カンタータ全集では鈴木雅明・BCJが空前の完成度を誇る最高の名盤

こうして教会カンタータの全集録音を比較検討すると、我らが日本が生んだ鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏が最高のものだということが判明する。

本当にこの全集は素晴らしい。ありとあらゆる面からみても全く非の打ちどころのない完璧な演奏がここにある。

指揮の鈴木雅明はもちろんだが、オーケストラ、合唱、様々な独唱者たち。その全てが信じられない程素晴らしい。200曲もあるとどうしてもムラがあって、中にはパッとしない演奏も含まれるものだが、ここにはそういったこともほとんどない。全200曲、CDの枚数にして55枚の全てが群を抜いたレベルで均一が取れている姿は本当に驚異的。正しく圧巻だ。

僕が信奉しているガーディナーとモンテヴェルディ合唱団による全集演奏が、全体の完成度と合唱のレベルに少し難があることを踏まえると、教会カンタータの全集演奏においては、鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの対抗馬はもうどこにもないと断言できる。

これに次ぐものはコープマン盤ということになるが、コープマン特有の屈託のない明るさと健康さが、少し物足りなさを感じるようになり、もう少し深刻で深いものが欲しくなってくる。
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鈴木雅明は一体どこから来たのか?

この僕の評価は、竹重個人が勝手に言っていることではなく、日本人はもちろん、本場のヨーロッパでも、本国ドイツでもこの評価に揺るぎはない。つまり世界中のバッハファン、クラシックファンの共通の認識なのである。

それにしても本当に不思議でならない。どうしてこの東洋の島国日本からある日突然、正に突然変異のように世界一のバッハ演奏家が出現したのか?

鈴木雅明は一体どこから来たのか?彼はこのバッハ演奏に求められるありとあらゆる音楽スキルと宗教的な背景まで含めて、一体どこで身に付けたのか?日本でもヨーロッパのトップ演奏家に何とか並び立つ人材が現れたというレベルではなく、鈴木雅明こそが世界最高。現在、世界中のどこを見回しても鈴木雅明以上のバッハ演奏家が存在しないという事実。

本当にこれはすごいこと。有り得ないことなのだ。日本には小澤征爾を始めクラシック音楽界で世界のトップに並ぶ人材は何人かいるが、鈴木雅明の存在は、もしかしたらあの小澤征爾に勝るとも劣らない存在かもしれない。

とにかくバッハ演奏というフィールドの上では、鈴木雅明は世界中で唯一無二の最高の存在になりつつある。

鈴木雅明とBCJの教会カンタータ全曲CDの解説書のライブラリー。この9枚の表紙が全て。

バッハ演奏家は、他のクラシック演奏家とは求められるスキルが少し異なる

類い稀な音楽的な才能に加えて、バッハはずっと教会で活動していた人間だけに、キリスト教の素養、それもルター派プロテスタントに関する特別な素養(知識と経験)が求められるのだ。

また音楽的な能力も指揮者としての才能だけではなく、かのカール・リヒターもグスタフ・レオンハルトもその高弟であるトン・コープマンもそうであったように、指揮者である前にバッハの楽器であるチェンバロとパイプオルガンの名手であることがどうしても必要不可欠となってくる。リヒターもレオンハルトもコープマンも、最高のチェンバリストであると同時に最高のオルガニストであった。

実は、鈴木雅明もまたそうなのである。鈴木は超一流のチェンバリスト兼オルガニストとして、カンタータ全集を出しているスウェーデンのBISレーベルからチェンバロとオルガンの素晴らしいCDを何枚も出している。

本当にどうしてこんな人材が日本から出現したのだろうか?

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鈴木雅明の略歴

鈴木雅明は神戸市生まれの現在66歳(2020年夏現在)。クリスチャンでアマチュア音楽家の両親の元で育ち、東京藝大の作曲家を卒業後、同大学院オルガン科に進学するとともにチェンバロも学ぶ。後にオランダのアムステルダムのスウェーリンク音楽院で何とあのトン・コープマンにチェンバロを師事したとのこと。またプロテスタントのクリスチャンであり、日本キリスト改革派教会の教会員とのことだ。

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を結成したのは1990年。鈴木雅明36歳のときのことだ。

正にバッハを演奏するために半生を捧げてきた人だということが良く分かる。それにしても、だからと言って、世界最高のバッハ演奏家になってしまうとは本当に驚かされる。
ちなみに鈴木雅明の実の弟の鈴木秀美はバロックチェロの世界的な名手であり、指揮者としても有名。2人揃って日本の古楽界を牽引している正にスーパー兄弟なのである。

息子の優人はバッハ・コレギウム・ジャパンのチェンバリストにして指揮者。長身のイケメンでBCJの演奏会に行けば非常に目立つ存在で、この親子にも本当に感嘆させられる。

鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのCDは膨大な量がBISから出ていて、そのいずれもが世界トップの演奏である。

