立花隆の追悼特集本の出版を待ち続けているが

立花隆の突然の訃報が飛び込んで来たのは6月22日のことだった。あれから2カ月以上が経過した。実際に亡くなったのは4月30日のことで、亡くなってから約4カ月経過したというのに、当然出版されると期待している追悼特集の「立花隆の全て(仮称)」的な本がどうしてまだ出ないのか、不思議でたまらない。

毎日首を長くして待っているのに、全く音沙汰なしだ。

そんな中で2週間程前に遺作と銘打たれて緊急出版された「最後に語り伝えたいこと」は、毎日首を長くして待ち続けている僕のやり切れない思いを慰めてくれた。辛うじて救われた感がある。

だが、この本は僕がズッと期待し、求めている立花隆の追悼特集本とは内容を異にするものだった。

僕が期待している立花隆の追悼本は、立花隆の活動と著作の全体像をもっとグローバルかつ俯瞰的にフォローし、それぞれの本と活動の全てを評価してくれるような本。それを読めば立花隆の全てが分かるような本である。

詳細な年譜と、立花隆が書いたありとあらゆる著作と記事の全てが、その年譜の中に表示されているような編集の本。

それに加えて、雑誌等で発表されながら単行本にはなっていないことで今は読めない記事が、たくさん掲載されていればもう最高だ。きっと狂喜してしまうだろう。それを願っている。

「知の巨人」と呼ばれ、政治、宇宙、医学、自然科学、文学、哲学などありとあらゆるジャンルに渡って濃厚にして、他の人では決してできないレベルの徹底した取材と文献の読み込みによって、あれだけの中身の濃い作品を発表し続けた史上空前のジャーナリストにして学者でもあった立花隆である。

それにふさわしい濃密な追悼本をどうしても出して欲しいと切に希望し、期待してしまう
これはもうどうしたって文藝春秋から出してもらうしかないではないか。それがどうなっているのだろうか?

生前のうちに「立花隆の全て」と銘打たれた本は2種類出版されている。以前にブログで写真付きで紹介させてもらっているとおり。

それを下敷きにして新しい記事を追加すれば済むのに、どうしてまだ出ないのか?もうこれ以上待ちきれない!

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遺作とされた最新刊の発行はやっぱり嬉しい

そんな中で出た最新刊。銘打たれた「遺作」というのとはかなり違うのだが、これはこれで僕にとっては本当に嬉しい、ありがたい本になった。

幻の大江健三郎との対談が遂に文字になったと知って、僕は居ても立っても居られず即購入し、しばらくページもめくらず暖めていたが、先週の日曜日(5.22)、我慢できなくなって貪るように一気に読み切ってしまった。丸一日だけで読み終えることができたのだが、時間的には5〜6時間もかからなかったかもしれない。

単行本としてはいかにもまとまりの悪い本だと言わざるを得ない。正に追悼特集としてまだ単行本化されていないものを集めてきて、一冊に詰め込んだだけの感は否めない。

表紙の帯には正しくラストメッセージが!
この帯裏の「デジタル・ミュージアム 戦争の記憶」についてはブログ記事の中には一言も触れていない。読んでみてのお楽しみだ。

全体の構成はこうだ

全く関係のない二つのテーマが収められている。

前半の第一部は、長崎大学で行った晩年の講演会「被爆者なき時代に向けて」の記録である。

この講演会の様子はNHKのドキュメンタリー番組「次世代へのメッセージ~わが原点の広島・長崎から」で取り上げられており、立花隆のファンは良く知っている話しである。このNHKのドキュメンタリー番組は、立花隆が亡くなった後、NHKが1〜2週間に渡って立花隆の話題になった代表的なテレビ番組を集中的に放送した中にも入っていて、その時の学生たちを相手にした講演会の様子は一部ではあったが、テレビで見ることができていた。

だが、活字になったのは今回が初めてである。

後半の第二部は、僕が胸をときめかせた大江健三郎との対話(対談)を収めている。これがこの本の価値を否が応でも高めている。

これは1989年の東欧革命の後、本家本元のソ連まで崩壊し、ソ連という国が歴史上から完全に姿を消した1991年の12月に行われた立花隆と大江健三郎との二日間に渡る対話の一部を文字に起こしたものだ。

