バルトークの弦楽四重奏曲の凄み
ベートーヴェンの至高の16曲を皮切りに、古今の弦楽四重奏曲の名曲を色々と紹介してきた。シューベルト、シューマン、スメタナ、ヤナーチェク、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルなど本当に弦楽四重奏曲には傑作、名曲が目白押しで、溢れ返っている感さえある。
だが、20世紀に入って、遂に本当の意味であの至高のベートーヴェンの弦楽四重奏曲の高嶺をそのまま受け継ぐ名作群が出現する。
それがバルトークである。バルトークによる6曲の弦楽四重奏曲。
いずれも偉大な作品揃いで、作曲家の生涯に渡ってそれぞれの時期を代表する作品としての6曲、作曲家の成長そのものを刻印する記念碑的な6曲となっている。
ここに至って、漸くベートーヴェンの名作群に勝るとも劣らない真の弦楽四重奏曲の傑作群の登場となる。
満を持しての登場。これによって弦楽四重奏曲は紛うことなき、クラシック音楽の作曲家にとって最も重要な作曲ジャンルの地位を揺ぎないものにしたと言っていいだろう。


バルトークの凄みがここに結集している。6曲のいずれもが名曲で、実に凄い作品群だ。
今回から、いよいよバルトークの弦楽四重奏曲の紹介となる。
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バルトークという作曲家
先ずはバルトークと言う作曲家について。
バルトークは20世紀前半に活躍した現代音楽を代表する大作曲家の一人で、現代のベートーヴェンとも呼ばれているハンガリー出身の大巨匠である。
僕はバルトークの音楽はかなり好きな方に属する。
東ヨーロッパ出身の大作曲家としてはチェコのヤナーチェクという熱愛している作曲家がいて、ヤナーチェクには及ばないまでも、バルトークはかなりのお気に入りだ。

1881年にオーストリア・ハンガリー帝国の辺境の地に生まれ、第二次世界大戦が終結した1945年の9月に亡くなった。ヒトラーのナチスがハンガリーにも圧力をかけてくることに耐えかね、1940年にアメリカに亡命。最後はニューヨークのブルックリンで死んだ。享年64歳。
戦争中で印税収入が入らないなどの事情もあって、晩年は極貧を極めていた。清廉潔白な信条も影響した。
バルトークの晩年の代表作に、「オケコン」の愛称で有名な「管弦楽のための協奏曲」があるが、これはアメリカ移住後に経済的困窮に喘いでいたバルトークを心配し、著名なヴァイオリニストのシゲティや指揮者のライナーなどハンガリー出身の音楽家たちが何とかバルトークを助けられないかと企画し、ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキ―が作曲を依頼したものだ。
それでも極貧生活は変わらず、亡くなった後は葬式の費用もままならず、作曲家協会などの好意で捻出されたという。

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ハンガリーの民族音楽の発掘と普及
傑作、名作を量産しているが、バルトークで最も重要な点は、ハンガリーの民謡や民族音楽の収集を熱心に行ったことだ。同胞の友人であるコダーイと一緒にハンガリーの田舎を回り、ハンガリーの古来から伝わる民謡や民族音楽を採譜し、やがてはハンガリーだけではなく、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、更にはアラビアの各地にまで及び、採譜した民謡などは1万近い膨大な量に及んだという。
そこで採譜された民謡や民族音楽がそのまま、後にバルトーク自身の血と肉になって、作品に絶大な影響を与えることになる。


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20世紀前半の現代音楽の巨星
バルトークは20世紀前半の現代音楽の巨星である。若い頃はヴァーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどのドイツ後期ロマン派の影響を受けていたが、やがてドビュッシーの影響を受けて印象派的な作風に傾いていく。
そこに自ら直接現地に赴いて採譜した膨大な民謡や民族音楽が加わってくる。
更にシェーンベルクの無調音楽の影響を受け、一時は限りなく十二音音楽に近づくと共に、ストラヴィンスキーの最先端のリズムも取り入れながら、最後にはバルトークならではの独自の音楽を作り上げた。

