神経内科医からギランバレー症候群の可能性ありと指摘

神経内科のN先生に急遽、診察してもらったのは10月28日の木曜日だった。前述した2回目の転倒、事務所の中で転倒したその日に神経内科に受診したことになる。

神経内科のN先生からは、ギランバレー症候群の可能性が高いのではないかと言われた。ギランバレー症候群というのは名前は聞いたことがあったが、具体的な病気のイメージは全く掴めなかった。僕が一番恐れていたのは、パーキンソン病とあの恐ろしいALS(筋萎縮性側索硬化症)であった。

先生にこの2つの病気の可能性はどうなのかと迫ると、その2つの病気ではないことは間違いない。絶対に違うと取り合ってくれなかったことは救いであった。

ギランバレー症候群は発症後からどれだけの時間が経過したかが非常に重要らしく、仮にギランバレー症候群だとすると、もう既にその重要な時間が経過してしまっており、これからの対応としては限られたことしかできないと言われたことはショックだった。

いずれにしても、できるだけ早めに神経の検査を正式にやる必要があるということで、急遽、明日、検査の予約を取ってくれた。その検査は神経内科医が直々実施しなければならない時間もかかる検査であったが、その検査の専門家であるI先生がかなりやり繰りをしてくれて、翌日の検査をやってくれることになったものであり、神経内科の両先生には感謝するしかない。

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神経内科医による「神経伝達速度検査」の結果は

翌10月29日(金)の9時過ぎからI先生とN先生という神経内科医お二人による直々の検査は「神経伝達速度検査」と呼ばれるものであった。僕の足は両足とも痛みもあり、力が入らないのも両足どちらもだったのだが、より状況の良くない右足を用いて行われた。

右足に電極のようなものを繋いで、電流を流し、足の反応ぶりを一つひとつ記録していくものであった。

約1時間もかかる大変な検査。I先生が直々に検査を進めるのだが、N先生もかなり頻繁に顔を出してくれて、I先生と何やら色々と意見交換しながら進めていく。

終了後、しばらくしてN先生から診察室に呼ばれ、検査結果の説明があった。

その結果。何も異常は認められなかったのである。僕のこの力が全く入らない右足は、神経的には全く異常は認められず、ちゃんと神経は伝わっているということが明らかになった。

ということで、ギランバレー症候群は完全に否定されることとなった。これはある意味で朗報には違いなかったが、すっかりギランバレー症候群ということでこの足の状態を納得していた僕としては、複雑な心境だった。

神経はちゃんと伝わっていて、全く問題がないとすれば、この足に力が入らないという症状は何が原因なのか。脊柱管狭窄症とは必ずしも症状が合わないと言われ、本当にいよいよ不安になってきた。

造影剤を使ったMRIを撮ることになった

N先生は驚くほどのスピード感を持って、次々と新たな検査を進めてくれた。差し当たってもう一度、MRIを撮ることになった。これは整形外科のM先生も言ってくれていたことだった。実は、当院ではMRIは撮っていなかったのだ。今まで見てきたMRIは9月30日にK病院で撮影してもらったもの。あれから1カ月経過したことで、更に狭窄が進んだのではないか、更にM先生は、場合によってはこの1カ月の間に別の病状が進んでいる、例えばヘルニアが発生している可能性もあるのではないかという見立てであった。

そんなこともあって、11月1日の月曜日に、造影剤を使ってMRIを撮影することになったのである。

1カ月後のMRIで狭窄の更なる進行が判明

このちょうど1カ月ぶりに撮影したMRIで、脊柱管の狭窄の具合が更に進行していることが判明した。整形外科のM先生が心配していたような新たな疾患、例えばヘルニアなどの症状が出ているわけではないことも一方で明確になった。

神経内科のN先生は、この直近のMRIを見ると、僕の訴える足に力が入らない、あるいは横になって片足が全く持ち上がらないという症状が出ることは十分に説明が付くと解説してくれた。

