(第2部からの続き)

2015年~(22本目~28本目)

㉓ イレブン・ミニッツ 監督:イエジ―・スコリモフスキ (81分) 2015年 2回鑑賞

 ポーランドの鬼才スコリモフスキによる極めて刺激的な問題作。ある事件が勃発するまでの11分間を、事件に巻き込まれることになる様々な人物をそれぞれの視点で描いていく。それぞれの人物は相互には何も関係がない赤の他人なのだが、ある事件が起きることで事件の当事者として複雑に絡み合うことになる。そして11分後に勃発するある思いがけない事件。

 些細なことから引き起こされるその事件の描写には驚かされるばかり。思わず目を疑う衝撃を受けて、繰り返し観てしまった。実際、その事件シーンを何回観ただろうか。映画の表現力が遂にここまで来たのかという衝撃と興奮がここにはある。81分と非常に短い映画で、ほとんど実験映画と呼んでもいい作品だが、衝撃度は相当なもので、これは是非とも体験してほしい映画だ。

 鬼才が作った衝撃の問題作と言うしかない。

㉔ サウルの息子 監督:メネシュ・ラースロー (107分) 2015年

 ナチスによるホロコーストを描いた映画にまた秀作が1本加わった。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞している。アウシュビッツに代表される絶滅収容所では、ナチスがユダヤ人の囚人を虐殺するに当たって、同胞のユダヤ人を殺戮前後の「作業」に協力させていた。彼らはゾンダーコマンドと呼ばれ、最近ようやくゾンダーコマンドの実態に光が当てられ始めたのだが、この映画は初めてそのゾンダーコマンドを真正面から取り扱った衝撃の問題作だ。

 アウシュビッツでゾンダーコマンドとして死体を処理させられていたハンガリー人の囚人は、自分の甥の遺体をどうしても処分できず、何とか普通に埋葬したいと方策を練るのだが・・・。これは何ともやり切れない、辛過ぎる映画ではある。だが、人間が同じ人間に対して行ったこの実際に行われていた蛮行に目を背けてはならない。

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㉕ 黒衣の刺客 監督:候孝賢(ホウ・シャオシェン) (106分) 2015年 

 候孝賢(ホウ・シャオシェン)は台湾が生んだ世界的な名匠で、「非情城市」「戯夢人生」など名作に事欠かない。その候孝賢(ホウ・シャオシェン)が初めて撮った武侠映画として話題となり、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。日本での評価も非常に高く、妻夫木聡が出演していることもあって、大ヒットもしたのだが、僕の評価はあまり高くない。ハッキリ言って退屈だった。

 暗殺者として育てられた少女が、困難な暗殺命令を受けるのだが、様々な経緯があって中々実行できない。そんな逡巡が描かれるのだが、どうにも筋が混み合っていて観ていて良く理解できない。途中で睡魔に襲われる始末で、そのせいもあって充分に映画に入り込めなかったかなと反省するが、あの傑作の「グリーン・デスティニー」や「HERO」「LOVERS」の再来を期待して観ると、非常にガッカリさせられることになる。

㉖ カフェ・ソサエティ 監督:ウディ・アレン (96分) 2016年

 ウディ・アレンの近年の最高の作品の一つ。僕はとても気に入っている。実はこの作品は我が愛するギンレイホールで上映されたのだが、ほとんど欠かさず観ている僕が、仕事の関係でどうしても観ることのできなかった数少ない一本だった。無理をすれば観ることも不可能ではなかったのだが、当時の僕は、もういい加減ウディ・アレンはいいや、とっくに全盛期は終わって過去の栄光でダラダラ小品を撮り続けているだけだとなめていた。あらためて観直してみると、これが何とも魅力的な素敵な映画ですっかり夢中になってしまった。そして当時の自分の尊大な思い込みと無知を大いに恥じ入った次第。久保田さん(支配人)にも謝るしかない。

 ハリウッドの勃興期。無職の主人公が有力者の叔父に頼んでハリウッドで働き始め、そこで恋に落ちた相手が何と叔父の恋人だった。そうこうしながら彼は徐々にこの世界でのし上がり、遂に・・・。ロマンティック・コメディの傑作。もうとにかく驚くほど映像が美しい。ちょっと信じられない美しさで、なぜだろうと思って調べると、何と撮影はあの伝説の名カメラマンのヴィットリオ・ストラーロだった。むべなるかな。全てを納得。ストラーロは世界最高のカメラマンの一人。イタリアの大巨匠ベルナルド・ベルトルッチと組んだ「暗殺のオペラ」「暗殺の森」「1900年」「ラストエンペラー」「シェリタリングスカイ」。そうだ、あの世界中で大変な話題になった「ラストタンゴ・イン・パリ」もそう。更にあのコッポラの「地獄の黙示録」など映画史に残る屈指の名作を数多く撮ってきた大変な名人だ。そんなストラーロがアレンと組むとは信じられなかった。その後もアレンの作品を何本も撮影し、いずれも一目見てそれと分かる素晴らしい映像。こうしてアレンは第2の栄光の時代を迎えるに至った。