天才の音楽に影響を受けつつ統合に成功
時代の最先端を行く様々な同時代の天才たちの影響を受けながら、それらを突出した知性と感性で融合させ、バルトークならではの個性的な音楽にまとめ上げた。その時に最大の武器になったものが、自身で採集してきた東欧各地の民族音だったに違いない。
こうしてバルトークは、自分にしかなし得ない統合を実現させ、独自の音楽を築くことに成功した。
その意味では、バルトークの音楽の中には、ハンガリーを中心とする東ヨーロッパ各地の民族音楽に加え、ドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキーなどの天才の影響が垣間見えながらも、そこから聞こえてくるものはあくまでもバルトーク独自の音楽であり、徹頭徹尾バルトークの個性に彩られている。
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バルトークの弦楽四重奏曲の全体像
バルトークの弦楽四重奏曲は生涯に渡って作曲され、全部で6曲ある。これがベートーヴェンと並ぶ弦楽四重奏曲の頂点となった。
6曲はそれぞれの時代の代表作として、これらを聴けばバルトークの作曲家としての変遷、成長の過程が良く分かるという意味でも、ベートーヴェンの16曲に比肩される。
作品番号※ 作曲年代 作曲年齢 楽章構成 演奏時間
【第1番】 Sz.40 1908~09年 27~28歳 全3楽章 約30分 ※切れ目なく続けて演奏される
【第2番】 Sz.67 1915~17年 34~36歳 全3楽章 約28分
【第3番】 Sz.85 1927年 46歳 単一楽章 約15分 ※4つの部分から構成される
【第4番】 Sz.91 1928年 47歳 全5楽章 約23分
【第5番】 Sz.102 1934年 53歳 全5楽章 約30分
【第6番】 Sz.114 1939年 58歳 全4楽章 約30分
※バルトーク作品の作品番号
作曲者自身が付けた作品番号とは別に、3種類の体系が存在するが、一番一般的なものはハンガリーの作曲家セールレーシ・アンドラーシュが作成した「バルトークの音楽作品と音楽的論文の目録」での付番「Sz. 番号」である。

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弦楽四重奏曲全6曲の概要
上記一覧表を見てもらうと一目瞭然だが、64歳で亡くなったバルトークが20代後半から始まって、アメリカに亡命する直前の58歳まで、途切れることなく作曲している。それがバルトークの作曲技法と音楽的成熟度をそのまま反映していることにある。
第1番を作曲し終えたのが28歳。第6番は58歳という晩年。その間ちょうど30年間。6曲の弦楽四重奏曲を30年間以上に渡って作曲し続けた。
バルトークはベートーヴェンがそうであったように年齢と共に成長していく作曲家だった。それがベートーヴェンでもバルトークでも弦楽四重奏曲に結実していった点も全く共通なのである。
バルトークが現代のベートーヴェンと称えられ、6曲の弦楽四重奏曲がベートーヴェンの16曲の偉大な高値を受け継ぐものだと言われている所以である。


極めて刺激的な音楽で血が騒ぐ
6曲はいずれも名曲で、僕は全てが気に入っている。
バルトークの音楽の特徴はその激しいリズムにある。まさにハンガリーならではの民族的な音楽がこの激しくも独特のリズムにある。
それは極めて刺激的で、時に攻撃的、聴く者を興奮の渦に引きずり込むバイタリティに満ち溢れている。神経を逆なでする野性味に溢れた挑発的とでも言いたくなるようなリズムと不協和音は、どの曲にふんだんに出てくる。
それらの野蛮なまでの民族的な喜びと感動、怒りと悲しみに満ちた音楽は、どの曲を聴いても興奮させられ、血が騒ぐ。
全6曲どの曲を聴いてもワクワクドキドキのオンパレード。
どれだけ聴いてもその都度、心を揺さぶられてしまう。
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6曲それぞれの評価と位置付け
初期の第1番と第2番では、まだ当時の後期ロマン主義的な作風が濃厚だが、第3番に至って、いかにもバルトークらしさが前面に出てくる。
そして第4番と第5番で頂点を築く。4番と5番はバルトークの全作品を通じての最高傑作とされている。
弦楽四重奏曲以外のバルトークの最高傑作として最も有名な曲は、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(愛称は「ゲンチェレ」)とされているが、これは第5番が作曲された2年後、1936年、55歳の時の作品。この頃がバルトークの創作力のピークだったのだろう。
第6番は、集大成と呼ぶべき濃密な作品だが、バルトークによるヨーロッパへの決別そのものだ。これを聴けば誰だってバルトークの深い絶望と苦悩の深さに胸を打たれずにいられない。
それでいて野性味たっぷりの挑発的なリズムなど、バルトークならではの刺激的な音楽は健在だ。

全6曲を聴き込むことはバルトークの生涯を追体験する貴重な音楽体験となる。本当に魅力的な音楽が凝縮されている。クラシック音楽ファンなら、一度はじっくりと聴き込んでほしいものだ。
次回からは、いよいよ各論に入っていく。2曲ずつ紹介していくつもりだ。
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バルトーク:弦楽四重奏曲全集 [ アルバン・ベルク四重奏団 ]
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