整形外科のM先生からは、前回から狭窄が進行したとは言ってもそんなに急激に悪化しているわけではなく、やはり手術が必要となるレベルではない。もう少し今の薬を飲み続けて様子をみようということになった。

痛みはそれなりに治まりつつあった。問題は痛みがあまりないにも拘わらず、足に力が入らないということだった。こちらの方は決定的な理由や対策は立てられず、とにかく薬を飲みながら引き続き様子をみていくという、患者からすると何だかやりきれない結論となったのである。

この段階では、僕もむしろ手術を望んでいたのだが

元々、脊椎にメスを入れるという手術は極力避けたいと望んでいた僕だったが、この段階ではもうとにかく一日でも早く、この状態から脱出したい、足に力が戻ってきてほしい。ちゃんと階段を自力で登れるようになってほしいと切望し、そのために手術が役に立つのなら、とにかく手術を受けたいと願うようになっていた。

だが、その点は今回のMRIでも全く進展しなかった。相変わらず手術は必要ないという判断だったのである。それは簡単に言うと、手術をやっても今の僕にとって一番問題となっている足に力が入らないという点が、解決しない、治らないということを意味していると考えるしかなかった。

無理をして手術をしてもらっても足に力が戻ってきてくれないなら仕方がないのである。こうして僕は手術を諦め、とにかく引き続き薬を飲みながら様子を見るしかなかった。

この結論を受け入れるのはかなり辛かった。

そんな時に想定していなかったとんでもないことが起きた。

突然の入院騒動だった。

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生まれて初めての救急車搬送。急遽入院することに

神経内科の受診と検査、そしてMRIの再撮影などを済ませて、とにかくこのまま様子を見るしかないという何ともメリハリのつかない結論に至ったその直後に、思わぬ事態が起きた。

それは11月16日・火曜日の朝のことだった。いつものように通勤の電車に乗っていて、最寄り駅の北松戸駅に近づいてくると、何とも気分が悪くなってきて、冷や汗まで噴き出してくる。これは何か変だ、どうしたんだろう?これではバスに乗ってなんかいられない。駅からタクシーで病院に行くしかないかな、などと激しい不安に陥る中で、北松戸に到着。降りるために立ち上がろうとするが、何だかふらついてまともに立てない。坐骨神経痛の痛みで立てないと言うのとは全く違うのだ。

何とか電車を降りて、ホームに降り立つともう最悪だった。まともに立っていられない。降りたところのホームに金属製の柱があるのだが、その太い柱にしがみつくしかなかった。

とにかく強烈なめまいに襲われ、全く立っていられない。グワン、グワンと周辺が回り続け、頭がガンガン打ちつけられるような感じだった。それに加えて強烈な吐き気にも襲われた。

とにかく駅員を呼んで救助を呼びかけるしかないと激しいめまいに襲われる中で、駅員を探すのだがどこにもいない。近くを通り過ぎる通行人に声をかけようとするが、声が出ない。そのエネルギーが全くなくて、もうこれはダメだ。どうしたらいいのだろうと途方に暮れた。

そんな時に近づいて来てくれる中年の男性を確認。「どうしんたんですか、大丈夫ですか!?」と声をかけてきてくれた。僕は声を絞り出すように「気分が悪くて、めまいがして立っていられない。駅員さんを呼んできて!」と頼み込んだ。その男性は「とにかくここに座って。脳梗塞の可能性があるからあまり動かずにそのままそこにしゃがみ込んで」と誘導してくれた。

そして駅員を呼びに行ってくれた。こちらは気分が悪くて、吐き気がひどく、激しいめまいでまともな判断ができない。とにかく早く駅員に来てほしい。そして救急車を呼んでもらいたいと必死だった。

駅員が2人駆けつけてくれた。僕は必死で「救急車を至急呼んでほしい。僕は○○病院の○○局長なのでそこへ搬入してほしい」と頼み込んだ。その話を受けて、最初に僕に駆け寄ってくれた男性は僕の病院に電話もしてくれた。

