ベートーヴェンの全ての弦楽四重奏曲を個別に紹介する各論編の2《中期》である。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関する3本目の記事となる。

今回は、中期のいかにもベートーヴェンらしい名作中の名作を取り上げる。

アマデウス弦楽四重奏団のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の中期のジャケット写真など
ブルーレイオーディオが収められているアマデウス弦楽四重奏団のBOXから中期のCDのジャケット写真。

 

おさらい:ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の概要(中期)

前回に引き続き、おさらいとして今回紹介する中期に属する5曲の弦楽四重奏曲の全体像を確認しておきたい。作曲された年代とその時のベートーヴェンの年齢、及びおおよその演奏時間を示しておく。

各論編の1でも触れたが、この部分はスマホで読んだいただくと、非常に読みにくい表示となっている。是非ともパソコンでご確認いただきたい。

【中期】 5曲 

この中期に属する5曲は、かなり連続的に作曲されていることが分かる。

該当する中期に属するCDを広げると、各楽章毎の演奏タイムも明確に掲載されている。

 

第7番ヘ長調 Op.59-1「ラズモフスキー第1番」作曲:1806年 年齢:36歳 約37分
第8番ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」作曲:1806年 年齢:36歳 約31分
第9番ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」作曲:1806年 年齢:36歳 約28分 
第10番変ホ長調 Op.74「ハープ」作曲:1809年 年齢:39歳 約28分
第11番ヘ短調 Op.95「セリオーソ」作曲:1810年 年齢:40歳 約21分

 

壮年期の有名なベートーヴェンの肖像画。
壮年期の非常に有名なベートーヴェンの肖像画。

全体像を大掴みで把握してほしい

この部分は、総論編・各論編1と一部重複しているので、既にお読みの方は飛ばしてくれて問題ない、念のため。

初期に属する作品18の6曲セットを30歳で完成させたベートーヴェンは、ほんの数年後に大きな飛躍を遂げる。作品18の6曲セットから6年後、再び作曲した弦楽四重奏曲が「ラズモフスキー」と呼ばれている3曲セットだ。作品59の3曲である。

弦楽四重奏曲として初めて愛称が付いた曲集。これがベートーヴェンの最盛期に作曲されたベートーヴェンの全ての弦楽四重奏曲の中の最高傑作とされている名作中の名作である。

ここで頂点を極めた弦楽四重奏曲の作曲は、前々回の前編で書いたようにベートーヴェンの生涯を通じて最大規模の大作であった「ミサ・ソレムニス」と「第九交響曲」を作曲した後、死ぬまでの3年間、ひたすら弦楽四重奏曲の作曲に打ち込むことになるのだが、最高傑作と言われるラズモフスキー3曲を作曲してから、後期の作品群を作るまでに、橋渡し的な作品を2曲作曲している。

それが「ハープ」と「セリオーソ」という愛称の付いている過渡期の2曲である。

このあまり目立たない2曲の後、「ミサ・ソレムニス」と「第九」という大作を作って、いよいよ自分自身とトコトン向き合う後期の名作群の誕生となる。これが全体の流れである。

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「ラズモフスキー四重奏曲」3曲

作品18から6年後に作曲された作品59の3曲からなる「ラズモフスキー四重奏曲」は、ベートーヴェンの全作品を通じても中期を代表する名作中の名作として知られている。

ベートーヴェンの最も脂の乗っていた最盛期に作曲されたものと言って良い。

あの未曾有の名作、交響曲第3番「英雄(エロイカ)」が作品55であり、次のこれまた稀有な名曲の交響曲第4番が作品60である。

つまり、「エロイカ」と「第4」との間に作曲されたわけだ。ラズモフスキーが59、交響曲第4番が60。「傑作の森」の入り口部分と言っていい。

ちなみに誰でも良く知っているベートーヴェンの最高傑作である交響曲第5番の「運命」は作品67である。 

このラズモフスキー四重奏曲の3曲は、ベートーヴェンを代表する傑作として、とにかく気宇壮大な堂々たる作風で、その迫力とエネルギーのとてつもない放出は、類を見ないもの

