ベートーヴェンの交響曲の各論編の続きである。今回は【各論編3】として、有名な第5番「運命」と第6番の「田園」の登場となる。
いきなりブルーノ・ワルターのCDのジャケット写真が出てくるが、ワルターが素晴らしいという話しがまた後ほど詳しく出てくる。それでは、じっくりとお読みいただきたい。
その前に、もう一度ベートーヴェンの交響曲の全容のおさらいをしておきたい。
この部分は、前に書いたものと重複しているので、既に理解していただいている方は、飛ばしてくれて全く問題ない。
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目 次
ベートーヴェンの全ての交響曲の全容(復習)
前回の総論編で取り上げた全容をもう一度、以下に張り付ける。しっかりと確認してほしい。
これがベートーヴェンの全ての交響曲の全容。
交響曲の作曲番号と調、作品番号(Op.)と愛称に加えて、作曲された西暦とベートーヴェンの作曲時の年齢、そして標準的な演奏時間も掲げてみた。以下のとおりだ。
念のため、ベートーヴェンの誕生日は1770年の12月17日。1770年生まれと切りがいいため、作曲年代と年齢は一見、分かりやすいのだが、誕生日が遅いため、年齢ときれいに揃わないことが多いので注意が必要だ。12月の半ば以降の完成でないと、年齢は一つ差し引かなければならない関係となる。
第1番ハ長調Op.21 1800年(29歳) 約28分
第2番ニ長調Op.36 1802年(31歳) 約30分 ※作曲が完成時の年齢ははっきり分からない。初演は1803年4月。その時には32歳。
第3番変ホ長調「英雄」Op.55 1804年(33歳) 約52分
第4番変ロ長調Op.60 1806年(35歳) 約34分
第5番ハ短調「運命」Op.67 1808年(37歳) 約30分
第6番ヘ長調「田園」Op.68 1808年(37歳) 約42分
第7番イ長調Op.92 1812年(41歳) 約38分
第8番ヘ長調Op.93 1812年(41歳) 約26分
第9番ニ短調「合唱」Op.125 1824年(53歳) 約72分
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全容から浮かび上がる3つの特徴(振り返り)
前回は、この全容から浮かび上がる3つの特徴を詳しく書いたが、今回はそれを要約しておく。
注目すべき1800年=29~30歳の実り
記念すべき最初の交響曲が作曲されたのはベートーヴェンが30歳目前の1800年。既に紹介済みの初期の弦楽四重奏曲作品18の全6曲が完成した年で、その後、初めての交響曲も続けて作曲されたわけだ。
ベートーヴェンはヨーロッパのクラシック音楽において、その中核部分を形成する最も重要な弦楽四重奏曲と交響曲という2つのジャンルの最初の作品を、立て続けに作曲。それがちょうどアラサーという節目の年だった点に注目したい。
作曲年代の特徴
第1番が1800年に作曲されてから、第5番の「運命」まで、見事に2年毎に交響曲が作曲される点に注目。
更に驚くべきことは、5番「運命」を作曲した同じ年に第6番「田園」が立て続けに作曲されていること。作曲番号も連続している。
この有名な2曲の曲想が動と静、男性的な激しさと女性的な優しさとを特徴とする非常に対照的な曲なだけに打驚嘆させられる。
第6番「田園」の後、第7番までに4年かけているが、第7番と第8番の2曲が、これまた同じ年の1812年にセットのように連続して作曲されている点にも注目だ。
第5番「運命」と第6番「田園」が連続、次の第7番と第8番も連続して作曲された事実に要注目だ。
12年後に作曲された第九は、異端児的な存在となる。
奇数番号と偶数番号という有名な分類
1番・3番・5番・7番・9番という奇数番号の5曲の交響曲と、2番・4番・6番・8番という偶数番号の4曲の交響曲という分類。奇数番号の交響曲は、曲想が男性的で力動的、豪放雄大。偶数番号の交響曲は、女性的で柔和で優しく、軽快優美と言われている。
