敗戦直後の大阪を舞台に逞しく生き抜く青年群像

「どついたれ」。これはまたあまり知られていないが、手塚治虫の渾身の一冊である。めちゃくちゃおもしろい手塚治虫ファンなら絶対に読んでおいていただきたい作品。

何故か一般的にはほとんど知られていない隠れた傑作である。

この「どついたれ」がまた未完で終わっているのだ。何度も書いたとおり手塚治虫作品には未完で終わっているものがかなりあるのだが、そのうち、手塚治虫自身の急逝によって連載が中断してしまったのが3作品。

いずれもこの「手塚治虫を語り尽くす」に取り上げているが、ネオ・ファウスト」「ルードヴィヒ・B」「グリンゴの3作。

それ以外にも様々な事情によって休載となり、そのまま未完で終わってしまったものも少なからずある。そんな作品もこの「手塚治虫を語り尽くす」では紹介してきた。

ガラスの城の記録そして最近取り上げたばかりの一輝まんだらである。

今回取り上げた「どついたれ」もその系譜に属する作品だ。非常にいいところで終わってしまっており、これは本当に残念でならない。

現在は入手できない「どついたれ」のハードカバー
現在は入手できない「どついたれ」のハードカバー。かなり厚みのある立派な本。随分と屈託のない漫画チックな絵柄が表紙になっているが、中は戦争の惨禍とそのどん底からの必死の這い上がりに悪戦苦闘する若者たちのシビアな青春群像だ。
現在は入手できない「どついたれ」のハードカバーを立てて撮影した写真
立てて撮影する。この厚みは中々のものだ。445ページもある。

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戦後大阪でのどん底を描いた手塚の自伝的作品

題材がいかにもユニークなのである。これは「どついたれ」というタイトルからも分かるように、大阪を舞台にした手塚治虫自身も含む戦後の混乱期の青春群像だ。主要登場人物はほとんどが一筋縄ではいかない曲者ぞろいの大阪の貧民層。その貧民層に手塚治虫を含めてしまっていいのかどうかは分からないが、喧嘩っ早い血の気の多い青年たちが4~5人登場してくるが、その中の一人が手塚治虫に他ならない高塚修である。

焼け野原の焦土と化した大阪で、財産も身寄りも失った悪ガキどもがどうやって這い上がっていくのか、その憤懣やるかたない怒りをエネルギーに、権力と進駐軍に抗い続けた若者たちの群像だ。

これがまた滅法おもしろい。読んでいて本当に夢中にさせられる。

しかもこれは普段の手塚治虫作品のようなSFとか歴史ものではなく、戦後の混乱期の大阪を舞台にした極めて現実的なリアルな話しであって、ほんの数十年前のノンフィクション、あるいはドキュメンタリーと呼んでもいいのかもしれない。

手塚作品では珍しい設定で、等身大の手塚治虫の世界、現実世界の手塚治虫を存分に味わえて、実に貴重なのである。

こちらも現在は入手できない集英社文庫の「どついたれ」の写真。
集英社文庫の「どついたれ」。こちらも現在は入手できない。
現在は入手できない集英社文庫の「どついたれ」の裏表紙。
現在は入手できない集英社文庫の「どついたれ」の裏表紙。短い紹介コメントが分かりやすい。
現在は入手できない集英社文庫の「どついたれ」を立てて写した写真
立てるとこうだ。かなりの厚みでずっしりしている。

「どついたれ」の基本情報

掲載誌は集英社から出ている「週刊ヤングジャンプ」。ヤングジャンプの記念すべき創刊号(第1号)から連載がスタート。1979年6月から12月に第1部が連載され、一旦中断した後、1980年の6月から11月に第2部が連載されたものの打ち切られ、そのまま未完で終了してしまった。

こんなにおもしろく興味深い作品がどうしてと思われるのだが、中断した理由は「読者の受けが芳しくないことを憂いた」手塚治虫自身の決断だったという。ちょうどこれからが盛り上がるところで、この後どうなったんだろうかという興味と関心のピークで突然に終わってしまうだけに、残念でならない。

1979年から1980年というと、例のビッグコミックに連載されていた名作・傑作揃いの青年向けの作品との関係でいくと、きりひと讃歌」「奇子」「ばるぼら」「シュマリ」「MW(ムウ)」といった傑作・問題作の発表は終了しており、大長編である「陽だまりの樹」の連載がスタートする直前の時期に相当する。陽だまりの樹の連載は1981年の4月からなので、「どついたれ」が中断された後、約半年後にあの大長編が堂々のスタートを切ったことになる。

現在は入手できない講談社の手塚治虫漫画全集。全2巻
現在は入手できない講談社の手塚治虫漫画全集。全2巻なのだが、当時から何故か②が入手できなかった。②(終巻)に手塚治虫のあとがきが掲載されるのが常なので、僕はこの作品の手塚治虫自身のコメントを知らないのだ、残念ながら。