周囲を圧する力強いパワーが全開し、どこまでもエネルギッシュで、聴き手を圧倒する。聴いていて血がたぎってくるようなスリリングな音楽でもある。

ベートーヴェンの肖像画。
ベートーヴェンの肖像画。厳しい表情だ。

「ラズモフスキー」の名前の由来

「ラズモフスキー」はロシアのウィーン大使であったアンドレイ・ラズモフスキー伯爵の名前である。

ベートーヴェンはこのウィーンに駐在していたロシアの大使から3曲の弦楽四重奏曲の作曲の依頼を受け、それらは依頼主のラズモフスキー伯爵に献呈された。こうしてこの作品59は「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれることになった。

ラズモフスキー公爵の肖像画
ラズモフスキー伯爵の肖像画。

 

ラズモフスキーはベートーヴェンに作曲を委嘱するに当たって、各曲に「ロシアの」主題を使用するよう依頼し、これに応えて第1番と第2番には、何と「ウクライナの」主題が用いられている。

ロシアがウクライナに侵略戦争を繰り広げている現在、今この時期に聴くには特別な感慨がある。是非とも心して聴くべき曲だ。

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「ソナタ形式」とは何か

ベートーヴェンの中期の傑作群には盛んにソナタ形式ということが出てくる。

盛んに出てくるどころか、「ラズモフスキー四重奏曲」全3曲のほとんど全ての楽章がソナタ形で作られている。いずれも4楽章から成り立っているので、12個の楽章があるわけだが、何とそのうちの10個の楽章がソナタ形式で作曲されている。ソナタ形式が用いられていない楽章は12楽章中の2つのみということだ。

正にソナタ形式のオンパレードなのである。

これはベートーヴェンに限ったことではなく、古典派音楽の先輩に当たるハイドンとモーツァルトの名作を巡っても頻繁に出てくるキーワードだ。

つまりウィーンで活躍した古典派の天才三羽烏のハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの音楽には、「ソナタ形式」という概念は切っても切れない重要な要素なのである。

古典派とソナタ形式

これこそが僕が愛して止まないその直前まで全盛を誇っていたバッハやヘンデル、テレマンやヴィヴァルディ、クープランやラモーなどのバロック音楽には全くなかった概念であり、この「ソナタ形式」こそ古典派の真髄、古典派の古典派たる所以とも言える最重要概念と言ってもいい。

それを考案したのは交響曲と弦楽四重奏曲の生みの親であるハイドンだった。つまりハイドンはバロック音楽が終焉を迎えて新しい音楽が産声を上げた際に、作曲形式としては新たに「交響曲」と「弦楽四重奏曲」というジャンルを考え出し、その中で実際に音楽が展開されるに当たっての音楽の形式として「ソナタ形式」を考案したというわけだ。それが正に古典派の誕生となり、その後の音楽界を長きに渡って支配し続けたわけである。

で、その古典派の真髄である「ソナタ形式」のことを、簡単に説明しておく。

実はソナタ形式というのは奥が深く、詳しく書き始めるとそれだけで長大なものとなってしまう。というわけで、そのエッセンスというか本質的な考え方だけを紹介するに留めたい。

ソナタ形式は単なる手段に過ぎない

ソナタ形式は、実質的にはハイドンが完成させたもので、18~19世紀のクラシックの名曲はほとんどがソナタ形式で作られていると言っても過言ではない。特に交響曲の第1楽章は、ソナタ形式で書かれるのが定番となっている。

なぜ、ソナタ形式が求められたのか?その核心に迫ると、実は単純なことだ。ある目的のための手段に過ぎない、と敢えて誤解を恐れずに断言したい。

技術的には奥が深く、理論は精緻だが、言ってみればそれはルール、約束事を整理しただけの、今流に言えばマニュアルに他ならない。これが音楽の本質、音楽にとって核心に迫る重要な要素だとは僕にはどうしても思えない。