 ロマンティック・コメディとしても実に良くできていて、映像の美しさ共々、観ていて本当に幸福に浸れる名作だ。

㉗ ネオン・デーモン 監督:ニコラス・ウィンディング・レフン (117分) 2016年 

 「ドライヴ」を観て、すっかりその魅力に夢中になってしまった僕は、監督のニコラス・ウィンディング・レフンに熱を上げることに。そうして観た作品が、これだったのだが、これにはいたく失望させられた。「ドライヴ」で魅せたカメラワークは健在なのだが、健在どころか、そのカメラワークと演出が全て逆効果となったとんでもない失敗作。自分の才能に溺れ、誤解した挙句にとんでもない観るに耐えないものを撮ったとしか言いようがない。

 トップモデルを目指している女の子がその類まれな美貌とスタイルを買われ、先輩らを飛び越えてトップスターに上り詰めるのだが、それを妬んだライバルたちによる嫌がらせが始まり、女同士の陰湿なバトルが繰り広げられ、やがて衝撃的な結末を迎える。
いかにもレフン監督らしいカメラワークに最初は期待に胸が高鳴ったのだが、ありとあらゆるシーンにそのもったいぶったこれ見よがしのカメラワークが出て来るに至って、もうウンザリ。いい加減に普通のテンポで、普通に撮れよと叫びたくなってしまう。耐え難くなってくる。大した話でも、特別意味のあるシーンでもないのに、やたらと思わせぶりなもったいぶったカメラの動かし方。これは苦痛以外の何物でもない。自分の才能を誤解して酔っているだけだ。映画の一番大切なものを置き去りにした飛んでもない映画。しかもあまりにも悪趣味なシーンが多く、唾棄したくなってしまう。

 レフンは相当な才能の持ち主だと思うのだが、本当に残念だ。「ドライヴ」は奇跡的にうまく調和の取れた稀有な作品だったのかもしれない。

㉘ 哭声/コクソン 監督:ナ・ホンジン (156分) 2016年

 2008年に公開された「チェイサー」で大変な衝撃を受けて以来、ナ・ホンジンには注目をしてきた。この「コクソン」にも前から非常に興味があったのだが、今回漸く観ることができた。この作品は一部で非常に高く評価されたものだが、期待していた僕は大いに失望させられた。いや抵抗があったという方が適切だ。

 韓国のとある地方で惨たらしい限りの一家惨殺事件が頻発する。犯人は決まって家族の一員で、精神に異常をきたしており、一家殺戮に至った原因など真相は全く分からない。その事件を担当する少し怠慢な刑事が主人公。どうやら最近村に住み着いた怪しい日本人が関係しているとの情報でその日本人を問い詰める一方で、いつの間にか、自分のかわいい娘まで異常行動を取るようになってくる。果たして事件の真相はどこにあるのか?この凄惨な連続惨殺事件をくい止めることはできるのか。

 異色のミステリーなのだが、僕にとっては不愉快極まりないものだった。これは連続猟奇殺人事件を追いかける犯罪ものなのか、オカルトなのか、全く判然としない。事件の真相は遂にハッキリしないし(少なくとも僕には)、映画の中で描かれたシーンをそのまま信じて鵜呑みにすると、裏切られるというルール違反の連続で、もう一体全体何を信じていいのか分からなくなってしまうのである。犯罪もので真相が最後まで藪の中というのは本当に始末が悪い。実に悪趣味の極致。

 そしてそれ以上にこの映画を許せない、監督と脚本家に抗議をしたいと思うのは、あまりにも人の命を大切にしない。人の命なんてどうでもいい、ドラマを盛り上げて、観客に刺激を喜んでもらえるのであれば、人の命なんてどうでもいいという姿勢がありありなのだ。人の命を大切に扱わない映画人だけはどうしても許せない。これを観てようやく「チェイサー」の本質も良く理解できた。ナ・ホンジンはとにかく登場人物を残酷に殺すことにしか興味のない人間だということが。

 非常に危険極まりない映画。ハッキリ言って観ない方がいい。観ると不幸になると断言したくなる。

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【邦画=日本映画】(3本)(29本目~31本目)