この分類は非常に的を得た興味深いものだが、僕はあまり強調したくない。その理由はじっくりとベートーヴェンの交響曲の全曲を聴き込むと、そう単純な話しではないと分かってくるからだ。
2番や4番もかなり力動的な男性っぽい曲であり雄大、1番や5番にも非常に柔和な女性的な優しさに満ち溢れた部分があり、軽快優美であyる。
ベートーヴェンの交響曲には、9つのそれぞれに男性的な部分と女性的な部分が共に包含されており、変な先入観は捨てて、素直に曲と向かうことが大切だということ。
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僕が今回、特に強くお薦めしたい曲は
ベートーヴェンの交響曲は一般的に非常に良く知られている。クラシック音楽のファンなら、これらを聴かない人は先ず考えられないし、特別クラシック音楽に関心のない人でも、「運命」や「第九」のことは誰だってある程度知っている。「田園」は中学の音楽の鑑賞の定番だった。
今回の記事で僕が特に強く紹介したい曲は、「不滅の9曲」の中でも、あまり知られていない、どうしても有名曲の影に隠れてしまいがちないくつかの曲である。
具体的には僕が大好きな第1番と第2番という初期の2曲。そして大変な名曲である第4番。更に一番知られていない曲とも言って間違いない第8番。
これらの曲にもっと光を当てたいのである。あまり聴かれることはないが、実は何とも素晴らしい曲たちなのである。
ということになると、今回の「運命」と「田園」の2曲については、僕が紹介する意味も必要性もあまりにように思えてくるが、そうは言っても色々と知ってほしいことは山のようにあるものだ。
第5番ハ短調「運命」Op.67
この曲のことはもういいだろう。正に文句の付けようのない名曲中の名曲である。「運命」などといういかにも大向こうを唸らせるような特別な愛称がなくても、この曲がヨーロッパばかりか古今東西の音楽史を通じて、屈指の名作であることは疑いようがない。
この曲は有名なあの冒頭から、曲の終了まで、どこをとっても完璧な作品というしかない。これほど完璧な作品を他に知らない。ベートーヴェンの芸術と生き様が純粋無垢の結晶体として形を成したと言うべきものである。本当にこの完成度はベートーヴェンの全作品を見回しても唯一無二のもの。良くぞ30分足らずの時間の中に、これだけのものを全く無駄なく、必要なものだけを抽出して、簡潔にまとめ上げたものだと、ただただ驚嘆させられる。
僕はこの曲のどの部分も全てたまらなく好きだ。第2楽章の優しさと優美さにも心が惹かれる。実に落ち着いた美しさに満ちているが、それが徐々に変容していって、やっぱり運命と対峙するかの音楽に変わっていくその明と暗の対比が素晴らしい。
そして、あの第3楽章だ。札幌の小学校でのお昼休みに毎日決まって流れてきた音楽。僕のクラシック音楽との出会い。この曲の深みのある堂々たる曲想と特異なリズムがが実に魅力的だ。
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最高の聴きどころは第4楽章だ
そして、第5交響曲「運命」の一番の聴きどころは第4楽章にある。決して冒頭の「ダ・ダ・ダ・ダーン!」ではないのだ。
第3楽章が終了して第4楽章に間髪入れずに移っていくあの瞬間だ。第4楽章の冒頭と言えばいいようなものだが、そうではなく、いきなり爆発的に第4楽章が始まる、あの快感が最高。
第3楽章の最後、音楽全体がディミネンドし(音量が小さくなって)、何か怪しげなものがうごめいているかのような異様な雰囲気となってくる。そこからまるで蛇がとぐろを巻くかのように、くねくねと独特のリズムで、徐々に徐々に盛り上がってくる一種異様な節回しがドンドン大きくなってくる。それが頂点に達すると同時に、爆発するかのように第4楽章が炸裂するのだ。
この部分は何度聴いても鳥肌が立ってしまう。これを聴くたびに、何て素敵な音楽なんだろうと心の底から、思ってしまう。そしてそこから始まる怒涛の音楽は本当に凄いの一言。ほとんど恍惚となってしまう程の高揚感と快感だ。忘我の境地に陥ってしまうかのようなこの異常なまでの高揚感は一体何なのか!?