音楽を展開するに当たっての単なるルール集なのだ。正にこれは手段であって、本来目指していることは単純極まりない。

聴き手にその音楽がどう伝わるのか、それこそが命のはず

だから僕はベートーヴェンの音楽を楽しむときに、ソナタ形式がどうのなど、全く気にしたことはない。それでいいと思っている。

僕の大好きな作曲家はソナタ形式には無縁か破壊者ばかり

ちなみに僕が愛して止まない作曲家は、モンテヴェルディとバッハ、テレマン。そしてドビュッシーとヤナーチェク。ソナタ形式などという形式的な約束事が出来上がる前の作曲家たちと、近現代に入ってソナタ形式を無視するか破壊していった自由な感性の持ち主ばかりだ。モーツァルトもベートーヴェンも、更にその後のロマン派のシューベルトもシューマンも大好きだが、それはソナタ形式を極めたからでは決してない、これだけは断言したい。

こんなルール集、約束事に捉われるよりも、もっと自由な感性で自分の感覚だけを信じて作曲をした天才たちに魅力を感じてしまう

似たようなことは「和声」でも言える。「和声」の歴史は古く、決して古典派になってから考案されたわけではないが、音楽界を支配した概念だ。和音の仕組み。複数の重なり合った音の生み出す美学だが、この和声に関してもヨーロッパの作曲家たちはそのルールと約束事を精緻な体系に整備し、数百年間に渡ってがんじ搦めにした。それを壊したのが我が愛するドビュッシーであり、近現代の音楽界の革命家たちだった。

だから、僕はここであまりソナタ形式のことに深入りしたくない。とは言っても、ベートーヴェンの最盛期はこのソナタ形式の完成と発展そのものだっただけに、ここで触れないわけにはいかない。

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ソナタ形式の「悪口」を更に

「ソナタ形式」は名前のとおり音楽の「形式」の話しである。長い音楽を作る際の展開の仕方のルールである。

その目的と狙いは、ズバリ「長い音楽を聴き手に分かりやすく伝えるための構成と工夫」というに尽きる。言ってみれば音楽の設計図、もっと分かりやすく言えば音楽という時間のかかるドラマを伝えるためのシナリオに他ならない。そのシナリオの書き方のルールを、こうしようよ!と形式的に決めただけのことである。

ルール、マニュアルと言ったが、テンプレートと言った方が分かりやすいだろうか。いずれにしても、こういう場合にはこうなる、こうする、という作曲家たちが暗黙のうちに決めた約束事に過ぎない。

正直いって、僕はつまらないと思ってしまう。もっと自由に、もっと何の制約もなしに自らの感性だけで音を構築してほしい、とアマチュアの音楽家は考えてしまうのだ。

だから、真の独創性に溢れている芸術家にとっては、こんな約束事は自らの表現と芸術の実現のためには足枷以外の何物でもなかったはずなのである。そんな天才の代表が、後のドビュッシーというわけだが、今回の記事はドビュッシーを紹介するものではない。

もうこの辺りで、いい加減ソナタ形式の批判は止めておこう(笑)。

ソナタ形式の「基本のき」

ソナタ形式は音楽を提示部・展開部・再現部の3つに分けるのが基本だが、大規模なソナタ形式では、更に前後に二つの部分が加わって、全体で5つの部分から構成される。

ソナタ形式の基本形

(序奏)→提示部(2つの主題)→展開部→再現部→(コーダ)

こんな構成で進んで行く。

「提示部」では2つの主題を提示するのがルール。
「提示部」は曲を大きく2つに分けた時の前半部分に当たり、この提示部で主題(テーマ)が提示される。

ソナタ形式の提示部において、主題(テーマ)は2つ必要とされる。第1主題(第1テーマ)と第2主題(第2テーマ)。最初に出てくるのは第1主題で、主調で始まる。主調とはその曲の中心となる調のことで、この曲はこの調で行くという宣言だ。

第1主題の後は転調して第2主題へ入る。場面転換だ。第1主題から第2主題への転調の方法にもルールがある程度決まっている。主調(第1主題)が長調なら5度上の属調へ、主調が短調なら平行調の長調になることが多い。

次は、「展開部」
ソナタ形式では、曲の後半は「展開部」となる。展開部は読んで字のごとく2つの主題を自由にドンドン展開していく部分である。この展開部では様々な転調を自由に取り入れるなど、作曲家の個性と腕の見せ所となる。

