目 次
最も愛する音楽の一つ
色々と様々なクラシック音楽の紹介をやってきたが、今後はとにかく僕のお気に入りの曲を、ドンドン取り上げていくことにしたい。
好きな音楽、愛する音楽を挙げようとしたら、それこそ枚挙にいとまがない。たちまち50曲位は列挙できそうだ。いや50曲には絞り切れない。100曲というのがギリギリのところだろうか。
そんな中で、無理を承知で10曲位に絞り込んだとして、どうしても外せないのがフォーレの「レクイエム」となる。これはあまりにも有名な、この世のものとも思えない特別に美しい曲なので、多くのクラシック音楽ファンにとっても、フォーレの「レクイエム」は外せない1曲となるに違いないかもしれないが。
僕は元々合唱に深く携わってきた人間なので、好きな曲にはどうしても合唱を含む作品か、歌に関わる曲が中心になってしまうが、そういう経緯を一切無視したとしても、このフォーレの「レクイエム」は多くのクラシックファンにとって、外すことのできない音楽となるだろう。
僕にとってはベストテンどころかベスト5に入ってくる最も大切な作品である。この作品に肩を並べることができるのはモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」とバッハの「ロ短調ミサ曲」くらいしかない。


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レクイエムとは何か
「レクイエム」は死者のためのミサ曲であり、その内容からいっても、様々な様式や形式、演奏形態がある中でも、最も人々の魂の琴線に響くものであり、古今東西の長い音楽史を通じても、殊の外、愛されているジャンルである。
あまり一般的には知られていない作品まで含めると、音楽史上、「レクイエム」は数え切れないほどたくさんの作品が作曲されてきた。
その中でも特に有名なものが、モーツァルトの「レクイエム」とヴェルディの「レクイエム」。そしてこのフォーレの「レクイエム」となる。一般的にはこのこの3曲を「3大レクイエム」と称しており、演奏会でも頻繁に取り上げられる屈指の人気曲だ。この3曲に加えてブラームスのドイツ語のテキストによる「ドイツ・レクイエム」が名曲中の名曲で、この4つの作品が「4大レクイエム」などと称されている。
ベルリオーズのレクイエムも有名だ。他にもフランス古典音楽のカンプラやシャルパンティエ、20世紀に入ってからもピッツェッテイのレクイエムなど大変な名曲が少なくない。
合唱界では、それぞれ「モツレク」「ヴェルレク」「フォーレク」「ドイレク」などと呼ぶ習慣があって、業界用語みたいになっている。
レクイエムの一般的な構成
基本的には。ラテン語の同一のテキストに音楽が付けられている。一般的には次のようになっている。
入祭唱(Introitus)
キリエ(Kyrie)
続唱(Sequentia)
怒りの日(Dies Iræ)
奇しきラッパの響き(Tuba mirum)
恐るべき御稜威の王(Rex tremendæ)
思い出したまえ(Recordare)
呪われたもの(Confutatis)
涙の日(Lacrimosa)
奉献唱(Offertorium)
主イエス・キリスト(Domine Jesu)
賛美の生け贄と祈り(Hostias)
サンクトゥス(Sanctus)
聖なるかな(Sanctus)
祝福されますように(Benedictus)
神羊誦(Agnus Dei)
整体拝領唱(Communio)
赦祷文(Libera me)
楽園にて(In Paradisum)
但し、作曲者によってかなり異なっていることが多い。3大レクイエムでもそれぞれかなり差異がある。
モーツァルトとヴェルディはかなり似通っているが、今回紹介するフォーレの「レクイエム」は相当変わっているので注意が必要だ。
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「フォーレク」の構成
フォーレのレクイエムはこの一般的な構成からかなり外れている。中心的な部分を形作る続唱(Sequentia)はすっかり省略され、そのせいもあって、フォーレのレクイエムは40分弱ほどの演奏時間が一般的だが、モーツァルトのレクイエムは約60分、ヴェルディのレクイエムは約85分もかかる。実にフォーレの倍以上。
話しが逆で、「ヴェルレク」が85分もかかるのに、「フォーレク」は半分以下の40分ほどのこじんまりとした作品となっている。
第1曲 入祭唱およびキリエ(Introitus-Kyrie) 約8分
第2曲 奉献唱(Offertorium) 約7~8分
第3曲 サンクトゥス(Sanctus) 約4分
第4曲 ピエ・イエズ(Pie Jesu) 約3分半
第5曲 アニュス・デイ(Agnus Dei) 約5分半~6分半
第6曲 リベラ・メ(Libera me) 約5分半~6分半
第7曲 天国にて(In Paradisum) 約4分~4分半
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フォーレの「レクイエム」の概要
フォーレの「レクイエム」は作品48である。最後の作品となった僕が愛する例の弦楽四重奏曲は作品121なので、ほぼ中頃、フォーレの全作品の中の中間地点と言っていい。
最後の弦楽四重奏曲は1924年、79歳の死の間際に完成した。レクイエムは1887年から作曲が始められ、1888年1月にフォーレ自身の指揮によって初演されている。43歳の作品となる。正に作曲者中期を代表する作品である。

