師長が輝いているための最低限の条件

先ずはなりたくてなったということが重要。最近の医療界では、看護師長のなりてがないということがまことしやかに話題となりつつある。いくらなんでもそんなことはないだろうと思うのは、病院という職場の実態を知らない人のせりふである。

それくらい今の医療界では病院の看護師長のなり手がいないことが話題となり、その対応に四苦八苦している病院も多い。

ある雑誌(「ナース専科」)の調査によれば、管理職(部長・師長・主任を含む)に就きたくないと考える看護師が7割近く(69.91%)、管理職に就きたいと希望する看護師は14.17%と15%を切る結果が示されている(2024年5月調査)。主任まで含まれているので、これは大変な事態だと深く憂慮する。

それには様々な原因が考えられるが、一口で言ってしまうと、看護師長の役割があまりにも大きく、責任が重大だという一言に尽きるだろう。

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益々負荷がかかる看護師長

何十人もの部下の看護師を抱えて、病棟や外来、手術室をまとめ上げ、患者からもスタッフからも信頼を獲得することは容易なことではない。それだけでも大変だった上に、僕が新たに病院の改革や経営改善にも看護師長に期待するところ大などと言い始めると、本当に看護師長には過分の負荷がかかってくることは明白だ。

看護師長のなり手がいなくなると、病院は内部から崩壊し始める。看護師長の病院内での果たすべき役割と期待される業務は多義多様に渡り、その役割の重要性は日増しに高まってくる。病院内でどうしても必要不可欠な看護師長という役割。

ここになり手がないという事態は絶対に回避しなければならないのだが・・・。

師長のなり手がいない困った時代

どうして看護師長のなり手が減少しているのだろうか?若い優秀な看護師が師長になりたがらない理由をもう少し具体的に検証してみたい。

1.苦労多くして給与も増えず

師長に超勤(超過勤務手当)=残業代が付かない病院がほとんど。主任時代よりも給与が下がることで、モチベーションが働かない。

給与が主任時代の現在よりも下がることをダイレクトの理由に、師長になることを拒む人はそう多くないかもしれないが、この給与ダウンは、複合的にはかなり重要な要素になる可能性は高い

「これだけ師長になりたくない理由がある上に、給料まで下がっちゃうんじゃバカバカしくて、やってられない!」そうなることは濃厚だ。

それでも師長にはやりがいがあって看護師が目指すべきかけがえのない役職だとするモチベーションが、どうしても必要になってくる。

2.何でもパワハラにされてしまう時代性

師長になってかなり困るのは、部下との関係で、何でもパワハラにされてしまう今日の労働環境があると思われる。本当に今の時代は働きにくくなった、と生粋の昭和人は愚痴をこぼしたくなる

ちょっとでも厳しく注意したり、指導したりすると直ぐにパワハラの疑いをかれられ、しかも非常に困ったことに、パワハラの認定はパワハラと思しき行為を受けた側が、パワハラだと感じればパワハラになってしまう極めてバランスの悪い非対称性に満ちていることだ。

客観的事実としてその言動がパワハラに該当するのかどうかを度外視し、受けた側がパワハラだと感じればパワハラになりかねない非常にアンバランスな制度となっている。

「パワハラだ」と言い出した方に有利に働くわけで、このような時代になってしまったことで、いかに指導と教育がやりにくくなったか、本当に困った仕組みだと思っている。

こういう文章を書くこと自体、パワハラだと言われてしまいかねない。

上司が部下のご機嫌取りをしなければならなくなるわけで、上司にとってやりにくいこと極まりない。もちろん本当のパワハラは慎む必要があって、厳に糾弾される必要があることはもちろんだが、このような風潮が、上の立場に立ちたくないとして、師長になることを躊躇させる一つの要因となっている。

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3.責任だけが重くなる

師長になることによって、様々な場面で責任が重くのしかかってくることに耐えられないという考え方は根深くある。

ある所属部署で起きた不適切な事象が全て師長の責任となってくる。師長としての監督責任、指導責任を厳しく問われることが看護師の世界の掟のようなところがある。

ことの是非、善悪のジャッジを的確に行う人間がいないことで、看護部長も直属の自分の部下である看護師長にかなり厳しく当たり、そうすることで部長の責任を逃れようとする責任回避のスパイラルが働くことになる。

簡単に言えば、看護部長が自分の責任を問われることを回避するために、全ての責任を師長に押し付けるという構造だ。

師長が上と下に挟まれて責任を問われやすい立場にあることは間違いない。事務職の課長など他職種の中間管理者もみんな同じ構造だろうが、僕が見ていると、看護部は体育会系気質というか、看護部長に絶対忠誠で、異を唱えられないという独特の雰囲気を感じている。