まとめに入る「再現部」
再現部は基本的には提示部と変わず、提示部が再び現れ、最初の主調に戻るのがルールだ。

ここで注意が必要な点は、提示部で転調した第2主題が、再現部においては主調または同主調で演奏される点。つまり、対立関係、あるいは緊張関係にあった第1主題と第2主題は、展開部を経て最後には一丸となって、曲の終結に向けて一緒に歩み出すという格好をを取るだ。 

音楽家は最後に「コーダ」を付けることも多い。特にベートーヴェンはコーダに力を入れている作品が非常に多いのが特徴だ。

例えばあの交響曲第5番「運命」の第1楽章はコーダの典型例だが、繰り返して言うが、僕がベートーヴェンを聴くときに、ここはコーダだな、などと思って感動するわけではないのだ。改めていうが、ソナタ形式は音楽を伝えるための手段であって、その構成と形式そのものが音楽を楽しむ目的でも何でもない

相当に耳の良い聴き手でない限り、スコア(楽譜)が手元になければソナタ形式の詳しい内容などを、ただ聴いただけで分かるわけがないのである。

アマデウス弦楽四重奏団の写真
アマデウス弦楽四重奏団の写真。CDの解説書から引用。

聴くに当たって不可欠ではないが、深く知ろうとすれば重要

何度も言うが、僕自身もこれらの名作を味わうに当たって、ここはソナタ形式の典型例だ、ここが展開部で転調したぞ、そして再現部で第1主題が戻ってきた!なんて聴き方は全くしていない。それでは音楽を楽しめないし、そんなことを意識しながら聴くのは、実につまらないことだ。

ただ、これだけは言える。

ある曲を非常に好きになり、繰り返し聴いているうちに、もっとその曲のことを深く知りたくなることがある。その場合には楽譜やスコアを購入して、それを見ながら聴くということをお勧めしたい。

僕はこれでも合唱指揮者の端くれなので、楽譜を分析することは最も重要な仕事である。

楽譜の分析は、その曲を演奏しようとする際に、ソナタ形式の曲であれば、その内容を詳細かつ正確に認識することは、演奏する側にとってはどうしても必要なことで、こうして初めて作曲者の真意に到達できるのである。

演奏することではなく、単に聴いて楽しむだけの場合であっても、そのように楽譜と向かい合うことによって、その曲の理解がグンと深まることになるので、興味のある方は是非ともソナタ形式のこと、和声や転調の仕組みなどを探求していただきたいものだ。

いずれにしても、このソナタ形式を徹底的に極めたのが他ならぬベートーヴェンであり、特にその最盛期である中期において、その力量が最大限発揮された。中でも今回紹介するラズモフスキー四重奏曲がそのピークとなっている。

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第7番ヘ長調 Op.59-1「ラズモフスキー第1番」

ラズモフスキー四重奏曲の3曲も、初期の作品18と同様に番号と実際の作曲の順番が異なっているので注意してほしい。

第7番は第1番となっているが、実は2番目に作曲されている。

この曲は本当に非の打ち所がない名曲中の名曲だ。

その気宇壮大な曲想と類い稀な迫力と力強い躍動感。これは誰でも良く知っているベートーヴェンの特徴が全面的に出た名作だ。

特にこの第7番(ラズモフスキー第1番)は、3曲の中でも最もベートーヴェンらしい曲である。大いに楽しんでほしい。

第1楽章は朗々と歌う力強いメロディが、フーガとなって次々とバトンタッチされていくが、それに伴って高揚感が強まっていく。典型的なソナタ形式が用いられている。

第2楽章、かなり刺激的な不協和音が印象的だ。

第3楽章のアダージョは素晴らしい名曲。チェロが朗々と歌う憂いの歌。そのチェロに絡むように優しく慰めるすすり泣くかのようなヴァイオリン。心の一番深いところに響き渡ってくる。深い歌に満ちた感動的な音楽。ソナタ形式だ。

最高の聴きどころは第4楽章である。この中にはロシア民謡が用いられている。屈託のない大声で高笑いするかのような分かりやすい堂々たるメロディが、フーガとなって展開される。そして有無を言わせぬ圧倒的な迫力で聴くものを虜にする。