この第4楽章はベートーヴェンが作曲した最も素晴らしい傑出したページだと声を大にして主張したい。本当に愛して止まない音楽。なお、この楽章もソナタ形式で書かれているのだ、念のため。
僕のクラシック音楽人生の原点
もう何度も繰り返し書いてきたが、この第5交響曲「運命」は、僕にとってクラシック音楽の原点。この曲を知ったことで、僕はクラシック音楽に深くのめり込み、現在に至っている。「運命」との出会いは小学4年か5年の札幌市の白陽小学校でのこと。そして生涯で初めて買ってもらったLPレコードがワルター指揮の「運命」と「ジュピター」だったということも何度も書いてきた。
そういう意味ではこの「運命」とは「運命的な出会い」で、もうかれこれ60年近い付き合いとなる。
だが、僕のクラシック人生の原点だから、この曲を生涯で一番長く聴いてきたら、特別に愛着があるということではなく、今回改めて先入観なしで聴いてみて、本当にこの曲は名曲中の名曲だと確信した次第である。
クラシック音楽にも流行があるが
クラシック音楽の世界にも流行というものがあり、ベートーヴェンにクラシック音楽ファンの誰もが夢中になったのは、多分50年代から70年代頃にかけてであり、その当時の最も人気のあるクラシック音楽と言えば「運命」がダントツの一位で不動のものだったが、その後少しずつ流れが変わり、バロック音楽と古楽の復興が起きると、バッハの音楽が脚光を浴び、ヴィヴァルディの「四季」が大変な人気を呼んでクラシック音楽のヒットチャートのトップに躍り出た。みんな「運命」なんか忘れてしまって、すっかり聴かれなくなってしまった。僕だってその典型だ。
交響曲も興味の対象はベートーヴェンを離れて、ブルックナーとマーラーに移っていった。ストラヴィンスキーの「春の祭典」が異常なまでの人気を博した時期もあった。
だが、今回こうやって改めてベートーヴェンの音楽と深く向き合い、じっくりと聴くと、やっぱりベートーヴェンは限りなく魅力的であり、ベートーヴェンの交響曲は全てが不滅であり、偉大なものだと痛感させられている。
あれだけ聴き込み、人口に膾炙した「運命」は、やっぱり未曽有の名作だった。まさしく人類の芸術遺産の筆頭に挙げられるべき音楽である。
本当に素晴らしい傑作・名作である。どうかもう一度、初心に帰ってこの聴き古された名曲と向かい合ってほしい、そう願わずにいられない。
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第6番ヘ長調「田園」Op.68
完璧な作品の第5交響曲「運命」に連続して作曲された第6交響曲「田園」。作品番号も67と68と繋がっていて、この2曲は同時に作曲された双生児と言われている。この曲想が対極にある2曲が同時期に連続して作曲されたということが、どうしても信じがたいのである。ベートーヴェンの創作力が絶頂にまで高まった奇跡としか言いようがない。
何故かあまり聴いてこなかった「田園」
実はこの「田園」、僕は少年時代にじっくりと聴いた経験のない曲だった。あれだけ小学校高学年時代に繰り返し聴き込んで、好きでたまらなかった「運命」だったのだから、同時期に作曲したこの「田園」もセットで聴けば良かったはずなのに、何故かそうはならなかった。異常な程の凝り性で、興味の対象が現れると、その周辺のものをことごとく観たり、聴いたり、読んだりしないと気が済まないのが僕の特性なのだが(笑)、小中学校時代はそうではなかったらしい。
本当にこればっかりは不思議でならない。
僕は生涯で最初のLPレコード2枚を聴き込んで、「運命」と「ジュピター」に身も心も奪われる程、夢中になった。とすればその次に聴く曲(次に買ってもらうLPレコード)はベートーヴェンの「田園」かモーツァルトの39番と40番のはずだったのに、そうはならなかった。「英雄」を買ってもらったのである。
というわけで、僕はあれだけ「運命」に夢中になりながら、「田園」を聴くことはほとんどなかったのだ。
もちろん中学校の音楽授業の鑑賞として「田園」は取り扱われていたので、聴いたはずなのだが、当時はそれほど記憶に残っていない。
それでも第1楽章のあのあまりにも有名なメロディは、非常に素敵だと思っていた。それ以上に進まなかったことが不思議でならない。
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「田園」の各楽章に付けられたタイトル
第6交響曲の「田園」は全体で5つの楽章から成り立っていることが先ずは最初のポイントだ。
それだけでも変わっているのに、「田園」には各楽章毎にベートーヴェン自身によって付けられたタイトルがある。これが最大の特徴である。
後のロマン派音楽の時代になって続々と作られる標題音楽のはしりとなった。ベルリオーズの「幻想交響曲」の先駆的な作品と言っていい。5つの楽章にベートーヴェン自身によって付けられたタイトルは以下のとおりである。