 

手塚治虫としては色々と思うところがあったのであろう。

ちなみにあの「ブラック・ジャック」の連載はほとんど全てが発表された後である。

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どんなストーリーなのか

ストーリーは一言で言うといたって単純明快。昭和20年の敗戦間近の大阪を舞台に、想像を絶する破壊力で大阪を襲った大空襲の実態とその惨禍の中で逃げ惑う庶民の姿、その後の人々のどん底から必死で這い上がる姿を5人の若者たちの生き様を通じて描き出す。

いずれも市井の一般庶民。揃って軍人や権力が嫌いな「やさぐれ男」たちが多く、戦火で全てを失った極貧を耐えながら、何とかして這い上がり、一獲千金の夢を追う少年たちの群像だ。

手塚治虫自身をモデルにした高塚は、戦火に逃げ惑いながらも一命を取り留め、戦争が終結後は元々の夢であった漫画家を目指す。比較的順調に滑り出したかのように見えながらも、今日の食い物にも事欠く極貧の子供たちにとって漫画なんて何の糧にもならないことを思い知らされたり、先輩漫画家から酷評されるなどして順風満帆には程遠い苦難続きの漫画家修行。

「どついたれ」の1シーンから①
「どついたれ」の1シーン①。高塚修こと手塚治虫が苦悩するシーン。
「どついたれ」の1シーンから②
高塚修こと手塚治虫が先輩漫画家から厳しく批評されるシーン。

 

後半から登場し、やがて一番の主役になっていく哲は、空襲で殺された両親と食べるために米兵に身体を売る「パンパン」(娼婦)に身を落とした妹を救い出そうとする一方で、アメリカ兵、特にトップであるマッカーサー元帥への復讐を誓い、その計画を進めていくのだったが・・・。

主要な登場人物はほとんど実在の人物ばかり

手塚治虫自身である高塚修はもちろんだが、後半で主役に躍り出す哲を除いて、他の主要人物はいずれも実在の人物だという。集英社文庫(手塚治虫名作集㉑)の解説を書いている葛西健蔵(アップリカ葛西(株)社長/(株)手塚治虫プロダクション相談役)が、その種明かしをしている。

先ずは解説を書いている葛西健蔵自身が、漫画の中で架空の人物・哲に商売を教えていく男気に溢れた好漢のバックル製作所の社長「葛城健二」その人だと名乗っている。

河内のトモやん、八尾のヒロやんは葛西健蔵の友人の津田友一と広瀬昭夫だという。漫画家を志す高塚修は、もちろん手塚治虫その人だ。

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実に魅力的な登場人物たち

創作上の哲はもちろんだが、実在の人物たちも実に魅力的な登場人物ばかりだ。実在の人物にはどうしても制限が出てきてしまうのか、第2部になって一躍クローズアップされる架空の人物である哲の印象深さと存在感は抜群だ。

商売を成功させようと必死になる一方で、マッカーサーの暗殺計画を着々と進めていく哲には一種特別な輝きが宿る。

5人の主要登場人物の他にも、非常に印象に残る魅力的な人物が少なくない。哲に命を救われたと恩義を感じている在阪朝鮮民族東部連合の会長の息子、朴昌烈。それに敵対する大阪のやくざ太閤組の幹部、掛川団治。掛川団治はまるで鶴田浩二そのものでほれぼれしてしまう。任侠映画さながらで、実にカッコいい。

「どついたれ」の1シーンから③
「どついたれ」の1シーン③。哲とやくざの幹部掛川団治の対峙シーン。
「どついたれ」の1シーンから④
「どついたれ」の1シーン④。やくざの幹部の掛川から思わぬ過去を聞く哲。

 

この未完に終わった作品は、戦後の混乱期のやさぐれ男たちの群像劇なので、どうしても悪ガキどもが中心に成らざるを得ないが、決して女性がないがしろにされているわけではない。

パンパンになってアメリカ兵に身体を売る哲の妹の美保や、哲が救ってやったことがきっかけで哲に恋をするカッちゃんこと荒居克子など、非常に魅力的な女性たちが大勢登場してくる。

大怪我をした哲を治療する女医(名前は明らかにされていない)も忘れ難い存在となる。

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大阪を襲った大空襲の惨状描写が圧巻

手塚治虫には戦争の惨禍を描いた作品が少なくない。いずれも手塚治虫自身が実際に経験した戦争体験に基づいているものばかりだ。短編の「紙の砦」「ゴッドファーザーの息子」「カノン」「ゼフィルス」などが良く知られている。