もちろんソナタ形式で書かれている。

第8番ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」

この第8番のラズモフスキー第2番が最初に作られた。3曲のラズモフスキーの中では少し控えめな目立たない曲かもしれない。

前後の堂々たる力強い曲想に対して、この2番は少し内省的な、物思いに耽るような表情を垣間見せる。3曲の中で唯一、短調であるせいもあるだろう。

第1楽章の音楽を何と表現したら良いのか、答えが出せない。何とも一筋縄ではいかない複雑な性格を持った音楽である。

冒頭、カミソリで暗闇を切り裂くような鋭い響きで聴くものを驚かすのだが、その後はその暗闇を手探りで確認するかのような少し不安げな曲想が続く。
やがて、その中から決然とした力強い響きが出現してくるのだが、明と暗が目まぐるしく変化しながら、激しい不協和音を伴う怒涛の音の渦の中に突入していく。

これはちょっと複雑で掴みどころのない楽章である。こういう音楽は聴くほどに味わいを増すことになるので、しっかりと繰り返し味わってほしい。ベートーヴェンの深淵で錯綜した内面を反映しているかのようだ。ソナタ形式である。

第2楽章のモルト・アダージョがいかにもしみじみと聞き手の心に迫る素敵な音楽だ。非常に息の長い曲。ヴィオラが聴かせる。これもソナタ形式。

第3楽章はアレグレットで跳躍感に満ちた音楽が展開していくが、途中からロシア民謡が現れる。これは後にムソルグスキーがらあの傑作オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」でも用いられたメロディ。それがフーガとなって展開される。

第4楽章。プレストと指示されたフィナーレは何とも快活な音楽で、小気味いい。細かいリズムが躍動感を持って動き回り、思わず身体が動きだしてしまいそう。どんどんエネルギーが増していって、最後は怒涛の音の洪水になる。いかにも上機嫌のベートーヴェンがここにはいる。

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第9番ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」

第8番のラズモフスキー第3番は、3曲の中でも一番の傑作と評価されることが多い。僕は必ずしもそうは思わないが、第1楽章の目まぐるしい曲想の変化など、本当に魅力的だ。

曲の冒頭、第1楽章の出だしはベートーヴェンとしては少々風変わりだ。明確なメロディが現れず、不安を感じさせるような減七の和音がボーンと打ち鳴らされた後、しばらく霧の中を彷徨うような曖昧模糊とした雰囲気を漂よい続ける。そんな中で減七の少し居心地の悪い和音が再び打ち鳴らされ、更に霧の中の風景が続くが、突然、明快な力強い音楽に一転する。

漸く現れたメロディは、第1ヴァイオリンによって導かれる躍動感溢れる堂々としたハ長調で、序奏部の霧の中の風景とは一変する。

突然、霧が晴れて遥か彼方までハッキリと見渡せるかのような広がりと解放感がある。ここからは正にベートーヴェンの面目躍如。力強さと迫力に満ちた音の洪水が大変な勢いで聴くものに迫ってくる。実にサービス満点の音楽と言っていい。これもソナタ形式で作られている。

第2楽章は全く雰囲気が変わって、チェロのピチカートに彩られた憂いに満ちた嘆きの歌。そこに少し陽気なロシア民謡が時折り顔を出すが、嘆きが消えることはない。ソナタ形式だ。

第3楽章の冒頭はメヌエット。これが優しいメロディで第2楽章の嘆きから離れ、心安らぐが、その後はかなり複雑に作られ、非常に印象的なグラティオーゾとなる。美しい声の鳥が高音でリズミカルに囀り続けるかのように可愛らしくも、脳裏の奥にまで鳴り響いてくるかのよう。

これが非常に素晴らしい音楽で、僕は非常に気に入っている。大好きな音楽だ。そして最後は賑やかで力強いトリオへ。

第4楽章は力強い堂々たるソナタ形式の展開となる。コーダも付いた大規模なソナタ形式だ。
前へ前へと進む推進力に溢れた非常に切れの良い音楽で、聴き応え十分。最高のベートーヴェンが持つ有無を言わせぬ力に圧倒されてしまう。

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第10番変ホ長調 Op.74「ハープ」

作品74の「ハープ」まで来た。

これは次の「セリオーソ」と並んで、大傑作のラズモフスキー四重奏曲の3曲を作ったベートーヴェンが、最後の最後に弦楽四重奏曲を集中的に作り続ける後期の名作群との橋渡しとなる作品。