㉙ 日本の夜と霧 監督:大島渚 (107分) 1960年

 大島渚は一時、黒澤明と並ぶ程の世界的巨匠と評価され、一世を風靡したものだ。松竹ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として問題作を矢継ぎ早に発表した。あのハードコアの「愛のコリーダ」で世界的に注目され、「戦場のメリークリスマス」が大ヒットする以前の話しである。その中でも公開後、製作会社の松竹が大島渚に無断で勝手にわずか4日後に上映を打ち切るという暴挙に出て、上映中止に追い込まれた本作は、大島渚の世界観が最も如実に表れた作品と言うべきだろう。ちなみに大島渚は松竹に猛抗議し、退社するに至っている。当時の学生運動の主導者たちの顛末を真正面から描いた正に日本の映画史に残る歴史的な問題作だ。

 僕は以前からこの映画に非常に興味があって、かつて漸く出たDVDを購入してむさぼるように観たものだが、そのあまりにも劣化した画質と、ひたすらディスカッションが続くドラマなのに、音声も碌に聞き取れないというお粗末な代物で、到底映画を鑑賞するに耐えられるものではなかった。ひどいものを発売したものだ。

 今回、U-NEXTでは古い映画の画質向上が顕著だったため、大いに期待して観たのだが、これでようやく初めて映画と対面できることになった訳だ。ありがたい。だが、そうは言っても画質は相変わらずあまりパッとしないし、音声の聞き取りにくさもそう改善したとは思えないのだが、以前のDVDに比べるとそれでも雲泥の差であった。思うに、この映画のオリジナルそのものがひどい画質の上に、聞き取りにくい音声録音だったのだろう。

 僕は学生運動に遅れてやってきた世代である。入学した当時の同志社大学では、他の大学ではもうすっかり姿を消した学生運動が引き続き盛んに行われていたが、時代は確実に変わっていた。そうは言っても僕はどちらかというと学生運動には少なくても気持ちは理解できるつもりだったし、左翼の思想も本来の主張そのものは分からなくもない。
だが、そんな僕が観ても、この映画はもう全くダメ。とても観ていられない。あまりにも世界が狭く、視野狭窄で、独りよがりで、観るに耐えない。観ていて気恥ずかしくなってしまうというのが本音。

 かつての日米安保条約反対の学生運動を牽引してきた学生同士の結婚披露宴の会場に、呼ばれていない当時の仲間が勝手に押しかけて来て、新郎新婦に対してかつての運動の誤りや個人批判を延々と繰り広げ、当時の学生運動の実態と主導者たちの真の姿が浮かび上がってくるという展開。この議論は共産主義運動の在り方と当時の共産党を支配していたスターリニズムの本質にかかる奥の深い議論なのだろうが、今あらためて聞くと、聞くに耐えないものだ。大島渚の発想は悪くないと思うが、この映画は今の目で観ると、もう滑稽としか言いようがない。当時の若者が人生を賭けて自らの信念のために闘ったことは認めるが、これはどうだろう?こういう時代もあったという歴史的遺物の証拠物件としての価値しか見いだせない。本当に残念なことだ。これほどまでに乖離してしまうとは。

 そもそもこの映画での大島渚の映画的テクニックとスキルが、どう見てもあまりにも低過ぎる。これは中学あたりの学芸会のレベルと言ってしまいたくなる。長回しを多用した映画として有名なものだが、実際、こういうものを長回しと呼んでいいのだろうか。ただ単に、話しをしている人物にカメラを向けて、盛んに左右に振るだけのこと。これでは家庭用のビデオカメラで慣れない父親が子供の成長を撮った映像とほとんど変わらないじゃないか。動き回る子供を追い掛け回してビデオを撮り続ければ、確かに映像は途切れることはないのだが、こういうものを映像テクニックとしての長回しと呼んでいいのだろうか。

 それと肝心のディスカッション。そのあまりにも青過ぎる、気恥ずかしい内容については敢えてコメントを控えるが、とにかく役者たちの喋りが下手過ぎて笑ってしまいたくなる。そして頻繁にセリフを噛んで言い直すのだが、あれは意識的にやっているのだろうか。こんな映画は観たことがない。こういう時は普通は撮り直すんじゃないのか。

 ということで、ぼろっくそに貶してしまったが、こういう時代が確かにあって、みんな命を懸けてこの問題と対峙したことは間違いないのだろう。そういう時代の証言としては大いに価値がある、とだけ言っておきたい。

㉚ 儀式 監督:大島渚 (123分) 1971年

 これは大島渚の屈指の傑作として有名なものだ。あの時代を風靡したATGが創立10周年を記念して製作した作品だった。あの「日本の夜と霧」から10年以上。こちらは安心して観ることができた。それどころか、さすがに絶賛されただけのことはあると、いたく感動させられた。これは傑作だと素直に思う。

