴らしい音楽だ。

但し、第3楽章は異次元の美しさに感動

この第3楽章があることで、僕はドビュッシーの弦楽四重奏曲は名曲だと声を大にして推薦したくなる。この部分は特別な美しさを誇る異次元の素晴らしさだ。

僕はこの部分を初めて聴いた時から、この異様な美しさと音楽的な高まりにすっかり心を奪われてしまった。

いかにもドビュッシーらしい夢見るような息の長い旋律がヴァイオリンからチェロへと引き継がれながら、全体的に少しずつクレッシェンドしていく。テンポも上がりながら、急かすようにどんどん感情が高鳴っていって、最後に4つの楽器が爆発する感じが、誤解を恐れずにいうと、オーガズムの高鳴りにも似て、冷静でいられなくなる。

本当にこれは聴く者の美意識を刺激せずにおかない霊感に満ちた音楽である。

これがあるだけで、この曲を聴いてもらう価値がある。だが、ドビュッシーの全く新しい音楽を感じさせるというのとはちょっと違う。これがあるからと言って、ドビュッシーの誕生とは僕の中では、ならない。

ドビュッシーの弦楽四重奏曲に対しては、僕の思いはかなり屈折している。

ラヴェルの「弦楽四重奏曲」作品35 ヘ長調

ラヴェルの弦楽四重奏曲もドビュッシーと同様、天才の若き日の記念すべき傑作であるが、作曲されたのはちょうど10年後だった。

初演時にこれを聴いたドビュッシーはいたく気に入って、ラヴェルに、一音たりとも変更してはならないと賛辞を送ったが、ラヴェルはその後かなり修正を加えたという。

この2曲は非常に良く似ている。CDではどんな弦楽四重奏団もこの2曲をセットにして録音している。昔のLP時代の正にA面とB面だ。

印象派を代表する2人の天才の若き日の記念碑的な傑作として非常に高く評価され、広く愛されている2曲だが、実際この2曲は驚くほど似ている。

4つの楽章からなり、演奏時間が25~30分というあたりも全く変わらない。

曲想も非常に似ていて、正に双子。音楽の構成、構想、雰囲気までそっくりだ。

「音楽」に満ちた何とも魅力的な曲

僕は、ドビュッシーの弦楽四重奏曲は第3楽章を除くと、それほど共感を感じないが、ラヴェルは違う。こっちの方が僕の感性にフィットし、すっきりと心の琴線に響いてくる。

優しく語りかけてくるような第1楽章からすっかり心を奪われてしまう。そしてどこまでも良く歌うのが魅力的だ。

第3楽章は、約10分もある。ドビュッシーの第3楽章のような特別な美しさに満ちたものではないが、ラヴェルの最上の抒情性に彩られ、集中して聴き入ってしまう。耳を奪われる音楽の連続だ。

沈黙の美といったものが漂う不思議な雰囲気に満ち溢れ、ちょっとした音にも「音楽」が宿っていることに驚かされる。実に高級な音楽を醸し出す。これはドビュッシーに勝るとも劣らない魅力だ。

第4楽章は5分弱と短めだが、ラヴェルならではの洗練された音楽美が爆発するような何とも痛快にして、魅力的な音楽だ。中盤でヴァイオリンが良く歌うのも捨て難い。

フォーレの「弦楽四重奏曲」作品121 ホ短調

3人の中では一番年長だったフォーレが、79歳という人生の最後に作曲した弦楽四重奏曲。時に1924年。

近現代、19世紀末から20世紀にかけて作曲された弦楽四重奏曲の一里塚となった空前の名作群であるバルトークの6つの弦楽四重奏曲の中で、バルトークの個性が発揮された大傑作の第3番以降は1927年から始まるので、フォーレの作品はその前に作曲されたものとなる。

だが、このフォーレの唯一の弦楽四重奏曲が名作だとは言われることはあっても、バルトークのように革新的なものだと言われることは皆無。

それを言うなら、もうとっくに作曲されていた後輩のドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲のようにベートーヴェンの呪縛から脱却したなどと評価されることもない。

その意味ではフォーレの弦楽四重奏曲は、弦楽四重奏曲の歴史の中で特筆されることはほとんどない。

フォーレの室内楽の最後の到達点

フォーレは弦楽四重奏曲はこの1曲しか作曲しなかったが、フォーレはブラームスと並ぶ最大の室内楽作曲家で、生涯に10曲の大作を作曲した。若い頃から最晩年まで途切れることなく室内楽の作曲は続いた。