熱心な録音活動だけではなく、カルチャーコンサートなども日本全国で頻繁に行っているので、機会があったら是非とも生の鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏に接してほしい。実はこの鈴木雅明は知る人ぞ知る、やたらと良く喋る解説魔の側面もあるので、覚悟が必要(笑)。

そんなこともこのコロナ禍の中ですっかりその機会を失ってしまったことが、たまらなく悲しい。

CDの解説書から引用した鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏風景。鈴木雅明は指揮をしながら必要に応じてチェンバロも演奏する。

CDの解説書から引用した鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏風景。ロ短調ミサ曲の演奏会から。

古楽器(ピリオド楽器)による演奏について

ここで改めて認識していただきたい重要なことがある。取り扱う楽器についてである。全集の一覧を紹介したときにも、モダン楽器(現代楽器)と古楽器(オリジナル楽器=ピリオド楽器)と区分けがあったが、それは一体どういうことなのか!?

バッハの時代の音楽はバロック音楽と呼ばれているのだが、そのバロック音楽の演奏を巡っては、1970年代に、バッハが生きていた時代に実際に演奏されていた楽器を用いてバッハの演奏を行おうという運動が起きてきた。これが古楽器による演奏だ。それを推進したのが例のウィーンで活動を始めたアーノンクールと「現代のバッハ」レオンハルトの二人だ。この時代はといえば、復活したバロック音楽、特にバッハの音楽が未曽有のバッハ演奏家のカール・リヒターによって、実に感動的な演奏が世に誕生していた時代。その同じ時代にじわじわとそれとは別のバッハとその時代の音楽の復元を目指す天才演奏家たちが活動を開始し、バロック音楽の演奏を何時の間にか様変わりさせてしまった。

用いる楽器はバッハ達が実際に生きていた時代のその当時の楽器も用いること。現代楽器と当時の楽器とは素材も機能もまるで違っていたのでる。ピッチも半音低くなる。バッハが生きていた当時の楽器、いわゆる古楽器(オリジナル楽器)、これは今日では「ピリオド楽器」と呼ばれている。そのピリオド楽器を用いて演奏しようとする動きは、瞬く間にバロック音楽の演奏界を席巻し、いつのまにか完全にそれ一色で染まってしまった。極めて有能な演奏家が続出したことが大きかったというのが僕の考えだ。

古楽器を用いた天才達が雨後の筍のごとくに排出し、いつの間にかバッハに代表されるバロック音楽はほぼ完全に古楽器(ピリオド楽器)で演奏されることが当然のこととなり、現在においてもバッハやその同時代の音楽を演奏するに当たって現代楽器(モダン楽器)で演奏されることはほとんど皆無、ハッキリ言って100%なくなってしまった。バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどのバロック音楽はもちろん、その勢いは次の時代であるハイドン、モーツァルトはもちろん、ベートーヴェンでも古楽器による演奏が席巻した。今日ではこの運動は当たり前のこととなり、ベルリオーズやブラームスまで当時の楽器で演奏されるということが当たり前に行われている。

こんな信じられないようなホルンを使いこなすBCJのメンバー。

トランペットもご覧のとおり。どうやって音程をつけるんのか見当もつかない。BCJのメンバー。

 


音楽演奏史における最大の革命

単に作曲された当時の古い楽器を用いるというだけではなくて、古楽器は現代のモダン楽器に比べて半音低く、くすんだ感じ、地味な感じを与えるのが一般であるが、実は当時の古楽器演奏は地味なオリジナル楽器を用いながらも、演奏そのものは極めて斬新な、現代的な演奏を繰り広げることが一般であった。

こうしてこの古楽における古楽器による演奏は当たり前のこととなり、今日バロック音楽が現代楽器で演奏されることはない。わずか20年程の間にこの運動は決定的となり、勝敗はハッキリした。こんなにもわずかの間に演奏方式が使用する楽器も含めて一変することは本当に画期的なことである。

この古楽器による演奏運動は、音楽の演奏史において正に革命と呼ぶべき大変革であった。

バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏風景。これが古い時代のトランペット。

これもCDの解説書から引用したBCJの演奏風景。古いファゴットだ。

鈴木雅明 BCJの演奏で遂に全曲を試聴

僕がこのコロナ禍の中、漸くバッハの教会カンタータ200曲、全曲を落ち着いて聴くことができたことは、変な話しだが、新型コロナの感染拡大のせい。おかげと言うべきか。

聴いた全集はもちろん、鈴木雅明のバッハ・コレギウム・ジャパンによる演奏だ。55枚の全てを、初めてまとめてじっくりと聴いた。

この素晴らしい演奏で教会カンタータの全曲を聴いて、バッハのカンタータの素晴らしさと多様性にあらためて驚かされた。バッハ熱愛歴45年にして初めてこの途方もない大作曲家の中心的作品にアプローチをかけることができたのだ。遅過ぎた感があるが、感無量。

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