 地方の由緒ある名家での様々な冠婚葬祭の儀式を通じてみる日本人の在り方と、それに抗い続けてきた二人の対照的な男の生き様を、数十年に渡って執拗なまでに追い続けていく。ほとんど執念に近いものを感じる大変な意欲作だ。このブログで紹介した手塚治虫の「奇子」の世界に非常に近いものを感じてしまう。奇しくも手塚治虫の「奇子」が描かれたのは1972~73年にかけてである。大島渚の「儀式」の公開直後のわけだ。手塚治虫はこの件について一言も語っていないが、この「儀式」が「奇子」に影響を与えたことは大いにありそうである。

 大島渚の「儀式」を観て、手塚治虫の「奇子」を読む。この両方を知れば、日本の家族を支配し続けた「家」とそれに押しつぶされる家族、それを打ち破ることが如何に至難の業であるか、理解できそうである。
この映画はどんなスチール写真や映画のワンシーンを見ても、必ずモノクロ(白黒)なので、白黒映画だとずっと信じていた。ところが何と、実に美しいカラー作品。どうしてだろう。不思議でならない。武満徹の音楽がいかにも日本の闇と日本人の苦悩を象徴しているかのようだ。決して楽しめるという映画ではなく、あまりにも重く辛い映画だが、日本人として一度はじっくりと観ておきたい。

㉛ 牝猫たち 監督:白石和彌 (85分) 2017年

 これはれっきとした日活ロマンポルノ。ここで取り上げるべき映画ではないと思われるかもしれないが、日活ロマンポルノもいいものはいい。日活ロマンポルノの45周年を記念した企画された作品とのこと。監督が白石和彌なのである。僕は以前、ギンレイホールで観た映画を語るの中で「彼女がその名を知らない鳥たち」という作品をコテンパンにけなしてしまったことがあるのだが、後日「孤狼の血」を観て、この監督にすっかり夢中になっている。その白石和彌が撮ったロマンポルノということで、期待して観た。脚本も白石和彌自身が書いている。中々いい作品だった。

 デリヘルという風俗で働く3人の女性を描くことで、現代の風俗最前線の実態と、日本社社会の歪みと苛立ち、そこで生きることの辛さを浮かび上がらせる。一見の価値ありどころか大いに推奨したい。  

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U-NEXTは素晴らしい。31日間無料トライアルを是非どうぞ

こうして2回目の31日間無料トライアル(リトライアル)を存分に楽しませていただいた。実質25日間ほどで31本の映画、2回観たものをカウントすると35本を集中的に観させてもらった。2~3本、どうかと思う嫌な作品もあったが、素晴らしい名作、傑作の海に思う存分溺れることができて、幸せな1カ月間だった。

U-NEXTはとにかく観ることができる映画の本数が圧倒的に多いのが最大の売り。見放題動画作品は21万本以上。そのうち映画がどれだけ占めているか詳細は不明だが、圧倒的に多いのは間違いない。Amazonプライムビデオもネットフリックスも到底太刀打ちできない。

例えば、幻のアメリカンニューシネマの名作「泳ぐひと」は、U-NEXTでしか観ることができない。前回紹介の「ニーチェの馬」もそうだ。

更に、実際に観て強く感じたのは、その画質の素晴らしさ。これはもしかしたら、他の動画配信サービスでも同じ画質なのかもしれないが、とにかくU-NEXTで観る映画の画質が素晴らしいことだけは絶対に間違いない。それが顕著に出るのはもちろん、昔の作品だ。今回の31本で言えば、「穴」の画質の素晴らしさには驚嘆させられた。他にも「崖」、「ロシュホールの恋人たち」など本当に素晴らしい画質に酔い痴れた。

とにかく無料で楽しめるのだ。これを試さない手はない

U-NEXTは正式に加入すると1カ月、1,990円かかる。これはAmazonプライムビデオなど他の動画配信サービスと比べると、明らかに高額だ。これだけの映画が揃っていると、この金額にも個人的には何の不満もないのだが、どうしても他に比べると高いなと思われるのは致しかたないだろう。

僕はこの1,990円の契約を薦めているわけではもちろんない。これがトライアルだと31日間、1円もかからずに無料で楽しめるのである。これを試してみたらいかがですかと薦めているのである。1カ月間だけとにかくこのU-NEXTを無料で満喫してみたらどうだろう。本当に1円もかからない。これを使ってみない、試してみないのは、あまりにももったいない。

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