目 次
静かな感動作に心が震える
素晴らしい映画を観た。「ノマドランド」。これは稀有の傑作だ。といっても、いかにも地味な静かな映画。派手な言葉は全く似合わない。ほとんどドキュメンタリーのような地味な映画であり、控えめな静かな感動がじわじわと込み上げてくる、そんな趣きの作品だ。
かなり話題となった映画ではある。昨年(2021年)のアメリカのアカデミー賞で主要3部門の受賞に輝いたことはまだ記憶に新しい。アカデミー作品賞・監督賞・主演女優賞の3冠を達成した昨年の最も話題になったアメリカ映画なのである。
そして、今月5日に発売されたキネマ旬報ベストテンにおいて、2021年の外国映画ベストテンのぶっちぎりの第1位。読者選出ベストテンでも第1位に輝き、監督賞と併せてこちらも3冠を達成した。正に名作中の名作という証しを得た格好だ。
前回紹介した「プロミシング・ヤング・ウーマン」はキネマ旬報の外国映画ベストテンの第3位であり、読者選出でも第3位だったわけだが、この「ノマドランド」はそのいずれにおいてもベストワンだったわけで、昨年公開された外国映画の中で、非常に多くの映画ファンから最高の評価を得た映画だったということになる。
中央アジアの遊牧民を描いた映画だと思い込んでいた
僕は昨年のアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞と主要部門3つのオスカーを獲得したとの報道に、その映画のスチール写真や監督が中国人であること、ノマドと言う言葉が遊牧民を意味すると言うことを知って、てっきり中央アジアの遊牧民を描いた映画だと思い込んでいた。
主演女優賞はあのフランシス・マクドーマンドと知っても、彼女の風貌と演技力なら、アジアの遊牧民にも違和感なくなり切れるだろうと思っていたものだ(笑)。
先入観というのは恐ろしい。この「ノマドランド」は中央アジアの遊牧民を描いた映画ではもちろんなく、現代のアメリカのノマド、すなわち家を捨てて、車上で生活をしながら旅の行き先での季節労働で生きていく「ハウスレス」の人々を描いた映画なのであった。
その中から現代のアメリカ社会が抱える深刻な社会情勢と深い闇が浮かび上がってくる。
正しく現代のアメリ社会の断面を見事に映し出した素晴らしい映画となった。本当にこれは稀有の名作だと絶賛したい。但し、ひっそりと小さな声で、控え目に。
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映画の基本情報:「ノマドランド」
アメリカ映画 108分
2021年3月26日 日本公開
監督:クロエ・ジャオ(アカデミー監督賞)
脚本・編集:クロエ・ジャオ
原作:ジェシカ・ブルーダー『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(2017年)
製作:フランシス・マクドーマンド、クロエ・ジャオ 他
出演:フランシス・マクドーマンド(アカデミー主演女優賞)、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ、シャーリーン・スワンキー 他
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
主な受賞歴:ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞、アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演女優賞、ゴールデングローブ賞 映画作品賞(ドラマ部門)・監督賞、英国アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演女優賞・撮影賞 他多数
キネマ旬報ベストテン 2021年外国映画ベストテン第1位 読者選出外国映画ベストテン第1位
製作・監督・脚本・編集のクロエ・ジャオは長編映画3本目でアカデミー監督賞を獲得する快挙を達成。
製作・主演のフランシス・マクドーマンドは何と3回目のアカデミー主演女優賞を獲得すると快挙を成し遂げた。


どんなストーリーなのか
この映画は、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』を原作とする作品で、映画もまるでドキュメンタリーのよう。第一級のドキュメンタリーに創作上の人物を登場させるハイブリッドとも言うべき映画であり、特に波乱万丈なストーリー展開があるわけではない。その意味ではいたって地味な淡々としたものである。それでいてこれだけの感動作を作り上げたスタッフに心からの敬意を表したい。

簡単に紹介すると。
アメリカ・ネバダ州のエンパイアで暮らす主人公のファーンは60代の女性。リーマンショックによって地元の工場が閉鎖され、長年住み慣れた家を失ってしまう。愛していた夫にも病気で先立たれ、キャンピングカーに必要最低限の家財道具を積み込んで、車上生活を送る決心をする。過酷な季節労働の現場を次から次へと渡り歩きながら、行く先々で出会う高齢のノマドたちとの心の交流と心を洗われるアメリカ西部の景色に彩られた放浪の旅。彼女はその中に何を見出すのであろうか・・・・。
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この奇跡的な映画が誕生するまでの経緯
この映画の最大の貢献者は製作者にして主演を務めたフランシス・マクドーマンドに尽きる。この演技力抜群の大女優が、2017年に発表されたジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』を読んで、いたく感動し、自ら映画化権を取得してプロデューサーに。新進の中国人映画監督クロエ・ジャオの長編第2作「ザ・ライダー」を観て、監督はこの人しかいないと確信し、マクドーマンドがクロエ・ジャオにシナリオと演出を依頼し、映画化されることになったとのこと。
マクドーマンドの功績と、そもそもの眼力に脱帽するしかない。この人は本当に大した女傑である。