その最後に到達した作曲家の魂の吐露に、新しさ、斬新さ、革新も何も関係ない。ここにあるのはフォーレという類い稀な作曲家が最後に到達した至高の境地である。

いくら音楽史上の価値が高いと言っても、ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲には到底及ばない深遠さと高みに満ちた特別な作品だ。

諦観に満ちた幽玄な響き

死を目前に控えた79歳の老作曲家が最後の最後に作曲した弦楽四重奏曲は、もう異次元の作品と呼んでもいいかもしれない。

まさに枯淡の境地。激しさも感情の起伏もなく、ただ静かに流れるだけの音楽。

3つの楽章しかないが、演奏時間は25分程かかる。

全体が諦観に満ちた幽玄な響きに満たされている。激しさや感情の爆発、怒りも悲しみも超越してしまったかのような静謐な響きが延々と広がるだけだ。

水墨画のような淡白な味わい

東洋的な水墨画を思わせるような枯れた味わいが不思議な程、心の一番深いところに優しく沁み込んでくる。

どこにも力みのない、力の抜けた音楽で、ふわふわとした浮遊感に満たされる。

逆にいうとちょっとつかみどころのない音楽といってもいいかもしれない。

悲しい、嬉しいなどの喜怒哀楽を超越してしまったような捉えようのない音楽となる。それがまた心の琴線に触れて、何とも言えない心地良さに繋がっていく。

第2楽章では魂を吸い取られてしまうような静謐な音楽が広がる。静謐ながらも、静かに少しずつじわじわと高揚していく感じが何とも言えない。

これが79歳のフォーレが最後に行き着いた境地である。幽玄の境地と言ってもいいかもしれない。

僕にとっては唯一無二の大傑作

僕はこの曲をこよなく愛する。聴くほどに味わいを増す素晴らしい名曲だと信じて疑わない。僕にとっては唯一無二の特別な曲となっている。

この曲の良さを味わうためにはフォーレ同様に歳を重ねる必要があるかもしれないが、僕はこの曲を若い頃から非常に気に入っていた。

都会の喧騒、喜怒哀楽、人間関係に疲れた人にはたまらない音楽となるかもしれない。

僕はフォーレに一番心惹かれる

フランス近現代音楽を代表する3人の天才の唯一の弦楽四重奏曲を紹介してきた。

いずれも有名な人気の高い作品ばかりである。

ドビュッシーとラヴェルの若き日の2曲と、フォーレ79歳の死の直前の作品とは、あまりにも作風が違い過ぎるが、僕はやっぱりフォーレの深遠さと幽玄さ、浮遊感に強く惹かれてしまう。

他のクラシック音楽ファンはどうだろうか。是非ともこの3曲をじっくりと聴き比べていただきたいものだ。

エベーヌ弦楽四重奏団の素晴らしい演奏

エベーヌ弦楽四重奏団の演奏は素晴らしいの一語に尽きる。この3曲を1枚のCDに収録してくれたのは大変な快挙だ。

このCDでの録音順は以下のようになっている。
①ドビュッシー
②フォーレ
③ラヴェル

この配列が僕には当初、良く理解できなかった。どうしてこういう順番になるんだと!?と。

作曲家の生誕順でもなければ、作曲された年代順でもない。どういう基準なんだろうと。

だが、繰り返し聴いて、得心がいった。そして一旦理解できると、これはどうしてもこの順番でなければならないと思えて来る。

ドビュッシーとラヴェルという2人の天才が若き日に作曲した良く似た感じの出世作を前後に置いて、真ん中に喜怒哀楽を超越した枯淡の境地のフォーレを挟ませる

素晴らしい配置だと思う。こうすることで、若き日の天才の傑作と老作曲家の最後にたどり着いた境地を立体的に味わうことができて、それぞれの魅力がより引き立つこと間違いなしだ。

演奏は申し分ない。どこまでも柔らかくて、包み込まれるような優しい響きと、フランスならではエスプリを存分に満喫できる素晴らしい演奏だ。

これを聴かない手はないだろう。

 

 

 

☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入ください。

1,241円(税込)。送料無料。

フランスの若き俊英たちによる超名盤が何とこの値段で購入できる!ちょっと信じ難い事態。輸入盤で日本語の解説はないが、問題ないだろう。

フランス近現代の3人の天才が生み出した弦楽四重奏曲の名作3曲が1枚のCDに。収録時間81分の超すぐれものの感動的なCDだ。

本当に安過ぎる。しかも送料無料。これはもう買うっきゃない代物。

 


ドビュッシー、フォーレ&ラヴェル:弦楽四重奏曲集 [ エベーヌ四重奏団 ]

 

おすすめの記事