作曲の経緯
レクイエムの作曲は、父親の死が契機になったといわれている。フォーレの父親は1885年7月に亡くなっており、それが直接の動機となったらしい。
ちなみに母親も2年後の1887年12月に亡くなっているが、母親の死の前に着手していることは確実だ。父親の死を直接の契機として作曲が始められ、作曲の途中、初演のための準備をしている真っ最中に今度は母親までもが亡くなり、このレクイエムは両親を悼む作品となったのである。

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初演時の評価
初演はフォーレが学長を務めていた有名な聖マドレーヌ寺院で行われた。この類い稀な名曲が、何と教会側からは批判されたらしい。司祭から斬新過ぎると叱責され、一般的にも「死の恐怖が描かれていない」「異教的」などと評判は芳しくなかった。
特に異例なものと受け止められたのは、どんなレクイエムには必ず作曲されていた続唱(Sequentia)の「怒りの日(Dies Iræ)」が欠落していたことだ。
確かに「怒りの日(Dies Iræ)」は、モーツァルトでもヴェルディでも中核となる楽曲であり、曲の中で大いに盛り上がる部分である。この曲で死の恐怖を感じさ、信仰を深めさせたいのに、フォーレの「レクイエム」は、死に親和的過ぎるというわけだ。
その後、今日に至るまでこのフォーレの「レクイエム」の最大の美点が、作曲された当時はむしろ批判の対象になっていたという事実は興味深い。
音楽的にも怒りの日(Dies Iræ)を欠くことによって、テンポの速い劇的な部分、ffで絶叫するような部分はなくなり、多くの聴衆を驚嘆させたことは理解できる。
批判へのフォーレの反論が感動的
フォーレは後に(1902年)手紙の中でこう書いている。
「私のレクイエムは、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死とはそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた解放に他なりません」
このフォーレ自身の言葉がこの曲の本質を言い尽くしている。
「永遠の至福の喜びに満ちた解放としての死」を描いた曲だから、ここまで美しく、深い祈りに満ちている。
曲は初演後、オーケストラ部分を中心に改変が繰り返され、第3稿まで作られた。今日一般に演奏されているのは、1900年に初演された第3稿(1900年版)であるが、オーケストラの規模がドンドン拡大しており、フォーレ自身、1900年版には疑問を持っていたらしい。
そんな経緯からも、現在ではよりオリジナルに近い古い版で演奏されるCDも増えてきている。
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これ以上美しい音楽は存在しない
曲の全編が夢を見るように美しく、優しい。この世のものとも思えない美しさ、零れ落ちそうな美しさと呼ぶべきだろうか。
僕は数十年間に渡って、古今東西のクラシック音楽の名曲を聴き続けてきたが、このフォーレのレクイエム以上に美しい音楽を他に知らない。これ以上美しい音楽は存在しないと言い切ってしまう。
曲の冒頭から最後の一音に至るまで、フランス音楽ならではのラテン的な清澄さと敬虔な祈りに満ちている。
斬新な和声と柔和なメロディ
次々と絶妙な転調を重ねる斬新な和声と柔和なメロディがフォーレの真骨頂だ。
この斬新な響きは転調と和声にあることは間違いないが、この曲の中にはグレゴリオ聖歌を始めとする古い様々な宗教音楽から、その特異な旋律、和声などをさりげなく引用されている。
和声はあくまでも近現代のものでありながら、その根底に中世以前の古い宗教音楽の旋法ならではの柔らかく柔和なメロディが渾然一体となって響いてくる。これがフォーレのレクイエムの最大の魅力である。
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終盤の恐るべき深遠さと感動
全7曲全てが絶品の美しさと優しさを極めている。
前半で美しい限りの音楽を聴かせた後、5番と6番で一挙に深遠の境地に至る。この曲の最も深く、核心に迫る音楽が奏でられる。それぞれ5~6分程の短い曲であるが、そこに盛られた音楽は実に濃厚でもある。
アニュス・デイ(Agnus Dei)
5曲目のアニュス・デイ(Agnus Dei)、日本語でいうと「神の子羊」は、次々に曲想が転換し、まるで万華鏡のよう。明暗も頻繁に転換し、実に様々な様相を見せる。目まぐるしく曲想が転換し、転調に次ぐ転調が繰り返されながらも、最後の一点に向かって、音楽が大きな流れに沿ってうねるように一本にまとまっていく姿に感嘆の声を上げてしまう。
しかもそれが絶叫や咆哮なしで、あくまでも静謐、静かな音楽の中で、極めてデリケートに繊細の限りを尽くしながらなされるのである。
このあたりはドイツ音楽にはないフランス音楽ならではの洗練された魅力というか、敢えていえばフランスのエスプリと呼ぶか、フランス人ならではの趣味の良さ、洗練さが際立っている。
リベラ・メ(Libera me)
6曲目のリベラ・メ(Libera me)は全曲の中の白眉である。これは何と感動的な音楽であることか。
バリトンのソロでリベラ・メのメロディが流れ始める。これが素晴らしいメロディで心の琴線に染みてくる。
フォーレのレクイエムでは「怒りの日(Dies Iræ)」が作曲されていないと書いたが、正確ではない。独立した「怒りの日(Dies Iræ)」はないが、Dies Iræはこの6曲目でちゃんと歌詞として出てくる。その部分はさすがに全体の中で珍しいffで激しさを帯びる。
だが、それも束の間で、最後にはバリトンが歌ったリベラ・メのメロディが、合唱団全員でユニゾンとなって歌われ始める。ここが非常に感動的な部分だ。