この二つを2本柱に、雑誌に掲載されながら単行本化されていなかった貴重な記事がいくつか加わっている。

そんな本である。ページ数は222頁。最後に付けられた保阪正康による詳細な解説を含めてのページ数なので、実際に立花隆自身が書いたり、語ったりした部分は192ページに留まっている。いかにも短い。残念だ。

ハードカバーでそれなりの厚みがあるが、フォントは大きく直ぐに読めてしまう。

フォントも大きく直ぐに読めてしまう

立派な装丁のハードカバーだが、フォントがかなり大きくて、約220頁は本当に直ぐに読めてしまう。

前にこのブログで紹介した文藝春秋から出ている晩年の2冊「死はこわくない」と「戦争を語る」に比べれば、これでもかなり読む部分は多く、読み応えもあるのだが、遺作と銘打つのならもう少し単行本化されていない記事をたくさん集められなかったものか、と恨み節もこぼしたくなる。

今回、中央公論新社から出版された本書は、少し不満を感じさせる作りなのだ。

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圧巻の大江健三郎との対談

NHKテレビでも取り上げられた晩年の長崎大学での講演の記録ももちろん素晴らしいものだが、本書の価値は何と言っても後半(第二部)の大江健三郎との対話(対談)部分にある。

これは期待に違わぬ読み応え十分な感動的な内容であった。僕は時の経つのも忘れて、無我夢中で一気に読んでしまった。息つく暇もないくらい。

前述のとおり、1991年のソ連崩壊を受けての対談であった。

本当にあの100年に一回有るかどうかの未曾有の歴史的な大激動。東ヨーロッパの社会主義諸国が端から音を立てて全て消滅し、遂には本家本元のソ連まで崩壊してしまうという全く想定しえなかった衝撃的な変革。戦後50年近くに渡って世界を支配し続けたた冷戦構造が消滅した直後に、日本を代表する世界に誇る最高の知性と頭脳の持ち主二人による対話。
正に世紀の対話・対談と呼ぶにふさわしいものだ。

どうしてこんなすごいものが今まで活字にならなかったのか理解不能である。立花隆の生前に出版されなかったことは、本当に不思議でならない。

これがようやく陽の目を見たのである。興奮するなという方が無理。本当にワクワクドキドキしながら、一気に読み切った。

素晴らしい内容である。社会主義国家がどうして崩壊してしまったのか。特に盟主であったソ連までがどうして消滅することになってしまったのか。冷戦構造が崩れてしまって、世界はこれからどうなるのか。核の拡散の問題も取り上げられている。

誰もが知りたかったはずの真相と要因が、この特別な二人の巨人によって語り尽くされる様は圧巻だ。

この冷戦構造の消滅の後、世界は安定するかのように見えて安定せず、2001年の同時多発テロの発生によって、イスラム原理主義やテロリズムの横行が世界中を覆い、世界は新たな混迷と暴力が蔓延る世界に入っていくのだが、さすがにそのイスラム世界との対立と新たな戦争は予見されてはいない。

ところが、この二人の対話のテーマは環境破壊と気象変動。人口問題と移民問題。自国第一主義と排外主義。格差社会など、現在の世界を取り巻く課題と深刻な問題点について、まるで預言者のように熱心に語られるのである。

これにはもうビックリだ。極めて今日的な視点で語り合っており、これが30年も前に行われた対談だとは到底思えない。

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対談内容が素晴らしいだけに不満もある

ノーベル文学賞を取った大江健三郎と立花隆という互いに認め合った日本が世界に誇る最高の知性の持ち主が存分に語り合った世紀の対談には、本当に深い感銘を受けるのだが、その対談内容が素晴らしいだけに、この本には不満が残ることをハッキリと指摘しておきたい。

大江健三郎との対談は何故一部だけなのか

この対談は、冒頭の立花隆の実妹の直子さんの『「まえがき」に代えて』の中に明確に書いてあるのが、二人の対談の一部を載せてあるのだという。

それはどうしてなのだろうか?どうにも納得ができないのである。この対談は大江健三郎の山荘でニ日間に渡って開催されたとされており、今回30年振りにようやく陽の目を見て活字になったというのに、それはその一部だけだという。

二人の巨人による対談の全てを読みたい。この二人が一体何を語りあったのか、その全体像を知りたいと思うのは、決して僕だけではないと思うのだが。

少なくとも、今回の一部というのはどの程度なのか?それはせめて明らかにしてもらいたかった。

すなわち対談全体のどのくらいが収録されているのか?半分くらいは取り上げられているのか?それともホンの一部なのか?それともこれで8割は載っているのか?