作品番号の74に注目してほしい。この一つ前の作品73はベートーヴェンの全作品の中でも屈指の名曲にして非常に人気の高い、あのピアノ協奏曲第5番「皇帝」である。

作品73 ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
作品74 弦楽四重奏曲第10番「ハープ」

ちなみに交響曲でいうと、あの名曲「田園」こと第6番が作品68である。

この「ハープ」が実に素晴らしい僕は大好きな曲だ。前のラズモフスキー四重奏曲とは随分と雰囲気が違う。

とにかくこの曲が持っている落ち着いた雰囲気が非常に捨てがたく、聴くほどに愛着を感じてくる。リズムよりもハーモニーを重視した曲で、しなやかな歌に溢れているのが魅力だ。落ち着いた安らかさが曲の全体を覆う独特の雰囲気に満ちていて、本当に心が洗われる
優しく、おおらかで愛に満ちている曲なのである。

第2楽章のアダージョは、特にしっとりしていて、心を奪われる。実にいい曲。ヴァイオリンの伸びやかな高音が非常に美しい 切々と心に迫ってくる。チェロも良く歌う。

これは本当にいい曲だ。心の琴線に切々と迫る名曲。こんな優しい癒しの音楽もベートーヴェンは書いた。これを聴けば、誰だって優しい心になれるに違いない。心の中の不純物や余計なものが排除されて、清められるかのよう。

第1楽章に続いてピチカートが多用され、これが非常に印象に残るが、愛称の「ハープ」名前の由来は、このピチカートがハープを奏でているかように聞こえるところから付けられている。

第3楽章のプレストはあまり好きじゃない。

第4楽章の前半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲にあって珍しく、4つの楽器が足並みを揃えて、大道をゆっくりと一歩一歩闊歩するかのような曲。

途中で激しい部分も出てくるが、ラズモフスキー四重奏曲の力に満ちた曲とは一線を画して、あくまでも悩める者を大きな翼で包み込むような愛を感じさせる曲想で、安心して身を委ねたくなるかのような他にはない得がたい音楽だ。

ベートーヴェンの諦念の感がひしひしと伝わってくるかのようだ。

実にいい曲だと思う。

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第11番ヘ短調 Op.95「セリオーソ」

この「セリオーソ」は作品95である。作品95というと、かなりベートーヴェンの後期に近づいてきている。

交響曲の作品番号でいうと、こうなる。
第7番 イ長調 作品92
第8番 ヘ長調 作品93

これを見ると驚かされる。

つまりあのベートーヴェンの9つの交響曲の中でも、第5番「運命」と並んで最も人気のある超傑作の第7番と、続けて作曲された第8番の直後に作られた弦楽四重奏曲ということになる。

「セリオーソ」という愛称は、作曲者自身によって付けられた。「厳粛」といった意味であろう。

その名前の通り「厳格」にして「真剣」な曲であり、旋律的な要素は少なく、純器楽的に音楽は進行するが、正直に言うと僕はこの曲はあまり好きじゃない。

弦楽四重奏曲全17曲の中で、唯一の苦手な作品がこれだ。

特に好きになれないのが第1楽章。

実に激しい過激な曲調で、劇的と言えば聞いたところはいいが、ほとんど暴力的な音楽。これが「真剣」ということだろうか。激しいというよりは、トゲトゲしいというべきだ。
ヴァイオリンが良く歌うのは魅力的だが、基本的に非常にうるさい曲。こういう音楽は苦手だ。

第2楽章は、一転して優しい曲想になる。くねくねとした怪しいメロディによるフーガが展開されて、そんなに悪くない。

第4楽章もやはり激しい曲想で、あまり好きになれない。

この後は14年間、弦楽四重奏曲は1曲も作曲されない

こうして中期の弦楽四重奏曲は終了し、ベートーヴェンはこの曲の後に、1825年に第12番(作品127)を作曲するまで約14年間、弦楽四重奏曲の作曲に着手することは一切なかった

その14年後に再び弦楽四重奏曲に戻ったベートーヴェンは、孤独の中で前代未聞の至高の名作を続々と作曲することになるのだが、それは次の話しだ。

次回、請うご期待。

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