第1楽章 「田舎に着いて起こる、晴々しき気分の目覚め」
第2楽章 「小川のほとりの場面」
第3楽章 「農夫たちの楽しい集まり」
第4楽章 「雷雨、嵐」
第5楽章 「牧人の歌。嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気持」
これがベートーヴェン自身によって付けられた標題だと言う点に注目してほしい。「運命」を作曲した直後に、こんなものを作っていたことに改めて感嘆する。
映画「ソイレント・グリーン」での驚愕の使われ方
曲はどの楽章も素晴らしいの一言。僕はかなり気に入っている。全てがお気に入りだが、やはり出だしの第1楽章が絶品だ。
実は、こ曲の清々しさと幸福感が、ある映画でとんでもない使われ方をしていて、これが非常に忘れ難い強烈な印象として残っている。
その映画はチャールトン・ヘストンが主役を務めた1973年に公開された近未来SFの「ソイレント・グリーン」という作品。映画史に残るような傑作ではないが、それなりにヒットして当時はかなりの話題となった問題作だ。監督はリチャード・フライシャー。
人口過剰となった地球では、人間がまるで物のように扱われ、どうしても人口を減らす必要に迫られる。そこで国(アメリカ)は姨捨山のように老人を施設に収容し、端から安楽死させ、そこから食料を得ようとするのだが、その際に老人たちを安楽死させるに当たってある音楽を流して、老人たちはその音楽を聴きながら、幸福そうな表情を浮かべならが死んでいく。
その時に流されていた音楽が、他ならぬ「田園」の第1楽章だったのだ。僕はこの映画を高校時代に松本のとある映画館で観て、ひどく困惑し、衝撃を受けながらも、確かにあの音楽を聴きながら死んでいけたら幸せだろうなと、ある意味で少し納得してしまって、非常に後ろめたく思ったことが忘れられない。
そういう場面で使われても違和感がない程、この音楽は聴く人を幸福にしてくれる素晴らしいものだ。
ちなみにこの映画が設定していた近未来は何と2022年だということが、今、判明した。この記事を書いている今は、年が明けた2023年の1月2日だが、何とも奇妙な気分となった。
それぞれの曲は素晴らしいものばかり
第1楽章の素晴らしさが突出しているが、僕は第2楽章も非常に好きだ。本当に美しくて安らぎに満ち溢れた素敵な音楽だ。ベートーヴェンはあれほど力強くエネルギーが充満した曲と時を同じくして、こんなに幸福感に満ちた柔和な音楽を作曲したのである。
ちなみにこの類まれな美しさと安らぎを与えてくれる2つの楽章もソナタ形式で書かれていることに注目してほしい。
第4楽章の「雷雨、嵐」は激烈な音楽だ。怒れるベートーヴェンの面目躍如。この暴力的な迫力には耳を抑えたくなる程。
そしてその嵐が立ち去った後の最終楽章の安らぎはどうだろう。これも好きでたまらない音楽。ベートーヴェンの最も幸福感に満ちた美しい音楽と言ってもいいだろう。
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これもまたワルター盤が絶品
この「田園」も圧倒的にワルター盤が素晴らしい。ブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団の演奏である。ワルター盤の魅力は何と言ってもその包み込むかのような柔和で優しい表情と、何もかも受け入れてくれる慈愛に満ちた人間的な大きさを感じさせてくれる点だ。
そしてもう一つの魅力はその素晴らしい音質にある。1950年代のステレオ初期の録音であるにも拘わらず、その音は非常に温かみのあるクリアなもので、思わず耳を疑ってしまいたくなる程。
僕の親しい友人で、僕に勝るとも劣らないクラシック音楽の愛好家が、前回の僕のワルターを絶賛する記事を読んで、早速ワルターのベートーヴェンの交響曲全集を購入してくれたのだが、ベートーヴェンの熱烈な愛好家である彼が何故かワルターの演奏を聴いてこなかったという。その彼が早速購入したばかりのワルターを聴いて、こう言ってきてくれた。
「ワルターは実は買ってなかったんです。理由は古いから多分音質が良くないんじゃないか?って言う先入観!聴いてビックリ!!
演奏もさることながら、録音の素晴らしさ!スゴイ!ですね~。50年代って馬鹿にできないって改めて認識を新たにしました。これは購入して大正解でした。熱々たけちゃんブログに感謝」
この友人は僕とは違って、ハードのオーディオにもしっかりと力を入れている好楽家なので、間違いのない評価である。
本当にワルターの素晴らしさをもっと多くの音楽ファンに知っていただきたいものだ。「田園」を聴くなら、絶対にお薦めである。
(つづく)【第7番・第8番・第9番は次回:各論編3へ】
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