合唱団がハモルことを止めて、全員で同じ音程の同じメロディを一斉に歌う。しかもppでささやくように歌う。これが異常な感動を呼ぶ。
ユニゾンの強烈さと威力をこれ以上教えてくれる曲はない。本当にフォーレには驚かされるばかりだ。
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美しく優しいだけの音楽に聞こえるが
このフォーレのレクイエムは一聴、美しく優しいだけの音楽に聞こえるかもしれない。ffで絶叫したり、ハイテンポで激しく聴く者に迫ってくる部分はほとんどない。死の恐怖が描かれていないとも言われてきた。
だが、僕はこの曲が美しく優しいだけの音楽だとは思っていない。
この曲はどこまでも控えめな静謐さを極めたような音楽だ。だが、決して弱くはない。祈りの深さと真摯さはどんな曲よりも深く大きい、そして強いと言ってもいい。
そういうコペルニクス的転換を迫る音楽だ。
激しく強い感情を表現する際に、ffで咆哮するのではなく、敢えてppで表現する。これは音量として物理的に小さいだけで、思いや感情はffよりも遥かに強く深い。
そういうことを実感させてくれる音楽がフォーレである。
ひたすら美しい、祈りに満ちた静謐な音楽でありながら、その思いの強さ、死後の平穏を祈る思いは他のどんな曲よりも深く強い。それを捉えて、この曲には似つかわしくない強靭な音楽と呼んでも、あながち間違いとは思えない。
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聴いても歌っても深い感動
僕はこの曲を昔から熱愛していて、多くのCDも集め、かなり熱心に聴いてきた。
だが、フォーレのレクイエムという稀有な曲は、実際に歌ってみる方が聴くよりもずっと感動的な体験となる。
僕は幸運なことに、この曲をプロの指揮者とオーケストラと一緒に何度も実際に歌う機会に恵まれた。
詳細は正確には記憶していないが、5~6回は日本を代表する素晴らしいホールで歌わせてもらっている。日本でも人気の高かったフランスの名指揮者ジャン・フルネの指揮で歌ったこともある。

テナーがとにかく感動的
フォーレのレクイエム。合唱としてはテナーがとにかく感動的なのである。美し過ぎるメロディはテノールに与えられていることが多く、テナーにとってこれほど嬉しく、(不謹慎だが)美味しいことはない。
あまりにも感動的で素晴らしいメロディばかりなので、フォーレのレクイエムを歌い始めると、もう頭の中がフォーレ、フォーレで一杯になってしまう。寝ても覚めてもフォーレ、フォーレとなってしまうこと必定だ。
フォーレと恋に落ちてしまうというか。それほどこのフォーレのレクイエムという曲は歌う者の魂を奪い取ってしまう特別な魅力に満ちている。
聴いても美しいが、実際に歌ってみると聴いているとき以上に心を奪われ、熱病にかかってしまったようになる。
この曲を実際に歌ったことのある方なら、僕の言っていることを良く理解してもらえることだろう。
【中編】に続く
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