熱心なファンとしては内容が素晴らしいだけに、気になってならない。

註が一切ないのは手抜きとしか言いようがない 

もう一点は、どうしてこの濃厚な内容の対談に註を設けてくれなかったのか。これには大いに不満がある。

前回紹介させてもらった「太平洋戦争への道」では、3人による鼎談だったわけだが、それぞれの章ごとに詳しい註が設けられていて、その点を非常に高く評価させてもらったばかり。対談ではどうしても註がほしい、不可欠だと。

今回もこの知の巨人二人による対談は、難解な言葉や内容、専門用語に加え、あまり一般的ではない人物の名前などがかなり頻繁に出てくるのだが、註が全くないのである。

これは本当に残念なことで、ハッキリ言って、出版社の手抜きとしかいいようがない。

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デビュー前の熱のこもった記事も実に貴重なもの

長崎大学での講演を収めた第一部は、「戦争の記憶」と銘打たれ、メインの長崎大学での講演「被爆者なき時代に向けて」の他に、短い記事が2本含まれている。

そのうちの一本「日本人の侵略と引き揚げ体験〜赤い屍体と黒い屍体」は、短い(18ページ)ながらも実に力の入った貴重な記事。『潮』に1971年に発表されたものだ。時に立花隆31歳。

立花隆が一躍時の人となった「文芸春秋」に発表された「田中角栄研究~その金脈と人脈」は1974年のことだ。ということは71年当時はまだ作家、いやジャーナリスト立花隆が誕生する以前の記事なのである。

この「赤い屍体と黒い屍体」の話しは、立花隆が傾倒するシベリア画家香月泰男を語る際に必ず話題となる非常に有名なエピソードであり、様々なところで取り上げられているが、この記事は若き日の立花隆が単刀直入に切り込んだもので、一番問題意識が強く、いかにも若い立花隆らしい力強く熱いメッセージに満ちている。

立花隆の原点を知る、これは一読にも二読にも値する貴重なものだ。

実の妹・直子さんの「まえがき」に胸が詰まる

冒頭の立花隆の実の妹である直子さんによる『「まえがき」に代えて』と題して書かれた文章が中々感動的で、胸が詰まってしまう。これはいい文章だ。こう切り出している。

「二〇二一年四月三十日に兄・立花隆が亡くなり、八〇日あまりが経った。
本書は、時代を担う人々に、兄がどうしても伝えたいと切望したラストメッセージを、講演録や対話など書籍未収録だった「肉声」を中心に編んだものである。(中略)
 本書が立花隆のラストメッセージとして、多くの読者に受け入れられるこ願ってなまない」

分かりやすいだけでなく、妹であり晩年には立花隆の秘書も務めた妹の、兄を思う温かい気持ちがさりげなくも確実に伝わってくる。とってもいい感じだ。

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保阪正康の詳し過ぎる解説にビックリ

巻末に付けられた保阪正康の解説が非常に詳細で、読み応え十分だ。

この保阪正康は「太平洋戦争への道」の鼎談者3人のうちの一人であるあの保阪正康であることはもちろんだ。

立花隆と保阪正康との関係は今ひとつピンと来なかったが、この詳し過ぎる解説を読めば良く分かる。そうだったんだと少し驚かされた。

本体の講演記録と大江健三郎との対談ではフォントが大きいのに、この巻末の解説だけは、普通のフォント、本文と比べかなり小さめの文字でビッシリと書かれているのは、何だか妙な感じがする(笑)。

読むのに一番骨が折れたのはこの部分だったが、かなり知らない情報も多く、非常に参考になった。

これはやっぱり是非読んでほしい一冊

まとまりのない一冊ではあるが、立花隆の貴重な肉声が様々な形で聞けるのは本当にかけがえのないものだ。本格デビュー前の貴重な記事から晩年の若い学生に語った講演録まで非常に盛りだくさんの本書。

中でも大江健三郎との対談は特に貴重なもので、一人でも多くの方が本書を読んでくれることを祈らずにはいられない。

 

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