更にこんなこともある。

色々な意味で重大な立場にある看護師長が、助けてほしいときに上司の部長や副部長に助けてもらえないということだ。つまり師長は孤立無援状態で、大変な業務を日々こなしていかなければならない。

責任を押し付けられるだけではなく、多くの病院では部長たち上司の協力や支援を得られない孤独の存在でもある。それがマズいことは当然で、だから僕は繰り返し、部長が最も重要で、生かすも殺すも部長次第だと言っているわけである。

 そのダメ構造を看護師が直接見ている

そして大切なことは、そのような歪んだ構造を下の看護師たちが普段から見ているということにある。

何か問題や不祥事が起きた時に、真っ先に師長の責任が問われ、上司の看護部長や副看護部長がかばうこともなく責任逃れに走る姿を日常的に見ているから、看護師はそこから多くのことを学び、「師長なんかにはなりたくない、責任を全て負わされて、上の部長たちは少しもかばってくれない。絶対に師長なんかにはなりたくない」、こうなってしまうわけだ。

その意味でもまた、看護師長を生かすも殺すも部長次第というわけだ。

4.スタッフと業務内容変わらないことも

病院によっては師長の業務が一般スタッフとほとんど変わらないこともあり得る。師長になってもやっていることは一般ナースとほとんど変わらないのに、責任だけが重くなって、超勤も付かなくなって給与も下がって、これではもう何のために師長になったのか分からなくなる。

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5.患者と向き合うことができなくなる

看護師長の役割が敬遠される最大の理由はこれかもしれない。

看護師長に昇格(昇進)することによって、患者と向き合うことができなくなることだ。看護師は元々が病める患者を救いたい、患者のそばに寄り添って、病状回復に向けて支援したいとして看護師の道を志している。

そのために日々精進し、看護スキルを磨き上げる努力を続けてきたのに、偉くなって師長の肩書を得たとたんに、患者との直接の接点はなくなって、マネジメントとは名ばかりの、事務仕事の管理係に堕ちる

これが看護師の志しに、そぐわないのかもしれない。

師長になることの打診を受けた看護師が、断る場合の常套手段がこの一言だ。「患者さんと接することができなくなってしまう。私は患者を助け、寄り添うために看護師になった」。

これを言われると部長は苦しい。

この一言は部長泣かせの殺し文句だが、断る口実としてではなく、多くの看護師の本音であることも間違いない。

根底に患者と向き合えなくなることがあるのは事実だが、師長としての役割の大きさとリーダーとしての立場に魅力を感じる看護師だって、決して少なくはないはずだ。

だが、責任ばかり重くなって、誰も支援の手を差し伸べてくれず、給料まで下がる。これではやっていられない。残念ながら師長になるのはお断り。こうなってしまうのではないか。

6.認定・専門を目指すナースの増加

認定看護師や専門看護師、更に最近では「特定行為」という医師により近い高度の医療に携われる余地が増えてきて、志の高いナースには従来までの型にはまった成長やスキルアップのためのロードマップが様変わりしつつある。

極端に言うと看護師という強大なヒエラルキーを抱えた組織の中の一員から外れて、個人のスキルと能力で独自に活躍できる場がドンドン増えつつある。いわば腕のいい一匹狼のような看護師が増えてきている。

認定や専門看護師、特定行為が可能なナースは、その能力と知識が重宝され、余人をもって代えがたいことになり、専門性を益々磨き上げていく。

病院内で同僚の看護師始め、様々な職種からリスペクトされることはもちろんだが、一方である特定分野のスペシャリストなので、師長とは方向性が全く異なっており、師長にはなりにくい存在でもある。

小規模な病院では、師長が認定看護師や専門看護師の資格を持っているケースも少なくなかったが、本来は別物だ。

 師長になりたくない受け皿として機能?

実は、師長にはなりたくないと受け皿としてこれらのスペシャリストのナースの需要が高まっているという背景もあると僕は睨んでいる。

ナースとして腕を磨き、しっかりと成長しながらスキルを高めていきたいが、その行き着く先が師長なら、魅力を感じない。患者と向き合えなくなるし、責任だけ負わされて、マネジメントという美名の管理業務に追われることなら、専門性を高めて、余人をもって代えがたいスペシャリストの道を選んだ方がよっぽどマシ、と考える志しの高い優秀なナースがいても、少しもおかしくない。

いよいよ師長の分が悪くなる。

 

【後編・対策】に続く

 

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