原作のジェシカ・ブルーダーも女性であり、製作・主演のフランシス・マクドーマンド、製作・監督・脚本・編集のクロエ・ジャロと主要なスタッフが全て女性と言う珍しい映画。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」でも触れた「女性の、女性による、女性のための映画」という評価は、この「ノマドランド」にもそっくりそのまま当てはまりそうだ。それにしても最近の映画界での女性スタッフの活躍振りには驚嘆するしかない。
大女優フランシス・マクドーマンドの快挙
フランシス・マクドーマンドは大女優である。僕が熱愛してやまないあの「スリービルボード」の主演女優。あの大変なおばさんを演じた人だ。マクドーマンドはあの「スリービルボード」で2回目のアカデミー主演女優賞を獲得したのだが、今回のこの「ノマドランド」で見事3回目のアカデミー主演女優賞に輝いた。これは長いアカデミー賞の歴史を通じても稀なことである。
主演女優賞に関して言うと、キャサリン・ヘップバーンという往年の大女優が何と生涯に4回の主演女優賞を獲得しているのだが、これはレア中のレアであり、3回受賞はマクドーマンドが初めてのことだ。
ちなみに主演男優賞で3回のオスカーに輝いているのは、あのダニエル・デイ・ルイスただ一人である。
男女合わせて3回の主演賞の獲得者は、今回のフランシス・マクドーマンドとダニエル・デイ・ルイスしかいないということだ。
誤解があってはいけないので、正確に言っておくと、あの大女優メリル・ストリームは主演女優賞を2回、助演女優賞を1回獲っているので、個人のオスカーは3個獲得にはなる。
ちなみに、メリル・ストリープは、主演と助演を合わせて女優賞のノミネートには実に21回にも及んでおり(そのうち実際の獲得は3回)、もう全く別格、異次元の存在だ。
この映画では、マクドーマンドの静かな抑えた演技が素晴らしい。完全に実際のノマドそのものになっているかのようで、どこまでも自然なのが特筆に値する。その落ち着いた深い演技から、苦渋の人生と、その人生を真正面から受け止めようとする重い決断がヒシヒシと伝わってきて、観る者を感動させずにはおかない。
そして、前述のとおり、この映画を作ろうと映画化権を取得し、クロエ・ジャオという傑出した才能を見出してきたのが、他ならぬマクドーマンドその人なのである。
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監督・脚本のクロエ・ジャオのこと
そのプロデューサーにして主演を務めたフランシス・マクドーマンドに見染められたクロエ・ジャオは現在39歳の中国人の映画監督である。
この「ノマドランド」が長編第3作目となる。アカデミー監督賞を女性監督が獲得することはほとんど例がなく、2009年、「ハート・ロッカー」でキャスリン・ビグローが初の獲得となって以来、誰も獲得していない。正にクロエ・ジャオが史上2人目の快挙となる。
今回のクロエには、有色人種初の女性による監督賞受賞とされているが、そんな区分けは余計なことではないか。素晴らしい快挙だとは思うが。
演出はもちろんだが、この映画では脚本が実に上手く書けていると感心してしまう。
元々はノンフィクションのドキュメンタリーだった原作を元にしながら、そこにファーンという架空の人物を取り入れてノンフィクションとフィクションのハイブリッドを図ったが、それが全く違和感がなく、実に上手くいった。
驚くなかれ。映画の中でファーンと交流を持つリンダ・メイやスワンキーは実際のノマドであり、本人自身が本名のまま出演している。正にドキュメンタリー。
あの非常に印象に残るノマドの指導者、サンタクロースおじさんのボブ・ウェルズも実在の人物を、本人自身が演じている。
そのあたり、実に上手く撮られているのだが、これはクロエの功績と言っていいだろう。
印象的な長回し撮影にも魅力された。
社会的弱者に寄り添う視点が少しもぶれないのは素晴らしい。
悲しいわけでもないのに、涙が込み上げる
キャンピングカーに乗って、全米各地を巡るとは言っては、余暇で出かけるのとは全く違うのだ。この点だけは強調しておく必要がある。
生きていくために家を手放さずにはいられず、やむを得ず、車の中で生活していくしかないという選択を余儀なくされた高齢者たちの生き様なのである。年金は微々たるもので、それだけでは生活できないので、行く先々で低賃金の季節労働者として働くしかない。
低賃金の高齢者が、ハウスレスとして車で旅を続けながら、それでも生きていこうとする姿が描かれるのだ。
それにしても、感銘を受けるのは、ここには暗さとか、絶望とは全く無縁なことだ。車上生活者のノマドたちは、みんな前向きで人生を謳歌しているように見える。
だが、だからいいんだと言ってしまっていいのだろうか。アメリカ社会が抱える分断と著しい貧富の差という格差が重い影を落とす。
ここに集まったノマドたちはみんな高齢者で、それぞれ辛い人生経験をしてきた者ばかりだ。
特別に悲しいわけでもないのに、マクドーマンドを始め、登場人物をただ映しているだけで、観ている側は訳の分からない涙が込み上げてきて困ってしまう。どうにも愛おしい。登場人物の全てが限りなく愛おしくなる。
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限りない優しさを秘めた稀有の名作
これは稀有の名作に違いない。社会の底辺で、それでも元気に明るく車上生活を送る現代のノマドに注ぐ愛情に満ちた優しさに癒され、こちらも大いに勇気を与えられる。
そんなかけがえのない愛すべき映画がこれだ。
「ノマドランド」は僕のお気に入りのギンレイホールでもちゃんと上映してくれていた。昨年の10月のこと。僕は観に行きたくて仕方なかったのだが、当時は例の脊柱管狭窄症が一番辛かった頃であり、どうしても行くことができなかった。痛恨の極み。
あのアメリカ西部の広大な風景は是非とも大画面で観たいところだが、幸い市販のブルーレイの画質は素晴らしく、これでも十分に楽しめる。
最後になるが、鍵盤を転がすような軽やかなピアノだけによる音楽はたまらなく美しく、これを聴いているだけでも癒される。
稀有の名作。一人でも多くの方に観ていただきたいものだ。
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