やがて駅のホームまで救急隊が車椅子を抱えてやってきてくれた。こうして僕は救急隊の手によって、車椅子で駅の外に搬出され、救急車に運び込まれた。助けていただいた男性に、最後に「どうか名刺を、名刺をください!」と必死で呼びかけたが、固辞されたことを記憶している。

救急車に運び込まれると、これは初めて経験したのだが、あらためて本人確認と運び込む病院の希望などを聞いてくる。「目と鼻の先の○○病院の○○局長なのでそこへ搬入してほしい」と必死で説明するが、それで車が出発するのではなく、救急隊が病院に電話して受け入れてくれるかどうかの確認をするのである。そうかこういう流れなんだな、もっと効率良くできないのだろうか、僕が駅で倒れて救急車を呼んでいることは既に病院に連絡が行っているのに、この時間は無駄だ。一刻を争う病気だったらどうなるんだろうなどと少し冷めて冷静な自分がいることも、少し意外だったのだが。

こうして僕は、早朝から自分の病院に救急車で運び込まれたのだった。

「急性めまい症」というのが僕についた病名だ。必要と判断されたあらゆる検査が非常に効率よく進められた。僕は俎板の鯉よろしく全てを医師やスタッフにお任せして原因と治療の見極めを見届けるしかなかった。

結論的には、どうしてこのような強烈なめまいと吐き気に襲われたのか、原因はハッキリとしなかった。血圧は何と200を優に超えていたが、どうも原因が特定できない。

 

 

用心して1泊だけ入院することになった

様々な検査も終わり、特に耳鼻咽喉科の検査も終わって、昼前にはめまいも吐き気も収まり、かなり落ち着いてきた。

このまま様子を見ても良かったのだが、用心をして1泊だけ入院することが決まった。それに伴ってPCR検査も初めて受けて、その結果、陰性であることもハッキリした。こうして僕は5階病棟に入院することになったのである。

今でも不思議でならない。そのめまいと吐き気は一体何だったのか?

その後、1泊だけ入院し、退院後の翌日の午後からは普通の勤務にも就いた。一体何だったのか。ズッと治療を続けていた脊柱管狭窄症との関係も良く分からない。正しく青天の霹靂だった。

もちろん、表向きは今回の急な入院騒動は、脊柱管狭窄症とは何の関係もないということになっている。

但し、病院長は、私は外科医であって整形の疾患のことについては良く分からないと前置きしながらも、「今回の入院騒動はやっぱりこのところの2カ月間以上続いて来た脊柱管狭窄症による坐骨神経痛と全く無関係であったとは到底思えない。この2カ月間以上に及ぶ脊髄の不調によってめまいなど中枢神経のに何らかの影響が及んじゃないかと思うけれど、これはハッキリとしたことは言えない」とおっしゃってくれたのが、僕としては正解かなと何となく感じている。ズッと苦しんできた脊柱管狭窄症と今度のめまいが全く無関係とは到底思えないのである。

不思議なことにこの入院騒ぎの真っ最中は、坐骨神経痛のことも足に力が入らないことも少し忘れていたほどだ。

入院中に病室にM先生が見舞ってくれたことが嬉しかった。

こんな思わぬエピソードも交えながら、僕の脊柱管狭窄症の治療は続いて行ったのである。

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膠着状態の中、いよいよブロック注射が試される

そして脊柱管狭窄症の治療も新しいステージに入ることになった。ブロック注射の実施である。

結果的にはこのブロック注射が大きく功を奏することとなったのだ。それではブロック注射について焦点を絞って振り返ってみよう。

ブロック注射は僕の方から、整形外科のM先生にお願いした。とにかく膠着状態に陥ってしまって成す術がなくなり、それを打開するにはブロック注射しかないと痛感させられていた。

思い切ってM先生に相談すると、M先生も快諾。直ぐにやってもらうことになった。僕は手術同様にもしかしたらM先生はブロック注射にも慎重なのかなと心配していただけに、これは非常に嬉しかった。

こうして先ずは程度の重い右足からブロック注射を受けることになった。

(快復編に続く)

 

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