いずれも悲惨な戦争を描いたものとは思えないような優しくて甘美なタイトルが付けられているが、ここに描かれているのは、目を覆いたくなるような悲惨な戦争の実態である。

この「どついたれ」でも戦争描写がすさまじい。前半はほとんどがアメリカのB29による容赦ない大空襲の様子が描かれ続ける。

軍人・軍属たちへの批判的な視点

空襲そのものによる悲惨な地獄絵もさることながら、本作品で非常に印象に残るのは一般庶民を人とも思わない暴虐の限りを尽くす傍若無人な軍人や軍属たちの姿と、それに対する手塚治虫の不信感と怒りである。

アメリカ兵以上に偉そうにしている日本の軍人や軍属に対する怒りがヒシヒシと伝わってくる。これが手塚治虫自身のウソ偽らざる本音だったのだと思う。

「どついたれ」の1シーンから⑤
「どついたれ」の1シーンから⑤。高塚修こと手塚治虫が軍隊で暴力を振るわれるシーン。
「どついたれ」の1シーンから⑥
「どついたれ」の1シーンから。主人公の一人トモやんが警官から暴行を受けるシーン。かなり凄まじいが、実際にこうだったんだろう。

 

序盤の戦争の惨禍の描写に先ずは圧倒されてしまう。

手塚治虫自身である高塚修が焦土と化した焼け野原を食べ物を探し求めて彷徨う描写の迫真力が圧巻だ。この部分だけでも、全ての日本人がどうしても読んでほしいと願わずにいられない。

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どん底から這い上がろうとする不屈のエネルギー

とにかくこの作品には、どん底から手段を選ばずに這い上がってやろうという一般庶民の不屈のエネルギー関西人特有のとてつもない商魂とに満ち溢れている。

時に道を外し、犯罪行為に及ぶことも多いのだが、この生きる力、バイタリティーこそが大阪のみならず、日本の戦後の驚異的な復興を支えた原動力となったことは間違いなく、その凄まじいばかりのエネルギーの放出に圧倒されてしまう。

手塚治虫は宝塚(兵庫県)の出身で、大学も阪大(医学部)と、完全に関西の人間である。

手元にある「どついたれ」の3種類を並べて写した写真
3種類の「どついたれ」を並べて写す。
手元にある「どついたれ」の3種類を立てて写した写真
3種類の「どついたれ」を立てて写す。かなり厚みのある作品。未完である。

関西人ならではのとてつもない商魂

どん底から這い上がろうとするエネルギーは、関西人なかんずく大阪にあっては商売で儲けて這い上がろうとする欲求となっていく。ここで描かれた実在の人物の葛城健二と彼に雇われて商売の腕を磨いていく哲の生き様が、正にその典型となる。

経済的に安定した平和時に生きている常人では到底想像しえない、商売を成り立たせるためのびっくり仰天のアイデアやユニークな発想など、実に恐るべきものばかりで、こうやって彼らの不屈の商魂が日本を復興させたんだなと感嘆せずにいられない。

強烈な印象を残す絶望下での性指南と救済

この作品を巡ってどうしても書いておかなければならないのが、比較的頻繁に出てくるあからさまな性描写のことだ。ヒロやんとトモやん二人の性欲が半端ないことと、哲の妹美保が「パンパン」となり、哲は哲で娼婦崩れの女カッちゃんから言い寄られているにも拘らず、性行為が一切できなくなっているなど、一筋縄ではいかないもつれた男女関係もあって、頻繁に性描写が出てくる。

いずれも深く印象に残るものばかりなのだが、終盤(未完ではあるが)に強烈な印象を残すシーンがある。

性行為ができなくなっている哲への性指南と救済。これが何とも切ない女性の絶望下でなされるもので、たまらなく胸を締め付けられる。

このシーンを手塚はいつになくかなり激しいタッチで描いており、非常に強烈な忘れ難いものとなった。終盤のハイライトの一つであり、じっくりと向かい合ってほしいところだ。

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これが未完で終わったのは断腸の思い

未完で終わってしまった作品に対しては、いつも同じことを言っている気もするが、この「どついたれ」は、何としても最後まで書き上げてほしかった

「どついたれ」が未完で終わってしまったのは、手塚の急逝のせいではなく、あまり評判が良くなかったという俄かに信じ難いもの。断腸の思いである。

いかにも残念だ。哲が企てたマッカーサー暗殺計画が実現できなかったことは歴史上明白。鉄がこの後どうやって哲があの無謀な計画を断念し、彼はその後、何をモチベーションに生きていくのかなど、興味は尽きない。

どうしてもこの続きを読んでみたかった。

この傑作を見逃さないでほしい。読み応え十分な手塚治虫の知られざる傑作、未完で終わってしまったが手塚治虫入魂の1冊なのである。

 

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